2.First Contact
『はる・・・ひ?』
最初に思ったのは。
変わった音色の名前だということ。
初恋の相手と名前が似てるということ。
今年の4月に同じフロアのグループ会社へ派遣社員として彼女はやってきて。もちろん初めて会う僕は、彼女の顔も名前も当然知らなかった。
取り立てて印象に残っていたわけではない。目を引く美人と言う訳ではないし、その印象はどちらかと言うとぼんやりとした暖かな雰囲気である。今聞かせれば彼女は方を膨らましながら笑うことだろうが、とても目立つ存在とはいいがたかった。
それに、なにより新年度の時点で職場の話題が集中するのは良くも悪くも人騒がせな新入社員の連中である。どちらかというと他人に干渉しない僕の性格もあるし、テキパキとそつなく仕事をこなす事の出来る彼女のことを噂で聞いたとしても、全く頭に入っていなかったのが正直なところだった。
彼女が正確な存在として僕の人生に登場したのはある昼下がりのこと。
「こんにちは」
見知らぬ女性から、仄かに微笑んで会釈されたのである。
挨拶をするという、バカみたいに単純な習慣すら守り抜く事が出来ないカッコ悪い僕にとって、その当り前を当り前にやっている、ただそれだけの彼女が少し眩しく映った。
それがまだ名も知らぬ彼女だった。
その人が変わった音の名を、初恋の人と似てる名を持つ人だと知ったのは、それから一月もしない日のことだ。
ビルの入館証が落し物になるのは珍しいことではない。
けれど『香宮春陽』という名前の書かれた入館証が落し物になるのはやっぱり珍しいことなのだと思う。
『なんて読むんだろ、かおるのみや、しゅんよう、か?』
坊さんとか貴族とかの家系なのか?なんて、ちょっとフザけながら僕はその名前を読み上げた。・・・今でも、これは後悔の元であり、事あるごとに彼女に馬鹿にされる原因であり、国語の弱い人間が偉そうに茶化したりするもんじゃないというよき教訓でもある。
『かみや、はるひって読みます』
直後に掛けられた背中の声に僕は飛び上がるほどギョッとした。
『や、ヤバイ』
ひょっとして本人か?…と恐る恐る振返ったそこに立っていたのが、あの挨拶の上手な女の子だったのだった。
『かみやも、はるひも…どっちもやっぱり読み難いですよね』
相当無神経に名前を読み間違った僕を、彼女は怒った風もなく、ただ困った顔で見つめながらため息をついたのだった。
『あ、そ、そうなんだ。いやあ、良い名前じゃないかな?』
『え、あ、そうでしょうか』
何を言ったかよく覚えていない。
とにかく僕の気まずさゆえに、一方的にカードを渡すと、一言二言、お礼でも言って言われて、そそくさと別れた気がする。
出会いとしてはワリと最悪の出会いだった。