①埋葬—邂逅—
「つっかれたー!」
「集まりましたねぇ」
魔物の巣を巡り始め、早二週間。遺骨捜索は大詰めを迎えていた。
エーリヒは倒した魔物の中心に寝転がり、返り血で汚れた身体を伸ばす。隣ではルイが発見した遺骨をまとめていた。
「あと何か所?」
「少々お待ちを」
「一か所だ」
戦闘中、傍観に止めていた魔王が二人に近寄る。二人の視線が魔王の端正な顔に集まった。
「遺骨も今ので最後だろう」
「何でわかんの?」
「骨の数が魔王領に送られた人間の数と一致する。後は……」
魔王は深紅の瞳で南の木々を捉えた。遥か先に睨みを利かせ、エーリヒに呼びかける。
「小僧」
「なに?」
「防御魔法の詠唱は覚えておるか」
「覚えてるけど……何で?」
エーリヒが首を傾げると、魔王は前方に手掌を向けた。瞬間、ゴウッと激しい風が、魔王の張った防壁の脇を駆け抜けて行く。
「人の皮では防げぬからな」
魔王はエーリヒから杖を奪い取ると、彼の背後に突き立てる。キインと甲高い音がエーリヒの頚椎にまで響き渡った。
魔王が杖を突き立てた先には、水の槍を差し向けてくる男の姿。白銀の髪に深紅の眼。しかし頭に生えた四本の角が、彼が人間ではないと告げていた。魔王があと数秒遅ければ。最悪の想定に、エーリヒの身体から汗という汗が噴き出した。
魔王は自身の倍はある男を睨み上げ、全身に魔力を巡らせた。
「こやつは『堕天』。おぬしらが零位と定める、魔族の頂点だよ」
◇
「ヤバいヤバいヤバいヤバい」
エーリヒは意識を失ったルイを背負い、後方で巻き起こる魔法の嵐から距離をとる。可能な限り高所へ、防壁は三重に。脳内は恐怖と魔王の指示でごちゃまぜになっていた。カチカチと鳴る歯を叱責し、詠唱文を無理矢理紡ぐ。
『幻影 虚妄 裁きの刻』
杖の先から光が漏れる。光は地を走ると、エーリヒたちの周囲を球状に包み込んで行く。
『希望を泡に 意思は炎に 庇護の翼が自由を覆う』
頭上で結界が高く鳴る。三重の防壁が風を弾いてキラリと光った。
『八の鍵 エデンの禁門!』
エーリヒは結界の完成を確認すると、背負っていたルイごと地面に倒れた。鼓動が耳にまとわりついて離れないのに、脳は確かに激しい交戦を認識する。
エーリヒは自信に満ちていた。鍛え上げられた兵士でも敵わぬ魔物に勝てたのだと。魔王の役に立てるのだと。
驕りだった。魔王が止めていなければ、男の存在どころか、自身の死にも気づけなかったことだろう。距離をとった今もなお、身体の自由は戻らない。詠唱が出来たのは奇跡に近い。
魔力耐性のあるエーリヒがこの様なのだ、ルイが気絶するのは当然のこと。それ程までに、エーリヒたちと男の差は歴然だった。
零位――弱さ故の“零”ではない。生存者“零”……相対した者は皆死んだために零なのだ。かつて零位である魔王を倒した勇者も、数日後、呪いによって等しく帰らぬ人となっている。
エーリヒは恐る恐る眼下へと顔を覗かせた。
「師匠……!」
崖下の激戦にエーリヒの眼は追いつかない。魔王が敗れれば、エーリヒも死ぬ。
エーリヒは無意識の内、震える手を固く組んでいた。神などいない。そう諦めてきたはずなのに。
ちっぽけな結界の中、ちっぽけな少年がただひたすらに祈り続けていた。
◇
魔王めがけた水の鞭が地面を抉る。エーリヒとルイを逃がしてから五分。魔王は突如現れた男に対し、苦戦を強いられていた。
少女の姿をしている魔王に対し、男の上背は一般的な青年と同等かそれ以上。力、リーチ、速度……戦闘において勝敗を分ける要因ほとんどに、魔王は目の前の男に劣っていた。
