①埋葬—再開—
ルイが重傷を負ってから十三日目。エーリヒとルイ、そして何故か魔王も森の中にいた。
「エーリヒ様!」
ルイの鋭い声とともに、牙を剥いた魔物の一体がエーリヒめがけて突っ込んでくる。己を食料と認識した捕食者の眼。しかし黙って食い物になってやるほど、エーリヒは穏やかな性分をしていない。従者に守られてばかりの主じゃない。
魔物に右手の杖を向けると、スッと細く息を鳴らす。エーリヒの意思に答えるように、杖の蕾がふるりと揺れた。
『我は慈悲 虚実に光を映す者』
白い蕾は花開く。ここにいるぞと葉を揺らす。
『汝は罰 現に影を落とす者』
杖は春を抱えた束になり、花粉に乗せて周囲を淡く輝かす。
『迷いは天に 悲哀は声に 真の主に誓いの歌を』
魔物が踏みしめる確信の一歩。黒い影が細身の身体を包んだその時、エーリヒの瞳は反撃の意を示す。
『二の鍵 水の咆哮』
光は青き球体に。数多の水は細く伸びると、矢の如く魔物の身体を貫いた。意思を失くした魔物の肉がばたりと落ちる。
エーリヒは魔物が亡くなったのを確認すると、額に浮かぶ汗を拭った。次いで後ろ――大木に腰かけ、観戦していた魔王に大きく手を振った。
「師匠見てー! 出来たー!」
ピョンピョン飛び跳ねて喜びを表現するエーリヒに対し、魔王は軽く手を挙げるに止めた。思わずため息が漏れ出る。
「十五の男がすることか。まったく……ああ、すまん。おぬしのせいではないよ」
頬に頭を擦りつけてくる鳥型の魔物に、魔王は笑みを浮かべた。通常の魔物は契約でもしない限り、圧倒的魔力量の魔王に近づかない。だのに時折、異様に魔王に懐くモノがいる。両脇の魔物も、魔王が腰を下ろした三秒後には隣に来て羽毛を押し付けてきた。一瞬記憶にある面々が浮かんだが、魔王はすぐに考えるのを止めた。変人(物)ばかり引き寄せていると認めるには、ほんの少し勇気が足りなかったからだ。
魔王の元に戦闘を終えたエーリヒとルイが駆けてくる。魔王が指を鳴らすと、積まれた薪に火がついた。冷めていた鍋から、再びコトコトと音が鳴る。
「師匠! 俺! 出来た!」
「知っとるわ。何のために付いてきたと思っている」
エーリヒは魔王から貸与された杖を突きだした。
「杖の無事を確認するため!」
「……違うとも言えぬ微妙な線を行くな、おぬしは……」
「魔王様は私たちのことを心配して来て下さったのですよ、エーリヒ様!」
「おぬしも同じ思考回路か……」
「ルイってそういう所あるよな……」
「貴方も否定されたのわかってます?」
スムーズな会話は元気な証拠。言い方を変えれば喧しい。魔王はため息を吐くと、乱雑に白銀の頭を掻いた。
「食事だ、ショ・ク・ジ! 監視するとは言ったが、いざ見てみれば毎日毎日芋芋芋! 三食芋! そこらの魔物の方がまともな食事をしておるぞ!」
魔王が指さすと、懐いた魔物がガーっと誇らし気に一声鳴いた。緑の翼を大きく広げる姿に、ルイは堪らず手を握りしめた。
「魔物風情に負けるとは……!」
「冗談などではないととうに気づいておる。知らんのなら知っていけば良い……が! 知識をものにするまでに倒れることは明白! 終活未完遂の危機だ!」
「それで魔王様手ずからお料理を……、なんとお優しい!」
「クソ不味いけどな」
光速でエーリヒの頭を殴るルイ。泣きながら殴るなど器用な男だ。
「失敬ですよ! 謝りなさい!」
「今朝も戻しかけてたお前が言うか!」
「暴れるな! 飯が駄目になる!」
魔王の喝に大人しくなる二人。どちらも失礼極まりないが、手料理がクソ不味いのも事実。魔王は二人に無言で器を押し付けた。エーリヒの手中で赤い液体が煙を上げる。
「採りたての血?」
「木の実のトマト煮込みだ阿呆。煮過ぎて溶けたがな」
他にも黒い塊や謎の棒など、説明されても分からない料理の数々。ルイはその都度質問をし、情報を頭に叩き込んでいった。
エーリヒが何とか料理の半分を腹に収めた頃、あることに気が付いた。
「師匠は食わないの? 昨日も説明ばっかで食えてなくない?」
あわよくばクソマズ消費に貢献してくれないかという下心満載の発言だったが、魔王は首を横に振った。
