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新たな生活、新たな戦い

逃走した梓は異界生物対策室の計らいで別の里で生きる事となりますが、異分子である彼は冷遇されます。それでもめげずに復讐のためにと鍛錬を続けますが…

 もう煙の発生源など遥か彼方なのに、何故か火災の臭いが染みついているような山道からヘリコプターで運ばれること3時間、梓は真垣の里よりもだいぶ大きいように見える加鳥(かとり)の里のすぐ傍へと降り立った。大きいのも道理で「かとり」とは、畏れ多いとして文字を変えたものの、武術の神として名高い経津主神(ふつぬしのかみ)(まつ)る、香取神宮に連なる由緒ある里なのだそうだ。

 季節はまだ桜が散って間もない4月の半ば。里が鬼の襲撃に()ったのが夜半過ぎ、それから数時間が経過した今、春の代表的な星座であるしし座は西の地平線に沈みかけているが、東の空もまだ暗いまま。だが梓の鋭い目は里から老いてなお矍鑠(かくしゃく)たるという表現がぴったりの、白い蓬髪(ほうはつ)丈夫(ますらお)が歩いてくるのを認めていた。まだ距離は遠いが、鬼狩りならば向こうからもこちらが見えているだろう。そう考えた梓は背筋を伸ばして老爺(ろうや)が歩み寄って来るのを待ち受ける。ヘリコプターから梓と共に降りた室田もそれに(なら)い、緊張感溢れるひと時を共に過ごす。ややあって言葉を交わすにはやや遠く感じる距離で、出迎えの老爺が立ち止まって声を掛けてくる。

「異界生物対策室の方ですな。ご苦労様です。儂はこの加鳥の里を束ねる辰巳(たつみ)と申す。」

「ご丁寧にありがとうございます、加鳥の辰巳様。わたくしは異界生物対策室の室田と申します。こちらが連絡した真垣の里の生き残り、真垣梓様です」

「はじめまして、梓です」

 室田の紹介に続いて、梓は加鳥の里長に名乗り深く礼をしたが、辰巳はチラと梓を見ただけで声を掛けては来なかった。

「お望み通り、その男はこの里でお預かりいたす。夜分に急な任務、まことにお疲れであったでしょう。里で休んでいかれますか?」

「いえ、里に負担をかける訳にはまいりません。わたくしはこのまま失礼いたします。それでは梓様、ご壮健で」

「ありがとう。必ず鬼を(たお)して復讐を果たす。それが恩返しだと思うから」

 短く別れの挨拶を交わすと、室田は再び機上の人となった。大仰に回転するローターの、見た目に反して静かな作動音と共に飛び立ったヘリコプターを見送ると、梓は辰巳に改めて名乗る。

「俺はあず…真垣梓という。これからよろしくお願いする」

「ふん…逃げ出した臆病者が里の名を語るな、(けが)れる」

 真垣の名を継ぐという意志を込めて今日付けられた苗字で名乗ったが、やはり鬼狩りの一族にとっては梓は戦うべき時に逃げ出した卑劣漢という事らしい。最初から予想していたことだけに落胆はしないが、室田に頼まれたように真垣の技術を伝承していくのならば、その認識は都合が悪い。自身の行動を振り返っても忸怩(じくじ)たる思いが(つの)るので、好意的に迎えられたいとは思わない。しかし任務に支障が無いようにと、名誉挽回の機会を()う。

「室田さんから、もしも真垣の里が滅びたことが確認されたら、この里で真垣の技を伝えていくように頼まれています。敬ってほしいわけでは無いけれど、敵意を持たれたままでは困ります」

「若造のくせに、生意気なことを。夜が明けたら里の皆に貴様を紹介する。それまでに里の生活について説明してやるから、黙って付いてこい」

 だがその要請はかえって里長の反感を買ったようだ。梓が自分の言葉に従っているかを確認もせず、辰巳は村へと入って行く。何かしらの功績をあげて逃亡者の汚名を(すす)ぐまでは、里の誰もが梓を厄介者扱いするだろう。前途多難な近い未来を表には出さずに嘆きつつ、梓は言われた通り黙って老爺の後に続いた。


