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①埋葬ー休息ー

2024/8/28 気になっていたところを修正しました。

 魔王は一人、戦痕と花々が同居する廊下を慎重に進んでいた。

 何度も往復したおかげで、瓦礫や花の位置は脚が覚えている。それでも足元を確認してしまうのは、偏に自己管理もできない弟子のせいだと、両手のスープを睨んだ。

『王はよくご自身を冷たいと仰いますが、これほどまでにお優しい方、私は王と親友以外に存じ上げませんな』

 懐かしい顔が脳内で穏やかに笑う。

 思い返せば、男の言葉に間違いは無かった。らしくない手料理も男には予想の範疇かもしれないと思うと、魔王は急激に来た道を戻りたくなった。

 しかし目的の部屋は目と鼻の先。食べ物を無駄にするのも気が引ける。

 魔王は反抗心と倫理観を天秤にかけた結果、ため息を吐いて扉を開けた。

 カーテンから淡い光が射しこむ部屋には、ベッドで眠るルイと、その傍に椅子を持ってきてもたれかかるエーリヒがいた。

 二日前の激しい雨の日、魔王はエーリヒの救難信号を受けて、魔物の死体に囲まれていた二人を助けたのだ。あと数分合図が遅ければ、血の匂いに寄せられた魔物によって命を落としていたことだろう。意識不明の重体がルイだけで済んだのは不幸中の幸いだった。

 ルイの寝顔を虚ろな目で見つめるエーリヒに魔王は手刀を落とす。

「いつまでそうしておるつもりだ」

「っ……脇腹は、やめてください……」

「授業をサボるどころか飯も食わぬ貴様が悪い」

 涙目で脇腹を抑えるエーリヒの前に、魔王はずいとスープを差し出す。

「食え。城に死にかけが二人もいては気分が悪い」

「……俺じゃなくて、ルイに、」

「寝ている奴にどうやって食わせろと? ……こやつは魔力耐性が低いから回復に時間がかかる。魔力感知が使えるならわかるだろうが」

 手をギュッと握りこむエーリヒに器を押し付けると、魔王は暖炉付近の椅子に腰かけた。

 行儀悪くスープをかき混ぜていたエーリヒだったが、魔王の視線に耐えかねたのか、しばらくするとスープを口に運び入れた。

 詰めていた息を吐きだす魔王に対し、エーリヒは口元を抑えて苦笑する。

「これって罰か何か? クソ不味い気がするんだけど……」

「あえて選ぶなら忠告だな。自慢ではないが私の得意料理は薬でね。大半の料理がクソ不味くなる」

 頬杖をついて笑う魔王を前に、エーリヒは気合でスープを流し込んだ。

 そして誓った。今後師匠に包丁は握らせまい、と。


◇◇◇


 ルイが起きぬまま迎えた三日目の夜。介抱もひと段落して魔導書に手をかけた魔王のもとに、控えめなノック音が届く。眉根を寄せる魔王の前に現れたのは、部屋から追い出したはずのエーリヒだった。

