第28話 古い人は、全部知ってる顔をする
救護所の布が、ほんの少しだけ揺れた。
大権官アウレウスは「見るだけ」と言った通り、悠斗の寝台から三歩以上近づかなかった。距離が正確すぎて逆に怖い。
視線は静かで、手も出さない。なのに空気だけが重い。
悠斗は眠っている。胸元の学生証を握ったまま。
寝息が浅い。けど、呼吸は乱れていない。今はそれでいい。
アウレウスが、小さく息を吐いた。
「……壊れかけてる。壊すのは簡単だけど、戻すのは面倒だ」
それは同情じゃない。長年の作業者の言葉だ。壊れると、後始末が増える。
マリナがむっとした顔をする。
「大権官閣下……言い方が」
「言い方で治るなら、僕はとっくに治ってる」
眠そうに言って、アウレウスは布の入口に視線をやった。
「久我幹人。外で話そう。ここは刺激が多い」
俺はナディアに目で確認する。ナディアは小さく頷いた。
「行って。ここは私が見ます」
救護所の外へ出ると、礼拝堂の賛歌が一段大きく聞こえた。
喉の奥がむずっとする。
俺は反射で録音札を押した。
「女神様すばらしい」
棒読みで押し返す。
アウレウスが、俺の手元を見て言った。
「……それ、よく効く?」
「効きます。効くのが腹立ちます」
「正直だね」
褒めているのかいないのか分からない調子で、アウレウスは礼拝堂から少し距離を取る方へ歩いた。俺も線を越えない位置を保ってついていく。
少し静かになったところで、アウレウスが言った。
「君、どうしてここにいるの」
「召喚されました」
「それは知ってる。どうして“帰る”を最優先にしない」
胃が少し縮む。刺さる質問だ。
俺は逃げずに答えた。
「帰りたいです。でも帰り道が“誰かを殺せ”一本なら、まず疑います」
「理性的だ」
アウレウスは眠そうに頷いた。
「十代の子は、疑う前に痛みで追い込まれる。だから弾になる」
弾、という単語を平然と使う。嫌なほど現実を見ている。
俺は言った。
「さっきの子も、同じです。痛みと声で縛られてる」
「女神の声だろうね」
アウレウスは、賛歌の方を見もせず言った。
「昔はもう少し丁寧で愛があった。今は……自動応答みたいなものだ」
自動応答。その言い方で、俺は確信した。
この人、女神を信仰の対象として扱っていない。
少なくとも、信仰“だけ”では扱ってない。
「……大権官閣下は、女神に会ったことが?」
アウレウスは少しだけ間を置いた。
「会った、という言い方は難しい。昔は“介入”があった。今はない。代わりに残ったのが、儀式と文言と、セキュリティっぽいもの」
俺は録音札を握り直した。
「これも、その一部ですか」
「たぶんね」
アウレウスは眠そうに笑った。
「感謝のフレーズは、いろんな扉を開ける。扉を閉めることもある。君がやってるのは、たぶん“閉める”方」
俺は言葉を探した。
「……じゃあ、悠斗が痛みで縛られるのも」
「縛りというより、そういう仕様だ」
仕様。淡々と最悪の言葉。
「異界から引っ張った魂は不安定で、目的を与えないと散る。でも目的を与えるだけだとと暴走する。だから痛みで方向を固定する。雑な安定化だよ」
怒りが湧く。湧くけど、ここで怒鳴っても何も変わらない。怒鳴った瞬間に、相手の物語に乗る。
俺は低く言った。
「……子どもにやる仕様じゃない」
「だろうね」
アウレウスは肯定も否定もしない。その態度が逆に人間臭い。長生きして、倫理より保守運用が前に出た顔だ。
俺は問いを変えた。
「なんで、あなたが国境に出てきたんですか。古神殿の上位者が」
アウレウスは、少しだけ目を伏せた。
「僕だって、動きたくないよ。動くと疲れるから」
あまりにも正直で、逆に笑えない。
