第10話 呼び名は刃物
回収が終わって城へ戻るまで、俺はずっと考えていた。
レオンはまた来た。しかも回収の最中に前へ出てきた。鉄砲玉のくせに、わざわざ名乗って、わざわざ決闘を叫ぶ。
笑える。笑えるはずなのに、笑うと胸が冷える。
あれは本人の性格じゃない。仕様だ。
――問題は、そこじゃない。
回収の終わり際、フェリクスの横にいたエルフの青年、ルーカス。
あいつの視線が、変だった。
俺に向ける目が、魔族への警戒とも違う。人間への親近感とも違う。もっと“分類”の目だった。
城へ戻った途端、諜報卿セラが俺の部屋に来た。
ノックは軽い。入ってくる気配は軽い。持ってくる話は、だいたい重い。
「ミキトくん、起きてる?」
「起きてます。……嫌な予感しかしませんけど」
セラは笑って、机の上に小さな黒い札を置いた。
札というより、影を縫い付けたメモだ。触れると、冷たい。
「王都の音、持ってきた」
「音?」
「うん。会議の音。録れた」
セラは指先を鳴らした。
札の表面に、細い糸みたいな文字が浮かぶ。次の瞬間、部屋の空気が変わった。
声が流れた。
男の声。落ち着いているが、上に立つ人間の声だ。
『……報告は以上か、フェリクス』
フェリクスの声が、少し硬い。
『はい。回収路は成立しました。魔族側は条文を用い、監督役を立て、越境を禁じました。違反はありません』
『では、問題は何だ』
一拍。
『魔王側の監督役の隣に、人間がいました』
空気が冷える。
別の声。神殿っぽい、芝居がかった低音。
『人間? 捕虜か』
『いいえ。捕虜ではありません。自分で名を名乗り、交渉を主導していました。魔王直轄の特命官、と』
『……魔族に取り込まれた人間か』
フェリクスが息を吸う。
『それだけなら、私も“変わった亡命者”として処理しました。しかし――』
紙をめくる音。
『私の携帯聖具が反応しました』
俺は思わずセラを見た。
「携帯聖具って」
セラが小声で答える。
「古神殿の道具。祝福の残り香を拾うやつ」
録音は続く。
『回収路の合意書を開いた時、胸元の聖具が熱を持ちました。……あれは、勇者召喚の場でしか鳴らない反応です』
別の男の声が苛立つ。
『確証は? 神殿の道具が古いだけではないのか』
『確証を取りました。彼が名乗った瞬間、反応が強まりました。勇者の祝福紋と同じ波形です』
神殿の声が、低く笑う。
『なるほど。ならば話は簡単だ。魔王は勇者を奪った』
『奪った……?』
『奪った。あるいは、堕ちた。いずれにせよ――女神に背いた勇者だ』
その言葉を聞いた瞬間、背中がぞくりとした。
背教。裏切り。罪のラベル。
王宮の声が続く。
『“背教の勇者”……いい呼び名だ。国民にも分かりやすい。神殿は、それでよいか』
神殿の声が即答する。
『ええ。勇者が横暴になるのも、勇者が短命になるのも、“魔王の誘惑”のせいにできる。筋が立ちます』
筋。筋って言ったな、今。
現実の筋じゃない。物語の筋だ。便利な筋だ。
フェリクスの声が、わずかに揺れる。
『……しかし、あの男は、ただの交渉人に見えました。むしろ死者を減らす方へ――』
王宮の声が被せた。
『死者を減らす? だから危険だ。窓口ができる。窓口は、神殿の成果になる。王の成果にならない』
セラが小声で笑う。
「言っちゃったね」
録音の中の神殿が言う。
『王都から監察官を出しましょう。窓口を王の手に戻す。その上で背教勇者は回収する。……回収できないなら、“浄化”だ』
別の声が、淡々と宣言した。
『聖別官を同席させよ。女神の名で処理する』
ここで音が途切れた。
セラが指を弾くと、札はただの黒いメモに戻った。
部屋の中が静かになって、壁際の装置の声だけが浮く。
「メガミサマアリガトウゴザイマス……」
俺は、ゆっくり息を吐いた。
理解した。
バレたのは、誰かの目撃談だけじゃない。
古神殿の道具が反応した。レオンが何か言った可能性もある。二つ以上の情報が揃って、王宮と神殿が“使える形”に加工した。
そして、その加工品の名前が“背教の勇者”。
「……俺、まだ人間側で“勇者”として名乗ってないですよね」
俺が言うと、セラが肩をすくめた。
「名乗る必要ないよ。向こうが勝手に決めるから」
それが一番嫌だ。
ラベルは剣より速い。貼った瞬間に、殺していい理由ができる。
頭の奥がむずっとした。賛歌が立ち上がりかける。
俺は反射で小声を出した。
「……女神様すばらしい」
ノイズが引く。
ついでに、もう一つ。
「ヴァルの会議は長い」
さらに静かになる。
業務にしか見えない自分が嫌になるが、今はそれどころじゃない。
「セラ。フェリクスは、俺を売ったんですか」
「売った、ってほど単純じゃない」
セラは指先で机をなぞる。
「彼、最後に止めようとしたでしょ。『交渉人に見えた』って。でも、王宮と神殿の上の人たちは、窓口が嫌い。話が進むから」
俺は頷いた。
「監察官と聖別官が来る」
「来る。しかも“回収路の監督役”として、正面から」
セラの笑顔が少し薄くなった。
「次からは、旗の内側が戦場より怖いよ。ルールを変えるために来るから」
俺は机に両手を置いた。
考える。ここで慌てたら終わりだ。
向こうは“背教の勇者”という言葉で俺を固定しに来る。ならこちらは、固定される前に別の枠を作るしかない。
「……先に、こっちから枠を作ります」
「どうやって?」
セラが楽しそうに聞く。
俺は短く答えた。
「書面です。捕虜交換の合意書を、回収路と同じように“慣例”にする。窓口を増やして、誰か一人が壊せない形にする」
セラがにやりと笑う。
「いいね。窓口を増やすと、壊すコストが上がる」
俺は頷いた。
「あと、俺自身の扱いも条文で縛る。“勇者”じゃなくて“交渉人”として扱う合意を取る。王宮が勝手に定義を変えられないように」
法務卿アシュが言いそうな発想だ。実際、必要だ。
セラが立ち上がる。
「じゃあ、動こう。監察官と聖別官が来る前に、こっちの紙を先に通す。王都の紙より早く」
俺は頷いて、筆を取った。
背教の勇者。
面白い呼び名だ。面白すぎる。だから危険だ。
呼び名は刃物だ。
なら俺は、刃物に紙で鞘を作る。
この世界で生きるなら、それしかない。