「こ、こんばんは」

「こんばんは。寝ろ」

 魔王が虫でも追い払うように手を動かす。一瞬たじろいだエーリヒだったが、ここが勝負どころ。あらかじめ用意しておいた言い訳を効果がありそうな順に並べたてる。

「いや、師匠も疲れてるだろうから代わるって」

「授業中にうたた寝する貴様ほどではない。寝ろ」

「……灯りで魔物が襲ってくるかもしれないし」

「私以上の強者はおらん。寝ろ」

「……夜に、独りは、怖いだろうし」

「童か。寝ろ」

 三対ゼロで魔王の圧勝。エーリヒの脳内で敗北のゴングが響き渡る。

 しかし諦めるわけにはいかない。最後の手段だとエーリヒは魔王の脚にしがみついた。

「じゃあ俺が独り無理なの! 居させて!」

「『じゃあ』の時点で嘘だろうが! ったく、いい加減にせい! ろくに寝とらん貴様を休ますために追い出したのを忘れたか!」

「覚えてるよ! でも急に悪化したらとか思うと気になって眠れない!」

「悪化しているのは貴様の方だ、鏡見ろ! あーもう、はーなーせー!」

「いーやーだー!」

 格闘すること数分、魔王はついに足元の銀髪から手を離した。

「はあ、はあ……あー、わかった。わかったから放せ」

「ほ、本当……?」

「この程度で、はあ、嘘などつくか」

 魔王は部屋の隅に視線を送ると、震える指先で円を描く。遅れてエーリヒが顔を向けると、植物の一部と化していたソファが浮き上がっていた。

 拘束していたシェドの花ははらりと解かれ、本来の役目を取り戻したソファがエーリヒの隣にストンと落ちる。

「今の、」

「教えんぞ」

 輝きから一転、光を失ったエーリヒの瞳を前に、魔王はため息を吐いた。

「そこまで隈をこさえた奴からさらに睡眠時間を奪ってどうする? 教わるにしても隈を消してから願い出ろ。あと毛布は自分で持ってこい」

 授業中のうたた寝諸々、魔王のはらわたは煮えくり返っているらしい。

 エーリヒは細い身体をさらに縮こませながら部屋を出ていった。


◇◇◇


「寝ろ。とにかく寝ろ。寝ることだけ考えろ」

「はい……」

 魔王が指を鳴らすと同時に天井の明かりが掻き消える。

 毛布を手に戻るやいなや、魔王によってソファに沈められたエーリヒは、瞼を閉じて命令遂行に集中した。目を開けようものなら、数分前の蹴りどころでは済まなさそうだったからだ。

 しかし寝ようと思えば思うほど、目は冴えてしまうもので。

 脳内の羊が五百匹を超えた頃、エーリヒは開き直って眼を開けた。数えた方が眠れないと結論が出たからだ。

 集めた羊を逃がしていると、無駄に入っていた力が抜けていく。

 眼前に広がる暗闇は普段エーリヒが眠る時と似ている。それでも胸が空っぽに感じないのは、隣から聞こえるルイの寝息と、魔王が紙をめくる音のおかげだった。

 温かさに瞼がそっと降りてくる。以前にも感じた温かさだ。辛くて苦しい現実に慣れるため、エーリヒが厳重にしまい込んだ温かさ。厳重にしすぎてエーリヒ自身も忘れてしまっていた。

 決して広くはない部屋に二つのベッド。夜は魔物が活発になる。悪い子は魔物が攫って食べてしまうのよとひそめた声で教えられた。想像しただけで背筋が震え、エーリヒは毛布を被って籠城する。それでもエーリヒは知っていたのだ。掌が添えられ、温かい声が迎えてくれることを。

『大丈夫?』

「大丈夫か?」

 暖炉の明かりを背負う銀の長髪。暗闇に紛れる掌の温もり。恐怖をかき消す優しい声。

「……かあさま?」

 瞼が開くと同時に涙が零れる。しかしエーリヒの眼に映るのは母ではない。黒い二つの角などあっていいはずがない。

「……母と私を一緒にしてやるな」

「!」

「私は魔族だ。おぬしに殺されるべき存在だ」

 深紅の瞳がギラリと輝く。エーリヒは目を見開いて飛び起きた。

「ご、ごめ、ははっ、何言ってんだろ俺。師匠と母様を間違えるとか、母様もういないのに。うわー……はずい。わ、忘れて! ごめん忘れて! ああー、はっず……」

 真っ赤に染まった顔を手で覆うエーリヒだが、涙までは考えが及んでいないらしい。重なるようにまた一筋涙が落ちる。

 涙がぽたりと顔を離れた時、ちょうど首枷の高さで反射した。開き直ったか信頼か、エーリヒが三日前から隠そうともしない首枷。暖炉の火を受けて存在感を示す輪に、魔王は白魚の手を握りこんだ。