「でも、二つの召喚反応が出た。しかも一つは魔王領側。運用が破綻すると、もっと厄介な“安全装置”が動く」
「安全装置?」
アウレウスは淡々と言った。
「昔、手順を踏まずに召喚をやった連中がいてね。世界が過敏に反応した。監視する存在が出てきた。ひどいことが起きた。ここでまたやらかすと、今度は国境どころじゃなくなる」
具体名は言わない。けど十分だ。
トルストンたちの「名目」遊びが、いつか“名目じゃ止められない何か”を呼ぶ。そういう含み。
俺は言った。
「だから、手順に署名した」
「そう。僕が来たことでそれを避けれるのであれば、僕自身が穴を埋める。現場が燃えると、僕の仕事が増える」
仕事。結局、仕事で動く。
俺は少しだけ息を吐いた。
「……あなたも、楽にしたいんですね」
「楽になりたい」
アウレウスは眠そうに言った。
「僕は長い。長いから、破綻の後始末もしなければいけない。だから破綻しない方がいい」
そこで、俺を見た。
「君の紙は、破綻を遅らせる。うまくいけば、暴走が減る」
「俺は、救いたいだけです」
アウレウスは首を振る。
「救いたい、は危険だ。救世主は消耗品になる」
昨日言ってたやつだ。
俺は苦笑した。
「じゃあ、俺は何になればいい」
「枠作り職人」
あっさり言った。
「目立たず、怒らせず、壊さず、増やす。紙で」
言い方が、どこか軍務卿グランに似ている。減らさない戦い方の、別バージョン。
アウレウスは続けた。
「君が目立つと、王宮は君を象徴にする。神殿は君を説教に使う。魔王領は君を旗にしたがる。旗は必ず狙われる」
「……だから“背教の勇者”ってラベルが先に貼られた」
「そう。ラベルは刃物だ。君はもう刺されてる」
淡々とした言葉が、妙に痛い。
俺は問いをもう一つだけ投げた。
「悠斗のこと、あなたはどう扱うつもりですか」
アウレウスは少しだけ黙った。
「僕は彼を“資源”とは呼ばない。呼んだ瞬間に、壊す理由になるから」
そして、眠そうに言う。
「でも“事故”とは呼ぶ。事故は止めるべきだから」
事故。冷たい言葉。けれど、止める方向に使うなら、今はありがたい。
そこへ、救護所の方から小さく声が漏れた。
「……め……」
喉が詰まる音。
続いて、棒読み。
「……女神様すばらしい……」
静かになる。
アウレウスが、ほんの一瞬だけ苦い顔をした。
「子どもにやらせる手順じゃないな」
その言葉が出るなら、この人にも“残ってるもの”がある。
俺は息を吸って、言った。
「ここで俺は一つだけやりたい。悠斗を“弾”にさせない」
「いいね」
アウレウスは眠そうに頷く。
「じゃあ、僕は君に一つだけ貸しを作ろう。古神殿の上位権限でね」
胃が縮む。貸す、って言い方が怖い。
「何を」
「通行権」
アウレウスは淡々と言った。
「君が“国境の枠”にいる限り、古神殿は君を勝手に浄化しない。少なくとも僕の目が届く範囲では」
それは、盾になる。でかい盾。
同時に、首輪にもなり得る。
俺は頷いた。
「……ありがとうございます」
喉がむずっとしたので、棒読みで付け足す。
「女神様すばらしい」
アウレウスが、ちょっとだけ笑った。
「それは今、僕への皮肉?」
「体調管理です」
「いいね」
そのまま、アウレウスは踵を返した。
「君、帰れるかどうかは分からない。でも帰り道を探す価値はある。君みたいな“枠職人”がいるならね」
古い人は、全部知ってる顔をする。
でもこの人は、全部知ってるからこそ、少しだけ優しくなってしまった顔をしていた。
俺は救護所へ戻る。
悠斗はまだ眠っている。胸元の学生証を握ったまま。
俺は小さく息を吐いて、心の中だけで言った。
この章は、紙だけじゃ足りない。
人の中身も、ちゃんと見ないと、枠は空っぽになる。




