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①埋葬—約束—


 魔王は自身のことを忍耐強い方だと思っていた。

 事実、弟子のひとりが課題の険しさに夜逃げした際には、帰ってくるまでの百三十五年間、毎日同じ場所で待ち続けた。戦争が起きた際には、派手で早い自身の魔法より、時間ばかりかかる配下の策を採用した。

 しかしこれらは過去の話。状況が変わった今、魔王は自己分析の甘さを痛感していた。

 魔王城の書庫の中、手中の魔導書をバタンと閉じて、魔王は深く息を吐く。背もたれに体重を預けたことで、年季の入った椅子は簡単に悲鳴をあげた。

「くそったれ……」

 魔王は忍耐強いのではない。時間感覚に鈍かったのだ。

 弟子を百三十五年待てたのも、戦争一つに十年弱かけられたのも、寿命が無限に思えるほどあったから。無限の内の百年と、ほぼ死後と言っても過言ではない百年。命に終わりが見えた今、以前と同じことをして見せるなど無理な話だ。

 腹でふつふつと湧き上がり始めた物を鎮めるため、魔王は手探りで当てたティーポットを鷲掴み、口の上で傾けた。

 しかし待てど暮らせど、目当ての物は落ちて来ない。振ってようやく一滴落ちたところで、腹の火はカッと閃光を放った。

「クソ!」

 暴言と共にティーポットを机に打ち付ける。机上の頭蓋骨が驚いたように揺れ動いた。

魔王は椅子から飛び降りると、勢いそのまま開け放たれたバルコニーへと歩を進めた。欄干の手前で靴底を鳴らし、魔導書を片手に振りかぶる。

「こンのクソッ、」

「お待ちください!」

 急に現れた制止の声に、魔王は不格好な姿勢でぴたりと止まった。青筋を浮かべながら振り返ると、書庫の出入り口で冷や汗を流すルイがいた。今にも本を投げ捨てんとする魔王に片手を突き出し、じりじりと一歩を踏み出す。

「……捨てることだけはどうかご勘弁を。お怒りでしたら、この私めがお相手いたしますので」

 私が手にしたのは火薬だったか? と振り上げた腕の先を確認するも、どこからどう見ても魔導書だった。火薬ではない。

 そして魔王は知っていた。自分よりも冷静でない者が近くにいると、返って正気に戻るということを。

「ま、処分することに変わりはないが」

「ちょっ……!」

 焦るルイを横目に、魔王はポイッと本から手を放す。追い打ちをかけるように魔法で火もつけた。

 つんのめりながらも駆け出し、バルコニーどころか欄干も越えようとするルイのシャツを魔王は鷲掴む。

「やめておけ。死ぬぞ」

「止めないでください! ああ、魔導書がっ」

 ルイが伸ばした手には灰が少し掠めるだけ。火の塊は落下を終えると、さらに火力を増して原形を消していく。

 ルイは背後の魔王を振りかえると、涙目をキッと吊り上げた。

「何故燃やす必要があるのです!? 魔法を愛していると仰ったのは嘘ですか!」

「魔法を愛しているのは本当だが、偽造を許すほど私の心は広くない」

「ぎっ……! ……えっ、は……」

 ギゾウ? と呟くルイに、魔王は乱雑に頭を掻いた。

「偽物だ、ニセモノ! 知らん魔法だと読んでみれば、基本のキの字も理解しとらん素人だった。ったく、こういうものが紛れているから作業が進まんのだ!」

「ハハ……でしたらこちらも偽物ですか?」

 ルイが床に積まれた内の一冊を手にとると、魔王は振り返り、ああ、と呟いた。

「それは本物」

「床に置かんでください!」

 ルイが悲鳴を上げながら積まれた魔導書たちを救い出す。視線を移せば床の至る所に積まれた魔導書の数々。血の気の引いた顔を魔王に向ければ、魔王は肯定するように深く頷いた。

「床に! 置かんで! ください!」

「うるさ……分かりやすくていいだろうが」

「ここに棚があるでしょう!」

「遠い」

「歩けばすぐでしょうが! まったく……著者の方々に恨まれますよ」

「床に置く程度で恨まんて」

「また勝手なことを……って、」

 魔導書を棚に移す途中、表紙の金字にルイはピタリと手を止めた。

「……リヒト、レーゲン?」

 確認の意を込めて金字を撫でれば、存在を主張するようにキラリと輝く。聞き覚えしかないその名に口を開きかけた時、タイミング悪く魔王の声と重なった。しばしの沈黙の後、魔王は顎でルイの発言を促したが、では自分からと応じるわけにはいかなかった。

