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土下座から始まる魔王軍改革 〜魔王軍初の勇者は30代!?戦争は書類で止める〜  作者: 那由多
第1章 土下座からはじまる異世界転移 

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第19話 落とし物の持ち主


 セラが戻ってきたのは、夜が深くなってからだった。


 いつもなら扉も叩かずに入ってくるのに、今日は一応ノックをしてきた。そういう時はだいたい、笑えない話を持っている。


「入って」


 セラは入るなり、机の上に二つ置いた。


 一つは、神殿印の受領札。

 もう一つは、薄い紙束。


「届けた。受領の証拠も取った。……で、返事」


「どうだった?」


「向こう、乗ったよ。“落とし物の返還”の体裁にしたのが効いた」


 セラは肩をすくめる。


「王宮は怒ってたけど、怒りながらも『慈善の成果』って言葉に弱い。神殿も弱い。便利だね、成果」


「便利な言葉ほど嫌いです」


「うん、でも使う」


 セラは紙束の一枚を指でトントンと叩いた。


「明日の朝、国境。返還の立会い。立会人は前回と同じ枠にするって。拘束なし、越境なし、記録は同文で署名」


 ……間に合った。


 俺は胸の奥の固まりを、少しだけほどいた。


「本人は出てくる?」


 セラの笑顔が一瞬だけ消える。


「出てくる。出てこさせる。神殿側が“本人確認が必要”って言った」


「体調は」


「良くない」


 セラは淡々と言った。


「“比較対象”って名目で連れてこられて、礼拝堂の近くに置かれてる。賛歌が一晩中。まともに眠れてない顔だった」


 胃の奥が冷えた。


 あの手の若い子に、あれは効く。効くように作られてる。


 壁際の装置が、相変わらず鳴いている。


「メガミサマアリガトウゴザイマス……」


 俺は反射で録音札を押した。


「女神様すばらしい」


 棒読みの音で、頭のノイズを押し戻す。


 セラが軽く笑った。


「うん。ほんと便利」


「便利で最悪です」


「最悪で便利なものが、この世界を動かすんだよ」


 言い返せないのが腹立つ。


 扉が二回、短く叩かれた。


「入る」


 法務卿アシュが入ってきた。空気が一段固くなる。


「返書は届いたか」


「届いた。返事も取れた。明朝、国境で返還の立会い」


 アシュは頷き、机の上に黒い紙を置いた。


「返還手順の付録だ。署名を追加で取る。返還物は本人の身元確認と健康安全に供するのみ。王宮による没収、公開、破棄を禁ずる」


「署名しますかね」


「署名しないなら返さない」


「それで“人質”って言われたら」


 アシュが即答した。


「言えない枠にする。神殿の慈善として返す。王宮が拒否すれば“未成年の身元確認を拒否した”になる」


 また枠。結局そこに戻る。


 セラが指先で机を撫でた。


「じゃ、明日は“返還式”だね」


「式じゃなくて会談です」


 俺が言うと、セラがにやりと笑う。


「式にした方が強いよ。見られるから。見られると嘘がつきにくい」


 嫌な方向に正しい。


 アシュが短く言った。


「余計な演出は要らん。だが記録は残せ。記録は盾だ」


 ――


 翌朝。


 国境は、昨日よりさらに“引っ越し”が進んでいた。


 王家の旗は増え、テントは整列し、礼拝堂は堂々と鎮座している。あの白い布の塊があるだけで、空気が乾く。


 俺の頭の奥が、早速むずっとした。


 女神様は――


 録音札を押す。


「女神様すばらしい」


 棒読みで押し返す。情けないけど、倒れるよりマシだ。


 境界線の内側に、机が置かれていた。今日は、ちゃんと線の内側にある。学習したらしい。腹立つ。


 王都監察官トルストンが前に出てくる。


「王都監察官トルストン=ヴァイス。王命により立会う。返還は迅速に行え」


 迅速に、の言い方が“俺のものだ”に聞こえる。


 半歩後ろに聖別官エレナ。掌の聖具が淡く光っている。見るだけで喉が乾く。


「古神殿、聖別官エレナ=サルヴァ。返還物が祝福層に影響しないか確認します」


 確認、の名目は万能だな。


 神殿側はフェリクスとルーカス。フェリクスは昨日より顔色が悪い。ルーカスは相変わらず目が冷静で、机と境界線と礼拝堂の距離を測っている。


 こちらはグランとアシュ、俺。護衛の不死兵と植物兵が後ろに控える。


 アシュが黒い紙を机に置いた。


「返還手順の付録。署名してから始める」


 トルストンが鼻で笑う。


「また紙か」


「まただ」


 アシュは短い。


 トルストンが紙を掴み、速読し、眉を寄せる。


「没収禁止? 王国の安全保障に関わるものを――」


 俺は一歩も動かず、淡々と口を挟んだ。


「安全保障なら、なおさら“本人確認”が先です。持ち主が誰かも確定していないものを没収するのは、あなたの仕事じゃない」


 トルストンが睨む。


「背教の勇者が――」


「呼称は政治です」


 エレナが、あっさり切った。


「手順の文書に書くべきではありません」


 味方に刺される形で、トルストンのこめかみが動く。


 結局、署名が落ちた。王印。古神殿印。神殿印も添えられる。


 紙が成立した瞬間、グランが穏やかに言った。


「よし。では“落とし物”の持ち主を呼べ」


 トルストンが一瞬だけ黙ってから、手を振った。


 隊列の奥から、布で顔を隠した小柄な影が出てくる。


