初陣
耳に二つの寝息が届いた。ザザンもオキタルも静かに寝ているようだ。
意識がはっきりすると、寝ぼけていたのか、手を天幕の方へ向けて、体を起こしてしまっていることに気が付いた。
「まさか現実でも手を伸ばしていたとは…」
妙な夢を見たからか、体が火照っている。
夢にしてはリアルで、どこか偽物で、信じたくも、信じたくもない内容だった。
胸の内は冷えているが、体は涼しさを求めている。
ニッケランは二人が起きないように、静かに寝具から足を地面へと滑らす。
そのまま出口へと進んでゆくと、新鮮な風が体を撫でた。それに誘われるように天幕の外へ。
「もう冬だな」
息を吸うと、冷えた空気が全身に広がってゆくような感覚になる。それが冬の到来を告げていた。
「どこかにお出かけに?」
門番とでもいえばいいだろうか。天幕の入り口に立っている護衛の一人が言った。
「いや、外の空気を吸いに」
「かしこまりました。護衛は…」
この複雑な感情を冷やすには一人が最適だとニッケランは思った。何より、名前も知らないような男と一緒に行動するのは嫌だった。
「いや、いい」
それだけ言うと、近くの川の方へ歩き出す。
遠かった水の音が、徐々に大きくなる。大きくなるほどに、人の生み出す音は存在感を失ってゆく。
ニッケランの脳みそはゆっくりと、しかし、確実に冷静さを取り戻していった。
「はぁ…夢は夢だよなぁ…」
しかし、どうしても信じたくなってしまう。
物心ついた頃には母は居なく、頼る相手は父のみだった。
厳しく、傷つけられ、何度も死ぬような経験をさせられた。それが当たり前だと思っていたし、疑いもしなかった。
戦場に立つまでは。
初陣の夜、一緒に戦った老兵との会話を思い出す。
ニッケランは実戦と訓練との差に驚いていた。父との死闘と比べれば柔なものだった。
「おい、若いの」
突然、名も知らぬ老兵が背後から話しかけてきた。
森の中の開けた場所。傭兵たちが集められ、かがり火を数えきれないほど作り、それを数人で囲んでいる。
その中の一つにニッケランは居たのだった。
「なんだよ?」
かがり火の温かさに身を委ねながら答える。すると、老兵は隣に座り、顔を覗き込んできた。
「見たことのない顔だ。戦は初めてか?」
「あぁ」
突然、老兵が笑い始めた。何が面白いのかさっぱりわからない。長いこと戦場に居すぎておかしくなってしまったのか。
「初陣を生き残ったというのに嬉しくなさそうだな」
「敵が弱かったんだ」
老兵は笑いを深めてしまった。さらには、ニッケランの肩を叩き、気持ちよさそうに笑顔を見せている。
「傭兵になった理由はなんだ?」
笑いが収まると、男はまたも質問をしてきた。
こうも遠慮もなしに質問を繰り返されると苛立ってしまう。しかし、変にここで声を荒げるのもおかしいように感じる。
「傭兵になれば分かると思ったんだ?」
「何がだ? 何か…信仰でもしてるのか?」
「違う。父さんの考えだ」
「はぁ?」
なぜか老兵はニヤついている。
(もう、頭の方はだめらしいな)
面白いことを言ったようには感じなかったし、そんなことを言う気もなかった。
ニッケランの表情は無意識に老人を懐疑的な目で見る者になっているのだろう。老人は打って変わって真面目な表情へと変化してしまった。
「お前さん、それ本気で言ってるのか?」
「あぁ。なんだ? 別におかしくないだろ?」
「…普通、傭兵になる奴ってのはならず者が多いわけよ。思想とか、信仰とか、そんなものを追いかけて傭兵になる奴なんて見たことがねぇ。少なくとも今まではな」
「俺は違うってのかよ?」
「違うね」
「そうかよ」
冷やかしだ。老兵は若者を陥れて楽しみたいだけなのだと思った。
ニッケランは焚火の方を向き、火の粉を眺める。
飛び出したと思った次の瞬間には消えてしまう。そんな光景に自分を重ねる。
突然、父は居なくなってしまった。正確には「死んでしまった」の方が正しいのかもしれない。
風が吹き荒れ、雨が皮膚を強打する嵐の日に、父は賊との戦いに消えてしまった。家に上がり込んできたマントに身を隠した一人の男と共に消えてしまったのだ。
「で、そのお前の父さんの考えってのは、なんなんだい?」
