第14話 寿命の見積もり
国境から戻った直後、俺は真っ直ぐ研究医療区画に連行された。
「連行じゃない。検査」
研究医療卿ユーリが淡々と言う。言い方の問題だ。実態は連行である。
処置室に入った瞬間、薬草の匂いが鼻を刺した。ここだけは、戦争の外側に近い匂いがする。近いだけで外ではないけど。
「座って。動くな」
ユーリが机の上に、小さな透明板を置いた。石でも金属でもない、氷みたいに冷たい板だ。
「さっきの聖具で、反応が出た」
「出ましたね。頭の中がうるさくなって」
言い終える前に、喉の奥がむずっとする。
女神様は――
俺は机の引き出しから録音札を出して押した。
「女神様すばらしい」
棒読みの音が鳴り、頭の奥のノイズが一段下がる。慣れてきたのが腹立つ。
ユーリは一切笑わずに頷いた。
「うん。今の反射は良い。だが問題はそこじゃない」
透明板が、淡く光った。文字が浮かぶ。俺の目にも読める程度に、分かりやすい単語で。
祝福層:有
干渉層:有
摩耗:進行中
「摩耗?」
ユーリが指先で板を叩く。
「勇者の祝福は、使えば減る。減り方が普通じゃない。お前、今日、無意識に抵抗しただろう」
「抵抗……?」
「聖具が“引いた”時、祝福が反応して、お前の身体がそれに合わせてしまう。合わせた分だけ削れる」
俺は背中が冷えた。
聖別官エレナが言っていた。放置すると摩耗する。自覚がないまま戦うと寿命から削れる、と。
「……寿命って、どれくらい」
ユーリは即答しなかった。代わりに、板の端を指でなぞる。
「今は見積もれない。情報が足りない」
そこで、淡々と続けた。
「だが、確実に言える。王都に行けば減る」
「え」
「魔王から離れる。お前の基礎強化が落ちる。代わりに祝福側の干渉が強くなる。今日の“確認”が毎日になる」
胃が沈んだ。確かに、あの聖具の光は、身体の奥を引っ張った。慣れたくない引力だ。
ユーリが机の上に別の板を置いた。今度は脈拍みたいな線が走っている。
「この線が、祝福の揺れ。こっちが、お前の契約層」
契約層、と言われて思い出す。合意拘束。アシュが言った“剣”だ。
「祝福の上に契約が乗ってるの、悪いことですか」
「悪いとも良いとも言えない」
ユーリは言葉を選ばない。選ばないのに冷静だ。
「守りになる。だが摩擦が増える。摩擦は熱になる。熱は事故になる」
……事故。
国境での暴発。女神ノイズ。余計な熱。全部繋がっていくのが嫌だ。
扉がノックされて、ナディアが入ってきた。
「ミキト様、処置の時間です」
サキュバス医療官ナディアは相変わらず真面目な顔をしている。真面目すぎて、逆に安心する。
ユーリが手を止めずに言った。
「今日の聖具反応で、余計な熱が増える。処置は優先」
ナディアが頷く。
「分かりました。……ミキト様、手を」
ナディアの指が俺の手首に触れた瞬間、胸の奥に溜まっていた焦りがすっと引いた。熱が抜ける。呼吸が深くなる。
俺は思わず息を吐く。
「助かります」
「こちらもです」
ナディアも小さく息を吐いた。頬に少しだけ血が戻る。
ユーリが、板の文字を見ながら続ける。
「いいか、ミキト。お前が王都に行くなら、準備が要る。睡眠。栄養。処置。賛歌の自動化。逆らいログの定期化」
「逆らいログって……」
ナディアが小声で言った。
「悪口、ですね」
「そう」
ユーリが平然と言う。
「心は要らない。手順だ。守れ」
この世界、どこまで手順で殴ってくるんだ。
そこへ、今度は重い気配が近づいた。
扉が開く前から分かる。威圧が先に来る。
ヴァルが入ってきた。
魔王は、ここでは肩を落としているように見えた。見えるだけで、実際は常に巨大な圧があるのに。
「ミキト」
「ヴァル」
俺が呼ぶと、ナディアが一瞬だけびくっとする。魔王の気配は、医療区画でも慣れないらしい。
ヴァルはユーリを見る。
「どうだ」
「王都行きは危険。摩耗が加速する」
ユーリは遠慮がない。魔王にもない。嫌いじゃない。
ヴァルが低く息を吐く。
「やはりな。王都に呼びたいのは、こちらから切り離すためだ」
俺も同じ結論に達していた。
王都で正式審問。聞こえはいい。実態は拘束の入口。
俺は言った。
「行きません。少なくとも、向こうの土俵では」
ヴァルの目が細くなる。
「代案は」
「旗の内側でやります。王都の審問じゃなくて、国境での合同確認。相手が欲しいのは確証です。確証は、ここでも取れる」
ユーリが頷く。
「良い。ここなら私も測れる」
ナディアが小さく言う。
「ここなら、処置も間に合います」
ヴァルが少しだけ黙ってから、低く笑った。
「……お主らしい。相手の物語に乗らず、枠を作る」
俺は続けた。
「その代わり、こちらも譲る。捕虜交換を先に進める。回収路を“慣例”にする。王宮が壊しづらい形にする」
ヴァルが頷きかけたところで、処置室の外が少し騒がしくなった。
ゾルドの声が聞こえる。
「失礼します! 法務卿より伝言です!」
扉の隙間から、ゾルドが顔だけ出した。
「王都監察官が、“次は王都で”と正式文書を出したと。署名は王印。期限付きです!」
期限付き。来た。
ヴァルがゾルドに短く言う。
「受領はする。従うとは言っていない」
ゾルドが頷いて去る。
ヴァルは俺を見る。
「期限がある。こちらも期限を切る。返書を出す」
「はい。返書は俺が起案します」
言った瞬間、ユーリが机を叩いた。
「徹夜はするな」
「しません」
即答した。
すると、ナディアが真顔で追撃する。
「睡眠は守ってください。摩耗が進みます」
「守ります」
守ると言って守れた試しがないのが怖いが、守らないと本当に削れる。
ヴァルが静かに言った。
「ミキト。王都は危険だ。だが、逃げれば“背教”の物語が固まる」
「分かってます」
俺は頷いた。
「だから逃げません。枠を移します。王都の枠じゃなく、国境の枠に引きずり出す」
ヴァルが小さく笑う。
「よい。では、紙を用意しろ。旗の内側を増やせ」
処置が終わり、ナディアが一礼する。
「ミキト様、次回も同じ時間で。……生きて戻ってください」
「戻ります」
ユーリが板を片付けながら言った。
「寿命の見積もりは、次のデータで出す。出たら守れ。守らないなら意味がない」
俺は苦笑した。
「出たら、守ります」
装置の声が遠くで聞こえる。
「メガミサマアリガトウゴザイマス……」
背教の勇者という呼び名は、消えない。
でも、寿命が削れる仕様まで付いてくるのは勘弁してほしい。
俺は外へ出て、息を吸った。
次の戦いは剣じゃない。
期限付きの文書と、返書の文言だ。
紙で勝てるかどうか――ここが本当の勝負どころだった。




