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②保管庫の破壊ー決意ー


 保管庫に突然落とされた低い声。ツワブキでも、ルイでも、妖精たちでもない。誰とも似つかぬその声に、エーリヒたちは眼を見開いた。

 侵入者だ。地下で、入れる者も限られているというのに。五百年守ってきたというのに。ツワブキは舌を打ちつつ、視線と気配で侵入者の姿を探す。が、探すまでもなかった。

 ——最初から隣にいたのだから。

「久々だな、義兄さん」

「!」

「元気そうで何より」

「リ、……」

 白銀のくせ毛に金の隻眼、怪我を隠す黒の眼帯。肌で輝く鱗はドラゴンの血を引く証。

 記憶と変わらぬ弟弟子——リツハルドの姿が、そこにはあった。

 ——違和感と共に。

「……なるほど」

 ツワブキはそう呟くと、異物を見るように目を細めた。数歩分後退し、腰の双剣から手を放す。

「御前ですね。今更何の御用で?」

「ゴゼン……?」

「……ッ!」

 状況についていけないエーリヒたちに、上からガツンと衝撃が落ちる。思わず膝を折れば、上から押さえつけるシュヴァルツの姿があった。

「なにっ、」

『静カニ! 反抗的ナ姿見センナ!』

 肌に落ちる一滴の水。エーリヒがそっと背後を見やれば、正体はすぐに分かった。シュヴァルツの冷や汗だ。あのお調子者がここまでとは、ゴゼンは相当上位の者に違いない。その証拠か、先程から肌に突き刺さる威圧感。呼吸一つも許さぬ感覚に、エーリヒたちは身体を強張らせることしかできなかった。

 一方御前と呼ばれたリツハルドは、訂正も肯定もせず、ただツワブキの殺気にも似た視線を受け止めていた。が、突然プッと噴き出した。呑気な笑い声に、保管庫の張りつめた空気も揺れ動く。

「流石だねツワブキ。何時から?」

「最初から。貴方の息子は、僕のことを『義兄さん』なんて呼ばない。『マザコン野郎』か、百歩譲って『クソ兄貴』です」

「口が悪いなぁ。親の顔が見てみたいよ」

「とぼけているおつもりなら面白くありませんよ。——それに、」

 ツワブキは腰に手をつくと、嘲るようにフッと笑った。

「アイツは貴方のように向けないんですよ、殺気」

「……」

「人間嫌いはお変わりないようで」

 御前はしばし黙ると、こちらも嘲るようにフッと笑った。冷え切った眼が、目の前のツワブキを捉える。

「そんなに喋れるなら、謝りに来れば良いものを」

「!」

「ま、アレと君の問題だからね。私からどうこうするつもりは無いよ」

「……」

 ツワブキの苦虫を嚙み潰したような顔に満足したのか、御前はスッと目を細めた。肌が震えるほどの殺気がゆるりと和らぐ。

 御前はツワブキから視線を移すと、極限まで息をひそめるシュヴァルツたちを見下ろした。

「ツワブキの使い魔だね。お目付け役ご苦労様。もう十分だから、皆その辺に座りなさい。私はただ、確認をしに来ただけなんだ」

 ね? と、首を傾げて微笑むものだから、皆自身の眼を疑った。殺気など一つも放ちそうにない穏やかさ。本当に同一人物かと、唾を飲み込みたくもなる。

 しかし再び殺気を浴びるのも恐ろしい。皆戸惑いながら、円を描くように芝生に座した。御前もまた、ちょうど良い岩を見つけて腰を下ろす。皆を見下ろしながら、立場を表すように足を組んだ。

「知らない子もいるだろうし、まずは自己紹介かな。私はミカエル。頭領領主と、大陸中に存在するドラゴンの取り纏めをしている。わかりやすく言えば……」

 御前——ミカエルは顎に人差し指を添えると、軽くウインクした。

「ドラゴンの王、かな?」

「……」

 リアクションを求められているのだろうが、オーディエンスのほとんどは震え、唾を呑み込むので精一杯。慣れているツワブキだけが頼みの綱だが、腕を組んで完全無視。不敬にも程がある行為だが、ミカエルには気にする素振りもなかった。

