第2話 魔王直轄、異界勇者特命官
ヴァルに案内されて通された部屋は、神殿というより会議室だった。
広い机。椅子。壁には地図。地図の上には赤い糸のような線が走っていて、境界や補給路らしいものが見える。
俺が座ると、壁際の装置がまた鳴いた。
「メガミサマアリガトウゴザイマス……」
止めるな、と言われたのを思い出して黙っていると、ヴァルが言う。
「耳障りだろう。わしもそう思う。だが、止めると余計に面倒が起きる」
「面倒って、何ですか」
ヴァルは指でこめかみを軽く叩いた。
「頭の中で、声が鳴る」
その瞬間、俺の頭の奥で誰かが囁いた。
女神様は偉大だ。女神様は素晴らしい。崇めよ。
心臓が縮んだ。
幻聴というより、広告だ。スキップできないタイプの。
「……今、聞こえました」
「だろう。これも手続き不足の警告だ。音で流しておけば弱まる。中身ではない。形式だ」
俺は机を見つめた。現実がどんどん変な方向に固まっていく。
「それ、つまり……女神はちゃんと見てない?」
「昔は、見ていたらしい。今は、仕組みが回っているだけだ」
ヴァルは淡々と言った。
「だから、我々は仕組みを使う。祈りは呪文と同じだ。必要な言葉と工程があればいい」
俺は、笑うべきか震えるべきか分からなくなった。
「……それで、契約の話です」
話題を戻す。ここで逸れると飲み込まれる。
ヴァルが頷く。
「望む条件を言え。わしが飲めるものなら飲む」
俺は息を整えた。交渉は、相手の目的を確認してからだ。
「まず情報開示。人間国との戦況、勇者が来る周期、戦争の目的、あなたの制約。次に権限。交渉と契約を結ぶ権限が必要です。あと、帰還については“王を倒す”以外も含めて探索することを条項に入れたい」
ヴァルは、即答しなかった。
だが拒絶もしない。
「……権限は与える。ただし、法が要る」
「法?」
「我が国には、魔宰五卿がいる。軍務、財務、諜報、研究医療、法務。法務卿は特に厄介だ。厳しい。わしより厳しい」
魔王より厳しい法務。
嫌な予感しかしない。
「その会議に、出てもらう。お主の立場を定める必要がある」
ヴァルは机の引き出しから、薄い板を取り出した。金属でも紙でもない。表面が微かに光る。
「これは何ですか」
「解析端末だ。魔王側とはいえ、お主は勇者だ。女神から転生特典がつく。
お主の“付与”を調べる。個人で楽しむがいい、と言いたいところだが、今は仕事だ」
板に触れた瞬間、視界の端に文字が浮かんだ。
久我幹人
状態:良好
付与:言語統合/軽度治癒/基礎強化
特性:合意拘束(未登録)
未登録、という表示が一番嫌だった。
「……合意拘束?」
ヴァルが小さく頷く。
「契約に向いた力だ。女神が“お主の素質”に合わせて付けたのだろう。偶然にしては出来過ぎている」
俺は板を置いた。
「偶然、って……」
「女神は、たぶん忙しい。あるいは飽きている」
ヴァルが淡々と言うのが、逆に怖い。
「ミキト。お主は魔王軍初の勇者だ。唯一無二の札になる。だが札は切り方を間違えると燃える」
俺は頷いた。
「燃やさないために、契約で縛るんでしょう」
ヴァルの口元が、また少しだけ緩む。
「そうだ。魔王直轄として扱う。まずは特命官。成果が出れば、また考えよう。
一人加えて魔宰六卿にしてもいい。」
魔宰六卿。
部署追加みたいに言うな、と突っ込みかけて飲み込む。
その瞬間、また頭の奥で声が鳴った。
女神様は素晴らしい。女神様は――
俺は反射的に口を開いていた。
「女神様すばらしいですね」
自分でも驚くほど棒読みだった。
しかし、声はすっと弱まった。
ヴァルが静かに言う。
「それでいい。音だ。心は要らぬ」
この世界の神は、心より音に弱い。
俺は深く息を吐いた。
帰りたい。でも帰るには、ここで生き残り、仕事をしなきゃいけない。
ヴァルが立ち上がる。
「魔宰会議へ行く。そこで、お主の席を決める」
俺も立った。
「……行きましょう。仕事です」
機械の声が、同じ調子で背中を押した。
「メガミサマアリガトウゴザイマス……」




