自分の修羅場
自分が生きてきて覚えてる範囲の修羅場を書いてく。
前提、妹がおり当時は小児喘息で母方の祖父母に預けられることが多く、そのせいで同年代とどう接していいわからない。祖父母も遊んでくれるわけでもなかったからかぼっちは苦じゃなかった。
年代が少しバレてしまうかもだが私が幼稚園の頃は隔週で土曜日が休みになった。
その時なぜか休みでないのにもかかわらず、休むと言い出す生物学的な父親⋯もとい糞以下男が同様に休むようになる。しかも自分で休みの連絡もしないとかいうイカれ野郎だった。更に、出張で数日仕事で帰ってきて休みじゃないのに休むとかバカなやつだった。かといって何かするわけでもないし遊んでくれるわけでもない。タバコは吸うし臭かった。勝手にじゃれたりはしてたとは思うが物心つくまでだと思う。
小学生の時に宿題で自分の名前の由来を聞くがその時は最もらしいことわ言われて提出したのを覚えてる。しかし、どのくらい経ってか忘れたが、本当は某芸能人と同じ名前だったからごり押しして糞以下男が付けたらしいことを知って自分の名前に多少嫌悪を覚えるようになった。これがプチ修羅場。
ある時体育の水泳で着替えたらスポブラ無くなってて掃除の時にトイレのゴミ箱にあった事がわかった。自分では何も言わないつもりだったが担任が連絡、しかし母親には事実確認されただけで特に何も言われなかったし、私もいつもどうりにしてたからか何も言われなかった。聞いてきたのも夕飯の作業中にって感じで気にさらてなかったと感じた。当時はショックすぎてリアクション取れなかった感じだった。犯人捜しとか特にされなかったし、そのことに怒る様子もなかったのがしんどかったかもしれない。当時はなくなってたことに気づきた時はおかしいなと思いつつ隠そうと思ってた。もしかして自分がつけてきてなかったけ?とかも思った。5時間目の授業が始まって音楽室にいたら女子だけとなりの図工室に集められた。そこでスポブラがトイレのゴミ箱にあったと言われ鈍器で殴られたみたいな頭痛がした。自分で名乗りでなかったがある子が水泳のあとにブラをしてなかったのを指摘してきて私だと確定された。親も先生も何もしてくれないんだと自分で何も反応したかったことを棚にあげてショックすぎて修羅場だった。
年齢が上がるごとに仕事を休みがちになり、ついに鬱で仕事をしなくなって一日中布団で寝るようになる糞以下男。病院にいくが改善せず、家族に嫌われるが理解しようとしない。はっきり覚えてないがスルーすりゃよかったが指摘されて逆ギレとかザラだった。妹に矛先行きそうと思ったらヘイト向くようにわざと怒らせたりした。母親は傍観で殴られそうになってもオロオロするだけで立ち向かうことはなかった。この時期は少し自殺願望があったので殴られて死んでもいいとか思ってたが、何故か直接殴っては来なかった。柔道の有段者の癖にビビリの糞以下男だった。ある時、二階にいた時にどんな流れでそうなったか覚えてないが襟首捕まれて殺すぞと凄まれた。泣きながら、やれるならやれ人殺し犯罪者とか言ったと思うけどここでもビビリ散らかし凄むだけ凄んでもどっていった。わたしの中では滅茶苦茶な修羅場だった。その時のせいか男性に詰められるような状況になると涙が出てしまうようになってしまった。
家庭環境がクソなのを自覚してたので友人付き合いとかほとんどスルーしてたけど、六年の時に足を骨折したおかげで修学旅行はクラスでカースト上位の子と同じグループになれたのは良かったし、めちゃ気を遣ってくれた。
某所の見学で狭いから車椅子入れないし、以前家族旅行で行ったことがあるからとそこの見学はパスして教頭先生とゆっくり外を見てから集合場所にいったが説明とかされて時間がかかり、集合時間遅れそうになったのがプチプチ修羅場w