「ツワブキとシュピールは知ってるし。あとは……」

 俯いていても感じる視線。ミカエルはニコリと笑うと、エーリヒたちの顔を魔法で無理矢理上げさせた。細められた冷たい金眼に、ぞくりと肌が粟立った。

「自己紹介、できる?」

 出来るよな? と喉元に爪を立てられている感覚。一秒毎に、爪は臓物を突き破らんと這いずってくる。体中から水という水が噴き出しているような気がして、エーリヒは失態を侵していないことを願うばかりだった。

「え、エーリヒ……エーリヒ、ライアー、です」

「……は?」

「うんうん」

 ライアー王国の、王子なんだよね?

 追い打ちのようなミカエルの問いに、エーリヒはコクリと頷くことしかできなかった。ツワブキの突き刺すような視線が、エーリヒの良心をぐちゃぐちゃに貫いていく。

 別にライアーの名まで出せとは言われていない。仮名のエリックでも済んだかもしれない。

 それでもミカエルの殺気が、心臓を抑えられているような感覚が、ありのまましか許されないとエーリヒの防衛本能を狂わせた。

 現にミカエルは満足そうに笑みを深めている。先程までの笑みは張りぼてで、こちらが本物なのだと痛感させられた。

「妙な運命だよねぇ。ティアベルを殺した男の子孫が、『暁の御手』を持って生まれてくるなんて」

「……ッ!」

『ハ……?』

「……」

 ミカエルは常に狩る側だ。どの相手に、どのような言葉をかければ、事が面白くなるかを知っている。勝手に周囲が獲物を狩って来てくれる。

 服の裾をギュッと握りしめるエーリヒに、ザクザクと芝生を踏みしめる音が近寄ってくる。ザク、ザク、ザク。俯く視界に靴の先が映ったとき、エーリヒは目を瞑って覚悟を決めた。結果前髪が浮き上がるだけで済んだのは、ツワブキの拳を、身体を、ルイを始めとする周囲が抑え込んでいたからだった。

 ツワブキの悲鳴にも似た怒号に、上空の蝶も恐れをなして飛び去って行く。

「ッはなせ! 邪魔をするな!」

「……!」

『駄目ダッテツワブキ! ツワブキ!』

「煩い! 殺すんだよコイツを! 母さんから、皆から、全て奪ったコイツを!」

 暴れるツワブキと、彼を羽交い絞めにするシュヴァルツ。エーリヒに危険が及ばないよう、前に立ちふさがるルイとシェド。いつも守られて、安全な場所に居てばかり。何の痛みもない頬が、エーリヒの胸に治せない傷を生んでいた。

 最初から、ありのままに話せば良かった。赦されなくとも、殴られても。

 出来なかったのは、命令遂行に支障をきたすと胡坐をかいたから。覚悟など、国を出た時点で決めていたはずなのに。

 優しくされて、人として扱って貰えて。自分が責められるべき人間だと、ゴミのように扱われて当然の人間だと忘れていた。

『詫びろ』

 頭の中に、母国で浴びた声が湧いてくる。

 『生まれてきたことを詫びろ』

 『生きていることを詫びろ』

 『……のに』

 記憶に残る微かな声に、思わず顔を上げてしまったのが駄目だった。

 『エーリヒなんて、産まれて来なければ良かったのに』

 鏡映しのような思い出が、泣いて自分を詰るから。

「——せん」

 口を衝いて出た言葉は、自責と恐怖の表れ。

「申し訳ございません」

「エーリヒ様……?」

 一秒でも早く膝をつき、頭を地面にこすりつける。心配する従者の声も、周囲の様子もエーリヒには届いていない。とにかく謝らなくては、自分が悪いと認めなくては。母国での辛い経験が彼を突き動かす。

