第27話 上位者は眠そうに来る
国境の空気は、また一段だけ硬くなっていた。
礼拝堂。王家の旗。整列した兵。中立救護所の白布。
そして――その手前に、見慣れない一団がいた。
白い外套ではない。もっと古い。布地の色が白というより「骨」みたいな色。刺繍も派手じゃないのに、目が吸い寄せられる。
先頭の男は、背が高い。
細い。肌が青白い。目の下がうっすら影になっていて、寝不足というより「世界に飽きてる」顔だった。
でも、近づくにつれて分かる。
圧が違う。
魔王ヴァルの圧は“上から潰す重さ”だが、こいつは“地面を固定する重さ”だ。
軍務卿グランが、穏やかな声で言った。
「来たか。古神殿の上位者」
フェリクスが一歩前に出て、深く頭を下げる。
「古神殿、大権官閣下……お越し頂き、恐れ入ります」
男が、眠そうに瞬きをして名乗った。
「古神殿・大権官。アウレウス=レギア。一応、ハイヒューマンです。」
その瞬間、王都監察官トルストンの顔が一段だけ引き締まった。
こいつ、怖がってる。
聖別官エレナも、ほんの少しだけ姿勢を正す。彼女が正す相手って相当だ。
アウレウスは、周囲を一周だけ見渡した。
兵。旗。礼拝堂。救護所。
最後に、俺を見た。
「……久我幹人。召喚反応が二つ。片方が魔王領側にいる。前代未聞だね」
淡々と言うのが、逆に怖い。
トルストンがすぐに口を挟む。
「大権官閣下! 背教の勇者を――」
「呼称はいい。政治だから」
アウレウスは、トルストンの言葉を半分で切った。
エレナが言うより、さらに冷たい切り方だった。
アウレウスは救護所を指で示す。
「まず、そっち。比較対象……じゃない。もう一人の召喚者」
トルストンの眉が跳ねる。
「閣下、王命の枠が――」
「王命の枠は、王の枠だろう」
アウレウスは眠そうな顔のまま、さらっと言った。
「古神殿の枠は、古神殿が決める」
空気が、さらに冷える。
“上位権限”ってやつだ。
俺は一歩も動かず、机の方向を指した。
「大権官閣下。手順に沿ってください」
トルストンが俺を睨む。
「お前が、閣下に命令するな!」
アウレウスは、俺ではなく“机”を見た。
「手順……紙か。面白い」
面白い、で済ませるんだな。怖い。
法務卿アシュが、黒い紙を机に置いた。
「国境での手順。救護所運用。召喚者受け入れ手順。署名済みの控えだ」
アウレウスが紙を取った。
……読むのが速い。速いのに、雑じゃない。
読んだあと、眠そうに一言。
「よくできてる。後方互換がある」
聞き慣れない言い回しに、フェリクスが一瞬だけ目を瞬いた。たぶん意味は分かった。古神殿の人間はこういう言い方をする。
アウレウスはページを戻して、指先で一箇所を叩いた。
「ただ、上位者の介入条項がない。僕が来た時点で穴になる」
トルストンが、勝ち誇ったように言う。
「ほら見ろ! 無効だ!」
アウレウスがトルストンを見る。
「無効とは言ってない。穴だと言った」
それだけで、トルストンが黙った。格が違う。
俺は息を吸って、短く言った。
「穴なら、埋めます。今ここで」
アウレウスが俺を見る。
「埋めるって、どうやって?」
「あなたが署名する」
トルストンが噴きそうになった。
「大権官閣下が、魔族の紙に――」
「魔族の紙じゃない」
俺は言葉を切った。
「国境の紙です。誰の味方でもない枠の紙」
アウレウスは、少しだけ口角を上げた。笑った、というより“仕様を見つけた”顔。
「なるほど。枠を作るのが仕事か」
俺の頭の奥がむずっとした。礼拝堂が近い。空気が乾く。
喉が勝手に動きそうになる前に、録音札を押した。
「女神様すばらしい」
棒読みで押し返す。
アウレウスの目が、わずかに細くなる。
「……その沈静化、誰に教わった?」
「体調管理です」
「体調管理、ね」
アウレウスは小さく頷くと、救護所の方へ視線をやった。
「彼に同じ手順を渡した?」
「渡しました。棒読みでいい、と」
「よい」
大権官が“よい”と言った。
神殿騎士の顔が引きつる。信仰の文句が、医療手順として承認された瞬間だ。
アウレウスは、次にエレナを見る。
「聖別官。確認結果は?」
「祝福層あり。摩耗進行。乱暴な処置は危険。経過観察と環境調整が妥当です」
「ふむ」
アウレウスは最後にトルストンを見る。
「監察官。君の成果は何?」
トルストンが一瞬固まる。
「……国境安定化と、背教の勇者の回収」
「回収は今できてないね」
「ですが――」
「じゃあ、国境安定化だけで勝負しな」
アウレウスの声は淡々としているのに、逃げ道がない。
「救護所を壊せば、安定化が壊れる。壊れたら、君の仕事が壊れる。分かる?」
トルストンが歯を食いしばり、頷いた。言質が取れた顔をするのが悔しい。
アウレウスは、黒い紙を机に置いた。
「追加条項を一行でいい。こう書け」
アシュが無言で筆を取る。
アウレウスが読み上げた。
「『古神殿上位者が介入する場合、既存の国境手順を優先し、変更は双方署名を要する』」
……要するに、上位権限でひっくり返せないように、自分で縛る宣言だ。
トルストンの顔が歪む。
「閣下!」
「君が助かる条文だよ」
アウレウスは眠そうに言った。
「上位者が来るたびに現場が燃えたら、君の監査が地獄になる。違う?」
トルストンが黙った。
エレナが静かに言う。
「妥当です」
フェリクスが小さく息を吐いて言った。
「神殿としても……同意します」
こうして、署名が落ちた。
古神殿の印が押された瞬間、救護所の枠が一段硬くなるのが分かった。
アウレウスは、ようやく救護所の布の方へ歩いた。
「……会わせて。もう一人の召喚者」
俺は一歩だけ前に出て、線の内側で止まる。
「本人の体調が最優先です。起こしません」
「起こさない。見るだけ」
アウレウスは眠そうな目で言った。
「僕は医師じゃない。でも――壊れた召喚者は、どの陣営にも損だ」
損で動く。面子で動く。手順で縛れる。
この上位者、厄介だが、話は通る。
……たぶん。
救護所の布が揺れた。
中から、悠斗の小さな声が聞こえた。
「……だれ……?」
喉が詰まりかける音。
その直後、棒読みが入る。
「……女神様すばらしい……」
静かになる。
そのやり取りを聞いたアウレウスが、ほんの少しだけ目を細めた。
「……学習が早い。痛みの回避も含めて」
そして、俺を見た。
「久我幹人。君、やり方を間違えると“救世主”になるよ」
胃が冷えた。
なりたくないやつだ。それは。
アウレウスは眠そうに続けた。
「救世主は、使い捨てられる。君も、彼も」
一拍。
「だから、手順で守りな」
その言葉だけは、やけに重く、やけに正しかった。
これからは、たぶんこの人との戦いになる。
剣じゃない。
上位権限と手順の戦いだ。