中学になっても一人でいた。クラスの係で一緒になった子と友達になるようにと担任からの圧があったが、その子と身長の話になって二桁目と一桁目を逆に答えてしまったらその子の前からの友人に笑いながら話されたのがプチ修羅場。例えば身長が139なのを間違って193と答えたみたいな感じ。それを私と全然しゃべったことない子に報告とかさ、あ、無理だって必要以上に関わろうとはしなくなった。これも友人つくらない要因の一つとなったのかもしれない。
高校一年になり、家庭訪問があって、私がイラスト描くのが好きと知ってクラスの人の顔を覚えるために全員の顔を描くことを進められる。
てかイラストと似顔絵の違いを理解してない担任に頭抱えそうになった。プチプチ修羅場。
二年の時の修学旅行での班分けがぐちゃぐちゃだった。◯◯の時はあの班△△の時はこの班と別の班になったりしてて、某テーマパークで個人的に別の方に行きたかったが却下されたので黙って従った。(家族旅行で来たことあった)アレ乗りたいとかいう癖にそちらに行こうともしないし、その時に足を怪我してた子がいて車椅子だったので車椅子でも簡単に乗れるところを探してグダグダしてた。ファストパスを最大限に使い楽しんだ班もいたが、はっきりとあそこに行くとかもいわない、私は絶叫系とか苦手だったし、来たくない方に来てるのでまったく提案しなかった。ついに何も乗らないとか焦りだしたので家族旅行ですぐ乗れて車椅子も比較的簡単に乗れるアトラクションを進めてそれに乗った。なんだよこいつらバカかよと内心思ってた。んで、車椅子が一人いたせいか集合時間に間に合わなかったので怒られた。でも比較的におとなしめの集まりだったのでお咎めなしだった。(まぁ車椅子連れてたらというのが考慮されたのかもな)
そして、何故かホテルの部屋でベッドの1つが簡易ベッドだったが、私が普通のベットにいったら簡易ベッドに行けと攻められクソがと思いながら泣きながら寝たのが修羅場。
別の日の旅館の部屋割りを決めた時に漫研に入ってたんだけどその担当の先生が副担だったのできてたんだが、仲良くはなかったが漫研のメンバーのいる班に割り当てられたのがプチ修羅場で針の莚状態でしんどかった(遠い目)
更に別の日も別の班だったが、こちらはギャルぽい感じの子ばっかりだったけど上記の子たちよりも優しくて泣けた。
高三になると精神状態がヤバくなってきて自転車通学中にトラック突っ込んでこないかなとか車に引かれたいと毎日願うようになってた。修羅場。
卒業写真の個人撮影で真顔をしていたつもりだがカメラマンさんには寂しい目をしてると指摘されて内心プチ修羅場だった。てか、家族や担任から指摘されなかったから外から見たらヤバイ状態だったと思う⋯。今振り替えれば、死ぬことしか考えてなかったし、友人とか一切作らなかった。
ひとまず、就職して家を出たかったので県外を志望し探す。ギリギリまでやる気なかったがどうにか受かったところへ就職。ちなみに面接の時に方向音痴拗らせて逆方向の電車に乗り、迎えにきてもらうという失態をやらかして修羅場だった。
会社が借りたアパートに社宅として住むように。前住民がきちんと処理してなくて別の名前でガスの請求がきて修羅場。自転車での帰りに歩道に乗り上げるときに転倒し一張羅のスーツのズボンが破れたのも修羅場。泣いた。
住み始めて数ヵ月で会社が移転のために引っ越しする事に⋯。これもプチ修羅場
か?
総合事務で就職したが電話とるのが下手なままだったからか工場に回されることになって修羅場。社長とかに攻められるような言い方されて涙流したりとかよくあった。工場は朝6時から終わるまでで早ければ午後3時までもあったが忙しければ夜11時とかイカれた時間まで仕事をしていた。二つしたの子もいたがその子はそれよりは早い時間に電車で出てきてた。それを言われもっと早く出てこれないかと言われたが朝は弱いから無理だと譲らなかった。もともとから精神的におかしかったから余計に病んでたと思うし、一人で隔絶された感じの場所を担当させられてたから食事どころか休憩しない日も多くなっていった。一度気を失って数分倒れてた時もあったが奥で誰にも気づかれなかったの修羅場かな?