「申し訳ございません、申し訳ございません申し訳ございません」

「エーリヒさま、エーリヒ!」

「申し訳ございません申し訳ございません申し訳、」

 パアンと鋭い音が頭に響く。熱い頬と舌に感じる血の味が、エーリヒを過去から引きはがした。

 息ができない。それもそのはず、エーリヒは胸ぐらを掴まれ、足先も地面についていないのだから。

 胸ぐらを掴む女性は、どこか見覚えがあるような。色白の肌を真っ赤に染め、痛々しいほど目に涙を溜めていた。

『——キライ』

 拒絶する一言に、エーリヒの胸がスッと冷える。だが思い違いだと気づいたのは、続く言葉が一番欲しいものだったからだ。

『マムノコト嫌イ言ウ奴、シェド嫌イ! マム悪クナイノ、シェド知ッテル!』

 二メートル程もある女性——シェドはエーリヒを地面に下ろすと、ぎゅっときつく抱きしめた。

『何デ謝ル? マム悪クナイ。シェド、マム好キ! 好キ、ダカラ』

 謝ル、ヤメテ。そう泣き叫ぶシェドは大人のようで、いつもの子どものようだった。

 腕の中で固まるエーリヒに、ミカエルのあらら、と本心の掴めない声が届く。

「君が生み出したティアシーか。主である君の感情に影響されちゃったんだねぇ。ティアシーは一度泣き出すと大変だよ?」

 ミカエルは両耳に手を当て、眉尻を下げた。

『ヤァァァー!』

「こちらの耳なんてお構いなしだからねぇ」

「っ!」

 わんわんと終わりの見えない叫び声。心配していたルイも、主を絞めていたシュヴァルツも。暴れていたツワブキまでもが堪らず耳をふさぐ。

『アアア!』

 煩いを通り越して耳が痛い。皮膚を突き抜け、血が流れ出しそうだ。地響きまでもが起きる事態に、皆膝をつかざるを得なかった。

 殺される、皆があの世へ片足を突っ込んだその時。

「……まったく」

 ミカエルがパチンと指を鳴らした。パッと周囲に光が走り、突然騒音から解放される。

「使い魔の制御も出来ないなんて、未来の心臓王が務まるのかな?」

 ミカエルのため息を聞き、皆恐る恐る耳から手を放した。先程までが嘘のように静かだ。しかし騒音犯を見やれば、変わらずわんわんと涙を流している。泣いているのに、泣き声だけが聞こえない。ルイが眼を白黒させる一方、心当たりのあるツワブキはムスッと顔をしかめていた。

 腕の中で状況の読めないエーリヒを、ミカエルは仕方がなさそうに見下ろす。

「大丈夫」

「?」

「大丈夫って言っておあげよ。安心させられれば何でもいい」

「……」

 何が何だか分からないが、泣かせ続けるのも忍びない。エーリヒは情けない顔のまま、指示された通りに口を開く。

「……だ、だいじょうぶ」

『!』

「大丈夫、大丈夫……」

『……』

 背中をさすられ、少しは想いが届いたのだろうか。シェドは徐々に声を絞ると、エーリヒを腕から解放した。すんすんと鼻を鳴らしながら、本当ニ? と悲哀のこもった眼差しで見つめてくる。