「おい、余所者。そんな所で何をウロウロしてやがる」

「おはようございます、えっと…名前は?」

「ちっ、和正(かずまさ)だよ。それで何やってるんだ、こんな所で」

「最近武芸に偏りがちなので、呪術の鍛錬をと」

「呪術ぅ?」

 加鳥の里に迎え入れられて、しばらく経っていた。辰巳は言葉では()退()けたものの、梓の希望を考慮したのか、鬼から逃げ出したという事は伏せてただ別の里から預かった、とだけ説明した。しかしその態度には厄介者を抱え込んだという雰囲気がありありと読み取れ、梓は里の者から冷遇される傾向にあった。特に戦闘法において白兵戦技を重んじる加鳥の流儀と中々折り合いが付かず、呪術の研鑽(けんさん)(おろそ)かになりがちだった。仕方なく個人的に時間を取ろうとすると、今のように、術による戦いを軽視する里の者から、役に立つのかどうかも怪しいペテンのために貴重な時間を()く間抜けと考えられてしまうようだ。梓としては鬼がいくら巨体であっても一度に斬り掛かれる人数は知れているし、何人かは遠距離からの攻撃に熟達すべきではないかと思うのだが、それを口にしても誰も相手にはしない。

 一方で武術への傾倒は伊達ではなく、真垣の里のそれよりも、基礎となる体力、技の多彩さ、得物の鋭利さ、頑丈さなど、1つも2つも上手(うわて)で、それが武芸者としては年齢に比して未熟と見える梓へきつく当たる原因の1つともなっていた。梓としてはもし次に鬼に相まみえる事が有れば、頼りになる前衛が多数居るので、後方から術での援護を中心に戦うべきだと考えている。だから里の者の鍛錬に参加せずに真垣の里で受け継がれていた中で、自分の若さ、いや幼さでも習得できた、その膨大な知恵から(わず)かに(すく)い取る事の出来た術に、さらに磨きをかけるのは適切な方針だと思っている。一方で里の皆が共に参加する修練に加わらないことで、精神的な溝が生まれる事や、里人の個性どころか顔や名前さえも把握しかねているのは連携の面で問題だとも危惧(きぐ)していた。しかし若いと言っても梓はもう18歳。技術はともかく、武術を極めるために鍛え上げている加鳥の里人たち程の肉体を得ることはできないだろう。何度も自問自答したが、梓がこの里で自分自身が対鬼戦の中核となるにはそれが1番の筈だ。室田の期待通り真垣の技を加鳥の里へ根付かせるために一目を置かれるためだけではない。今も瞳を閉じれば浮かんでくる赤黒い情景と共にに湧き上がる、吐き気を(もよお)すほどの復讐心を満たすためには、鬼との戦いの中心に立たねばならないのだ。加鳥の里人が瞠目(どうもく)するほどの戦果を挙げ、真垣の梓ここに有りと、自分自身にも、加鳥の里にも、そしておぞましい鬼どもにも知らしめる。そうして初めて、梓はあの日無様に逃げだした自分の心を慰めることができるだろう。

「ちっ、勝手な野郎だ。呪術の指導をするとかの話が長から来てやがるし。ひ弱な新参者が、あまり出しゃばるんじゃねぇぞ」

 梓の心に(たぎ)る炎など知らない和正は、里の流儀に従おうとしない若者に対する苛立ちを表明すると、関わりたくない様子で足早に立ち去った。また周囲を怒らせた事は悔やむものの、梓は自分の行動を変えようとはしない。日本を覆い尽くすような現代社会から、里を孤立させることを可能にする深い森の中にポツンと存在する、どうやら他を圧する大木が倒れたことでできたらしい空白地へと、宣言通り呪術の修練の為に向かった。


 術の鍛錬の場所と定めた、恐らくすぐ傍に倒れている腐りかけの大木に寄り添っていた、下草の絨毯(じゅうたん)結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢を梓は取る。それから鼻からの短い吸気を腹に溜め、細く長く吐く呼吸法で鍛錬の準備段階の精神統一へと進んだ。一息ごとに周囲の深い緑の香りが体へと巡り、血液までもが個たる人から全たる自然へと変換されていくように感じる。半眼から最初はやや薄ぼんやりと見えていた、名も知らない鮮やかな緑の草とさらに外に広がる広葉樹の群れが、徐々にその末の細い部分まではっきりと映るようになった頃、事前準備は充分と判断した梓は葉擦れを極力避けるように静かに立ち上がった。

 最初に使うのは高度な呪法ではなく、初歩の指先に火を灯す術。真垣の里の呪術体系では、火こそが万物の根源であると考えられている。全ての基礎としてまずこの術を学び、後により高度な技を習得してからも、発火法を素早く滑らかに発動させる事を通じて、呪術そのものへの理解を深めていく。

(おん)!」

 真言(マントラ)を唱えて呪力(ちから)を炎へと変換する。勿論、一応は一人前と認められた梓が発火の呪法をしくじる事など、病の時に無理をするのでなければ有り得ないのだが、学問としての側面も持つ呪術に真垣の里人が触れるのは10歳を過ぎた頃。まだ10年にも満たない梓の術は、里が健在だった頃指導してくれた長老たちの熟練の呪と比べれば遥かに(つたな)い。記憶に残る貴重な教えを胸の(うち)へと呼び戻し、たった今の技の無駄な部分を削り落す心算(つもり)で再び発火の術を繰り返す。

