第15話 返書は逃げないために書く
王都監察官トルストンからの文書は、薄いのに重かった。
封蝋の王印。期限。命令口調。
紙に押された印が、こちらの喉元に指を当てているみたいだ。
俺は自室の机にそれを置き、しばらく眺めた。
壁際の装置が淡々と鳴く。
「メガミサマアリガトウゴザイマス……」
うるさい。けど、止めたら頭がもっと面倒になる。最悪の共存関係。
紙を開く。
要点は単純だった。
王都に来い。期限内に。正式審問だ。
来なければ、背教の勇者は逃げたと見なす。
――見なす、って言葉が一番嫌いだ。誰かの都合で、現実が物語に加工される音がする。
机の引き出しから録音札を出し、押した。
「女神様すばらしい」
棒読みの音が鳴って、頭の奥が少し静かになる。
続けて、もう一つ。
「ヴァルは、でかい」
ちょっと落ち着く。業務がひどい。
息を整えて、白い紙を引っ張り出した。
返書は逃げないために書く。
拒否じゃない。対案だ。
相手の筋書きに乗らないけど、筋書きを折りもしない。ここが一番難しい。
扉が二回、控えめに叩かれた。
「入れ」
法務卿アシュが入ってくる。気配が重くなるのは相変わらずだ。
「王印の文書か」
「はい。期限付きで王都に来いと」
アシュは机の上の紙を見て、短く言った。
「最初の一文を間違えるな」
「どんなふうに」
アシュは俺の手元の紙を指で叩いた。
「『拒否』と読める言葉を一つでも入れたら終わる。向こうはそれを欲しがっている」
分かる。拒否の一文字が、背教の物語の材料になる。
アシュが淡々と口述する。
「冒頭はこうだ。王命の趣旨に賛同する。勇者祝福の確認は必要である。国境における確認結果も尊重する。――ここまで全部肯定だ」
「肯定してから、条件を入れる」
「そうだ。条件ではない。手順だ」
言い方の違いで、相手の顔が変わる。国境で何度も見た。
俺は筆を走らせた。
王命の趣旨に賛同し、祝福の確認および安全管理の必要性を認めます。
先日の国境確認にて、乱暴な処置が本人の破損を招く可能性が示されたため――
ここで止められた。
「破損、は良い」
アシュが言う。
「壊れる、と書くな。脅しに見える」
脅しじゃない。医学的な現実だ。でも、相手が読みたいのは物語であって現実ではない。
俺は書き直す。
本人の健康に影響を及ぼす可能性が示されたため――
アシュが頷いた。
「よい。で、次だ」
「王都に行けない理由を、逃げに見えない形で」
「行けない、ではない。行く手順を提案する」
なるほど。行くか行かないかではなく、どう行くか。主語を相手に残す。
俺は続けた。
よって、王命による正式確認は、国境の監督下における合同確認として速やかに実施することを提案します。
王都側監察官・古神殿側聖別官・神殿外務祭儀官補佐(現地担当)を立会人とし――
アシュが筆先を止める。
「現地担当の名は出すな。守れ」
「フェリクスを?」
「守る。窓口を残す」
確かに。ここで名前を出したら、王都に潰される。フェリクスは窓口であって、盾ではない。
俺は書き換えた。
神殿側現地担当を含む立会人とし――
アシュが短く言った。
「よし」
そこへ、扉が軽く叩かれた。
「ミキトくん、まだ生きてる?」
諜報卿セラがひょいと顔を出す。悪い知らせのテンションじゃないのが逆に怖い。
「生きてます」
「よかった。紙、書いてる?」
「書いてる。法務卿が監修」
「最高。今のうちにもう一つ入れよう」
セラが机に小さな札を置いた。
「王都の監察官、兵站の帳簿に手を出し始めてる。つまり、戦費で殴ってくる」
財務卿リリアの顔が脳裏に浮かぶ。殴られる前に殴れ、のやつだ。
「数字、入れます」
俺が言うと、アシュが静かに言った。
「数字は入れるが、こちらの内部数字は出すな。相手が飲みやすい形の数字にする」
「相手が飲みやすい数字?」
セラがにこにこする。
「“あなたの成果になります”って形の数字」
最悪だ。正しいけど最悪だ。
俺は紙に一段落追加した。
なお、国境合同確認を採ることは、護衛・輸送・宿営等のコストを抑制し、王国側の監査負担および戦費増を回避します。
また、同枠組みにて負傷者回収および捕虜交換の合意を並行実施することで、国内外に対する王国の統治能力を示す成果となります。
アシュが目を細めた。
「“統治能力”は刺さる。監察官は好きだ」
「好きそうですね」
「好きだ」
即答がひどい。
セラが指を鳴らす。
「ね。成果って万能」
万能だから怖い。
次に、一番大事なところだ。
王都行きを拒否しない。でも、国境での枠に引きずり出す。そして、拘束をできなくする。
アシュが机の端を指で叩いた。
「条文を入れろ。相互保護だ」
俺は頷いて書く。
当該確認の実施にあたっては、先般署名済みの手順に基づき、立会人および交渉担当者に対する拘束・危害・追撃を禁止し、確認終了後は速やかに解散することを相互に確認します。
セラが満足そうに言う。
「うん。旗の内側の延長だ」
アシュが続ける。
「最後の締めも間違えるな。期限をこちらから切れ」
相手の期限に従うだけだと、追い込まれる。こっちの期限を出す。選択肢の主導権を少しだけ奪う。
俺は最後にこう書いた。
つきましては、貴官のご都合を伺い、国境合同確認の日程を三日以内に確定したく存じます。
期日までにご回答なき場合、本提案が不都合である理由および代替手順をご提示ください。
アシュが頷いた。
「良い。返答を迫る形になっている。逃げ道を“向こうの責任”に回した」
セラが笑う。
「うわ、強い。いいねそれ」
いいねって言うな。
俺は紙を置いて、肩を回した。ここで張り切って徹夜したら、ユーリとナディアに怒られる。寿命も削れる。笑えない。
ちょうどその時、扉の外から足音が走ってきた。
「失礼します!」
ゾルドが息を切らして入ってくる。
「軍務卿より報告! 王都側が国境手前に兵を集めています! “護衛”と称していますが、数が多い!」
セラが目を輝かせる。
「来たね。圧力」
アシュが淡々と言った。
「紙に従わせる気がないなら、紙を“正義の証拠”にして殴る」
俺は返書を持ち上げた。
紙は武器だ。相手が剣を抜くなら、こっちは武器を見せる。
「セラ、この返書、今すぐ届けられる?」
「もちろん。表で届ける。相手に“正式に受け取った”って形を残す」
アシュが付け足す。
「受領の証拠を取れ」
「取る取る」
セラが返書を受け取り、ひらりと回した。
「じゃ、行ってくる。ミキトくん、寝てね。寿命、減るんでしょ?」
「言い方!」
セラは笑って出ていった。
俺は椅子に座り直し、深く息を吐いた。
王都が兵を寄せるなら、国境はまた熱くなる。
でも、返書はもう出した。
逃げたくないから書いた返書だ。
逃げないために、相手の足元に紙を置く。
その紙を踏むか踏まないかで、次の話が決まる。
壁際の装置が淡々と鳴いている。
「メガミサマアリガトウゴザイマス……」
俺は録音札を押して、小さく吐き捨てた。
「……女神様すばらしい」
腹立たしいくらい効果がある。
そして、もう一つ。
「ヴァルは、でかい」
業務完了。
次に来るのはたぶん、返事じゃない。
返事の形をした圧力だ。