「……おぬしは」

「えっ?」

「おぬしは何故、私に心を開く? 私は貴様らを殺そうとしたのだぞ!」

 魔王の鋭い視線がエーリヒを射抜く。赤みの引いてきたエーリヒは腕を組むと、たっぷり時間をかけて首をひねった。

「……殺されそうになった覚えがないんだけど」

「嘘を吐け。森での出来事を忘れたか」

「あれは……魔物がやったことでしょ。師匠じゃない」

「捜索を命じたのは私だぞ。似たようなものだろうが」

「違いますー。もしかして師匠って頑固?」

 エーリヒの態度が癇に障ったのか、整った顔を歪めて舌打ちをする魔王。ならばと細い指がエーリヒの首枷に触れた。

「これを造った者が私でも、同じことが言えるのか?」

 エーリヒの薄紫の瞳が見開かれる。首枷から離れようとする魔王の手を、エーリヒは逃がさなかった。

「師匠が造ったの? コレ」

「ああ」

「嘘だ」

「嘘ではない。着用者の精神に干渉し、逆らえない、逃げられないといった思考に陥れさせる。……心当たりがあるだろう」

 俯くエーリヒが魔王の手を放す。

 確かにエーリヒは首枷が鎖に繋がれていないにもかかわらず、父である国王から逃げたいとは思っても、逃げようと思ったことは無い。ルイを始めとした人々が止めに入るような無理難題——それこそ今回の魔王城行きも、エーリヒは逆らえないのだから仕方がないと受け入れた。

「此度の捜索も、とても童ができるような容易な仕事ではないと気づいたはずだ。従者にも逃亡を勧められたはずだ。それでも捜索せざるを得なかったのは、私が首輪の効果を知った上で命じたからだ」

「……」

「格上の魔物を相手にしてみてどうだった? 教えられた魔法は通じず、逃げることも許されない。魔物の腹に入るその瞬間まで、絶望と痛みに苦しみながら、」

「違う」

 きっぱりと否定するエーリヒに絶望の色は見られない。魔王は格下のはずのエーリヒを前に、視線を逸らすことができなかった。

 エーリヒは後頭部を数回かくと、ソファの上で胡坐になった。

「確かにコレを造ったのは師匠だろうね。クソハゲを前にした時と今聞いた効果が一致する。通りであんな剣も満足に扱えねえデブに敵わないと思うわけだ」

「……では、」

「でも師匠が俺たちを殺そうとしたってのは嘘。俺は散々師匠に反抗したし、教えられた魔法が使えないとは思わなかった。むしろ使えすぎて……逃げてほしいのかなって」

「……は?」

 目を見開いて固まる魔王に、エーリヒはいたずらっぽく笑みを浮かべた。

「骨の捜索は確かに無謀に思えるよね。どんな子どもだったら簡単にできるんだよって話。でも師匠が教えてくれた魔力感知、あれは魔力を持つモノの位置と強さを計れるでしょ? 格上の魔物との戦闘を避けられるじゃん。試しに荷物を覗いてみたら魔導書でしょ? 保存食に地図に……ちゃっかり金貨まで入れてあったし。もしかして師匠は、俺たちが逃げる前提で捜索を命じたのかなって」

「では! では何故逃げなかった!? 無謀だと思ったのだろう!?」

「……ルイにも訊かれたんだよね、それ」

 眉間にしわを寄せるエーリヒに対し、悔し気に表情を歪める魔王。覆ることのなかった立場が、ここにきて初めて逆転していた。

 エーリヒは腕を組んで頭をひねる。

「……まず言っとくと、捜索は今の俺では無謀ってだけ。一人で魔物を相手にするのに十分な技術がないから、」

「まて」

「……はい」

 よく回っていた口が急に速度を落とし始めた。聞き捨てならない言葉も耳にした気がする。

 立場逆転は儚き夢。魔王は視線を逸らすエーリヒの顔を掴み、強制的に視線を合わせた。

「一人? 一人と言ったか?」

「聞き逃して欲しかった……」

「逃がすか。何故一人でする必要がある? 言え」

 エーリヒの額の前で指を構える魔王に対し、エーリヒは両手で壁を作る。

 エーリヒはため息を吐いた後、自身の首枷を指さした。

「これ見れば想像つくだろうけど……師匠は魔法使いがどういう扱い受けてるか知ってる?」

「治療から雑事までこなせて重宝されている……というわけではないのだろうな」

 エーリヒは俯いて苦笑した。

「そうだったら良かったんだけどね。……昔、勇者一行の魔法使いが実は魔王の手先だったと知られてから、魔法使いは人類の敵、排除すべき存在と見做された。今でこそ緩くなったもんだけど、良くて罪人、悪けりゃ奴隷だよ。クソハゲが罰金払いたくねえからって、王族として生まれた俺も奴隷落ち。見せられたモンじゃないし、見せたくもないけど、折檻の痕だらけよ、俺の身体」

