陽だまりの季節
呪術の指導を通じて、徐々に梓は加鳥の里へと受け入れられるようになっていきます。
梓は当初、預けられた子供たちの士気をやや危ぶんでいた。しかし修行の出発点である精神統一が武道に於いても行われるものだからか、少年少女の教育は順調な滑り出しを見せた。梓がそれを率直に評価したため、彼らは子供らしい素直な自己承認欲求も手伝って、修行に意欲的に取り組む気配を見せていた。
特に若芽は単に呪術の師という事だけではなく梓に懐く気配を見せ、修行にも少年たちよりも身が入っているように見えた。若芽が家族にも梓に慕っている事を話したのか、若芽の父母や姉も里では孤立しがちな梓を気に掛けるようになり、今までは梓が自分の為だけの事だからと適当に済ませていた食事を、若芽の家族と摂るようになった。
「よし、乱稽古そこまで!」
梓もそしてその弟子となった子供たちもほぼ呪術専門と見做されてはいるが、連携の質を高めるためという理由も有り、少しずつでも時間を作って梓自身も加鳥の里の洗練された近接戦闘術の修行にも参加している。今日も4人全員、午前中だけでもと訓練に参加し、みな滴るような汗を流しながら、水筒の冷水を喉に流し込んでいた。午前の訓練は終了し、今は握り飯と肉団子を頬張っている。育ち盛りとて物足りないものもいるかもしれないが、午後も激しい訓練を行うのだからと、最低限の栄養だけを詰め込むのみだ。
「おう、貴様らは午後は呪術とやらの訓練に行くのか?」
そんな小休止の時間に、ちょっとした声掛けをしてくれるものも出てきた。訓練を途中までで切り上げることに対する皮肉は感じるが、それでも弟子となった子供たちとその家族を通じて、少しずつ梓と子供たちが彼らなりのやり方で鬼狩りとしての修練を積んでいることが理解されているのだ、と梓は少しずつ呪術、ひいては真垣の遺伝子が加鳥の里に根付いていくことに喜びを感じていた。
「今まで聞かずにこちらの都合で済ませていたのだけど、梓さんは好き嫌いは有るのかしら?」
里の者に受け容れられ始めているという梓の実感を証明するように、若芽の家族は日に日に梓との距離感が近くなっていた。父の勘十郎も、母湊、姉千早の誰も、若芽を愛してやまないが、だからこそ鬼狩りとしては見込みがないと思われていた末娘が、なにかしら里に貢献できるというのが嬉しいのだろう。
「あず…」
話題としては単純に食の好みを聞かれただけだが、千早からとうとう真垣ではなく梓と呼ばれるようになった梓は、なんとはなしに緊張してしまった。千早も加鳥の里の一員として一廉以上の武術家でもあるのだが、加鳥に関わらず鬼狩りの里の女性全般が闘いに不向きだという理由で髪は少年のように短くしている者が多い中で、彼女は珍しく背中程まで伸ばしている。単におしゃれというのではなく、戦闘時に髪を故意に流してみせることで動きを幻惑させる技術が有るという事だが、25歳というやや自分より年長の女性に対するあこがれも相俟って、梓は時折彼女にドギマギさせられてしまう。千早はどうやら梓が意識しているのを承知で敢えて女性的に振舞っている様子で、今も突然呼び方を変えてみせたのはそういう意図が有っての事だろう。
「あら?どうしました、梓さん?」
「いや、その…好き嫌いは、特には無い、つもり…だが…」
「そうですか…里によっては虫は食べないと聞きますけど?」
「そんな場所も有るのか。真垣の里では当然食べていた。というより子供の時分には野遊びの最中のおやつのようなものだったが…」
「良かった。去年から漬けていたバッタがそろそろ良い具合の香りなので、そろそろ出そうと思って」
「それは楽しみにしている」
「ええ、でも…子供の時分、ですか。私にとっては今の梓さんもまだまだ子供のようなものですけど」
それは恐らく年長の女性に憧れる梓をからかう言葉だったのだろうが、梓としてはむきになって反論してしまう。
「俺はもう18だ。いくらなんでも子ども扱いされるのは心外だ、千早さん」
「そうでしょうか?」
「ああ、そうだ。その…武術で劣っているから半人前扱いされるのは少し慣れては来たが、それでも最近は呪術の使い手としてそれなりに見られている筈だし…」
「周りの目が気になる内は子供の内ですよ、梓さん」
更に反論すればますます面白がられるだろうと思って、梓は一旦戦術的撤退を選ぶことにした。
「あら?どちらに?」
「…長の所へ。以前から話さなければ、と思っていたことが有って」
「そうですか。夕飯、楽しみにしていてくださいね」
「ああ」
ぶっきらぼうに答えると梓は辰巳の屋敷へと向かった。口実にしただけではなく、前々から話しておきたい事が有ったのも事実。それは今後の鬼の動きについての予想について。おそらく加鳥の里では数か月の間に二度も起こった鬼の襲撃で、自分たちの世代ではもう鬼が襲撃してくることはないのではないか、と楽観視しているだろう。しかしあの夜の自分の醜態をことさら楽しんでいた様子の鬼たちが二度と現れない、とは梓には思えなかった。鬼が日本の地理をどんな具合で把握しているのかは良く判らないが、少なくとも辰巳を通じて対策室へ警告しておくのは意味のある事だと梓は考えていた。
