①埋葬ーあなたを想うー
2024/11/10 少女のセリフを間違えていました。申し訳ありません。
2024/12/8 セリフを一部修正しました。
エーリヒとルイが魔王城に来て約三か月。一つの季節が終わりを迎えるこの日、終活第一項目――死者たちの埋葬も、終わりを迎えようとしていた。
◇
「エーリヒ様ー、棺お願いします」
「おっけー」
地面に掘られた深い穴。人ひとり寝そべってもゆとりあるその穴に、本日数多の骨が眠りにつく。一つとして形を保つ骨はなく、穴やヒビ、折れたモノなど、戦闘の痕が痛々しい。正直なところ、魔物の骨が混ざっていてもおかしくはない。それでも弔うことに意味があるのだと、エーリヒたちは信じていた。
エーリヒが魔法で棺を納めようとしていたその時、後方から待ったがかかる。杖を手に振り返れば、頭蓋骨を両手で運ぶ魔王の姿があった。
「この子も入れてくれ」
「……いいの? 大切な人なんでしょ」
エーリヒには覚えがあった。魔王が引きこもっていたと言っても過言ではない第一書庫。愛用する机の上で、常に向かい合うよう置かれていた頭蓋骨。ここ数週間の捜索でも、度々異空間から取り出しては優しい目で眺めていた。他の遺骨はもちろん、エーリヒとも異なる扱いに、少しばかり胸が痛んだのは内緒だ。
兎にも角にも、頭蓋骨は魔王にとって大切な人。まだ別れるには早い人だ。そんなエーリヒの考えはお見通しなのか、魔王はくしゃりと笑みを作った。
「今入れなければ、きっと踏ん切りがつかなくなる。ただでさえ待たせてしまったのだ。早く女神様の元へ送らなくては、この子を褒めていただく時間が足りぬ」
「でも、」
「いいから、ほれ」
魔王に細身の体を揺さぶられ、エーリヒは渋々棺を下ろす。魔王はふたを開けると、そっと頭蓋骨を上に乗せた。
「……長らく付き合わせて済まなかった。向こうに着いたら、私を貶すパーティーでもしておくれ」
魔王は目を細めて一撫ですると、今度こそ頭蓋骨に別れを告げた。幾多の遺骨に棺の蓋の影が差す。
「待たせてすまん。今下ろす」
魔王はルイに一声かけると、俯くエーリヒの身体を再度揺さぶる。エーリヒはしばし視線をさ迷わせた後、黒い棺に魔力を込めた。
(いいのかな、本当に)
エーリヒの脳内に我が物顔で居座るモヤモヤ感。今別れなくとも……、そんな心配とは全く別の理由があることに、聡いエーリヒは気が付いていた。
(その人は誰? なんて)
聞けるわけがない。勇気がないから、師といえども他人だから。挙げてしまえばきりがない。だがそれら全てを遡ると、同じ根幹に辿りつく。
嫌われたくない。
頭蓋骨の件以外にも、魔王には不可解な点が多い。何故倒されたはずが生きているのか。何故伝承と姿が違うのか。何故配下ではなく、エーリヒたちを選んだのか。何故男を兄さんと呼んだのか。何故。
気取らない魔王のことだ、尋ねればきっと答えてくれる。しかし面倒なやつだと思われたら? 踏み込み過ぎだと思われたら? せっかく無価値のエーリヒを選び、今日まで利用してくれたのだ。尋ねて今の関係に戻れなくなるくらいなら、最悪捨てられてしまうくらいなら。阿呆な振りをして口を閉ざしている方が、エーリヒには最善に思えてならなかった。
「なーにをぼさっとしておるか!」
「うぎゃ」
考え込むエーリヒの後ろから、魔王の膝カックンがお見舞いされる。エーリヒの集中度合を表すように、空の棺もゆらゆら揺れた。エーリヒは杖を頼りに止まると、背後の魔王をキッと睨んだ。
「魔法使ってんすけど!?」
「ならば尚のこと集中せんか! 何時までかけておる!」
「もう終わりますー!」
エーリヒが穴の中に棺を下ろすと、下でずっと待機していたルイと目が合った。ルイの空色の眼が細められる。
「いいですねー楽しそうでー」
「楽しくねえわ」
「私はずーっとここで棺を待ってたんですよ。ずーっと」
「悪かったからその話し方止めろ! 状況も相まって怖えわ!」
ルイは素知らぬふりで穴から出ると、エーリヒの反対側――魔王の隣に陣取った。魔王と同じ視線の位置にしゃがみ込み、さわやかな笑顔を向ける。
「さ、反抗期のエーリヒ様は置いといて、我々だけで始めましょう」
「だーれが反抗期だこの野郎! こっち見ろ!」
「日に日に扱いが雑になって行くな……」
◇
