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無明の永夜

千早の死、そして再び孤立する梓。

梓にとって意外なことに、呪術を極める決意を胸に現れた若芽。

全てを押し流すように、鬼の襲撃が始まります。

 千早を荼毘(だび)に付した煙が一筋の龍となって闇空へと立ち上り、やがて薄っすらと消えて行った。通常、人が亡くなった場合は故人の亡骸(なきがら)を見守りながら一夜を語り明かす通夜なる儀式が有るらしいが、戦いの果ての死こそ(ほまれ)として聖職者による儀式などのすべてを惰弱(だじゃく)で無意味と見做(みな)す鬼狩りには、少なくとも加鳥の里にはそう言った風習は無い。

 もっともそんな物が有ったとしたら、こうして彼女の死を見送ることができただろうか。そんな事を考えながら梓はその炎の勢いが、彼女が最後の瞬間に絞りだした戦意の残り火のように感じながら、自分と距離を置く加鳥の里の人々から浴びせられる冷たい視線を感じていた。

 あの後彰彦と勇人を探しに現れた家族に発見された梓は、問われるままに状況を語った。自分が(おび)えて千早の決意を無にしたことも。もしも鬼が気紛れを起こしてそのまま立ち去らなければ、里全体が壊滅の危機に陥っただろうことも。だから今冷遇されていることに梓には何の不満もない。ただ今回もまた恐怖に飲み込まれた自分が憎らしい。そしてその感情に付いてきた、生まれつつあった里との絆が永久に失われた事への寂しさ。

 鬼と遭遇(そうぐう)するたびに直面させられる負の感情のカクテルに翻弄(ほんろう)されながら、今更に沸き上がり燃え盛る瞋恚(しんい)の焔に八つ当たり気味の怒りが加わる。今度こそ、今度こそと思って既に三度、もはや次の機会にはこの身を焼き焦がすような激甚(げきじん)の火炎に身を任せて突撃してやろうか。いや奴らを相手にやけくその特攻など何の意味もない。そんな事を考える内に、燃やす物を失った赤く揺らめく光は徐々に頼りなく陰っていった。その光景に短すぎる初恋を思った梓は、涙を流しながら骨を拾う若芽や家族を見ていられず、家へと帰って狭い部屋で布団に(もぐ)り込んだ。


「おい、彰彦。今日も呪術の修行に行くのか?」

「行くわけないだろ!誰があんな臆病者の所になんか!」

 次の日にはもう千早の死など忘れたかのように加鳥の里は日常へと戻って行った。余高の里の救援で大量の死者を出した後の日もすぐにルーティンを取り戻したが、これが鬼狩りの流儀だと言えるだろう。そんないつも通りの午前、体術鍛錬の後に休憩を兼ねた軽い昼食の間、まだ声変わりの前の甲高い声が梓を拒絶する声が聞こえた。だが予想はできた事だったので梓の心が動くことは無かった。恐らく若芽も勇人も来ないだろう。また一人で修練を積む日々が始まるのだろうな。そんな少し寂しい結論を胸にいつもの倒木の空き地へと向かうと、あにはからんや既に少女が一人で瞑想に入っていた。

「若芽?」

「あ…先生」

「来ないと思っていたけど…」

「…先生の事は許せないよ。だけど…今日も武術の鍛錬を受けていて思ったんだ、私には多分この道しかないなって」

「…そうか…」

 少女の歳に似合わぬ深い決意に敬意を表して、青年はそれ以上何も言わずに草の上で結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢を取って瞑想に入った。鋭く鼻腔から生気を取り込み、少しすぼめた口からゆっくりと吐き出す。ひと呼吸に一日を掛けるイメージで最初はやや浅かった呼吸を徐々に徐々に深めていく。半眼の(まぶた)の裏に浮かぶのは昨日の殺戮(さつりく)、いやほんの一瞬の暴力の光景。寸暇(すんか)の間胸が詰まりかけたのを、必死で制御して深呼吸を続ける。ややあって意識は深層へともぐりこみ半眼から無意識で入ってくる光景は色界で再構成され、梓は天頂からやや緑のまばらな林の中、倒木が作った空き地で座禅を組む自分の姿を脳裡(のうり)に浮かべる。耳からはまだ未熟な若芽の少し強い呼吸、さやかに鳴る風が草を撫でる音、やや強く響く葉鳴り…そして突然の、緊急を知らせる鐘の音。

