①埋葬ー答え合わせー
エーリヒの籠城作戦突破後、魔王はすぐさま課題評価に取り掛かった。時間が空けば空くほど記憶は薄れてしまう、とは魔王の言だ。
渋々課題を差し出したエーリヒは、魔王の小さい背中をちらちらと見やりながら、ルイと軽食を分け合っていた。本日もルイお得意の蒸かし芋である。正直食べ飽きたが、母国にいた頃に比べれば飽きるなど贅沢な悩み。エーリヒは最後の一口を慎重に運び入れた。
一足先に芋を平らげたルイが、そういえばと空色の目を向ける。
「長らく熱中されていましたが、難題だったのですか?」
「あー……地図、あったじゃん……」
視線を逸らしながら発された単語にピンときたルイは、器用に口角だけを挙げてみせた。
「ええ、地図ですね。一つしかないにも関わらず、あろうことか二か月も存在を隠された、あの」
「ごめんなさい反省してます」
ルイの冷たい視線に耐えかね、エーリヒはすぐさま目を瞑った。
遺骨捜索に向け、魔王から渡された二つの鞄。対して地図は一つだけ。たまたま鞄を先に受け取ったエーリヒは、その事実に早い段階で気がついていた。魔王の目論見では、地図に気づいた二人が魔王領を脱出。寄こしてきた人間が逃げた消えたと難癖をつけ、ライアーの国王に更なる要求をするつもりでいた。
しかし手にした男が悪かった。エーリヒの目的は、ルイ単独で魔王領を脱出させること。魔力感知と記憶を頼りに二か月も魔王領を歩き回るなど、誰が想像出来ただろう。事実、魔王はエーリヒからの救難信号を受けた際、「何故に居る?」と思わず口に出していた。
後に目的等々洗い浚い吐かされたのは記憶に新しい。何なら昨夜もエーリヒの夢にお邪魔してきた。説教で魘されないためにも、今後ルイに隠し事はしないと決意したエーリヒだった。
「……でも使い方分かったの最近だし、目印らしい目印も無いし」
「相談してみなければ結果などわからんでしょう」
「……ご尤もです」
「ハア……で? あの地図がどうしたのです」
「『まったく同じものを作れ』……それが課題」
「同じ……」
ルイは机上に広げられた話題の地図に目を落とす。
年代物の紙には擦れた文字と共に、ここ元魔王領と思われる図が描かれていた。方角に土地の高低、所々付いたバツ印。一辺に付いた長細い石以外、これと言って際立ったものはない。ルイが知る一般的な地図とほぼ同じだ。
「……写せば良いのでは?」
「そ……れはそうなんだけど、条件があって……」
「条件?」
「『まったく同じものを作れ。ただし、おぬしの従者が扱えること』」
少し高めの声色で述べたエーリヒは、さらに腕まで組んで当時の状況を再現した。“おぬしの従者”。つまり、
「私ですか?」
「……うむ」
「……写せば良いのでは?」
「そんな馬鹿にすんなって感じの眼で見んなよ……」
「見てません気のせいかと」
「お前最近俺への雑さ増してない?」
「気のせい気のせい」
素知らぬ顔で茶をすするルイだが、若干のいら立ちを覚えたのは事実だった。
いくら母国で貧乏貴族と陰口を叩かれようと、貴族は貴族。そこらの民より、下手をすれば目の前の主よりちゃんとした教育を受けてきた。机上の地図も、これまで目にしたものとほぼ同じ。いくら無限森林の元魔王領とはいえ、ルイは地図さえあれば自力で脱出できる自信があった。だのに自身が扱える地図が条件など、心外にも程がある。
「終わったぞ」
ピリつく二人に、魔王の凛とした声が届く。ルイが片目だけで顔色を窺った結果、みるみる腹の炎は鎮火した。同じくエーリヒを目にした魔王は、フッと鼻で笑った。
「安心せい。『怒りや暴力で返さない』、約束したばかりだからな」
◇◇◇
魔王とエーリヒが机を挟んで対面する。いつもならば遠くから見守るルイだが、今回はルイもエーリヒの近くで机を囲む。おぬしの協力が必要だと敬愛する魔王から言われれば、暗号満載の授業にもやる気が出るというもの。視線を落とすエーリヒに対し、空色の眼を輝かせるルイ。こやつ本当に年上か? と胸中で呟きながら、魔王は机上にエーリヒ作成の地図も並べた。
「まず言っておくが」
エーリヒの肩がピクリとはねる。予想通りの反応に、魔王は知らず詰めていた肩の力を抜いた。
「これからいくつか質問をする……が、粗探しの意図はない。先にも伝えた通り、私が知りたいのは過程だ。課題で大体の想像はつくが、やはりおぬしからも直接聞いておきたい」
「……はい」
「一つ目、何故複製魔法を使わなかった? 遥かに容易だったろう」
