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土下座から始まる魔王軍改革 〜魔王軍初の勇者は30代!?戦争は書類で止める〜  作者: 那由多


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第12話 旗の外から来た監察官

 国境に着いた瞬間、空気が違った。


 昨日までの、剣と旗の緊張じゃない。書類の匂いだ。肩書きと印章と、責任逃れの匂い。会社でも嗅いだことがある。胃が重くなる種類のやつだ。


 前に出ていたのは、鎧ではなく外套の一団だった。


 先頭の男は、背が高くない。けれど立ち方が偉い。周りが勝手に道を空ける立ち方。


「王都監察官、トルストン=ヴァイス。ヒューマンだ」


 男は名乗ると同時に、巻物を掲げた。王家の紋章の封蝋が見える。


「王命により通告する。背教の勇者、久我幹人。直ちに身柄を引き渡せ」


 いきなり結論。交渉じゃない。命令だ。


 俺の隣で、法務卿アシュの気配が一段冷えた。軍務卿グランは笑顔のまま、目だけが笑っていない。


 そして、トルストンの半歩後ろ。


 白い外套の女がいた。肩に古い紋章。神殿の騎士とは違う、もっと古い匂いがする。


 彼女は杖ではなく、掌に収まるほどの小さな聖具を持っていた。石か金属か分からない。なのに、持っているだけで空気が乾く。


「古神殿、聖別官エレナ=サルヴァ。ヒューマン」


 エレナは俺を見た。その視線は怒りでも憎しみでもない。


 標本を見る目だ。


「勇者の祝福が魔王の側にある。異常です。……回収し、浄めます」


 浄める。


 便利な言葉だ。人が死ぬときによく使われる。


 トルストンが咳払いする。


「こちらは“回収”だ。浄めは手順の後にしろ」


「手順は私が知っています」


 エレナが淡々と返す。その自信が、余計に怖い。


 グランが一歩前に出た。相変わらず穏やかな声だ。


「軍務卿グラン=モルティス。……監察官殿、線のこちら側へは来るなよ」


 蔦で引いた境界線を、グランが指差す。


「越境は敵対行為だ。今日は話をしに来たのだろう?」


 トルストンは薄く笑った。


「話は済んでいる。引き渡せと言っている」


 なるほど。押し切るつもりだ。


 俺は一歩前に出た。線は越えない。越えたら相手の思う壺だ。


「久我幹人、ミキトです。……背教の勇者って呼び名は初耳ですが」


 トルストンが即座に返す。


「女神に背いた勇者だ。魔王と契約した時点で背教は成立する」


 短絡。便利。だから怖い。


 その横で、エレナの聖具が淡く光った。


 光が視界に入った瞬間、頭の奥がざらついた。


 女神様は偉大だ。女神様は素晴らしい。崇めよ。


 やめろ、今はやめろ。


 俺は喉の奥で言葉が勝手に形になるのを必死で押さえたが、口から漏れた。


「……女神様すばらしい」


 棒読み。


 最悪だ。


 トルストンが勝ち誇ったように頷く。


「ほら見ろ。祝福が残っている。回収対象だ」


 エレナは少しだけ眉をひそめた。


「祝福は残っています。ですが、汚れています」


 汚れた祝福。言い方がもう処刑の準備だ。


 アシュが低い声で言った。


「王命とやらは、ここでは通らない。越境できない以上、引き渡しは成立しない」


「法に口を出すな、魔族」


 トルストンが吐き捨てる。


「魔族の法など、王国には関係ない」


 俺は息を吸った。ここで感情で返すと終わる。相手は“正義の言葉”を欲しがっている。


「関係あります」


 俺は、できるだけ淡々と言った。


「ここは国境です。あなた方が線を越えれば戦闘になります。戦闘になれば負傷者が増えます。昨日の回収路も潰れます。……王国にとって得ですか」


 トルストンの口元が僅かに歪む。


「損得で女神を語るな」


「語ってません。戦費の話です」


 俺は言い切った。


「あなたは監察官でしょう。数字で動く立場だ。なら数字で話をする」


 トルストンが一瞬だけ黙る。効いた。


 その隙に、エレナが聖具を持ち上げた。


 空気がさらに乾き、耳鳴りがした。頭の奥のノイズが跳ね上がる。


 女神様は――


 俺は反射で、口の中だけで悪口を呟いた。


(ヴァルの気配は重い、重すぎる)