「「!」」

 それは本来ならば昨日響くはずだった、村の中心で鐘を連続で何度も鳴らして鬼の襲撃を知らせる音だ。慌てて立ち上がった二人は顔を見合わせる。どちらの顔にも恐怖と緊張が浮かんで見て取れる。まず口を開いたのは若芽。

「先生、大丈夫?」

「いや、わからない…だが行くしかないんだ」

「そう…じゃあ一緒に!」

 (うなず)き合うと、青年と少女は走り出した。故郷を守るために。誇りを取り戻すために。


 打ち鳴らされる金属音に気付いて里へと駆け戻るまでは数分。だがその間に既に村のあちこちから火の手が上がっていた。

「鬼はどこだ⁉」

 ()き立てられるように梓は質問を繰り返すが、梓を一目見た加鳥の里人はふいと目を(そむ)けて返事を寄越さない。

「とにかく…一旦家に行こう」

 若芽の提案に従って、彼女の…千早の家へと向かう。

「お父さん、お母さん!」

「おお、若芽か…ん、む…」

 若芽が駆け寄ってきたのを破顔して迎えた勘十郎が、後ろに付いてきていた梓を見て顔を(しか)める。

「あんたも付いてくるのか?」

「何ができるかは判らないが、鬼たちの方へ向かうつもりだ。ひょっとしたら俺を(なぶ)り者にすれば奴らの気が済むかもしれないし」

「ふん…」

 鼻を鳴らした勘十郎が(あご)をしゃくって梓の行先を説明しようとすると、もはや嗅ぎ慣れてしまった悪臭がただよってきた。思わずそちらを見ると地を揺るがすかと錯覚させるような巨体が現れた。この化け物に隠形(おんぎょう)などができるとも思えないが、里全体が騒乱の渦中(かちゅう)にある事からその気配に気付かなかったようだ。

「おのれ、鬼め!」

 反射的に体が凍り付きそうになった梓だが、佩刀(はいとう)をすらりと抜いた勘十郎の大喝で硬直が解けた。

「貴方たちは避難するメンバーでは無かったのか?まだ若芽が戦うのは無理だろう」

「奴らを目の前にして逃げる事などできるものか!あんたのように逃げる口実を探すような臆病者に指図される(いわ)れは無い!」

 あまりにも無茶な言いがかりだったが、使命感に(たけ)り立つ勘十郎を理屈で説得するのは、彼の言う通り逃げ腰であることが事実の、しかも余所者には難しそうだ。なにより本人にも驚いたことに、いつもなら直ぐに恐怖に負ける青年の体は鬼の姿を見た途端に(まぶた)の裏で昨日の千早の死体を繰り返して再生し、復讐心の余りに戦意を保っている。あまりにも(たかぶ)憤怒(ふんぬ)のあまり、効果的に呪術を練ることのできる冷静な精神状態に心を落ち着けることもできないでいるが、これならば湊と若芽を(かば)う程度の事はできるかもしれない。

 やや震える腕にも、心中で喝を入れて力一杯拳を握り締めれば握力が戻ってきた。自分の体の反応に励まされて、梓も勘十郎のものには質で劣るものの、よく手入れのされた愛刀を抜いて初老の男の隣で構える。その様子を見た男はやや戸惑った様子で尋ねる。

「どうした、逃げんのか」

「確かに俺はどうしようもない臆病者かもしれない。だけど…もう、何もできずにただ見ているのはごめんだ!」

 ()えた。力一杯。最後に一滴残った怯懦(きょうだ)も砕けよとばかりの獅子吼(ししく)は、理屈も今までの(わだかま)りも吹き飛ばす効果があったようで、勘十郎は黙って頷き梓に(かたわ)らを預ける。