ある、遅くなった日先に工場長か帰り、一人で作業を終わらせ完成品を冷蔵庫に仕舞ってるときに変なテンションの会長が現れ、キスをしてきた。完全に混乱していたが舌を入れられるのだけは阻止した。気が済んだのか二階の事務所に行った。
そのあとは必死で何度も気持ち悪くて洗った。修羅場過ぎてそのことを二歳下の子に引き継ぎの手紙に書いて翌日休みだったので普通に休んだ。その子は母親にその手紙を見せたらしく会長の内縁の奥さんに伝わり謝られて終息の形となったが、奥さん曰く映画とか食事とかホイホイ付いてくのが悪いって⋯知るかよ、こちらとらまだまだ未成年だ!当時は大人しすぎてほぼ泣き寝入りだったのでそれが大修羅場。会長の事は少し距離おいてる感じにしてたら二歳下の子なんか知らんが、注意してきた。内心同じ事されろやとか思ってた。
長時間労働者とセクハラがあって病んで病んで朝が起きれなくなって遅刻が多くなった時に工場長がぶちギレて来なくていい辞めろ発言。しばらく泣いて母親に電話して仕事を辞めることを言い会社、奥さんに工場長が辞めろと言ったら辞めると言い部屋を片付け始める。2、3日で道具持ち出し掃除完了して実家へ。荷物も大して広げてなかったし、以前引っ越して段ボールもとってあったから片付けは早かった。
ちなみにその時は離婚して糞以下男は居なくなってたので心置きなく戻った。
それから二年位仕事せずにいたが地元の本屋にパートで働くことにした。
ま、そこで糞以下男が現れ、縁を切ってるからわたしの事を聞いてきたと言ってきた人には自分には父親はいないと伝えた。自分がレジにいた時に会計にきた時は咄嗟に靴紐を結び直すふりをしてやり過ごしたこともあった。
ある時から精神的な病気ぽい人がやたら声をかけてきて対応することがあった。ある時そのひとから糞以下男が還暦でお祝いするから来てくれとか言い出した。プッチンきて糞以下男が自分にしてきた仕打ちを泣きながら話したら驚いてた。ちなみにその人も祖母から似たような事をされていたと話した。その人はしばらかは声かけてこなかったが時間がたつと本の事を少しづつ聞いてくるようにはなってた。
それで還暦はどうなったか知らないが唯一(かどうか知らんが)の友人無くしてざまぁと思った。
それから色々あって本屋も辞めて別の仕事したりしてたら正社員で働かせてもらうところがあったのでそこに就職。社長はとてもよかったが専務(社長の息子)がこりゃまたパワハラ野郎だった。何故か事務所の人間は工場を手伝うの絶対とか考えるアタオかだった。あと、事務の先輩もパワハラ女で疲弊し、目眩と頭痛と胸の痛みが出てしんどくなり過ぎて社長へ辞めたいと置き手紙を残す、パワハラ女解雇されるが専務のパワハラが酷くなるのと補充された事務の子は畑違いからでまともに電話出来ないし、教えたことを何度も間違えるという頭抱える問題児。フラフラでしゃがみこむことが増え、リスカもしてた。ある時、階段を降りる時に踏み外し落ちる。たまたまパートで社長の娘さんに見つかって病院に⋯めまいの薬とロキソニンを処方される。別途、心臓専門の病院へ行き精神安定の点滴を打ってもらい、安定作用のある薬を処方してもらう。
色々といっぱいいっぱいになり繁忙期が終わって辞めるのを決意。
退職願を社長の机に置く。事務所の人には休憩中に◯月から来ないからと宣言したが本気にとられないので内心ぶちギレて放置。普通に働く。
社長からは続けてほしいと願い出られるが無理だと再三⋯
どうにか辞めてられて良かった。
それと同時期くらいに糞以下男が死んだらしいと警察から連絡がくる。名前を聞くだけでも不快になるのに説明しても理解しないで身元確認の協力を要請せれたが何を言っても理解されなかった。身元確認して死んだことがわかった方が安心するだろうとかおまえはキチガイか?関わりたくない人間に身元確認させんなやと思った。これのせいか度々当時の事を思い出してしまって喉が苦しくなってしまう。
警察は被害者の苦しみを理解しないサイコパスだと思って修羅場。
その数年後⋯現在だけど最近になって保険の担当の人が挨拶に来た時に、その人は前の会社の社長の娘さんと繋がりがあって教えてくれたんだけど社長が亡くなったと⋯
結局は専務は継いでないぽいのと娘さんとその旦那さんが色々動いてるらしい事を聞いたのでいろいろと思い出して全部溜め込んだものを吐き出したくて書いてみた。