 城に重体で運び込まれてから今日までの十日間、こうして城内を動き回れる程までにルイを回復させてくれたのは、他でもない魔王だった。重体時にかけてくれた回復魔法はもちろん、食事に着替え、果ては心配で眠れぬエーリヒの寝かしつけまで。ルイは自身に焼いてくれた世話よりも、エーリヒへの手心に感謝した。護衛対象である主が自分のせいで身体を壊していくなど、ルイには最も許しがたいことだったのだ。

 そんなわけで、ルイにとって魔王は警戒対象から一転、敬愛する主へと昇格した。自身の恩人、かつ主の師匠。ほぼ主と同義では? とルイの単純な頭は導きだしたのだ。

 ルイの精神は主第一。魔王もほぼ主となった今、彼女を遮ってまで話し出すなど言語道断。先手を受け取るわけにはいかないのだ。

 ルイの頑なな姿勢にしびれを切らし、魔王は脱力するように椅子に腰かけた。鋭い舌打ちが可憐な顔から繰り出される。

「大体おぬし、何の用があってここに来た? もう治す怪我はないはずだぞ」

 ルイは一瞬ハッとすると、すぐにニコリと笑みを浮かべた。魔王が顔をしかめたのは言うまでもない。

 腕の魔導書を片付け、一旦書庫を後にしたルイが戻った時、その手にある物に魔王は益々顔をしかめた。ガラガラと車輪を響かせ、ルイは努めて明るく声を出す。

「ずっと書庫にこもられて大変でしょう。八つ時ですしそろそろ休憩に、」

「いらん」

 ルイの笑顔がぴしりと固まる。ワゴンに乗せられた紅茶と軽食に、魔王は虫でも見るような目を向けた。

「何度言えばわかる? 私は食わぬ。邪魔だから持ってくるな」

 魔王はルイの看病を努めてくれた。ならば自分もと調理や掃除を買って出たが、魔王は断固として受け取らなかった。

『私は雇主としておぬしらの生活を保障する義務がある。しかしおぬしらは働き手。必要以上の仕事をする義務はない』

 魔王にとって命じた仕事以外は余計なお世話。それでもと折れぬルイに、魔王は渾身の一撃を放ってきた。

『私は魔王だぞ? 貴様らが勇者と称える男に殺されかけた身。仇の子孫の好意など、信用できるわけがなかろうが』

 ご尤もと当時のルイは項垂れた。しかしルイは主第一主義を掲げる男。せっせと足を運びまくった結果、信用したのか諦めたのか、魔王は書庫手前の掃除のみ受け入れるようになった。

 次は食事だと目標を掲げたルイだったが、どうしても受け取ってもらえない。今回も手の甲を向けられる始末。毎度虫を払う動作をされては、さすがのルイも傷つく。

 またエーリヒの腹行き決定かとルイが涙を呑んだ時、魔王の鋭い制止が入った。ルイの顔が途端にパッと明るくなる。

「召し上がられますか!?」

「いらぬわ」

 そうでなく、としょぼくれるルイを魔王は指さす。

「おぬし、先程何と言った?」

「召し上がられますか?」

「違うわ阿呆。もっと前」

 もっと……、とルイは顎に手を当て頭をひねる。

「八つ時ですし、」

「八つ時!?」

 魔王は前かがみになると、勢いよく時計へと視線を移す。次いでバルコニーへ視線を向けると、サーッと顔色を悪くした。

「いま、何日の八つ時だ……?」

「十二日で、」

「十二!?」

 魔王は椅子から飛び降りると、魔法でいくつかの魔導書を集め始めた。かと思えば、あ! と声を上げ、書庫の奥へと駆けだしたりと、何時にもなく忙しない。十にも満たない少女の姿をしていることも相まって、転びやしないかとルイはハラハラした。

