前
湿った土の匂いと共に、ひんやりとした雫が頬に伝う。目を開けると、ニッケランは草原の上に寝転がっていた。
夜の帳と昼の帳が混ざり合い淡い色の空が広がっている。後ろを振り返ると、そこには父がたたずんでいた。
「また稽古?」
子供特有の甲高い声を響かせ父に問う。しかし、彼は何の反応も示さなかった。彼も目の前の光景に魅入られているのだろうか。
「少し話をしよう」
「話? 何を今さら」
夢の中だとしても、息子に手を掛けるような父とは話をしたくもない。しかし、彼はニッケランを無視して続ける。
「お前はこの戦いの先に何が待っていると思う?」
「先? 戦い? 帝国との?」
空からニッケランに目線を移すと、彼は続ける。
「あぁ。お前が成そうとしている先の話だ」
話の流れが見えてこず混乱する。
帝国との戦争の話ならば、自分が死ぬか、もしくは、魔操志を滅ぼし、果ては帝国国王も手にかけた時に戦いは終わるだろう。
そう彼に伝えようとする。しかし、彼の方が早かった。
「この大いなる流れは誰が作ったと思う?」
「流れ? 二百年戦争の話?」
「流れに抗えると思うか?」
まったく話がかみ合わない。
成そうとしている先の話。
大いなる流れ。
流れに抗う。
どれもこれのさっぱり意味の分からない話ばかりだ。何もわからないまま話を進めても、余計にややこしくなってしまう。
ニッケランは父に話を続けさせた。
「帝国にも信仰はあり、王国にも信仰がある。この信仰の違いが争いを生む」
「信仰? ノマギア神信仰の話? 帝国も同じ神を信仰しているんじゃないのか?」
彼は首を横に振った。
「ニッケランよ。お前は抗えるか? この人知を超えた流れに」
草原が騒ぎ始める。冷たい風が走り、ニッケランの体を突き抜けてゆく。草木が何かを話しているように、大きな音を立ててなびいている。
途端にニッケランの視界が揺らぎ始めた。色褪せ、視界は狭まる。
力が抜け始め、目は自然を閉じようとする。力を振り絞り、父をもう一度見るが、そこにはもう彼の姿は無かった。
ニッケランが目を開けると、夢の中と同じような淡い色の空が広がっていた。違うところは周囲を壁に囲まれているところだ。
寝具を挟んでいるとはいえ、地面は固いレンガだ。全身が凝り固まり、激しい動きは避けようと努める。
横にいる仲間を確認すると、ザザンもオキタルもまだ夢の中だ。ニッケランは彼らを起こさぬよう静かに立ち上がり、井戸へと移動する。
移動し、水をくみ上げると、顔めがけて勢いよく流しかけた。
寝ぼけていた頭が冴え、体も少しずつ調子を取り戻し始める。
まだ、誰も起きていない時間なのだろう。昼間とは打って変わって町を自然の音とニッケランが発する音のみが支配している。
まるで、ニッケランだけが住む町に様変わりしてしまったようだった。
一人になるとどうしても考えてしまう夢の内容。
「大いなる流れ…ね…」
ニッケランにとって二百年戦争は十分大いなる流れだった。自分一人でどうこう出来るような内容のモノではない。
しかし、父の言う「大いなる流れ」は二百年戦争そのものの事ではないように感じる。むしろ、戦争の先に何が待ち構えているのかを問い詰めてくるような話し方だった。
「今は良いや」
集中すべきことは父の言葉ではない。この町を奪還することに今は集中すべきなのだ。それに、彼の言う「大いなる流れ」を考えるのは今ではない気がする。
ニッケランは釣瓶を元に戻すと、仲間の元へと帰って行った。
拠点に戻るとモヤトがテントから出てきたところだった。
「早いな。ニッケラン」
「お前も随分早いな。いつもこの時間に?」
彼はポットに樽の水を汲みながら答える。
「いや、今日は作戦前夜だからな。やることも多いし、早い方が良かったんだ」そして「今から茶を入れ
るが飲むか?」とも。
ニッケランはそれを甘んじて受け入れ、寝具に腰を掛けた。
「ニッケラン。お前はどのぐらい戦いに身を置き続けてるんだ?」
水が湧く間、暇だからだろうか。彼は他愛もない話を始めた。
「あぁ、長いよ。十五年だ」
「十五年! どおりでそんな雰囲気が……一つ質問しても?」
ニッケランはうなずいて見せた。
「俺は今、正直に言ってしまえば緊張してるんだ。最高にね。でも、アンタ…いやアンタら全員緊張してる感じが一切しないだろ? なんていうか羨ましくてね。なにか秘訣とかあるのか?」
突拍子のない質問に思わず笑いがこみ上げる。他人から見るとニッケランたちは、戦を前に緊張しない化け物に移っていたようだ。
「いやいや、ちゃんと緊張しているさ。それもかなりね。実際戦に参加するたびに腹が痛くなったりするんだ俺は」
彼は驚いた顔を見せた。それもまた面白く笑いがこみ上げてくる。
「アンタらほどの人たちでも緊張ってするんだな…なんか少し安心したよ」
