メルセデス
「真実の愛、とはなんでしょうか、母上」
「アストライア様の前では口にしない方がいい言葉だとは思うけれど。どうかしたの、メーチェ?」
先日、学園の中庭で東の国の留学生であられるサヤカ王女殿下に対して王太子殿下がそう仰っておられた、と言い終える前に母上が手にしていた包丁が粉砕した。
「あら、手が滑っちゃったわ。ねぇ、王太子殿下って、あの王太子殿下?カトリーヌ公爵令嬢とは政略結婚で愛は無いと言って、貴女を最愛の側妃として娶る心づもりでいるとアストライア様に宣言した、あの?」
笑ってはいるが、見る者を震え上がらせる冷たい目をして、母上はそう言った。
「我が国は確かに側妃制度はあるけれど、後宮制度は無い筈よねぇ」
「はい、私も父上からその様に教わりました」
父上の書斎からは、「何が真実の愛だクソッタレ!!」と叫び声が聞こえる。
不貞の相手を娶る為に口にする者が多いと父上が嘆いていた『真実の愛』。
まさか、自分がその立場に立つ事になるとは思わず、一周まわって殿下への想いは急激に冷え切ってしまった。
「しかも、サヤカ王女殿下は蛇龍でしょう?」
正気の沙汰とは思えないわ、と母上は言った。
東の国の王族は男は蛇龍、女は蛇龍と呼ばれている。蛇の系列の妖怪や妖精の中でも最凶クラスに執念深く、嫉妬深い性質を持っていると幼年学校の授業で習った事がある。
仮にサヤカ王女殿下を「真実の愛」の相手だと言うのならば、それ相応の誠意を見せなくてはならない。
それこそ、婚約者であるカトリーヌ公爵令嬢や側妃候補の私の存在を知られたなら焼き殺されても仕方ない、と言えるくらいの覚悟が無ければ無理だ。
殿下はイヤな事からは逃げる性質だ、そして、人間であるが故に生への執着も強い。
鬼子母神である母上が、サヤカ王女殿下との一件を耳にしただけで包丁を粉砕したと聞けば逃げる。
嗚呼、私はあの男のどこが好きだったのだろう。
後日、母上様の部屋には王太子殿下に似た人形が幾つも置かれ原型を留めていない状態で回収業者に回収される様になったそうな。