「あの! 急にどうされたのですか? 何かお手伝いできることは、」

「手伝いはふよ、ッ違う! ある!」

 ルイの表情が再びパッと明るくなる。

「何なりと!」

「そこにある飯を食え!」

「え、」

 そこにある、とはどういうことか。ルイがどれだけ周囲を見回そうとも、食事らしきものは自身が魔王へと献上し、断られたものしかない。

「え?」

「貴様が持ってきたヤツだ阿呆! さっさと食え! ったく何故気が付かなんだ私は! 貴様も貴様だ! 何故私に持ってくるばかりで要求しない!?」

「申し訳ありません。何が何やら……」

 ルイがとりあえずと軽食を机に移した時、異空間へと手を伸ばしていた魔王の動きがピタリと止まる。足早にルイの元へ来ると、無遠慮にルイの腹をがしりと掴んで揺さぶった。

「飯だ! 何時から食っていない!?」

「……二、三時間前でしょうか?」

 は? と魔王の呟きが散らかった書庫に落とされる。机上の頭蓋骨がため息でも吐くようにカタリと揺れた。



「つまり、食材の保存法が見つかり、かつ残っていると」

「はい。ご心配をおかけして申し訳ありません」

 書庫をある程度片付けた魔王とルイは、廊下を歩きながら相互確認を続けていた。

 魔王が書庫で慌てふためいたのは、一日一回の食材提供を忘れていたからだ。

 魔王はルイとエーリヒの雇用主であり、彼らの生活を保障する義務があると考えている。城外での安全面は多少目を瞑らせてもらう分、城内に関しては寝床や風呂、食材の提供など、出来得る限り行うつもりだった。食材確保は魔法の練習に最適というエーリヒの自己申告により、食材提供だけは取り止めていたが、ルイが重症で意識不明という事態が事態。エーリヒが弱って使い物にならないと判明してからは、魔王が調理まで行う大サービス(クソ不味い)に出た。

 ルイの回復がすこぶる順調とはいえ、病み上がりには違いなし。エーリヒも魔王が課した課題に熱中している今、調理まではいかずとも食材提供くらいはしようと考えていた魔王だった……が。

 魔王は忘れていた。時間経過に鈍感なことを。

 序盤の数日は覚えていたものの、作業に熱中してからは提供がおざなりになっていた。ルイが頻繁に書庫を訪れていなければ、食材提供などすっかり忘れ、本の虫と化していたことだろう。