 少しだけ落ち着く。最悪の応急処置だ。


 グランが、にこやかに言った。


「聖別官殿。その玩具はしまえ。ここで術を使えば、敵対行為と見做す」


「術ではありません。確認です」


 エレナの声は平坦だ。


「勇者の祝福紋。召喚の痕跡。……それを確認するだけ」


 アシュが切るように言う。


「確認で相手が倒れたら攻撃だ」


 トルストンが苛立ったように手を振った。


「面倒だ。ならこうしよう。ミキト、線を越えてこちらへ来い。こちらの保護下で話す」


 来た。誘導。


 俺は首を振った。


「行きません。拘束される可能性がある。あなた方は“回収”と言った。回収は、保護じゃなくて拘束です」


 トルストンが笑う。


「疑い深いな。勇者なら潔く――」


「勇者なら、の話は結構です」


 俺は言葉を切った。


「あなた方の物語に乗る気はない。必要なのは手順です」


 エレナの目が細くなる。


「手順なら、私が示せます」


「じゃあ示してください。ここで」


 俺は机の方を指した。境界線のこちら側に置かれた、交渉用の机だ。


「旗の内側で、双方の監督役立ち会いで。あなた方が望む“確認”も、その枠内でやる。終わったら解散。追撃なし。拘束なし」


 トルストンが鼻で笑う。


「そんな条件を飲む理由がない」


「あります」


 俺は淡々と言った。


「あなた方が線を越えられないからです。越えた瞬間、あなたの巻物はただの紙になる」


 グランが穏やかに付け足す。


「紙なら、こちらにもあるぞ」


 トルストンが言い返そうとした、そのとき。


 人間側の隊列の後ろから、息を切らした声が聞こえた。


「待ってください!」


 フェリクスだった。神殿の外套が乱れている。走ってきたのが分かる。


 彼はトルストンの前に出て、慌てて頭を下げた。


「監察官殿。現地担当として申し上げます。回収路は成立し、成果が出ています。ここで暴発すれば、王都への報告も――」


「黙れ、補佐官」


 トルストンが遮る。


 だがフェリクスは引かなかった。握りしめた紙束を差し出す。


「これを……これを先に見てください。捕虜交換の提案と、交渉人保護の条項です。神殿の慈善事業として、王国の名誉になる形に――」


 紙束。


 セラが届けたやつだ。


 間に合った。


 トルストンの眉が動く。紙束を掴み取り、ざっと目を走らせる。数字の人間は読むのが速い。嫌になるくらい速い。


 エレナがフェリクスを見て、冷たく言った。


「勝手な合意は無効です。勇者の祝福は――」


「祝福がどうこうは、後でいくらでもできます」


 フェリクスが珍しく強い口調で言った。


「今ここで血が出れば、女神の名は傷つきます。神殿も王宮も、どちらの成果にもなりません」


 成果。出た。王宮の言葉で殴り返した。


 トルストンが紙束を机に叩く。


「……いいだろう。確認だけだ。だが条件は王国側が決める」


「決めません」


 俺は即答した。


「条件は“双方で”決める。そうでないなら、そもそも旗の内側に入れない」


 トルストンが睨む。


 俺も睨み返したいが、やらない。睨むのは相手の仕事だ。


 代わりに、淡々と告げた。


「確認したいなら、合意してから。拘束したいなら、戦争してから。あなた方はどっちを選びますか」


 トルストンが歯を食いしばる。


 エレナが小さく息を吐いた。


「……分かりました。今日は確認に限ります。浄めは、正式な手順の後」


 トルストンが渋々頷く。


「明日。ここで。旗の内側で。監督役は互いに立てる。拘束はしない。――ただし、勇者の聖具反応が確証なら、その時は王命に従え」


 最後の一言が余計だが、飲み込むしかない。今は条件を固定する方が大事だ。


 俺は頷いた。


「分かりました。明日、ここで。拘束なし。越境なし。終わったら解散」


 グランが穏やかに笑う。


「良い。旗の内側が増えたな」


 増えたのは“安全”じゃない。爆弾の置き場所だ。でも、爆弾でも箱に入れれば運べる。


 人間側が引き上げ始める。


 フェリクスがすれ違いざま、俺にだけ小声で言った。


「……すみません。上が動きました」


「謝らなくていいです。動くのは予想してました」


 フェリクスの顔が少し歪む。


「あなたが勇者だと、確定したのは……ルーカスの聖具です。古神殿の道具は、嘘をつきません」


「道具は嘘をつかない。使う人間が嘘をつく」


 俺が言うと、フェリクスは苦く笑った。


「その通りです」


 人間側が離れ、国境に静けさが戻る。


 俺は息を吐いた。勝ったわけじゃない。時間を買っただけだ。


 頭の奥が、またざわつきかける。


 女神様は――


 俺は祈祷再生器の音量をほんの少し上げた。耳の奥で棒読みの賛歌が鳴る。


 グランが横で言った。


「明日は、もっと厄介だぞ」


「分かってます」


 アシュが低く言う。


「聖別官の“確認”は、確認で終わらない。手順を詰めろ。逃げ道も条文に落とせ」


 俺は頷いた。


 背教の勇者。


 呼び名はもう消えない。


 ならせめて、その呼び名が“処刑の理由”になる前に、紙で縛る。


 旗の内側で。拘束なしで。確認だけで。


 明日は、その綱渡りをやる。


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