ニッケランが「それはよかった」と言ったと同時にポットの水が湧いたようだ。
甲高い音が響き、オキタルとザザンが起きてしまった。
「あ、悪い悪い。ポットの笛を開くのを忘れてた…飲む?」
眠い目をしたオキタルとザザンは互いの顔を見つめたあと、同時にモヤトにうなずいた。
するとモヤトはテントの中からカップを四つ取り出し、茶葉を入れたのちに湯を注いだ。
「え? 茶葉ごと飲むの?」とかすれた声でザザン。
「あぁ。その通りだ。珍しいだろ? 俺のお気に入りさ」
ニッケランが茶の匂いを嗅ぐと茶葉の良い匂いが鼻腔を抜けた。癖のあるような茶ではなさそうだ。
恐る恐る口へと運ぶ。それを見ていたオキタル、ザザンも同じように飲み始めた。
最初に感じたものは茶の良い香りだった。フルーツのような甘い香り、冷えた体を温めてくれる優しい香りだ。
次にほのかな苦みが舌に広がった。しかし、嫌な苦みではない。それは茶特有のうまみを含んだ苦みだった。
「うまいか?」
笑顔で聞いて来たモヤトに三人はうなずいた。彼は続ける。
「明日の夜に決行な訳だが、必要なモノとかないか? 用意できるモノは出来るだけ用意したいんだが」
必要なモノと言われてもあまり思い浮かばない。武器を手入れする道具は持ち込んでいるし、作戦上で武器以外を使用する場面はニッケランには無かった。
すると、眠い目をこすりながらオキタルが言った。
「毒を用意したいんだけど心当たりはないかな?」
「毒? さっぱりだ。そんな危険な植物なんて町の近くにはねぇよ。上戸の森だな」
オキタルは残念そうに「そっか…」というと茶を飲み始めた。
「そういやぁオキタル。お前はその毒の知識ってどこで蓄えたんだ?」
ザザンの質問にニッケランは大いに共感していた。魔操志初撃破の時から疑問に思っていたことだ。吹矢や目つぶしなど普通に生きていたら得られる知識ではない。
彼は茶を飲みながら答える。
「ん…父親が植物に詳しかったんだ。農作業を手伝っている時に教えてくれて…この植物は危ないぞーとか調合したらこうなるぞーとかね」
「じゃあ、あの吹矢は?」とザザン。
「あれは長老に教えてもらったんだよ」
子供に何てこと教えやがるんだとニッケランは思ったが、それに助けられたことを考えると口には出せない。
「僕はもう欲しいものはないけど、ニッケランとザザンは?」
オキタルの質問にニッケランは首を横に振った。ザザンの方は何やら欲しいものがありそうだ。
「盾…盾が欲しいな」
「そういえばお前、盾どうしたんだよ」とニッケラン。
町に潜入することと作戦を成功させることで頭がいっぱいで気が付かなかったが、彼が盾を装備していない瞬間を見たのはこれが初めてだった。
気が付いてしまうと違和感がすごい。彼の顔を見ると、渋い顔を見せている。
「盾を治してもらうって話覚えてるか?」
「盾ボロボロにされたから、直すって話?」とオキタル。
彼はうなずいて見せると、盾を握っていない手が寂しいのか、しきりに開いたり閉じたりしている。そ
して「潜入までに間に合わなかったんだ」と言った。
「盾ね……あ。そういえばあそこに…あーでも…」
モヤトが一人で一喜一憂している。しきりに表情を変え、何かを囁いているのは心当たりがあるからだろうか。
「思い当たる事でも?」
ザザンも気になったのだろう。モヤトの様子にすぐ食いついた。
彼は自信なく頷き、少し息を整える。
「――あるにはあるんだが…如何せん場所がな…本当に場所がなぁ…」
「それだけのもんなのか? その盾ってのは」とザザンが言う。
モヤトはひきつった笑いを見せてうなずいた。どうやら彼の言う盾は相当な品物らしい。
「もしかして、Aのところ?」
「そうなんだ…!」
盾は町の宝としてAに奪われ、そして奴の家に眠っている。今すぐ手に入れるということは叶わないようだ。
ザザンも今すぐ手に入れることが不可能と分かり、露骨に肩を落としている。余程、盾なしで戦うことが嫌なようだ。
「他に何か欲しい奴は居るか?」
モヤトの質問に答える者はいない。ザザンが小さく「盾…盾…」と言っているが、それに構う必要は無さそうだ。
するとモヤトが「よし! じゃぁ作戦通りに頼む!」と叫ぶと茶を一気に飲み干し、立ち上がった。
「もう行くのか?」
ニッケランに彼はうなずくと、そそくさと移動し始めた。彼の姿が見えなくなると今度はオキタルが立ち上がる。
「僕も行くよ。 反乱軍に作戦を伝えないとね」
「おい! 無理はするなよ」とニッケラン。
大声で止めてしまったからか彼は驚いていたが、手を振りながら「うん!」と大きな声で返してくれた。
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