「必要ない。いや、今まさに食べているというべきか」
しかし魔王の両掌は大木に付いたまま。スプーンも器もないのに、食べているとはどういうことか。首を傾げるエーリヒたちに、魔王はやれやれと口を開く。
「私の身体が必要とするのは食物でなく魔力。このような魔力に満ちた場に居れば、呼吸するだけで生き永らえる」
「!」
黒い塊を食していたルイが急に立ち上がる。今回もリバースかと口元に注目していれば、変化があったのは口ではなかった。エーリヒと魔王がぎょっと目を剥くのも構わず、ルイは大粒の涙を流す。
「私の軽食を必要ないと仰ったのは、本当に不要だったから……不信の証ではなかったのですね!?」
「……」
「ああ! 感無量です! この喜びをどう表現すれば良いのでしょう!」
剣士から吟遊詩人に職替えする勢いのルイを前に、エーリヒと魔王は顔を近づけた。
「……師匠薬が得意なんでしょ? ルイの頭治せないの?」
「アレはもう馬鹿として生きる運命なのだ。手の施しようがない」
エーリヒが残念なものを見る目で踊るルイを見ていると、魔王がひとつ咳払いした。
「ま、食えないわけではなく、娯楽扱いなだけだ。特に茶は良い。楽な上に手も汚れぬ」
「精進します!」
「……ただ、全ての魔族がそうではない」
魔王の真剣な声色に、エーリヒはごくりと唾をのむ。踊り狂っていたルイも、いつの間にか隣に座していた。
「魔族の中には、人間を主食とする者が居る。満腹ならば狩りを止めれば良いものを、奴らは喰いもしないのに狩りを続ける。娯楽としてな」
「……」
「風の噂では、食用として人間を飼い、いざ喰う際にはじっくり時間をかけて楽しむ者も居ると聞く」
「楽しむ?」
「殺しをさ。死の恐怖に怯える顔が良いのだろうよ」
魔王がエーリヒお手製のミニ保管庫を撫でる。後から聞いた話だが、魔王城にも保管庫はあった。エーリヒたちに存在を知らせなかったのは、保管されていた多くが、人間の死体だったからだ。魔族の腹を満たすための、冷凍された人間たち。魔王が城内で見つけた人骨の九割は、保管庫にいた者たちのものだ。魔王でも足が遠のくというのに、同族のエーリヒたちが利用する気になるだろうか。
黙りこくる二人に対し、魔王はいつか話そうとしまっておいた話を引き出した。
「私が死ぬまでにやりたいこと……そのうちの一つが、魔族の殲滅だ」
「!」
「生かすのではなく、殺すのですか? その……仲間を」
視線をさ迷わせたルイに対し、魔王は自虐するように笑った。
「六百年前、私は勇者に負けた。魔王が死に、平和になった未来。私の死にもいくらか意味があるのだろうと思えたよ。……だが、考えが甘かった。長が死ねば配下も剣を捨てるとは、思い上がりだった。長が死んだから、次の長の座を狙い、奴らは剣を持つのだ。私が死んだことによる皺寄せが、責を負わなくて良い者にまで及んでいる。とても許せることじゃあない」
許せないのは、配下よりも自分自身。どこか遠くを見つめる魔王に、エーリヒは重くなった口を開いた。
「それで、殲滅を?」
「ようやく運が巡ってきたのだぞ? 寿命までに、必ず私が全ての責任を取る。……だから、」
魔王の右手に光が舞う。エーリヒが気づいた時にはもう遅い。火の槍はエーリヒの額を突き破らんと燃え盛っていた。
「……っ!」
「おぬしらにはもうちと力をつけて欲しいわけだ。特に小僧、先の戦闘で援助に熱中していたおぬしにはな」
「……と、仰いますと……?」
魔王が火の槍を消滅させたと同時に、エーリヒも足の短剣から手を放す。
「周囲は本当に安全か?」
「!」
「策に順守するのは良し。だが、戦闘に想定外は付き物だ。背後に敵が迫っていたら? 剣士が倒れてしまったら? 安全圏に居れば無傷という保証はないぞ」
「……」
「ま、とっさに短剣に手を伸ばせるのは合格だな。杖で殴るもアリだ」
「……杖とは魔法のためにあるのではないのですか?」
傍観を決め込んでいたルイがようやく口を出す。いつも授業の際はつまらなそうにしていた彼だが、やはり聞いておらなんだかと魔王は青筋を浮かべた。突如流れ出した剣呑な空気を前に、エーリヒが慌てて口を開く。