「ふむ…貴様の無様な姿を見て嘲笑っていた、か…」
「ああ…悔しいが、あの時へたり込んでいた俺を、確かに鬼たちは笑っていたと思う」
「それで?それを見るために近々鬼が現れると思っておるのか?」
「奴らにとっての『近々』がどれくらいになるのかは不明だが…可能性は有ると思うし、奴らの時間や地理感覚なども、予め予測を立てていれば対策室の資料になるかと思っている」
「それはそうかもしれん。対策室には伝えておこう。それだけか?」
梓は辰巳の確認に頷くと、午前の日課である加鳥の里全体での武術鍛錬へと向かった。実のところ長といっても辰巳も現役の鬼狩りでもあるので、連れ立っても良いのだろうが、受け入れられつつあるとは言ってもまだ外れ者の自分と共に行動するというのは長の威厳に関わると気遣ってのことだ。
一旦自分のあばら家に寄って自分用の刀を回収すると鍛錬が行われる広場へと入った。視線すら向けない者もいるが、何人かは笑顔を作ってくれるようになった。また、若芽とその家族や、彰彦、勇人とは傍まで寄ってきて挨拶を交わす。一言交わしただけですぐ離れていく。梓はまだ幼い生徒たちや、鬼狩りとしてほぼ現役の家族たちとは力量が嚙み合わないので共に鍛錬は積まない。ほとんど引退しかけた体力的に不安を抱えるようになってきた初老以降の者たちと打ち合う。それでさえ、長年技を練ってきた彼らにまさに子ども扱いのようにあしらわれているが、梓は悔しさは感じるものの、真垣の里に暮らしていたころと比べれば長足の進歩を遂げているのを実感している。
一時間ほど激しく打ち合った後、肩で息をしながら愛刀の傷み具合を調べていると、最後に打ち合った天音が話しかけてきた。
「まだ未熟そのものじゃの」
「悔しいが、貴女たちに比べればそうだろうな」
「技の話ではないわ。お主は心が挫けておる。この数か月で負け慣れたのが影響しておるのじゃろうが、お主の話では鬼は人とは比べ物にならぬほど強いというではないか。相手が強いと思って腰が引けるようでは役に立たん」
それは天音自身は知らないが、まさに鬼への恐怖で竦んだ梓の問題点を言い当てていた。だが梓はその連想から希望を抱いた。まず加鳥の里の武人たちに対して勝ち気を以って挑む事ができれば、さらに強い鬼も戦意を保つことができるという事にならないだろうか。
「実戦では役に立たないかもしれないが、闇雲に立ち会うのではなく瞑想なりで心を整えるのが必要だろうか」
「それが良かろうな。それと貴様はまだまだ若い。諦めずに肉体そのものを鍛え上げよ」
「努力しよう…そういえば今日は千早さんに食べ物について聞かれたな。筋肉を付けるようなメニューを中心にしてもらうか」
「なんじゃ?皆からそっぽを向かれておると思っておったが、一回り近く年上の女に食事を振舞われるとは、隅に置けんの」
それも天音自身は知らないが、梓の秘めた恋心を言い当てていた。だが千早の里の中での立場が悪くなるかもという気遣いも有って、青年は慌てて老婆の言葉を否定する。
「違う違う!千早さんがどうという事では無くて、ほら、最近若芽たちに呪術を指導するようになっただろう?」
「成程の。あの子らは体が小さくて戦士としては物にならんと多少諦められておったが。上手くいったものよ」
「そうだな、最初は少し世を拗ねている雰囲気も有って、難物かもしれないかと思ったが…そこまで深刻なものでは無かったし、基礎の瞑想の鍛錬をうまくこなせた事で自信に繋がったみたいだ」
「瞑想…呪術というのはやはり心のありようが重要な物なのかの?」
「ああ。そういう意味では、引退間近のあんたたちも学ぶと良いかもな」
話していると、興味を持ったのか竜蔵や長老の一人である盛吉も話に加わってくる。今までであれば一笑に付されたであろうと思い、言えずにいた梓の提案も全く耳を傾けないという事はない。しかし態度としてはやはり否定的だ。
「この歳で今更じゃの」
「そうじゃの、確かに一線を退いてはいるが技ということでは若い者にも引けを取らんと思っておる。わざわざ新しい技術を学ぶよりは、後進につなぐ事を考えた方が良いわ」
「う~ん…その後進に指導する人間を増やしたいという気持ちも有るんだが」
「残念じゃが、そこまで呪術とやらに期待しておる訳でもないでな。この世代でお主が奮闘することじゃな」
梓としてはやや残念だが、里に影響力のある老人たちに呪術の有用性を理解させるのは難しいらしい。だが体術の鍛錬をサボる口実だと思われない程度には梓の存在も認められるようになってきた。鬼がいつ自分を標的にふたたび近隣に姿を現すか、その事は心配だが、少しずつこの里での生活に馴染んでいけるのではないか、そんな期待を感じる日になった。
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