「勘十郎さん、今の俺は冷静ではないがそれでもわかる。鬼は圧倒的だ。二人で何とかなるような相手じゃない。誰かが背後から斬り掛かってくれるのを待って、守りに徹するべきだ」

「わかった。今のあんたは信じられる。チャンスが有れば例の呪術とやらも使ってくれよ」

 正直その要望には応えられそうにないが、今は言うべきことでもない。頷くと老若の男たちは背後の女たちを守るために、絶望的な撃剣(げきけん)を演じ始めた。


「やあぁぁっ!」

「きぇぇい!」

 初手に牽制(けんせい)としてその巨木のような左脚を()いでから、何度鬼の武骨な拳と鋭利な刃を交錯(こうさく)させただろう。梓も勘十郎も千早の無惨(むざん)な死にざまが頭から離れないのは同じだが、その感情を制御して冷静な使命感に昇華(しょうか)させている勘十郎と対照的に、梓は胸を()きむしりたくなるような焦熱(しょうねつ)に支配されて無謀なほどに激しく打ち込む事も、背筋の凍るような恐怖に負けて動けなくなる事も有る。

「ふぬっ」

「っ…ぬぁっ」

「がぁぁっ!」

 だが二人を相手取る鬼としては梓の不安定さが厄介な様子だ。そもそも鬼たちは梓がひたすらに怯える様子を見て楽しむために集まってきている。その梓が好戦的な感情を(あらわ)に立ち向かってくるというのが予定外で戸惑っていたようだ。

 だが梓が戦えるとなれば結局、絶望的な状況で使命感に()き動かされて戦う、鬼狩りどもとの戦いだと鬼は割り切ってしまったようだ。最初の数分、梓と勘十郎が息を合わせて振るう刀と、そして後ろに控えながらもいざとなれば一足で飛び込んで切っ先を付き込もうと腰だめに構える湊を相手に様子見していた鬼は、生来の身体能力を生かして小癪(こしゃく)な人間を圧倒することに専念するようになった。

 複雑な虚実を重ねた一刀をその動体視力で見切って振り払い、的確に拳の軌道を読んでその途上に置いた(まも)りの一手を力任せに突き破り、次第に鬼の攻め手が激しく男たちを翻弄(ほんろう)し始めた。段々拳を刀で抑えようとしてもその拳勢に押されて刀が持ち手自身を叩いてダメージを喰らう事が増え、そしてとうとう鬼の振り抜いた張り手が梓を弾き飛ばした。

「うぐっ!」

 一瞬瞠目(どうもく)した勘十郎はしかし梓の様子を無視して一人で挑もうとする。その敵意に応じた鬼は、その間隙(かんげき)こそその時と、忘れられかけていた湊の飛び込み突きを、完全に無視して勘十郎へ渾身(こんしん)の一撃を叩き込む体勢を取る。湊の刃がわずかに皮膚を抜いて肉を(えぐ)り薄汚い血液が飛び散るのも構わず、跳ね飛ばされて梓とは逆の方向へとゴロゴロと転がっていく愛刀を取り落とした死に体(しにたい)の勘十郎に追いすがる。夫の命を救わんと背を向けた鬼に湊が放った大上段からの唐竹割は、鬼の巨体に似合わぬ俊敏さに空を切った。妻子の絶望的な叫びが聞こえたかどうか。半瞬の後、鬼はその毛むくじゃらの図太い脚で勘十郎の頭を踏みつぶした。

 その酸鼻の眺めを立ち上がりかけていた梓は真正面から見てしまった。勘十郎の少し白いものが混じり始めた頭が柘榴(ざくろ)に変わり、女の二色(ふたいろ)の悲鳴が共鳴する瞬間。それは同時に、梓が今まで千早を殺した鬼への復讐心で蓋をしていた恐怖の釜が開く瞬間でもあった。一瞬共闘を望んで青年を見やった女は、その男がまたしても鬼狩りから一介の凡夫と化したことに気付き、自分一人で立ち向かうことを決めて怒声を張り上げる。

