①埋葬
2024/8/28 気になっていたところを修正しました。
鈴の鳴るような鳥のさえずり、瞼を照らす優しい温もり、鼻をくすぐる新芽の香。
「……夢か」
天井のデザインは自室と異なり少し古臭いが、これはこれで味があり嫌いではない。窓の外には木々と白さの残る山々が広がり、王都とは違った美しさがある。
「うん、夢だ」
ルイは休暇初日のような心持でシーツから身を起こした。
昨日起きたことはすべて疲労が見せた悪い夢。険しい獣道も、人骨が見え隠れする森も、魔王と名乗る頭のおかしい少女も、全部全部悪い夢。そう結論付けたルイはグッと数秒かけて伸びをした。
「お、ルイ起きたか!」
「エーリヒ様! おはようございます」
穏やかに笑う主を前に、ルイの胸はパッと明るくなった。
エーリヒの雰囲気が普段ではありえない程華やいでいる。これはもう王都を離れて休暇に来たで間違いない。
ふんふんと鼻歌を鳴らしながら食事の準備をするエーリヒ。慌ててルイも手伝おうとするが、椅子を勧められたので大人しく座った。
「お前がよく寝てたから起こしちゃ悪いと思って、今日は俺が飯作ってみたんだ!」
「! エーリヒ様が料理を!?」
「おう! しかも結構自信作! 今持ってくるからな!」
エーリヒは足取り軽く廊下へと向かう。ルイはその背中を親のような気持ちで見守った。
正直なところエーリヒの料理は不味くはないが上手くもない。むしろ不味い寄りだ。しかし食べられない程ではないし、何よりあそこまで楽しそうにしているのだ。主の喜びは従者の喜び。どんな味であれ笑顔で食べきるのが従者の務めと言えよう。ルイは確固たる決意でエーリヒの料理を前にした。
「お待たせ致しました。食人植物と憤怒草のスープでございます!」
「夢じゃなかった……!」
地獄。それ以外に表現しようがないスープ(仮)を前に、ルイは思わず泣き崩れた。
◇◇◇
——話は昨日に遡る。
「魔王……、お前が?」
「ああ」
「本当の本当に?」
「そうだと言っている」
「……」
いや嘘だろ。ルイは喉元まで来た本音をなんとか飲み込んだ。
そう思うのも無理はない。王国に伝わる魔王とは男三人分の高さを有し、片腕を振れば突風が吹き、地に足をつければ地割れが起こる、まさに怪物と称するに相応しい存在だった。
しかし魔王(仮)はどうだ。背丈はルイの腰程、手足は華奢。振ろうものならぽっきり折れてしまいそうな細さである。
どう見ても六歳そこらのか弱き少女。だが城へ近づくほどに感じた禍々しさは合致する。いやしかし。
怪訝な表情で見つめ続けるルイに焦れたのか、少女はチッと舌を一つ鳴らした。同時にルイの視界から少女の姿が掻き消える。
「信じるか否かは貴様の自由。ただし返答には気を遣え」
「クッ……」
青白い人差し指がエーリヒの頭をトンと押す。
「貴様ら程度、私には蟻を潰すより容易なことよ」
不敵に笑う少女を前に、ルイはごくりと唾をのむ。人生の中でも感じたことが無いほどの圧倒的恐怖。勇者が倒しそこなったのか、あるいは新たなる存在か。どちらにせよ、目の前の少女は人外—―魔王だと認めざるを得なかった。
しかし騎士の精神はヤワじゃない。ルイは即座に剣を振り、魔王を後方に下がらせる。その隙にエーリヒを背にする位置に身体を滑らせ、剣を強く構え直した。
「エーリヒ様に手を出してみろ。私が地獄をみっ」
見せてやる、そう続けようとした言葉は不格好に消え失せた。背後から思わぬ衝撃があったからだ。
魔王かと前方に睨みを利かせるが、当の本人はポカンと口を開けたまま突っ立っている。ならば残るはあと一人。
「……エーリヒ様?」
呼びかけに答えるように再度の拳。
「今忙しいのであとに、ってイタッ! 痛い! っちょ、何ですかもう!」
等間隔で繰り出される拳の数々。ルイはあまりのしつこさと積もるダメージ量に、堪らずエーリヒの右ストレートを受け止めた。
俯くエーリヒの口元が微かに動く。
「……ろう」
「はい?」
「キレてえのはこっちだクソ野郎!」
「……は?」
何故、の意味を込めた細い声はエーリヒの怒りをさらに刺激したらしい。こめかみに浮かんだ青筋が新たにひとつ追加される。
エーリヒはルイの鼻すれすれにある物体を突き出した。
「これを見ろ!」
「見てます」
「これは何だ!?」
「近すぎてわかりません」
「わかるとこにずれろ馬鹿!」
あんたが見せて来たんだろ、と言いたいのを我慢し、ルイはスッと距離をとる。
「……本ですね。貴方に直撃しそうだったので切った」
