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土下座から始まる魔王軍改革 〜魔王軍初の勇者は30代!?戦争は書類で止める〜  作者: 那由多
第1章 土下座からはじまる異世界転移 

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第20話 中立救護所は、誰の味方でもない

 国境の“旗の内側”に、新しい布が張られた。


 白い布に、黒い糸で一本線。上手い絵じゃない。むしろ雑だ。でも、雑な方がいい。読める奴だけが読めばいいルールだ。


 中立救護所

 武器持ち込み禁止

 拘束禁止

 祈祷・呪詛は小声

 記録は双方署名


 最後の一行だけ、法務卿アシュの筆致が刺さっていた。文字が“逃げない”。


「……救護所って、戦場で一番揉める場所なんだよな」


 俺が呟くと、軍務卿グランが穏やかに笑った。


「だから揉めぬように、最初から揉める紙を置く」


 紙で揉めを止める。変な世界だ。


 中立救護所の入口で、王都監察官トルストンが不機嫌そうに腕を組んでいた。


「魔族の医療など信用できん」


「信用しなくていいです」


 俺は淡々と言った。


「信用しないために、神殿の医療が立ち会う。記録も残す。あなたは監察する。これ以上、何が必要ですか」


 トルストンが言い返す前に、古神殿の聖別官エレナが口を挟んだ。


「合理です。こちらも監視できます」


 監視できる、が本音。ありがたい本音だ。人は綺麗事より本音で動く。


 神殿側の医療担当として、フェリクスが連れてきたのは若い治癒神官だった。外套の下に、道具袋。目つきが真面目すぎて、逆に危ないタイプ。


「神殿治癒官、マリナです。……魔族と同じ空気を吸うのは初めてです」


 正直だな。


 救護所の反対側から、魔王軍の医療担当が現れる。


「医療官ナディア。サキュバスです」


 名乗りの一瞬、マリナの眉が跳ねた。


「……サキュバス」


「ええ。医療担当です」


 ナディアは動じない。むしろ動じなさすぎて、職人の目をしている。


 その後ろに、研究医療卿ユーリがいる。時計を見ている。いつも通りだ。


「計測する。余計な刺激は避けろ」


 マリナが小さく言った。


「……刺激、とは」


 ユーリは淡々と返した。


「祈りの音量、聖具の光量、怒鳴り声、思想」


 思想まで刺激扱い。笑えないが、当たっている。


 トルストンが苛立ったように手を振った。


「いい。さっさと“比較対象”を入れろ」


 その言葉に、俺の奥歯が軋んだ。


 布で顔を隠した少年――神谷悠斗が、護衛に囲まれて運ばれてくる。歩いていない。歩ける状態じゃない。


 額は汗。唇は乾いて、青い。目は焦点が合っていないのに、何かに怯えている。


 礼拝堂の賛歌が遠くで鳴っている。ここまで届く音量だ。わざとだろう。


 俺の頭の奥がむずっとした。


 女神様は――


 録音札を押す。


「女神様すばらしい」


 棒読みが、今日はいつもより苦い。


 ナディアが悠斗の顔を見た瞬間、表情が一段硬くなった。


「……寝ていませんね。この子」


 マリナが反射的に言い返す。


「神殿の祈りは癒しです!」


「癒しにも、量があります」


 ナディアは淡々と返す。


「水だって、飲ませすぎれば溺れる」


 マリナが言葉に詰まる。ユーリが間に入った。


「まず遮音」


 ユーリが指を鳴らすと、救護所の入口に薄い膜が張られた。外の音が一段落ちる。礼拝堂の賛歌が、ようやく“遠い音”になる。


 悠斗の肩の震えが、ほんの少しだけ落ち着いた。


 俺は横で、小さく言った。


「……今の音、毎晩浴びせられてたんだろ」


 悠斗は答えない。でも、指先が学生証の入った胸元を探して、ぎゅっと掴んだ。返したカードが、ちゃんと本人のところにある。それだけで少し救われる。


 マリナが、慎重に近づいた。


「治癒を施します。痛みを取らないと」