土をかけた後、何処に埋めたかわからなくならないよう、簡易版の十字架を突き立てた。城内で摘んできたシェドの花が周囲を彩り、素人にしては上出来な見た目となっている。いつもならば花を摘むなど、魔王に三日三晩呪われそうで出来ない行いだが、今回ばかりは許可が出た。シェドの花は別名「神の花」。魔力を豊富に蓄えていることから、死者に力を分け与え、天に帰しやすくなるという言い伝えがあるそうだ。
粗方の作業を終えた三人は、穴に置かれた棺を前に、エーリヒ、魔王、ルイの順で並ぶ。さて次はどうすれば良いのやらと急に黙り込む若者二人に対し、魔王はため息を吐いた。
「……一般にも馴染み深い女神教の歌はどうかと考えていたのだが」
「……」
口を引き結んだまま、明後日の方向を見るエーリヒに代わり、ルイが申し訳なさそうに口を開く。
「母国では女神教の信仰が禁じられていまして……。詳しい知り合いが居るには居るのですが、その……」
「……知り合いもよく分かっていない。もしくは聞いたが忘れた」
魔王の仮説に、ルイは目を輝かせた。
「魔王様……! 私のことなど何でもお見通しなのですね!」
「つまり後者と。ッハハ」
魔王の乾いた笑みにも、ルイの輝きは薄れない。俺こんな奴に勉強教えてもらってたんだなぁと、エーリヒは遠い目をした。ちなみにエーリヒは魔法以外忘れる派だ。
「まあいい。私の後に続けて言え。言葉と気持ちがあれば十分だろう」
魔王が目を閉じ、胸の前で両手を組む。エーリヒとルイもそれに倣った。静寂の中、魔王の声が厳かにその場を占める。
「天にまします我らが母よ 親愛なる友に祝福を 銀の翼は我らを守護し 金の眼はいつ何時も優しく我らを見守っていた」
魔王の祈りに義務感は無い。痛い思いをして辛かったろう、こんな所で亡くなって悲しかったろうと、心からの謝罪に感じられた。隣のエーリヒも無意識の内、祈りに力が入っていた。
魔王領はエーリヒたちの母国、ライアー王国の隣に位置している。今でこそライアーの国土に加えられているが、当時は各所で戦争が絶えなかった。王家の伝承では、勇者を始めとする祖先たちが武器を取り、幾多の襲撃から人や土地を守っていたと伝えられている。討伐のため、自ら魔王領へ赴く者も居ただろう。エーリヒたちが今こうして存在していられるのも、そういった先祖たちのおかげなのだ。魔王の世話になっていることだけは発狂物だろうが、エーリヒは人生で今が一番充実している。人一倍真剣に祈るので、どうか大目に見てくれと、祈りに混じって謝罪を述べた。
『赦すわけないでしょクソガキ』
「え、」
空耳かと顔を上げれば、白い煙に囲まれていた。棺はおろか、魔王も、ルイも消えている。逸る鼓動のまま、四方八方へ身体ごと視線を移せば、背後に一人の姿があった。しかしとても、とても喜べない。何なら会いたくなかったとエーリヒは後退した。後ずさりされたヒト――首から上を両手に乗せた骸骨は、肉もないのに器用に声を出してみせた。
『逃げるなクソガキ! 従者諸共呪うぞ!』
「ひ、人質とるとか卑怯だろ!」
『卑怯で結構。勝ちは外聞よりも早さでしょ? 誇り云々でお腹が膨れるの?』
「無理。膨れない」
母国で散々空腹に苦しんだエーリヒだ。険しい顔で即答すると、骸骨はしばし動きを止めた。
『……失言だった、ごめんなさい』
頭と共に姿勢も前かがみになる骸骨。予想しなかった展開に、今度はエーリヒが動きを止めた。
「別に……つーかアンタ誰!? ここ何処?」
『アンタって失礼ね。年上の女性に使う言葉じゃ、ってそうよ! 言葉! アンタに言いたいこと山っほどある!』
エーリヒの質問は何処へやら。しおらしい空気から一転、再び怒りだした骸骨に、エーリヒは身体をのけぞらせる。逃がさないとばかりに、骸骨はエーリヒに詰め寄った。
『先生があれだけ、あれっだけ優しくしてくださってるのにアンタときたら! タメ口! 文句! 困ったら自己否定! めっっっんどうくさいったらありゃしない! おじ様なら殴ってるわよ!』
「なになになになに、何!? 何なのアンタ!? ついてけない!」
魔王によって鍛えられてきたとはいえ、いつもならば怒鳴り声にたじろぎがちなエーリヒだが(ルイ以外)、状況が状況。脳が理解を諦め、逆ギレを起こしていた。
口論をすることしばらく。エーリヒと骸骨は怒り疲れ、肩で息をするまでになっていた。荒い呼吸音が占領する中、骸骨が口を開く。
『いろいろ、色々あったんでしょうね。分かるなんて安易に言えない位のことが。でも、世界で苦しいのはあなただけ? あなたが一番苦しいの?』
「!」
『先生は苦しくないの? 従者の彼は苦しくないの? 苦しさって比べなければいけないの? より苦しんだ人しか優しくされてはいけないの?』
