3.God Bless me.
『なんだってんだろな・・・全く』
いっそ知らん振りして、見なかった事にして、どこかに消えてやろうか。
そう思った。
そうしたほうがいいと、大人の僕も言っていた。
なのに、足は彼女の背中に向かっており、彼女のやわらかい香水の薫りが分かる距離に来てしまっていた。
彼女の背中は小さくて。
どうしてだろう、声をかけたら、あの時の、あの名前を読み間違った僕を見上げてくれたときのように困った顔をしているような気がした。
一度溜め息混じりに顔を俯けて『じゃあ僕はどんな顔をすりゃいい?』なんて思う、その感情を振切る様に勢いよく眼差しを上げた。
「よ」
電光掲示板を見つめていた春陽は一瞬だけ小首を傾げた後、そのぶっきらぼうな声にゆっくりと振向いた。
「ぁ」
背後から声を掛けた時は、両親ですら驚かせてしまう怖面で大柄な僕を、彼女ならこんな風に自然に受け取り。
「お疲れ様です」
と淡く笑ってくれる。
彼女はいい娘だから。きっと誰にもそんな風に接してくれる筈だ。
けれど、分かっているのに、その違いの意味を子供っぽく考え過ぎる僕がいる。
「お疲れ。そっちも仕事?」
「うん。そう」
「お互い人使いの荒い会社にお勤めだな、く」
クリスマスの日にまでさ・・・苦笑しながらそう続けようとして、あわてて言葉を呑んだ
。
「本当だね~進藤さんのトコも相変わらず大変だよね」
そんな僕には露ほどにも気付かずに、困った様な顔で彼女は笑う。
「電車は・・・やっぱ動いてないか」
「うん。私も20分くらい待ってるんだけど、なんかダメみたい」
「参ったな、まだ明日もあるってのに」
「本当。こっちはクリスマス返上で働いてるってのに神様って意地悪よね!」
「・・・全く同感」
気にし過ぎたかな。
彼女の膨れっ面を横目で見ながら、僕は少しだけ含み笑いを漏らした。
こんなロマンチックな夜に、ホテルか何処だかで神様に感謝しながら肩を寄せ合うカップルもいれば、動かない電車のことで神様に悪態を付く残業帰りの男女がいる。
全く世の中ってのは面白く出来過ぎだ。
「ん?なに、また子供扱いですか?」
笑みを浮かべる僕を見つけて、ちょっと不機嫌そうに眉を吊り上げる。
「いいや、違うよ。さっきまで俺も同じ事考えててさ。言ってもらってスッとしただけさ」
見つめた先には相変わらず運転見合せ中の6文字が見る者の心細さなんて気にも留めずにしれっと流れ続けている。
「ハァ。このまま待っててもしようがなさそうだな・・・飲みにでも行って時間つぶすか?」
「わ!オゴリ?」
「バカ言うな。給料日前だろ」
「ちぇー進藤さんトコの方がお給料良いのに」
「お前んとこは残業代フルにつけられるじゃないか。俺なんか今日は7時には帰ってる事になってんだからな」
「え~っキツイねー・・・て、そんな弱み、女の子の前で喋ってると、今にモテなくなるよ」
「ほっとけ、今でも十分モテてねーよ」
いつも通りのそんなじゃれ合いを交わしながら、僕らは駅前の飲み屋街へ歩いて行った。
「桜菜やでいいか?」
「あ、うん。私もご飯まだだし」
飲み代を出す、出さないは不毛なようだが、毎度の2人の話題だ。
そしてこの話は店を出る頃、再燃する。
で、その頃には何故だか成り行きが逆転している
「俺が出すってば」
「いいですぅ、あたしも払いますぅ!」
なんてな事になる。
『オゴって』なんて調子のいい事を言う割には、春陽は自分の勘定を人任せにしない。相手が男の人だと特にそうなるのだと、以前恥ずかしそうに話していた。きっとそういう、律義というか潔癖というか、本人も自認するように『損な』性格が春陽という娘なのだろう。
以前はいくら言っても必ず割り勘にしかさせてくれなかったものだが、仲良くなった甲斐もあってか今はもう少し柔軟で、多分今日も7:3の払いくらいにはなる筈だと思う。
まあ、お互いに裕福という訳でもないし、金をいかに多く払うかで頑張っているなんておかしな話なのだが。
「また笑ってる・・。なにか良い事でもあったの?」
めざとく僕の顔を覗きこんで春陽が不思議そうに首を傾げて微笑む。
「良い事かあ・・・。どうかな」
「え?」
「いや、なんでもないさ」
ただ、どちらにしろ神様は本当に余計なお節介を焼くんだなって思えただけだった。