「確かに杖には魔力増幅効果のある素材が使われやすいから、魔法のためにあると言っても間違いじゃない。でも本来は魔法陣を描いたり、リーチを生かしてぶん殴る為だったりする。魔力切れを起こしても生き残るためにな」
「なるほど……勉強になります」
魔王もうんうんと頷いているため、合格だったらしい。エーリヒはホッと胸を撫で下ろした。
「にしても援助に警戒、近接戦も……できる気がしねー!」
「精進せい。魔族相手に生き残れんぞ」
「決定事項なんすか、それ……」
「当たり前だ。雇用主の望みを叶えることが、おぬしらの仕事だろう。報酬を受け取っておいて、今更無理とは言わせんぞ」
「悪徳雇用主……」
「魔王だからな。悪役には慣れている」
魔王が不敵な笑みを浮かべると、なぜかこちらはやる気に満ちているルイの姿があった。
「ご安心ください! 私は魔王様のため、身を粉にして働く所存です!」
「おぬしは報酬らしい報酬を受け取っておらんのに、前向きすぎて逆に恐ろしいよ……」
◇
料理を消費したらば、仕事の時間。遺骨集めの再開だ。
「あったか?」
「ない! 枝ばっか!」
「ハズレですね……中々苦労したのですが」
先程倒した魔物の巣にお邪魔するも、目当ての骨は一切なし。エーリヒとルイの頭に枯れ葉が絡み、無駄に獣臭くなっただけだった。
ルイは軽く身なりを正すと、エーリヒお手製の地図を開いた。一見するとただの紙。しかし指定の場所に指を添えると、地図の上に光が浮かんだ。数々の光が意思を持って、地図の上を滑りだす。
「しかし便利ですねぇ。我々だけでなく、この魔王領にいる生物全ての位置がわかるとは」
魔王の指示で作られた地図だが、正式には魔道具である。生物生息分布魔法図。一定範囲内にどの生物がどの程度いるか、魔力量を強さと見做すことで、危険性も測れる代物となっている。
「戦時中はこれさえあれば勝利間違いなしと言われたものだが、やはり浸透しなかったな。紙や魔法石はもちろんのこと、正確な魔法陣を描ける腕の良い魔法使い……小国ならば完成する前に国が傾く」
「国宝クラスを課題にしないでよ……」
「魔法陣の修練にはうってつけなのだぞ? 私の弟子らにも腐るほど描かせた」
魔王は当たり前のように言うが、弟子たちが腐るほど描けたのは、総じて紙や石の価値を知らない年頃だったから。成長後は己の無知さと魔王の価値観に身震いしている。
兎にも角にも、魔王にとって年頃の弟子はエーリヒが初。地図を作れないとは夢にも思わなかったのだ。
「現在地から一番近いとなると……、北東ですかね。三位が三体に二位が一体。動きもないため、巣かと思われます」
「骨持ってる可能性大か……」
魔力を持つ生物には、一体の漏れなく危険度がつけられている。段階はゼロから五の六段階。二位ともなれば、一国の軍隊でも敵うかどうかといったところ。もちろんエーリヒとルイは二位の魔物よりはるかに弱い。
しかしそれは、正面から戦った場合の話。綿密に練られた作戦と奇襲が合わされば、二人にも勝算は大いにある。
そして魔物は、強さに厳格な生き物である。弱肉強食社会のここ魔王領では、力を持ち、かつ示せなければ消えていく。その手っ取り早い方法が、多量の骨を見せつけることなのだ。狩った獲物を巣に持ち帰り、骨にして飾る。自身はこれだけの数を葬り、腹に収めてきた。そう言外に示すことで、魔物たちは無駄な争いを避け、今日まで生き延びている。
エーリヒたちが遺骨捜索に難航したのは、強敵との戦闘を避けたから。逆に強敵ばかり狙えば、生物問わず骨に見える確率は格段に上がる。
エーリヒは杖を握る手に力を込めた。
「行くぞルイ!」
「はい!」
エーリヒとルイは地図に導かれ、北東の巣へと歩を進める。背後の魔王は、地図が示した光を思い浮かべていた。
「……あと六か所」
二人の背から、掌の骨へと視線を移す。
「私も、覚悟を決めねばな」
骨を異空間にそっと送ると、魔王も二人の後を追う。
北東から冷たい風と、異様な気配が漂っていた。