エーリヒは骸骨の眼窩を見ることが出来なかった。図星だった。心のどこかで、自分は苦しんでいるのだから心配されて当然だと思い込んでいた。
エーリヒは視線を落として初めて、骸骨が白と黒の美しいワンピースを着ていることに気が付いた。
骸骨――女はフッと軽く息を吐く。
『気が付いたなら上々。私も少しスッキリ出来たから、持ちつ持たれつね。……あら、』
「え、」
時間だとでも言うように、周囲の煙が深くなる。女との間にも煙が侵入し、エーリヒは慌てて煙を払った。が、勢いは増すばかり。煙の向こうで、女の笑い声がした。
『残念。ま、最低限のことは言えたから良いかしら』
「良くない! アン、」
『おば様』
「――っおば様! 師匠の知り合いなんだろ!? 最後が俺でいいのかよ!?」
女の言う「先生」、頭だけ離れた骸骨、妙に詳しいエーリヒの事情――エーリヒは、女の正体が魔王の大切にしていたあの頭蓋骨だと確信していた。
このままで良いわけがない。そんなエーリヒの考えなどお見通しのように軽く笑うと、女は煙――正確には煙の向こうを指さした。
『リンクヘルツに行きなさい。そこならきっと、』
女は自身の途切れた首を指さした。
『あなたのソレも、少しは手掛かりが掴めるでしょう』
エーリヒは無意識の内、自身の首枷に触れていた。煙の向こうで女が肉の無い片手を振る。
『ついでにおじ様にも殴られて来なさいな』
「まっ、」
エーリヒの右手が空を切る。深い煙と遠のく意識の中、女の最後の言葉がやけに耳に残って離れなかった。
◇
「――ぞう! 小僧!」
「エーリヒ様!」
やけに緊迫した声に、エーリヒはパッと瞼を開ける。隣を見れば、心配そうにエーリヒの顔を覗き込む二人の姿があった。
魔王が乱雑にエーリヒの手を掴む。
「祈りの最中に死人に引っ張られる奴が居るか馬鹿者! 死ぬところだったぞ!」
「何が何やら分かりませんがとにかく良かったです……。揺すっても叫んでも反応なさらなかったので……」
二人の言葉にエーリヒは周囲を探すも、先の煙一片見つからなかった。そんなエーリヒの反応に腹の火が付き、魔王は拳を振り上げる。が、ルイの無駄に長い手足のおかげで届かなかった。
拘束に暴れる魔王に対し、エーリヒはポツリと呟いた。
「がいこつ……」
「は?」
「『先生に感謝はしても、貶すだなんてありえません』……って、師匠の持ってた骸骨が……」
振り上げられた魔王の腕がぱたりと落ちる。急に力の抜けた魔王に、ルイはすぐさま手を差し伸べた。
「魔王様!?」
「感謝? ッハハ、感謝……」
魔王は俯くと、無理矢理笑顔を作った。強く握りしめられたスカートに皺が寄る。
「幼い頃から一線を引き、最後は惨い死に方をさせた師に、感謝? っありえんだろう……!」
確かに女の姿は惨かった。美しいワンピースは血で汚れ、骨の数は足りず、胴と頭は離れていた。誰がどう見ても惨いと口をそろえて言うだろう。
しかしエーリヒは知っている。女の笑みは心からのものだったと。骨になろうと、師である魔王を慕っていたと。
魔王から鼻をすする音が聞こえだした時、それとはまた別の音が耳に届いた。ぽつりぽつりと肌にあたる冷たい粒。掌に小さな湖が出来た頃、ルイはある記憶に目を見開いた。
「幼い頃、母から聞いたことがあります。葬儀の際に降る雨は、神が溢した涙なのだと。亡くなった方の偉大さに感動し、称えて下さっているのだとか」
「じゃああのヒトは、ちゃんと女神様の所に着けたんだな」
「ええ、褒めるだけでは足らんのでしょう」
魔王は裾で目元を拭うと、笑みを浮かべる二人に同意した。
「っああ、そうだな。そうだと良、い……」
深紅の眼を見開き固まる魔王。どうしたのかと二人が視線の先を見ると、何もなかったはずの空間に雨が集まっていた。水滴は瞬く間に数を増やし、仕舞いにはエーリヒの目線の高さまで渦を巻く始末。感動など嘘のように消え去り、謎の現象にただただ困惑していた頃。
ルイを盾にしたエーリヒの前に、渦――もとい彼女は現れた。黒の礼服を身にまとい、頬に涙の痕を湛えた少女は、エーリヒに対して一礼した。頭に咲いた青い花が可憐に揺れる。
『ハジメマシテ、マム』
色とりどりの瞳が“マム”へと向く。マム――もといエーリヒはしばらく固まった後、カッと大きく口を開いた。
「せめてパパだろ!?」
エーリヒのツッコミが夕暮れを迎える魔王領にこだまする。予想のつかない日常が、さらに慌ただしくなる足音がした。