『貴方に』をわざとらしく強調したものの、また一つ青筋を増やしたエーリヒには届かなかったようだ。乱暴な口調に反して、繊細な手つきで本を開く。
「ただの本じゃねえわ馬鹿野郎! 見ろ! 『段差で必ずつまづく魔法』!」
「……」
「『どんな料理も不味くする魔法』!」
「……」
「『鶏に変身する魔法』!」
「……要ります? そんなくだらない魔導書」
「くだらなくねえわ! 人類の宝だろ、う、が……」
つり上がっていたエーリヒの眼は大きく見開かれ、固く握られていた掌は小刻みに震えていた。さすがの魔法好きもこの異様な状況に怖気づいたかと思ったところで、ルイはふとあることに気づく。
「エーリヒ様、少し大きくなりました? 私の目線より下だったはず……」
「……とり」
「え?」
エーリヒは頬を紅潮させて、ルイを天に持ち上げる。
「鶏になってるー!」
「鶏? ……って、はあああ!?」
そんな馬鹿なとルイは目をこすろうとするも、こする手がふっさふさになっていた。どころか原形が見当たらない。羽だ。見回す限りの白い羽。
さあっと脳から血の気が引いていくのに対し、持ち上げているエーリヒは笑みを浮かべてくるくる回る。ルイはこいつあとで絶対殴ろうと固く誓った。
「このようなくだらん魔法で喜ぶとは……おぬし、さては阿呆か? それとも生粋の魔法好きか……いや、この魔法を覚えておる時点で私も同類だな」
「落ち込んでいる暇があったらさっさと戻せ! エーリヒ! あんたも喜ぶなぁ!」
「ッてぇー!」
くちばしで頭を刺され、エーリヒは喜びから一転、痛みに悶える。鶏から冷ややかに見下される王子に、ほんの少しだけ同情したのは魔王の秘密である。
仕切りなおすように魔王がコホンと咳払いする。
「あー、エーリヒといったか。おぬしはライアー王国の第二王子で合っておるか?」
「……そうだけど」
「で、そなたは?」
「……従者のルイ・ガーディアン」
「ぶふっ」
「何か?」
鶏姿で馬鹿にされたと思ったルイが冷ややかな視線を送るが、口元を抑えた魔王は片手を挙げて否定した。
「っいや、すまん。運命のいたずらというやつかと思っただけだ」
「?」
「あるいは女神様の思し召しかね。ふふっ」
魔王はワンピースを翻して背を向けた。垣間見えたその表情は、涙をこらえているかのようだった。
何はともあれと、魔王はひとつ手を叩く。
「王は私の要求を呑んだということだな。……まさか、こんなけったいなものを着けてくるとは思わなんだが」
魔王はエーリヒの首に巻かれたストールを指さした。すべてを見透かすような深紅の眼が居心地悪く、エーリヒは細い指を払いのけた。
「……気づいてたのかよ」
「気づかん方が阿呆だ。まあその表情から察するに、好きで着けているわけではなさそうで安心したよ。せっかく呼び寄せた者が変人では、私の苦労の甲斐がない」
「お前っ」
「いいよルイ。で、シュウカツ? したいとか言い出す変人魔王サマは、俺たちにどんな苦行をさせたいわけ? つーか本当に死ぬの?」
「ああ、死ぬ」
きっぱりとした同意に、エーリヒは鶏を撫でる手をピタリと止めた。
「マジ?」
「まじだ。もってあと二、三年といったところかね」
階段に座って足をぷらぷらと揺らす魔王に、隙は一切見当たらない。あと百年は余裕で生きそうな禍々しさを放っている。
未来が見える魔法でも知っているのかとそわそわしだしたエーリヒに気づき、ルイがくちばしで肌をぐいっとひねる。鶏五年目のような器用さだ。
「十。死ぬまでにやっておきたいことが十ある。おぬしらにはその手伝いをしてほしいわけだが……安心せい。童でも出来る容易な仕事だ。褒美もやる」
褒美。その甘美な響きにエーリヒの背筋がピンと伸びる。腕の中の鶏が次はどうしてやろうかと準備運動を始めた。
エーリヒが魔王をちらちらと見やる。
「……その褒美って、具体的には?」
「この城にある金銀財宝」
エーリヒの背が急に丸まる。魔王はそのわかりやすい反応にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「と、考えておったが、魔導書の方が良いかねぇ」
「良いです!」
「エーリヒ様!」
再びエーリヒの背がピンと伸びる。鶏の絶え間ない攻撃をくらっても輝きを失わない薄紫の瞳に、魔王はくつくつと喉を鳴らした。
「ではおぬしには魔導書を。鶏の方には……」
「鶏じゃない!」
魔王は思いついたとばかりに指を鳴らす。
「魔剣」
「!」
鶏の動きがピタリと止まる。魔王はいっそう笑みを深くした。
「色々あるぞー? 炎が出る定番モノから切った相手に病をうつすいわくつきまで……貰う奴がおらんのならば、非常ーに残念だが処分、」