 傷跡があるのだろう、エーリヒは腹の辺りで服をギュッと握りしめた。

「それに比べてルイ……ガーディアン家はさ、建国以前からある名門だよ? あのクソハゲでも思い通りに出来ない人らがさ、俺なんかに頭下げんの。俺のせいで滅茶苦茶すごい人たちが笑われてんの。……悔しいじゃん」

「……それで従者から離れたのか」

「……そりゃそうだよね。師匠が魔力感知教えてくれたんだから、そりゃ使えて当然だ」

 エーリヒは魔王から視線を逸らす。薄紫の瞳が見つめる先は、静かに眠る従者だった。

 魔王の救助のおかげで傷一つ無くなった従者の姿に、エーリヒはフッと笑みを溢す。

「ルイに俺の従者を辞めさせたかった。こいつが頭を下げるべき人は他にいる。俺なんかじゃなくて、ルイはその人の剣であるべきだ。そうすれば、ルイを笑う奴なんていなくなる。ま、踏ん切りがつかなくて二か月も時間を無駄にさせた上、大怪我までさせた俺が何言ってんだって話か」

「……」

 もの言いたげな視線を送る魔王に気づいたのか、エーリヒがパッと魔王に振り返った。

「師匠、お願いですからルイは見逃してやってください。俺なんかで足りるかはわかんないけど、二人分の働きをしますから」

 両手をついて頭を下げるエーリヒ。人にものを頼む最大限の姿に、先程の発言は本心であると魔王は嫌でも気づかされた。

 従者を守りたい主と、主を守りたい従者。そしてその主は自身の教え子ときた。中々厄介な二人を引き当ててしまったものだと、魔王は肩を落とした。

 しかし魔王は師匠である。師匠が教え子にやられっぱなしでは恰好がつかないというもの。

 期待の眼差しを送る教え子に、魔王はわざとらしく咳ばらいをして見せた。

「……だそうだが、おぬしはどうなんだ? 従者」

「……え?」

 エーリヒが壊れた玩具のようにカタカタと振り返ると、規則正しい寝息を立てるルイはいなかった。代わりに居たのは、起き上がって笑みを浮かべるルイだった。魔王はルイが起きているとわかった上で、エーリヒが逃亡を拒んだ理由を口にするよう誘導したのだ。

 血色の良さは元気な証拠。しかしこめかみの青筋は気のせいであってくれとエーリヒは切に願う。

「……黙って聞いてりゃあ、あんたは」

 気のせいじゃないわと瞬時に悟るエーリヒ。震える手で魔王に助けを求めるが、いくら探っても空気だけ。もしやと魔王愛用の椅子を見れば、頬杖をついて素知らぬふりをする魔王がいた。

「ししょ、」

「師匠ではなくこっちを見ろ、このバカ主!」

「病み上がりなのだから程々になー」

 一応とばかりに口にした魔王だったが、礼儀を置いてきたルイが聞くわけがない。エーリヒの悲鳴が夜の魔王城に響き渡った。

 それにしてもと魔王はため息を吐く。閉じたまぶたの裏には、魔王を圧倒したエーリヒの真剣な表情が浮かび上がっていた。

「齢十五の教え子に見抜かれるとは……ラファエルの名が泣くな」

 しかし魔王の顔に悔しさはない。忘れかけていた温かさが胸を占めていた。

「あと九つか……死ぬまでに思い浮かぶかね」

 ポツリと溢した声は悲鳴に紛れて消えていく。心地よい騒がしさをBGMに、魔王は思考を巡らせるのだった。


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