敗北は決まったも同然。だのに魔王は、腹の底から湧き上がる高揚感を抑えきれずにいた。
軽薄な笑みを浮かべる魔王に対し、男の表情は動かない。鞭の一振りに魔王の銀糸は宙を舞った。遅れて後方の木々も宙を飛ぶ。いっそ清々しいほどの断面に、魔王は内心で拍手を贈った。
(たった一振りでこれ程とは……流石神話から生き続けているだけのことはある)
魔王が更地となった背後を眺めていると、突然切られた木々が動き出す。男も槍を片手に照準を合わせていた。
『蒼の一閃』
魔王が視界で捕らえるよりも、男が槍から手を放す方が早かった。瞬く暇も与えぬ速度に、素直な本能は警報音を響かせる。
「ッチ」
ボコオオンという地響きと共に、砂煙が巻き起こる。男が冷めた視線で見つめる先には、抉れた木々と大きな凹み。倒れる魔王の姿はない。
『――蒼の一閃』
「!」
目的の姿は男の背後。深紅の瞳が捕らえた頃にはもう遅い。超至近距離からの反撃は、男の脇腹を抉った。周囲にパッと血の雨が降る。
しかし男は落ち着いていた。血を流しながら見下ろす先には、左肩を抑える魔王の姿。男は魔王がリーチ内に現れた瞬間、目が捕らえるよりも先に蹴りの一撃を入れていたのだ。致命傷には至らない。しかし思わぬ方向に曲がった腕は、確実な痛みと戦闘手段の制限を引き起こす。
「ッハハ」
「……」
男の無情な瞳は痛々しい少女の姿にも靡かない。軽薄な笑みに疑問を持つこともない。
ただ、目の前の生物を殺したい。その一心のみが、男の脳を支配している。
――だから男は負けるのだ。
「!」
砂煙の向こう側、男の足先で何かが光る。
『水の咆哮』
大地に降った男の血。それが無数の刃となって、男の身体へと突き刺さる。臓物を抉る赤き槍に、元の主への躊躇いはない。今の主は、魔力を与えた少女なのだから。
静かに膝を折る男に対し、魔王は力強く立ち上がる。
「……強き魔族ほど、痛みに対して鈍くなる。他者にも、己にもな」
魔王は数秒視線を落とすと、スッと小さく息を吸う。槍に捕らえられた男の周囲で、淡い光が円を描いた。
『五光の冠 禁忌の錠 嘆きの歌が聞こえるか 怒りの味は苦しいか シャロンマリアの涙と共に 無間の棺が貴様を喰らう』
円陣は蒼き鱗に。無数の鱗が男に切っ先を向けた時、魔王はようやく笑みを消した。
「……もっと早く、こうするべきだった」
呟きにつられるように、深紅の瞳から涙が落ちる。魔王は袖で涙をぬぐうと、真剣な顔で口を開いた。
『天与の鍵 終の光』
蒼い鱗は刃に変わり、男の欠けた身体を突き破る。最後の一振りが貫いた時、男の身体に変化が起きた。青白い肌に亀裂が走り、うろこ状に砕けていく。
魔王はしばらく様子を見ると、男に背を向け立ち去って行く。小さな歩幅がかなりの距離を稼いだ時、思わぬ障害が魔王を阻んだ。
『――ティアベル』
「!」
声の主は魔王の背後。勢いよく振り返ると、散り行く男の口元に笑みを捉えた。魔王の覚悟に、わずかばかりの亀裂が入る。
『ありがとう、ティアベル』
「にいさ、」
『僕はおまえを、誇りに思うよ』
崩壊の刃は容赦しない。笑みをたたえる男の口にも、鋭い一線が刻まれる。魔王のつま先が再び男を向いた瞬間、最後の肉が砕け散る。
「兄さんっ!」
肉は蒼き鱗となって、風に乗って消えて行く。魔王の前に、男の存在を証明するモノは何もない。
膝を折り、ただ茫然と影を求める少女の姿は、魔王と呼ぶにはあまりに不釣り合いだった。