「覚悟なさい!化け物!」

 だが元より二人がかりで防戦を強いられていた強敵。性別など超越した所にある戦士と言えど、女一人で太刀打ちが(かな)うものではなかった。一手、二手と拳と刃を交える内にあっという間に防戦一方となり、そして更に拳が振るわれるたびに左右に体を揺すられるだけの木偶(でく)()した。湊が今まだ立ってそこに有ることができているのは、勝利を確信した鬼が彼女をいたぶるのに熱中しているからだ。

「お…のれ…化け、物…っ!」

 それでも湊は夫を、そして娘を奪った怪物への敵愾心(てきがいしん)を失っていない。それが判っていて(なお)、梓は(あふ)れ出した恐怖に支配されて助太刀することができなかった。そして鬼の襲撃を今まさに受けている加鳥の里において時間は人類の敵だ。他の場所の鬼狩りを殺して返り血を全身に浴びた鬼がもう一匹現れた。鬼たちは梓には理解できない言葉で何やら相談を交わした結果、まず湊を(ほふ)り去ると決めたらしい。全身ぼろぼろで体幹も定まらず、むしろ左右に(はた)かれ続ける事でようやく立っていたような女の腰を不気味なほどに太い両腕で(つか)んだ。

「ぐぅぁっ!な、なにを…」

「おかあさん!」

 そして悲鳴をあげる湊と鬼の脚ならば一足の近間で母の勇姿を見守っていた若芽の、恐怖と勇気の陰陽心を知らぬげに力一杯握りしめた。ゴキリ、そんな音が聞こえそうな勢いで湊は文字通り腰砕けとなり、地面へトサリと落とされた。

「おかあさん!」

「わ…か、め…ダメ…逃げな、さい…」

 ボロ雑巾のようになった母に駆け寄る娘、娘を案じて逃走を促す母、両者を見て呵々大笑(かかたいしょう)した鬼の片割れは、若芽の父親にした如く力一杯彼女の母親の頭を踏み抜いた。

「おか…おか、あ、さん…おかあさぁん!」

 もう一方の鬼は駆け寄ってきたまだ戦う事も出来ぬ少女をどうやって楽しむかを思案する風情で、とにかく逃がす物かと若芽の着物の襟首(えりくび)を摘まみ上げた。

 

 このままでは殺される。若芽も。千早と同じように。その光景を見た梓はその先の悲劇を幻視した。恐怖にガタガタと震える若芽の姿に、何故か(つたな)い火炎の術を成功させてほころぶ彼女の笑顔が重なった。千早の無惨(むざん)な死に顔が浮かんだ。脳裡(のうり)に焼き付いていた真垣の里の同胞、加鳥の里の鬼狩り、焼けて灰となる余高の里の惨状(さんじょう)。動け。動け。動け。動け。動け。今動かねば全てが無に帰す。鬼狩りの誇り?真垣の名誉?知った事ではない。今必要なのは目の前の少女を鬼の手から取り返す事だ。梓の頭脳は若芽の救出で一杯になり、再びよろよろと立ち上がり、不審げにこちらを見た鬼がもう一度若芽を確認し、

「やめろ…」

 梓は疲労困憊(ひろうこんぱい)の体に鞭打って鬼に飛び掛かり、鬼はまた梓を見てニヤリと笑い、

「やめろおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 鬼は若芽の顔面を飲み込み、力一杯首筋に歯を立ててへし折ると、少女の涙と(はなみず)(まみ)れた首をペッと吐き出した。

「うわあああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 その夜、加鳥の里のあちこちで聞かれた慟哭(どうこく)に新たな声色が加わった。

読んでくださってありがとうございました。

ところでノリノリで書いてしまった若芽の最期、セルフレーティングは必要でしょうか。読んでくださった方の意見が知りたいです。

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