「いや、謝るべきは私の方だ。すまなかった」

「おやめください! お伝えしなかった我々に非があります」

「それは……いや、やめよう。時間を無駄にしそうだ」

 魔王は片手を挙げて首を振った。謝罪の嵐になることが容易に想像ついたからだ。

「しかし保存法が見つかったとはいえ、渡した食材では二日も持つまい」

「ハハハ、ご冗談を。育ち盛りでもあの量は多すぎます」

「は?」

「え?」

 二人の歩みがピタリと止まる。顔を見合わせた二人に、しばしの間沈黙が流れた。

「説明」

「いやいやいや、何もおかしいことはありません。芋とスープを一日一回。魔王様にご返却された分も合わせれば贅沢すぎるくらいかと」

「いっ……!」

 魔王は俯いて目頭を押さえる。ルイは何かしでかしてしまったかと手を空中で泳がせた。

「……私の記憶が確かなら」

「はいっ」

「人間が一日三食、一食につき三、四皿食えるようになったのは、遅くとも七百年前だった気がするが?」

「……はい?」

 今度はルイが目頭を押さえて俯く番だった。顔を上げると、まさかと苦笑する。

「何処のお伽話です? 今どき貴族でも一日二食が普通ですよ? どんなに裕福でも芋がパンに代わるくらいでしょう」

「……」

 魔王は耐えられないとばかりによろめくと、深くため息を吐いた。

「……次の食事から私も呼べ」

「! 召し上がってくださるので!?」

「見張る」

「え」

 魔王は乱雑に頭を掻くと、混乱するルイを置いて歩き出した。

「おぬしらに任せておくと栄養失調で倒れかねん。まともな飯を食えるようになるまで見張るからな」

「……せっかくですし、」

「私はいらん。ハア……通りでトワと重ならないわけだ」

「もしや……初代ガーディアンのことでしょうか!? 魔王城で戦死したと聞きます」

「ああ、トワだろう? トワ・ガーディアン。アイツを超える剣士はおらんだろうよ」

 ルイの口は自然と開き、頬には赤みがさしていた。魔王は幼子のようなその表情に、仇の前だろうに、と苦笑した。

「アイツのようになりたかったら、三食きっちり食うんだな」

「はいっ!」



時は流れて魔王城のとある一室。魔王とルイは目的地に着いたはいいものの、思わぬ障害に阻まれていた。

「小僧ー、何時まで籠城するつもりだ! 開けろ!」

「エーリヒ様、往生際が悪いですよ! 開けてください!」

 二人分の拳に扉はガタガタと揺れるものの、開く様子はない。犯人の絶対に開けてやるものかという固い意志の表れだった。

 魔王がわざわざこの客室まで来たのは犯人……もといエーリヒが書庫に来なかったからだ。

 魔王は日に日に弱っていくエーリヒに一つの課題を課した。エーリヒほどの魔法馬鹿なら、難題でも与えておけば心配など引き飛ぶだろうと考えたのだ。その予想は見事的中。療養中のルイがほんの少し寂しさを覚えたのは言うまでもない。

 課題の期限は本日十五時。終わらず降参に賭けていた魔王だったが、見に来てみればまさかの籠城。歴代の弟子たちもしなかった新たな策に、魔王は子ども心の難解さを再認識させられた。

 扉の施錠が魔法だろうが力技だろうが、魔王ならば指一本で解決できる。しかしそれは扉だけ。そのような行動をとれば、エーリヒが後々面倒なことをしかねないと、魔王は過去の経験で知っていた。

「年単位の行方不明は生きてられんぞ……」

「魔王様、こちらへ! 何か聞こえます」

 顔色の悪い魔王を、扉に耳を当てたルイが呼び寄せる。言われた通り耳をすませてみれば、確かにぼそぼそと呟く声がした。

「ルイは師匠と俺、どっちの味方なんだよ……」

 来た! と魔王の手に力が入る。非常に面倒くさい質問だが、この暗闇を抜ける唯一の光には違いない。魔王が期待の眼差しを向けた先には、目を閉じて軽く息を吐くルイがいた。ルイの空色の瞳がカッと開く。

「七対三で魔王様です」

「裏切者!」

 扉の向こうは叫んだっきりうんともすんとも言わない。魔王は無言でルイの脛を蹴った。

「ちょっ、いたっ、地味に痛いです!」

「大人しく蹴られんか馬鹿者! もっと考えて物を言え!」

「考えました! 考えましたが期日を守らないエーリヒ様に非があるかと」

「今! 正直は! 不要!」

「申し訳ありません!」

 涙目のルイに、魔王は息を荒げながらも蹴るのを止める。

 兎にも角にも、隣の馬鹿野郎ルイのせいで開放は遠のいた。長期籠城の足音に、魔王は力いっぱい首を振った。

 俯き思考を巡らす魔王に、一つの策が舞い降りる。正直なところ、失敗八の成功二だがやるしかない。魔王は拳に力を入れた。

「……いや」

 魔王は拳をだらりと下げた。エーリヒと過去の弟子たちは違う。もっと純粋な何かが、エーリヒには、エーリヒの人生には足りていない。

 魔王は乱雑に頭を掻くと、扉の前に胡坐をかいた。

「良く聞け小僧」

「……」

 無反応は想定の範囲内。魔王は目を閉じ、大きく息を吸った。

「私は薪に火をつけるはずが、誤って家を全焼させたことがある!」

「ま、魔王様!?」

 急な暴露にルイの動きが固まるも、魔王は一瞥もせず扉のみを見続ける。

「おぬしに堂々と披露した解除魔法! アレも出来るようになったのは最近だ! 腹を下すなど日常茶飯事だった!」

「……」

「水中に転移して溺れかけたことも、土地を枯らせて賠償したこともある! あー要は……何が言いたいかというと!」

「……」

「失敗してもいい!」

 扉が控えめにカタンと揺れる。

「失敗して、考えて、また挑戦する。その繰り返しだ! 私もそうやって魔法使いになった! 今は結果ばかり目が行ってしまうだろうがな小僧、重要なのは失敗を繰り返した過程だ! 過程があって、おぬしはようやく成長できる!」

「……」

「あー……っと、ほ、他には……」

 墓場まで持っていくつもりの恥を披露しても動かぬ扉を前に、魔王の口角がひくひくと動く。恥なら腐るほど思い浮かぶが、これ以上話すと沽券に関わる。しかし扉は開かぬのだ。魔王が意を決してプライドに刺さったナイフを持ち直した時、扉の向こうからかすかな声がした。

