第21話 棒読みは、祈りじゃない
中立救護所の中は、思ったより静かだった。
外の礼拝堂から漏れる賛歌は、薄い膜で一段落ちている。完全に消えるわけじゃない。けど、耳の奥を掻き回す感じは少しだけ和らいだ。
神谷悠斗は簡易寝台に横になっていた。布は外され、代わりに薄い毛布。顔色はまだ悪いが、さっきより呼吸が整っている。
ナディアが淡々と告げる。
「今は寝かせて。起こすのは逆効果です」
神殿治癒官のマリナが悔しそうに頷いた。
「……分かりました。治癒は最小限にしました。あれ以上は反応が跳ねます」
エレナが短く補足する。
「正しい判断です。祝福の層が薄い」
祝福の層。薄い。
子どもを弾にする側は、たぶん気にしない単語だ。壊れるまで使う。
ユーリが透明板を覗き込みながら言う。
「体温、少し下がった。水分は入った。胃は荒れてる。睡眠が最優先」
それだけ言って、ユーリは救護所の端に移動した。徹夜を嫌うくせに、必要な時は粘る人だ。
俺は寝台の横、少し離れた椅子に座った。近づきすぎると、悠斗の息が詰まる。あの子は今、触れられる距離が少ない。
しばらく、ただ待つ。
救護所の布が揺れる音と、遠くの足音だけ。
悠斗の瞼が少し動いた。薄く開いて、焦点が合わないままこちらを見る。
「……ここ……」
かすれた声だった。
俺は急いで返さない。詰めない。押さない。
「救護所。今日は戦う日じゃない」
悠斗の喉が小さく鳴った。息が乱れかけて、手が胸元を探す。学生証の感触を確かめるみたいに掴む。
「……ほんとに……返ってきた……」
「返した。落とし物だからな」
悠斗の目が少し潤んで、でも泣かない。泣く余裕がない顔だ。
「……あなた……なんで……助ける……」
質問が幼い。正しい。俺はそこで格好つけた答えをやめた。
「助けないと、面倒が増える」
一瞬、悠斗がきょとんとした。
俺は続ける。
「人を道具にするやつが増えると、世界が荒れる。荒れると、交渉が増える。俺が忙しくなる」
悠斗の口元が、ほんの少しだけ動いた。笑いかけて、やめた。
「……変な人……」
「そうかもな」
その瞬間、救護所の外から賛歌が少し大きくなった。わざと、気持ち悪いほどタイミングが良い。
悠斗がびくっと震えた。
喉が勝手に動く。声になりかける。
「……め……が……」
言葉が喉で折れ、こめかみに力が入る。痛みをこらえる顔だ。
俺は反射で録音札を押しかけて、止めた。
悠斗には札がない。
なら、手順を渡す。
「神谷くん。無理に止めようとしなくていい。逆に、一回だけ“口に出して終わらせる”と静かになることがある」
悠斗が苦しそうに俺を見る。
「……なに……それ……」
「俺の体感だ。信じなくていい。でも、今は試す価値ある」
悠斗は息を吸って、吐いて、もう一度吸った。
そして、棒読みで言った。
「……女神様……すばらしい……」
言った瞬間、肩の震えが少し落ち着いた。
悠斗が目を見開く。
「……え……いま……」
「止まっただろ」
「……止まった……」
悠斗は自分の喉に触れて、信じられない顔をした。
マリナが青い顔で呟く。
「そんな……祈りが……そんな雑に……」
エレナが淡々と返す。
「雑ではありません。手順です」
ユーリが端から一言だけ投げた。
「脳のノイズ処理。反芻で収束している。合理」
神殿の人間には許しがたい現実だろう。でも悠斗にとっては、救命具だ。
俺は悠斗にだけ小さく言った。
「“祈る”必要はない。棒読みでいい。体が勝手に動くのを止めるための道具だ」
悠斗は、ゆっくり頷いた。
「……わかった……」
少し沈黙が落ちた。
悠斗が、ぽつりと言う。
「……俺……学校……行く途中だった……」
「うん」
「駅……階段……上って……光って……起きたら……神殿……」
ここまで話すだけで苦しいはずなのに、悠斗は言葉を繋いだ。誰かに聞いてほしかったんだろう。
「……『勇者だ』って……言われて……『魔王を倒せ』って……」
喉が詰まりかける。痛みが来る前に、俺は言い換える。
「倒せって“言われた”な」
悠斗が頷く。頷ける形に変えると、苦しみが減る。
「……戻れるって……それだけ……」
戻れる。
それは、レオンも同じことを叫んでいた。型がある。型に押し込まれている。
「……断ったら……頭が割れそうで……吐いて……」
悠斗の指が、毛布を握り締める。
俺は淡々と続けた。
「だから、断れなかった」
悠斗は涙を堪える顔で頷いた。
「……うん……」
俺は、そのまま事実を一つだけ渡す。
「ここでは、今すぐ戦わせない。紙で止める」
悠斗の目が、少しだけ強くなる。
「……紙……」
「うん。書類」
「……意味……あるの……?」
ある。あるけど、万能じゃない。そこは嘘をつかない。
「万能じゃない。でも、剣より遅くても、長く効く」
悠斗は少しだけ目を閉じた。
「……帰りたい……」
「帰り方は探す」
俺はすぐに付け足した。
「ただ、“魔王を殺すしかない”って言われたなら、それは誰かの都合かもしれない。少なくとも今の君は、休むのが先だ」
悠斗の呼吸が、少しずつ深くなる。
そのタイミングで、ナディアが毛布を整えた。
「今は寝て。ここは守ります」
悠斗が小さく「……ありがとう」と言って、瞼を閉じた。
眠りは浅い。でも、落ちた。
俺は椅子から立って、救護所の外へ出た。中の空気を乱したくない。
布の外は冷えている。礼拝堂の賛歌は、相変わらず流れている。腹立たしいくらい綺麗な声だ。
その近くで、低い話し声が聞こえた。
トルストンと、神殿騎士の声。
「……“比較対象”は回復したら王都へ搬送する」
「救護所の枠では拘束禁止です」
「拘束ではない。医療搬送だ。名目は作れる」
名目は作れる。
それが一番厄介だ。
さらに、別の声が混じる。フェリクスだ。
「監察官殿、それは……救護所の合意に反します。本人確認も、まだ――」
「黙れ。現地担当が口を出すな。責任は王都が取る」
責任は王都が取る。
つまり、現場が燃える。
俺は息を吸って、吐いた。
録音札は使わない。今は女神じゃなく、仕事の呼吸だ。
救護所の布の向こうで、悠斗が寝ている。
今夜のうちに、王都は“医療搬送”という新しい枠を持ち込んでくる。
なら、こちらは先にその枠を潰す。
紙で。
旗の内側で。
弾倉を閉じる手順で。




