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土下座から始まる魔王軍改革 〜魔王軍初の勇者は30代!?戦争は書類で止める〜  作者: 那由多
第1章 土下座からはじまる異世界転移 

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第17話 比較対象は、弾だった

 会談議定書に署名が落ちた瞬間、空気が少しだけ変わった。


 剣が引っ込んだわけじゃない。引っ込めた剣の置き場所が「紙の上」に移っただけだ。それでも十分ありがたい。剣は嘘をつかないけど、紙は嘘をつける。だからこそ、嘘をつけない形に縛れる。


 王都監察官トルストンが机を叩いた。


「確認を始める。久我幹人、前へ」


 俺は境界線の内側、机の手前で止まったまま言った。


「その前に、立会人の一覧を確定してください」


 トルストンが眉をひそめる。


「そんなものは後でいい」


「後だと揉めます。揉めるのはあなたの仕事じゃない。僕の仕事です」


 口にしてから気づく。言い方がだいぶ腹立つ。だが今は必要だ。揉める材料を先に潰す。


 法務卿アシュが短く言った。


「議定書に付す。誰が見て、誰が記録し、誰が責任を持つか。書け」


 軍務卿グランがにこやかに付け足す。


「ほれ。王都は手続きが好きじゃろう? 好きなだけやれ」


 嫌味が丁寧すぎて怖い。


 トルストンは舌打ちし、巻物を取り出して読み上げた。


「王都監察官トルストン。聖別官エレナ。神殿外務補佐フェリクス。古神殿付祭儀官見習いルーカス。以上だ」


 俺は視線を、さっき見えた布の影に向けた。


「後ろの随行は?」


 空気が止まった。


 トルストンの視線が一瞬だけ揺れ、すぐ元に戻る。


「関係ない」


「関係あります」


 俺は言い切った。


「立会人が増えると、確認の結果の扱いが変わる。議定書に署名した以上、未記載の者は会談の枠に入れられません」


 エレナが、静かに言った。


「技術的にも必要です。未記載の者が聖具の反応に影響する可能性があります」


 味方に刺されて、トルストンのこめかみがぴくりと動く。


「……随行の書記官だ」


「名前を」


 俺が言うと、トルストンは一瞬黙った。知らないんだろう。知らない書記官を連れてきたわけじゃない。名前を出せない人間を連れてきたんだ。


 ルーカスが淡々と呟いた。


「書記官にしては、護衛が厚いですね」


 やめろ。観察するな。正しいけど。


 トルストンが手を振った。隊列の奥から、布で顔を隠した小柄な影が、いやいや前へ押し出される。


 若い。肩が細い。護衛に囲まれていて、本人の足取りだけがふらついている。


 布の下から、かすれた声が漏れた。


「……ユウ……」


 言葉が続かない。喉に針が刺さったみたいに途切れる。


 その瞬間、俺の胃が冷えた。


 国境で見たのと同じだ。言葉が詰まる。痛みを堪える仕草。鉄砲玉の仕様。


 エレナの聖具が、わずかに強く光った。


 それと同時に――布の影の胸元が、ほんの一瞬、淡く光った。


 俺は息を止めた。


 グランが、穏やかな声で言う。


「ほう。机の上だけでなく、弾まで持ってきたか」


 トルストンが顔を赤くする。


「違う! 比較のためだ!」


 比較。最悪の言い訳だ。


 エレナが淡々と確認する。


「比較対象が必要なのは事実です。同種の祝福反応が見えます。……この子も勇者召喚の痕跡があります」


 布の影が、肩を小さく震わせた。護衛が乱暴に押さえる。俺の奥歯が軋む。


 アシュが低い声で言った。


「議定書違反だ。未記載の勇者を持ち込むな」


 トルストンが食い下がる。


「確認に必要だ! 背教の勇者が嘘をついている可能性がある!」


「嘘かどうかは、手順で詰めろ」


 アシュの声は冷たい。


「人を弾にするな。紙を弾にしろ」


 俺は一歩も動かずに、トルストンを見た。


「監察官。あなたが今やっているのは、確認じゃない。脅しです」


 トルストンが反射的に言い返す。


「王命だ!」


「王命は紙の上にあります」


 俺は机の議定書を指で叩いた。


「そして、あなた自身が署名した。今日の枠は確認だけ。持ち込んだ勇者は、枠の外です。枠の外のものを盾にした瞬間、あなたの署名は意味を失う」