「ほんとう。大丈夫……」

『……マム泣ク、シェドモ泣ク』

「うん」

『マム苦シイ、シェドモ苦シイ』

「うん……」

 エーリヒは震える足で立ち上がると、シェドを頭から抱きしめた。

「悲しませて、ごめん」

『……』

「違う」

 ミカエルはエーリヒたちに近寄ると、エーリヒの額を軽く小突いた。

「『悲しんでくれてありがとう』、でしょ」

「……」

 ミカエルの不満げな表情が、エーリヒの傷だらけの胸に突き刺さる。

 シェドが欲しいのは謝罪じゃない。被害者面は自分を救うが、周りのことは救えない。周囲の思いやりを踏みにじり、口を閉ざさせるだけ。

 エーリヒは泣き腫らしたシェドを見下ろすと、眉尻を下げて微笑んだ。

「おれのために、悲しんでくれてありがとう、シェド」

『……ッ!』

 シェドの眼が再び潤む。エーリヒの細身の身体を抱き寄せると、今度はささやかに泣き始めた。騒音まではいかなそうだ。

「『暁の御手』で生み出した子は、皆君の使い魔。些細な感情にも共鳴してしまうのだから気を付けなさい」

「はい……すみません」

 罪悪感と不信感で揺れるエーリヒの眼。しかしそれに答えてやるほど、ミカエルは良い性格をしていない。ミカエルはエーリヒの謝罪を受け取ると、岩の上にどかりと座った。姿勢を崩し、腹の底からため息を吐く。

「問題が山積みで嫌になっちゃうなぁ。もう引退して、アレにぜーんぶ押し付けちゃおっかなぁ」

 全身で伸びるミカエルの上に、スッと冷たい影が差す。影の主を見やれば、ツワブキが不満気に両腕を組んでいた。その後ろではシュヴァルツがあわあわと震えている。

「正気ですか御前? アイツを次の心臓王に認めるなど!」

「そりゃあ不満だよ。でも誰が王位を継ぐかなんて私に決められることではないし、何よりティアベルが認めてるんだ」

「!」

「私が口を挿む隙なんて鱗一枚もないよねぇ」

「……ッ、」

 ぽっと出の、それも仇の子孫が目指していた席に座るのだ。最愛の母の公認付きで。そりゃあツワブキも唇を噛みたくなる。

 不満しかない。殺してやりたい。しかし母の意思は。様々な感情が胸に渦巻き、眉間に山をこさえているツワブキに、ミカエルの意地の悪さが手を伸ばす。

「それに君、人のこと色々言える立場?」

「!」

「次期頭王を追放し、噓の報告をした上、今の今まで謝っていないよね?」

「……」

「他の弟子たちのことも、気に入らなかったら叩きのめしてたみたいだし」

「……」

「挙句の果てには、勝手にヒトの領地に引きこもるしねぇ?」

「……」

「優等生にこーんな一面があったとは。ティアベルは知ってるのかなあ」

「……!」

 ティアベルの名が止めの一突き。どんどん上がるミカエルの口角に対し、じわじわと膝から崩れていった。最初は怒りで真っ赤だった顔色も、今では病気を疑うほどまでに青白い。

 しかし小石程度の反抗心は残っているのか、ツワブキは地面の芝生ごと握りしめた。

「……お、ことばですが、ここは心臓領です。心臓領の者が心臓領で暮らすのは当然のこと。引きこもったのも、あなた方が裏切ったから、」

「裏切った?」

 ミカエルはしばし固まると、大声で笑い飛ばした。呆けるツワブキに顔を近づけ、人差し指を突き付ける。

「君、ここを自分一人で守ってきたと、本気で思ってる?」

「……は?」

 「あたりまえだろ」を凝縮した結果の「は?」。不敬極まりない返事に湧き出たのは怒りではない。いっそ可哀想にすら感じる程の呆れである。

 ミカエルは額に手をつくと、俯きながら首を振った。

「不自然だとは思わなかった? 国が勇者に奪われたのに、この神殿までは奪われなかったこと」

「……」

「五百年、弟弟子の誰一人探しに来なかったこと」

「……」

「私が、この神殿一帯をハルジオンの国土だと言い張ったから」

「…………は?」

 ツワブキがやっとの思いで絞り出した「は?」。王として同情するべきなのかもしれないが、同情してほしいのはミカエルの方だった。ミカエルは当時の怒涛の日々を思い出し、ぐったりと肩を落とした。