 エレナが頷く。


「同意します。ですが、強い聖光は避けてください。反応が跳ねます」


 マリナが驚いた顔をする。


「聖別官が、聖光を避けろと?」


「今日は技術の話です」


 エレナはぶれない。政治じゃなく技術で動く。それが今は助かる。


 マリナが、小さな祈祷だけで手を翳す。淡い光。優しい温度。


 悠斗が息を吸い、吐く。少しだけ呼吸が整う。


 ……が、次の瞬間。


 悠斗の喉が勝手に動いた。


「め……が……」


 声が詰まる。痛みをこらえる顔。


 俺はとっさに、否定しない言葉を投げた。


「大丈夫。言わなくていい。ここは“準備”の場所だ」


 悠斗の目が、俺に向く。薄く開いた口が震える。


「……じゅん、び……?」


「そう。準備。休む準備。帰る準備」


 帰る、の単語に反応したのが分かった。こめかみの力が少し抜ける。話の型だ。物語に乗らずに、型を借りる。


 ナディアが悠斗の手首に触れ、脈を取る。


「熱が高い。脱水。胃も荒れてる。……これ、戦わせる前の体じゃない」


 トルストンが鼻で笑った。


「勇者は多少の不調で折れん」


 ナディアが、ゆっくりトルストンを見る。


 医療官の目だった。戦場の目より怖い種類。


「折れますよ。人間は」


 短く言い切った。


 マリナも、悔しそうに唇を噛んで言った。


「……折れます。だから治す」


 ここだけは一致した。


 ユーリが淡々と板を覗き込みながら言う。


「祝福層、揺れが強い。お前、抵抗している。無意識で摩耗している」


 悠斗がかすかに首を振る。否定じゃない。苦しいんだ。


 俺はトルストンを見た。


「監察官。救護所は中立です。命令するなら、紙にしてください。今の言葉は刺激です」


 トルストンの顔が歪む。


 刺激と言われて黙る監察官、という絵面がすでに面白い。面白がってはいけない。


 エレナが淡々と追撃した。


「彼が壊れれば、王都の成果も壊れます」


 成果。効く単語。最悪だが効く。


 トルストンは、舌打ちを飲み込んで一歩下がった。完全に下がらないのが彼らしい。


 治療が進むにつれて、悠斗の目が少しずつ“ここ”に戻ってくる。焦点が合う。俺を見て、布の下で何か言おうとして、また詰まる。


 俺は近づきすぎない距離で、低く言った。


「神谷くん。聞こえるか」


 悠斗のまつ毛が震える。


「……はい」


 声が出た。小さいけど、出た。


 俺はそこで初めて、試すように短く言った。


「日本、だよな」


 悠斗の目が見開かれた。


 布の下で、息を飲む音がした。


「……なんで……」


「俺も、そこから来た」


 それだけ言った。


 余計な説明はしない。今は治療が先だ。物語を増やしたら、また詰まる。


 悠斗はしばらく固まっていたが、胸元の学生証を握り直して、小さく頷いた。


 その頷きが、さっきまでの“従う頷き”じゃなかった。


 自分の意思で、肯定した頷きだった。


 ナディアが、真面目な顔で言った。


「よし。熱は少し下がる。今日は寝かせる。護衛は外。中に武器は要らない」


 マリナが頷く。


「同意します。……護衛が反対するなら、私が神殿側に言います」


 言えるんだ。意外と骨がある。


 トルストンが言い返そうとして、エレナに止められた。


「今日は救護所の枠です。署名しました」


 紙は、こういう時に強い。


 救護所の外へ出ると、空気が冷たかった。礼拝堂の賛歌がまた少し大きく聞こえる。


 頭の奥がむずっとする。


 録音札を押した。


「女神様すばらしい」


 抑え込んで、息を吐く。


 中立救護所は、誰の味方でもない。


 でも今だけは、少なくとも一人の子どもの味方になれる場所になった。


 俺は、救護所の布を見上げた。


 旗の内側を増やす意味が、ようやく一つ“人の形”を持った気がした。


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