魔王が隣り合う手本の地図とエーリヒ作成の地図を、トントンと人差し指で突いた。ぱっと見二つの地図に大した違いはないが、よくよく注目すれば、エーリヒ作成の地図には線の乱れが散見された。この違いにお気づきになるとは流石魔王様などと、ルイは胸中で煙たがられるほどの賛辞を述べた。
反応を求められたエーリヒはグッと口を引き結んだ後、恐る恐るといった様子で声を絞り出した。
「……確かに考えた。けど複製魔法は、元になる物の原料、刻まれている魔法、魔力総量……、とにかく使われている全部を詳しく知ってないと、完全な複製が出来ない。魔導書で調べてみても理解しきれる自信がなかった……から、諦めました」
最後はほぼ吐息となって終わった声だったが、魔王の耳には確かに届いていたらしい。腕を組みながら、うんうんと頭を上下に動かしていた。
「良い判断だ」
「っ!」
「複製魔法は楽な手段として選ばれがちだが、作成者か余程の博識でなければ、劣化品が出来上がるだけ……。よく復習できている。偉いぞ」
エーリヒはパッと顔を上げると、頬を紅潮させ、目を潤ませた。一つ目からこの調子で大丈夫か? と思わなくもなかったが、魔王は大人しく胸中にしまっておいた。咳払いで空気を入れ替える。
「二つ目。魔導書で調べたと言っていたが、どの魔法が刻まれているかわかったか? わかる範囲で構わん」
「計測魔法で生物の位置、数、魔力量……、それらを光魔法で映す……あとはわからない」
「十分だ。そして正解。手本に刻まれているのも計測魔法と光魔法の二つだ。……では最後、」
魔王は背筋を伸ばしたエーリヒに、彼作成の地図を返した。
「何がわからなかった? 『わからないところがわからない』でも構わんぞ」
「……」
地図を震える手で手にしたエーリヒは、グッと口を引き結んだ。
わからない、出来ない、失敗した……これらはエーリヒにとって禁句だ。一度でも声に出そうものなら、罵倒され、叩かれ、蹴られる。常に最高の結果を出さなければ、待っているのは機会を望んでいた大人たちと終わりのない痛み。あまりの理不尽に激怒し、教育を施してくれたガーディアン家の前でも、エーリヒはわからないと声に出来なかった。
その『わからない』を今、求められている。
エーリヒは何度か視線をさ迷わせた後、涙を浮かべて魔王を睨んだ。
「石、の……、石を! 付けか……、付けられなかった!」
エーリヒは自身のちっぽけなプライドに頭を抱えた。『わからない』ではなく『出来ない』。二つは微妙な違いに見えて、しかと見れば遥かに大きな差だ。しかしエーリヒのちっぽけなプライドは、重要な場面で要らない仕事ばかりする。
「渡された物がどれもこれも高価なんだよ! 特にこの石! お貴族サマが無駄に発光させてんのの十数倍はあるじゃん! 王子の所持金なめんなよ!」
肩で息をするエーリヒは集まる視線にハッとすると、か細く謝罪を述べながら着席した。正しい返答をしないどころか逆ギレなど、穴があったら入って二度と出たくない。
しかし俺、王子の自覚あったんだなあと、思考を妙な方向に進めていると、フッと噴き出すような音がした。
「ハッハハハハハ!」
「……」
「ハアッ、ハハ……ヒィ! 『べ、弁償できるかどうか考えるとかっ……、アハッ! 新しい生徒は思考も新しいな!』ハハハ!」
「……そんな笑わんでも」
『二番弟子なんぞ私の保管庫をがらんどうにしようと息巻いておったというのに! ッフフ、思い出しただけで笑えて来るッ……!』
「怖……、そんな弟子いたの……」
『ああ。しかもまだ生きておる』
「こっわ……。つーか今更だけど師匠何歳?」
『歳か……。最後に数えたのは何時だったか……』
「……あの、よろしいですか?」
ルイの控えめな発言に、色の異なる大きな瞳がグリンと向く。似ていないようで似ている二人の主に、申し訳なさを抱えながら、しかし黙ってはいられないとルイは腹に力を込めた。
「お二人とも何故……会話? と言っていいのかわかりませんが、会話が出来ているのですか? 私には魔王様のお言葉がさっぱりわからんのですが……」
魔王はハッとすると、大きく広げていた口に手を当てた。
「すまん、ついうっかり」
「ルイこそ何言ってんだよ? ヤバい二番弟子の話してたじゃん」
「「は?」」
「え?」
「は?」
眉根を寄せるエーリヒに対し、魔王の赤眼が大きく見開かれる。二人の視線が交わったとき、魔王は腹の底から声を出した。
「ハア!?」