「勇者の制裁から逃れる者がいたとして、逃亡先はこの神殿くらいしかないと思ってね。勇者が軍を派遣する前に、私の土地だと大々的に表明したの。魔王との戦いで疲労困憊の勇者は、案の定進軍を止め、この土地を諦めた」

「……」

「君の弟弟子たちは、消息が掴めないと騒いでいたけどね。何処から情報が漏れ、勇者に伝わるか分からないだろう? 事態の全容が掴めるまで、君の行方は味方にも隠しておくことにした」

 掴めないまま、五百年経っちゃったけど、とミカエルは肩を竦めた。話し終えて一息つくミカエルとは対照的に、ツワブキの心中は荒れに荒れていた。

 ミカエルの説明が正しいとするならば。ツワブキが一人で守ってきたと思っていた神殿は、ミカエルの助力があってのもの。裏切りやがってと恨んでいた弟弟子たちは、ツワブキを裏切るどころか、心配して行方探しに躍起になっていた。

 要するに、傍から見ればツワブキは。

「身内を犯人扱いした上、説明もなしに姿をくらませた最低野郎……!」

「そうなるね。理解が早くて助かるよ最低野郎」

『ツ、ツワブキー!』

 ぱたりと倒れるツワブキに駆け寄るシュヴァルツ。ミカエルの拍手が止めのように突き刺さった。

 しかしミカエルの意地の悪さは止まることを知らない。次なる獲物に焦点を当て、ニヤリと冷たい笑みを浮かべた。

「主を心配するのはいいけれど、君もだーいぶやらかしてるよねぇ?」

『ヒッ!』

「おかしな報告が上がってるんだよねぇ。この山で悪人ばかりが居なくなる、私が選別をしてるんじゃーって……そんなことをした覚えはないのにねぇ」

 笑顔で圧をかけ続けるミカエルに、獲物ことシュヴァルツは震えながら後退った。もう彼の脳内に心配の文字はない。放り出されたツワブキの背中が惨めに映る。

 ミカエルの言う選別とは、御前村の老人たちが聞かせてくれた噂のことだ。この御前山に立ち入った人間は、善人のみが生きて帰れる。悪人は消息不明。神域であることから、ミカエルが選別を行っていると実しやかに語られたのだ。

 ——しかし当の本人が否定したとなると。

 視線を逸らすシュヴァルツの顔を、ミカエルがガッとわし掴む。冷や汗が伝うのを気にも留めず、力技で視線を合わす。

「君だよね、シュヴァルツ?」

『……』

「シュヴァルツー?」

『……ハイ』

 蚊の鳴くような肯定の後、シュヴァルツは光の速さで土下座した。

『僕ガ食ベマシタ、申シ訳アリマセン!』

「動機」

『ハイ!』

 シュヴァルツいわく。十分な食事は与えられているが、どうしても人肉が恋しい時がある。しかし町の者たちは皆顔見知りだし、何よりツワブキが許さない。そんな彼の元にやってきた、やってきてしまった遭難者である。

 性格がよく、危険性のない人間ならば、ツワブキは町民として受け入れる。悪人ならば永遠に遭難してろと見てみぬふり。放置一択の主を横目に、シュヴァルツは常々、常々考えていた。