 昨日見た子だ。


 肩が細い。歩幅が小さい。護衛に囲まれているのに、足元がふらついている。熱がある人の歩き方だ。


 ルーカスが小さく息を吐いた。


「……体調が悪い。儀礼の場に出す状態ではない」


 フェリクスが苦しそうに言う。


「監察官殿、せめて椅子を――」


「立て。比較対象だ」


 トルストンの声が冷たい。


 比較対象。


 その言葉だけで、俺の奥歯が軋む。


 俺は机の上に、封をした返還物の包みを置いた。アシュが保管していた原本だ。封の糸が黒く光っている。


「落とし物です。本人に返します」


 エレナが聖具をかざす。淡く光って、頭の奥がざわついた。


 女神様は――


 俺は録音札を押す。


「女神様すばらしい」


 エレナがほんの少しだけ眉を動かした。


「……制御しているのですね」


「体調管理です」


 真顔で言い切るしかない。


 アシュが封を切った。中から透明なカードが出る。


 その瞬間、布の影の体が、ぴくりと反応した。


 目だけが、カードに吸い寄せられる。


 俺はカードを見せる角度を変え、できるだけ穏やかに言った。


「これ、君のだよな。落としただろ」


 布の影が小さく頷いた。


 頷き方が、子どものそれだった。反抗の余地がない時の頷き。


 俺はカードを、机の上に置いたまま滑らせた。境界線は越えない。だが机の上なら、双方の手が届く。


 布の影が手を伸ばす。


 護衛が一瞬止めようとして、エレナが目だけで制した。


「触れさせてください。反応を見ます」


 ……観察対象にされてる。腹が立つ。でも今は、触れさせる方が勝ちだ。


 指先がカードに触れた瞬間。


 布の影の肩の震えが、ほんの少しだけ落ち着いた。


 カードが“錨”になった。俺の直感がそう言った。


 布の影が、かすれた声で言おうとする。


「……か……み……」


 喉で言葉が折れる。痛いんだ。見て分かる。


 俺はすぐに口を挟んだ。否定しない、折らない、詰まらせない。


「ゆっくりでいい。無理に言わなくていい。これは君のだ。返した。それでいい」


 布の影が、カードを握りしめたまま、もう一度息を吸う。


「……かみや……」


 次の瞬間、声が少しだけ通った。


「……ゆうと」


 名前が出た。


 出せた。


 周囲の空気が一段変わる。王宮の護衛がざわつき、神殿騎士が槍を握り直す。


 トルストンが勝ち誇ったように言った。


「ほら見ろ。祝福反応が一致する。勇者だ」


 エレナが即座に釘を刺す。


「勇者であることと、拘束してよいことは別です。今日の枠は返還と確認です」


 トルストンが歯を食いしばる。


 俺は、その隙に一言だけ足した。


「神谷くん、座れ」


 命令じゃなく、お願いの形で言ったつもりだった。


 だが布の影――悠斗は、反射みたいに従った。護衛が用意していなかった椅子を、ルーカスが無言で引き寄せて座らせる。


 ルーカス、仕事が早い。こういうところが古神殿筋だ。


 悠斗の肩が落ちた瞬間、俺は確信した。


 こいつ、もう限界が近い。


 エレナが淡々と言う。


「体温が高い。睡眠不足。祝福層の摩耗も始まっています。……このまま礼拝堂の近くに置くのは良くない」


 トルストンが苛立つ。


「弱音だ。勇者は――」


「勇者でも人間です」


 エレナが切った。


「壊れたら使えません」


 使えません、が本音なんだろうな。腹立つ。でも、その腹立ちを利用できる。


 俺は一歩も動かずに、淡々と提案した。


「中立の医療区を作りましょう。旗の内側。神殿と魔王軍、双方の医療が立ち会う。回収路と同じ枠です」


 フェリクスが息を飲む。


「それは……神殿の慈善として――」


「できます」


 俺は即答した。


「王宮は“国境安定化”の成果になる。神殿は“救護”の成果になる。古神殿は“安全管理”の成果になる」


 成果、成果、成果。


 嫌いだけど効く言葉を並べた。


 リリアがいたら褒めそうだ。褒められたくない。


 トルストンが反射で言い返す。


「魔族の医療など信用できん」


 俺は首を振らない。否定で詰まらせない。


「信用しなくていいです。だから双方立会い。双方記録。双方署名。破れば“慈善を破った”と記録に残る」


 エレナが頷いた。


「合理です。今日の枠に追加できます」


 また味方に刺される形で、トルストンの顔が歪む。


 グランが穏やかに笑った。


「ほれ。旗の内側が増えたのう」


 最終的に、トルストンは口をへの字にしたまま頷いた。


「……よい。だが医療区は監察官が監督する」


 俺は即答した。


「監督役は双方です。あなた一人だと、また机がずれます」


 セラがいないのに、どこかで笑い声が聞こえた気がした。気のせいだと思いたい。


 トルストンが黙る。黙るしかない。机の件は効きすぎる。


 こうして、返還は完了した。


 そして、返還のついでに――旗の内側に“医療区”が一つ増えた。


 悠斗は学生証を胸に押し当てたまま、ぼんやりと俺を見た。


 言葉を探している目だった。


 俺は、その目から逃げないように、でも逃げたい気持ちを押し込めて、静かに言った。


「……大丈夫。いきなり戦わせない。手順で止める」


 悠斗は、小さく頷いた。


 その頷きが、さっきより少しだけ“自分の意思”に見えた。


 俺の仕事は、ここからだ。


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