「唵!」

 今度は先ほどよりも確かに滑らかな発動ではあったが、力を込めすぎて必要以上に強い火力へと変化してしまった。思わず舌打ちして、忌々(いまいま)し気に指先で揺らめく火炎を見やると、その赤い輝きがあの日の里を焼いた暴虐(ぼうぎゃく)を思い起こさせた。その記憶は更に人の倍近い巨躯(きょく)とねじくれた角を持つ、悪逆無道のあやかしを梓の胸に(よみがえ)らせ、炎と鬼の姿が脳内で重なっていく。

「よせ…」

 思考の暴走を止めようと、思わず口をついて出た言葉は無力。指先で赤々と揺らめく(ほむら)は次第に梓の制御を離れて大きくなっていき、未熟な術者は薄暗い森を煌々(こうこう)と照らし出す門から、異形が()い出てくるように感じた。その幻視に取り憑つかれた梓の体は(おこり)のように震え始めたが、梓自身にもそれが深い憎悪によるものなのか、それともあの日と同じ恐怖がそうさせているのか判別が付かなかった。いずれにせよ、初歩の術の成果だった筈の灯火は徐々に膨れ上がっていき、とうとう生い茂る下草を焦がし始めた。その煙の臭いにハッと失態に気付いた梓は慌てて術を虚空へと還かえし、ちろちろと伸びてきた炎の舌を踏み消した。

「はっ、はっ、はっ、はっ…」

 燃え広がることを無事に防いだ梓が、未熟の結果ではないとはいえ予想外の事故に呆然としていると、里の方角からけたたましい鐘の音が聞こえてきた。それはあの惨劇の日と同じ緊急事態の合図。里にとっての緊急事態とは当然鬼の襲来に他ならない。梓は再び復讐心の塊と化して、里へと駆け出した。


「鬼はどこだ⁉」

 里へと取って返した梓は、無事な加鳥の里の様子に安堵(あんど)しつつ、怨敵(おんてき)の所在を近くにいた里人‐残念ながらやはり名前は知らない‐に尋ねる。

「新入りか。いや、襲われたのはこの里じゃない。どうやら近くの里が襲われたって連絡が入ったそうだ。今、里長と長老たちが誰を救援に向かわせるか相談している」

「そうか、ありがとう!」

 鬼の出現ともなれば普段の反目など棚上げだ。梓に質問された里人は素直に事情を説明してくれる。その言葉を聞いた梓は、自分も討伐隊に参加させてもらえるよう、長の屋敷へと向かった。


 屋敷‐といっても他の里人の家とは何ら変わらず、飢饉(ききん)の備えとして庭に蔵が有るだけだが‐に走り込んだ梓は、集まっていた長老たちが目を白黒させているのを無視して声を張り上げる。

「俺も行かせてくれ!」

「新参者が出しゃばるな!」

 咄嗟(とっさ)に、といった調子で長老の一人が拒絶するのに、思考を整え直した梓は反駁(はんばく)する。

「俺はこの里では唯一実際に鬼を見たことが有る。里の復讐も果たしたいし、室田さん…この里まで俺を連れてきてくれた人に頼まれたように、真垣の技を加鳥の里へと広める責任だってある。頼む、絶対に役に立つから!」

「本当にか?」

 梓の言葉に一瞬静まり返った20畳はある客間に、辰巳の(けわ)しい言葉が響く。辰巳は加鳥の里でただ1人、梓が里を襲撃された時に戦わずに逃げたことを知っている。最低限の仁義としてその事は周りに明かさないまま、しかしやはり戦力外としてふるい落とそうとする老爺の眼光に、梓は真っ向から立ち向かう。

「もちろん、やってみせる。皆が疑問に思っている、呪術が役に立つかどうかを証明してみせる」

 不快に思いつつも秘密を守ってくれている辰巳に感謝しつつ、梓は他の者にも通用する理屈で自分の意気込みを語る。「ならば良かろう」

「おい、長…」

「若造の鬼を実際に知っているという言葉には一理ある。それに役に立たなかったとしても構うものか。それで鼻っ柱をへし折られれば、今後扱いやすくなるじゃろう」

 反対する長老たちを辰巳が長としての権限で説得し、梓は救援の1人として、再び異界生物対策室のヘリコプターの客となった。

読んでくださってありがとうございました。

ご意見ご感想、誤字報告などありましたらよろしくお願いします。

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