 どうせ助けないなら、僕が食べてもいいんじゃね? と。

 町民にしない。顔見知りでもない。喰わなきゃ良かったと後悔する人間性でもない。仮に餓死したとして、神域に死体が残るのは如何なものか。

 遭難者は餓死コースから進路を変更、シュヴァルツのおやつコースへ急行した。

 一度食べたらやめられない止まらない。シュヴァルツは周辺警備と称し、遭難者——もといおやつを探し歩くようになった。

 主との共鳴も、距離が離れれば離れるほど効果は薄れる。ツワブキは基本神殿から出ないため、遠方で食せばバレることはない。

 食べ進める内に、判断基準は人間性から容姿の良さへ。どうせ食べるなら見目の良いおやつが食べたい。人間も馬(妖精)も考えることは同じだ。

 やがてシュヴァルツは遭難者の報告もしなくなった。容姿が良ければ喰い、悪ければ喰わずにさようなら。

 村民の老人たちはまさか人喰い馬がいるとは思っていないため、ミカエルの怒りに触れたと恐れたのである。

 これが選別の真相。善人だから生き延びたというのは偶々だ。偶々シュヴァルツの美的審査に落ちただけ。

 ミカエルはシュヴァルツの後頭部を見下ろしたまま、ハアとため息を吐いた。

「そんなことだろうと思った」

『本当ニ、本当ニ申シ訳アリマセンデシタ! マサカ御前ト認識サレテイルトハ思ワズ!』

「別にいいよ。私の領民じゃないし」

「……るか」

 ミカエルの軽い許しに混ざり、底冷えのするような殺気が届く。シュヴァルツが恐る恐る顔を上げれば、先程芝生に倒れ込んでいたはずのツワブキが、鬼の形相で見下ろしていた。

 思わず漏れ出た悲鳴も許さぬと、ツワブキはシュヴァルツの首をわし掴んだ。

「いいわけあるか、このバカ馬! 人間は喰うなとあれほど! あれっほど口酸っぱく言っているのに!」

『アワワワワワワ……』

「熱心に警備していると感心していた時間を返せ! 吐け! 何時から! 何人! 喰ったんだ!?」

 首を絞めるだけでは足りないのか、シュヴァルツの身体を前後に揺するツワブキ。美しい顔からは想像も出来ないパワーだ。おかげで望んだ回答でなく、気絶寸前のうめき声が漏れ出ている。

「主が主なら、使い魔も使い魔だよねぇ。……さて」

 順調に青白くなっていくシュヴァルツを横目に、ミカエルは岩から腰を上げた。苛める玩具はあと一人。ザクザクと近づく影に、最後の玩具——ルイは身構える。

「君は?」

「……ルイ、ガーディアン」

 何が来る。何を言われる。心臓はバクバクと早鐘を打つが、悟られるのは癪に障る。せめてもの抵抗にと、ルイは自身よりも大きい長身を睨みつけた。

「……ガーディアン」

 来るなら来い。その張り付けた笑みを崩してやる、とルイが震える手を叱責した時だった。

「君がトワの子孫かぁ! 本当に子どもいたんだね!」

 ぱっと華やいだミカエルを前に、ルイはポカンと口を開けた。

 予想と違う。もっとネチネチと嫌がらせをしてくるはずではなかったのか。拍子抜けして睨むのも忘れたルイの両肩を、ミカエルはグッと掴んだ。ルイの前方からずれ、荒らし終えた犯行現場を見せつける。

「どうして勇者側に付いたのか知らないけど、とりあえず……」

 彼らのお守、頑張って! そう宣う顔は晴れやかで、罪悪感の欠片も感じていないようだった。サムズアップする余裕もある。

 視線をずらせば、泣きながら抱きしめ合う二人と、怒りのままに首を絞め、絞められている二人。

 あまりにもカオスな光景に、ルイは一言呟くだけで精一杯だった。

「はあ……」



 時間経過か、はたまたルイの尽力故か。騒がしかった保管庫も、何とか落ち着きを取り戻していた。顔色だけは煩いままだが、聞くための心の余裕は出来た。絶妙な距離感で座した皆を前に、ミカエルはようやく本来の目的を話し始めた。

「ティアベルからここを破壊させると聞いてね。見届けてから帰ろうと思ってたのに、なっ…………かなか壊れないからさ」

「……」

「どうせツワブキがごねてるんだろうなぁって覗いてみたら、喧嘩してるでしょ?」

「……」

「もう予想通りすぎてウケるよね」

 口調に反して上品に笑うミカエル。名を出されたツワブキはといえば、眉間に皺を寄せ、フンと鼻を鳴らしていた。案の定、シュヴァルツは滝のように冷や汗を流している。美麗具合に惹かれたとはいえ、よく今日まで契約が続いているものだ。