 トルストンの目が、いっきに険しくなる。だが踏み込めない。踏み込めば越境で、戦争だ。王宮は戦争が欲しいわけじゃない。欲しいのは“正義の形”での拘束だ。


 エレナが、布の影に視線を向けたまま言った。


「この子は今、状態が良くありません。ここに置くべきではない」


 トルストンが歯を食いしばる。


「……下げろ」


 護衛が布の影を引きずるように下げた。布の裾がめくれ、その瞬間だけ、透明なカードが見えた。


 白いプラスチック。角が擦れている。人間国のものじゃない。見覚えがありすぎる。


 俺の胸が、嫌な音を立てた。


 だが今は拾えない。拾った瞬間、物語が増える。


 俺は視線を戻した。


「確認を続けましょう。あなたが望む確証は、僕一人で取れます」


 トルストンが吐き捨てるように言う。


「いいだろう。だが結果は王都へ持ち帰る」


「持ち帰ってください」


 俺は頷く。


「その代わり、“ここで執行しない”も持ち帰ってください」


 アシュが黒い紙を追加で机に置いた。


「付録だ。未記載の当事者を持ち込まない。持ち込んだ場合、会談は即時中止。署名しろ」


 トルストンが顔を歪める。


「……横暴だ」


「横暴はお互い様だ」


 グランが穏やかに言う。


「お主らが越境できぬように、こちらは不死兵を置く。こちらが拘束されぬように、お主らは紙に署名する。釣り合っておる」


 結局、署名が落ちた。王印が押される。エレナも印を押す。フェリクスは胃が痛そうな顔で見守り、ルーカスは淡々と記録する。


 ようやく本題だ。


 エレナが聖具を持ち上げる。礼拝堂から賛歌が漏れ、頭の奥がざわついた。


 女神様は偉大だ。女神様は――


 俺は録音札を押した。


「女神様すばらしい」


 棒読みの声が鳴る。ぎりぎり持ちこたえる。


 エレナが小さく眉を動かした。


「……自動化しているのですね」


「体調管理の手順です」


 俺は真顔で言った。


 セラが背後で肩を震わせている。笑うな。


 エレナは淡々と続ける。


「祝福層は確かにあります。契約層が上に重なっている。摩耗は進行中。今日の結果としては――乱暴な処置は禁止。経過観察。国境合同確認の継続が妥当」


 トルストンがすぐに噛みつく。


「だが背教は――」


「呼称は政治です」


 エレナが切った。


「確認結果ではありません」


 トルストンが口を閉じた。面子が潰れた顔だ。だが、潰れてくれないとこっちが潰れる。


 俺はすかさず言った。


「確認結果の記録は、双方で同文にしましょう。ここで署名して持ち帰れば、ねじれません」


 アシュが黒紙に記録文を走らせる。速い。怖い。だが頼もしい。


 トルストンは渋々署名した。エレナも署名する。フェリクスも、立会人として名を記す。ルーカスが淡々と控えを取る。


 紙が積み上がる。旗の内側が、少しだけ広がる。


 会談が終わり、人間側が引き上げにかかったときだった。


 さっきの布の影が通った場所に、何かが落ちていた。


 透明なカード。薄い。角が擦れている。


 俺はグランの背後に隠れるようにしゃがみ、さっと拾った。手の中で、懐かしい硬さがした。


 カードの上に、小さな文字が見えた。


 学生証


 写真の中の顔は、まだ幼い。目が怯えている。背景に見覚えのある制服の襟。名前の欄に、漢字。


 心臓が一回、余計に跳ねた。


 ……俺だけじゃない。


 この世界は、また日本の子どもを弾にした。


 俺はカードを握り締めたまま、何事もなかった顔で立ち上がる。


 トルストンたちは気づいていない。気づかれてはいけない。


 グランが、俺にだけ聞こえる声で言った。


「拾ったか」


「……はい」


「重い拾い物じゃのう」


「重すぎます」


 アシュが低く言う。


「そのカードは武器にもなる。盾にもなる。使い方を間違えるな」


 分かっている。


 でも、握り潰したくなるくらい腹が立つ。


 勇者は英雄じゃない。弾だ。


 そして今、弾は二発になった。


 俺は礼拝堂の賛歌に背中を押されないように、録音札をもう一度押した。


「女神様すばらしい」


 棒読みの声が鳴る。


 その音が、ひどく惨めで、ひどく現実的だった。


 次にやるべきことは決まった。


 あの子を、弾にさせない。


 旗の内側を増やすんじゃない。


 弾倉そのものを、紙で閉じる。


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