「…父さんは、俺が物心ついた時…かなり幼い時から厳しく稽古をさせてきたんだ。俺は正直、嫌だった。でも、母親は居ないから父を頼るしかなかった。でも、いざ戦場に立ってみると、あんなに厳しくされてた理由が余計にわからなくなったんだ」
「へぇ、そんなに厳しい稽古をねぇ…それで理由ってのは?」
「言い方が悪かったかな。理由と言うよりは、目的かな。普通の父親ってのは稽古とかするのか?」
老兵は返答に困ったのか、首を傾げ、同じように焚火を眺め始めた。
周囲の兵士を見ると、仲間同士で話し合っており、特にこちらを窺がうような様子もなかった。
「いや、やっぱり稽古なんてしないだろう。貴族とか上流階級は別だぞ? 傭兵なんて農民出身が大半だからな。稽古どころか、まともな剣術も何も知らない連中ばっかりさ」
やはり老人は自分を陥れるつもりだったのだ。父の目的が余計に嫌な方向へと向かっていってしまう。父は虐待を目的としていたのではないかと。
「普通の父親ってのはどういうもんなんだ?」
「さぁな…何せここにいる連中は、まともな生活なんて何も知らないのさ。」
「…そうか」
再度、焚火を見た。元気よく燃え、特に変わった様子は無い。
(何も無くなってしまったな)
最後の生きる目的が消え去ってしまった。この世に産み落とされたからには、何か目的だとか、運命だとかがあるように感じていた。その目的地、父との稽古が何に成るのかを見届けることだった。
しかし、最早それは成されてしまった。目的は虐待だったのだ。そう結論付けることしかできない。
そう考えれば考えるほどに、生きる希望は失われていく。
「おい、なんでそんなに落ち込んでるんだ?」
「え?」
老兵が突然口を開いた。
「なんで落ち込んでいると聞いているんだ」
「なんでって…そりゃ、父親の目的が虐待だったからだろ」
「なんでそう考えたんだ?」
「はぁ? どう考えてもそうだろう?」
老人はまたも高笑いを始めた。
「初陣なんだろ? まだ旅は始まったばかりだ。少なくとも、お前の父親の目的の一つには、お前を強く、簡単には死なないような人間に育てることが含まれていたはずだ。そうだろ?」
「そりゃ、そう考えることも出来るけどよぉ…」
「それをたった一回の戦で導き出すのか? それでお前は満足なのか? お前はまだ戦争の何も知らないじゃないか」
確かにその通りだった。自分は先走り過ぎたのかもしれない。しかし、今まで頼って生きてきたものが無くなってしまうのは怖くてたまらない。
新しい目的を得て、生きてい行くことは可能なのだろうか。
「俺は若いころ、騎士になる事を目指して生きてきたんだ」
「え?」
突然、老兵の表情は影を落とした。それとは対照的に、口元にはうっすら笑みが浮かんでいる。
「しかし、力が足りなかった。才能が無かったのだよ」
老人は腰に掛けた年季の入った剣を撫でている。
「だが、お前は違う。お前には戦場に必要な才能がある」
突然、肩を強くつかんできた。その力はどんどんと増している。
「この老いぼれは最早何かを変えるには遅すぎる。しかし、お前は違う。才もあり、時間もある。」
痛い。肩を掴む力が老いぼれのそれとは思えないほどだ。
「だから、何か目的をもって生きろ! 目的を持たずに生き抜くことは出来ない。これはどんな人間にも必要なことだ。農民だって、騎士だって、王様だって何か目的をもって生きているんだ」
突然、老兵は肩を掴むことを辞め、手をだらんと下げてしまった。
「目的を持てと?」
「そうだ…今すぐ持てとは言わん。しかし、必ずいつかは目的を持つんだ。この世界で生きる目的を…」
そう言うと老兵は突然立ち上がり、別の兵士の集まりへと移動してゆく。何故だか、寂しい気持ちになったが、ニッケランは止めず、ただその姿を見送った。
その後は、ただ焚火を眺めていた。だんだんと小さくなってゆく火、まるで自分の心のように。しかし、新しい何かも生まれようとしているように感じる。
周囲を見渡すと、仲間と談笑をしている兵士たち。その姿を突然羨ましく感じる。
「一人は嫌だな」
やはり、心の拠り所が必要だ。今の自分にはない物。それをまずは手に入れよう。
ニッケランの初めの目的が決まった。
仲間を手に入れよう。自分が頼れるような、たくましい仲間を。
最後までお付き合いいただき感謝いたします。
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