「要は僕を笑いに来たわけですね。相変わらず良い性格をしていらっしゃる」

『シッ! ツワブキ、シッ!』

「アハハ、まぁそれもあるけれど、そっちはついで。本当は、破壊の意思があるかどうかの確認」

 破壊、するんだよね? そう首を傾げてくるミカエルを前に、ツワブキはグッと口を引き結んだ。聞き耳を立てるエーリヒたちの手にも、無意識の内に力が入る。

 ミカエルは微笑みに紛れ、スッと冷たい視線を寄こした。

「ティアベルが言っていたよ? 『ツワブキが居るなら心配ない。必ず壊してくれる』って。ここまで信頼されておいて、壊さない……なんて、あるわけないよね?」

「……あり得る、と言ったら?」

「罰を下す」

「下して結構。呪い返してやりますよ」

「……」

「……」

 王と配下の無言の睨み合い。草木までもが圧される事態に、エーリヒたちは肌が粟立つのを感じた。シュヴァルツに至っては卒倒寸前である。

 一触即発の空気を破ったのは、ミカエルのため息だった。

「頑固者」

「……」

「ティアベルに頼んで正解だった」

 ミカエルが指をこすり合わせると、さらさらと砂状の光が宙を舞う。何事かと身構える皆の耳に、聞きなじみのある声が届いた。

『——御前も心配性ですね。問題ありませんよ』

「!」

「ここに来る前、ティアベルに頼んで、会話を記録させてもらった。ツワブキが反対するのは、ほぼ確定事項だったからね」

 ツワブキの口が、声にならない声を紡ぐ。当たり前だ。手紙と声では、胸に届く重みが違う。

 しかし声は魔法で記録し、再現されたもの。どれだけ深く味わいたくとも、裁量権はミカエルにある。早期完遂を望む彼が、繰り返し再生することなど絶対にない。

『でもねティアベル。もし、もしツワブキが保管庫を残すって言いだしたら、君はどうする?』

「!」

 聞こえてきたミカエルの問いに緊張が走る。幻滅、勘当……悪循環を始める脳に届いたのは、意外な答えだった。

『まあ……一週間は使い物にならないでしょうね。嬉しくて』

 俯いていた顔が一斉に上がる。それもほとんどが呆けているときた。自身に集中する間抜けな面に、ミカエルは笑いを堪えることが出来なかった。

『……いや、そういうことを訊きたいわけじゃ……。というか、えっ、嬉しいの? 命令に従わないのに?』

『私が大切にしている物を、愛する者も大切にしてくれている。私を超える幸せ者など、そうそう居りませんよ』

 ツワブキの頬に一筋の涙が伝う。その姿を盗み見たエーリヒは、目を見開いた。胸から黒い血がじわじわとあふれ出す感覚に、堪らず服を握りしめる。

『しかしそれは、無害であればの話。仮にあの子の未来を狭めたり、世界から批判される原因にでもなったりすれば』

『……』

『私が私を殺したくなる』

 フフ、とこぼれる笑い声は、母の慈愛に満ちて聞こえた。

『だからこそ、生きている内に片を付けるのですよ。今ならまだ、恨みを聞いてやることも、責を負うことも出来る……私の母も、きっとそうする』

「……かあさん」

 ボロボロと大粒の涙を溢しながら、ツワブキは空の光へと手を伸ばす。しかしいくら掴もうにも、魔力の光に実体はない。役目を終えれば、消え失せるのみ。

 ツワブキは温度も感触も掴めないまま、芝生の上に膝をつく。心臓の前に拳を添えても、何が変わるわけでもない。それでも拳を解かず泣き続けたのは、母を傍に感じたい、その一心だったのかもしれない。



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