「……師匠は」

「!」

「俺が完璧に出来なくても、殴んないの?」

「……!」

 耳を澄ませてようやく聞こえる弱弱しい声に、魔王は目を見開いた。何故エーリヒは籠城に出たのか、考えてみれば簡単なことだった。

 エーリヒの首枷は同情欲しさの小道具ではなく本物、つまり奴隷ということだ。理不尽な命令に従わねば、遂行できなければ罰を受けるのは当たり前。解きかけの課題を渡すより、解けるまで、忘れてもらえるまで籠城する。苦しくないのはどちらか、エーリヒは経験でしか知らないのだ。

「……殴らんよ」

「……」

「殴ったところで、残るのは痛みだけだ。魔法が出来るようにはならん」

 魔王は扉に向けて目を細めた。

 エーリヒと事情は異なるが、魔王もまた、人に教えを乞うたことがある。その者はお前のためと理由をつけては、罰を与える者だった。

 だが魔王は気づいていた。その者は魔王のために頬を叩いてくるのではない、優越感を得るために叩いてくるのだと。人の上に立つのは面倒だ。しかし付随する優越感は、面倒をかき消すほどの甘美な味を与えてしまう。

「……でも、師匠すぐデコピンする」

「うっ」

「クソ痛いやつ……」

 確かにした覚えがあった。流血に加えて暴言も。魔王は苦虫を嚙み潰したような顔をした。

「……すまん」

「阿呆とか怒鳴るし」

「すまなかった。おぬしの眼を前にするとどうも……いや、ただの言い訳だな。本当にすまない」

 魔王がありすぎる自覚に頭を抱えていると、頭上からガタガタと音がした。扉から眉尻を下げた子どもが顔を出す。

「……俺も、ごめん。期限守れなくて」

 魔王は小さく息を吐くと、立ち上がってスカートに付いた埃を払う。

「私の言葉が足りなかったのだ。謝る必要はない」

「でも、……迷惑かけたし」

 足元から視線を動かさないエーリヒ。想定よりも重症な予感に、魔王は銀白色の頭を掻いた。

「あー……では、」

 命令? 条件? どうにもしっくりこない響きたちをかき分けた先、一筋の光に手がかかる。魔王は俯くエーリヒの前に、右の小指を突き出した。

「約束」

「?」

「『分からないこと、困ったことがあればすぐに言う』。私はー……そうだな、『申し出に怒りや暴力で返さない』」

 どうだ? と、魔王は胸を張る。契約は言わない、聞かない、すぐ逃げるが暗黙の了解のこの世界。最も契約に詳しく、かつ相手にしてはいけない魔王からの提案。常人ならば二つ返事でお断りするところだが、魔王は不思議とこの契約が成立する自信があった。

 生気の抜けた青白い指に、傷跡の目立つ指がゆっくりと交差する。待ちわびたと言わんばかりに、青白い指に力が入った。

「よし。次からはちゃんと言いに来い。私も気を付けるでな」

「……次?」

「?」

「課題、また出してくれんの?」

 エーリヒのか細い声に、魔王は赤い瞳を瞬かせた。

「当たり前だろう。受け身だけで習得できるほど、魔法は甘くないぞ」

 エーリヒは相手のいなくなった小指を見つめ、グッと力強く拳に収めた。前を見据える顔に、もう涙を湛えた迷子はいない。

「うん……うん、俺頑張る! よろしくお願いします!」

「うむ、その意気だ! ……っと、おぬしも」

「?」

 真剣な赤の瞳に見つめられ、頭上のルイが動きを止める。

「おぬしにも散々な扱いをしてしまった。不快な思いをしただろう」

 ルイが書庫を訪れる度、来るな寄るな余計なお世話と冷たくあしらった魔王。常人ならば心がバッキバキに折れていてもおかしくはない。

 このとおりだ、と頭を下げる魔王に、ルイは慌てて膝をつく。

「頭をお上げください! 私はむしろ……」

 ルイは胸に片手をつけると、空色の瞳を細めて微笑んだ。

「ご褒美でしたので」

「…………そうか」

 赤い林檎の中身は黄色と、誰が想像できただろう。常人の皮を被ったルイから後退る魔王に対し、エーリヒがこそっと耳打ちした。

「ルイはちょっと頭おかしいところあるから、深く考えない方が良いよ」

「……そうか」

 あの先祖にしてこの子孫あり。おぬしの血は謙虚さを知らんのか、と魔王は亡きトワ・ガーディアンに思いを馳せた。



今後も不定期になりますが、体調と相談しながら話を続けられたらと思います。お付き合いいただけたら嬉しいです。

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