「貰います」
鶏が立派な羽を広げてみせたので、魔王はとうとう腹を抱えて笑った。
こうして、ちょろい二人と魔王の間に契約が結ばれてしまったのである。
◇◇◇
「無理です!」
「なんで!?」
時を戻して朝食の席。エーリヒと(鶏から元に戻してもらった)ルイは、スープ(仮)を前に論争を繰り広げていた。
「『なんで』はこっちの台詞です! 何故このヘドロが食べられると思うのですか!?」
「スープだっつってんだろ! 食えるよ! 魔王様が食える魔物教えてくれたもん!」
「魔王め……! やはり私たちを殺す気か!」
「魔王様のこと悪く言うなー!」
一時休戦とばかりに荒い息遣いのみが部屋に響く。言葉の殴り合いをすること三十分強。二人の顔には疲れが見え始めていた。
呼吸が落ち着き始めた頃、エーリヒは俯いて服の裾を握りしめた。
「……ルイまで俺の手は呪われてるって言いたいのかよ」
「!」
「ま、そりゃそうだよな。罪人が作ったモンなんて、何が入ってるか、」
「違います!」
明確な否定にエーリヒは目を見開く。顔を上げた先には、あれだけ食べたくないと叫んだスープ(仮)を前に、真剣に両手を合わせる従者がいた。
「ル、ルイ? 無理しなくて、」
「無理などしておりません。食べます」
「いや、だって……」
「エーリヒ様」
ルイの空色の眼に、情けない顔をしたエーリヒが映る。
「誰が何と言おうと、貴方は罪人ではありません。料理の腕は決して上手いとは言えませんし、どちらかというと不味い寄りの物を作る貴方ですが、毒が入っていたことなど一度もない」
「ルイ……」
途中失礼なことを言われたような気がしたが、エーリヒは空気の読める男だったので口を噤んだ。
ルイは地獄を乗せたスプーンを口元まで運ぶ。もちろん食欲はわかない。
見た目が問題ならばと目を閉じる。腐りかけの果実の匂いが腐り済みに昇格しただけだった。ついでに何かうめき声が聞こえた。
結論、どうあがいても無駄。
ルイはフーッと詰めていた息を吐きだす。
「……初めて戦場に出たときを思い出しますね」
「ん?」
「あまりの恐ろしさに、私は目を閉じたのです。父に叱られましたよ。敵を前にして目を閉じるな、閉じた瞬間お前の敗北が決まるのだ、と。料理も同じですね」
「違うと思うけど」
ルイはカッと目を見開いた。
「逝きます!」
「表記……」
ルイがスプーンを口に入れようとしたその時。
「朝から何を騒いでおるのだ」
「魔王様!」
魔王が険しい顔を覗かせた。
「教えてもらった魔物でスープ作ってみたんだ! 魔王様もどう!?」
「すーぷ……?」
魔王は喜色満面にやってきたエーリヒの手元を覗き、開口体勢で涙するルイに視線を送る。そして再びエーリヒに視線を戻し、スープ(仮)を指さした。
「近頃はこれをスープと呼ぶのか?」
「? うん!」
自信満々に答えるエーリヒに対し、首がもげそうなほど横に振るルイ。
魔王は呆れ顔でため息を吐いた後、エーリヒにデコピンした。
「ッター!」
「貴様、私の話を聞いとらんかったのか!?」
「聞いてたよ! 『魔王城周辺の植物型の魔物は私のように魔力を豊富に持っている魔族の』、」
「詳細を述べろとは言うとらんわ! 要約!」
「植物型の魔物は解除魔法をかけたら食える!」
「そうだ! 何故していない!? これでは一口であの世行きだ!」
スプーンがカラーンと音を立てて落ちる。ルイは震える手で口元を覆った。
「エーリヒ様……?」
「違うよ! 俺ちゃんとかけたよ!」
「ほう、ならばやってみい」
ルイと魔王、四つの疑いの眼差しがエーリヒにぐさぐさと突き刺さる。身の潔白を証明するためにも、失敗は許されない。今度こそ成功させると胸に誓い、エーリヒは力強くスープ(毒入り)に両手をかざした。
「解除解除解除解除かい、」
「やめい!」
「っで!」
本日二度目のデコピンである。器用なことに一度目と寸分狂わず同じ位置だ。
額を抑えてしゃがみ込むエーリヒに対し、魔王は仁王立ちして見下ろした。
「今のどこが解除魔法だ、頭がおかしくなるわ!」
「解除魔法ってこれじゃないの!?」
魔王は小さい身体に見合わぬほどの、深いため息を吐いた。
「その魔力量で解除魔法が出来んとは、私を油断させたいのか? それとも現代流の冗句か? どちらにせよ噂の第二王子がこれでは、人間も落ちたものよ。実に嘆かわしい」
「そっ……! そこまで、言わなくても……」
「貴様はまず魔法の根本を理解していない。基本が出来ずに応用など出来るものか、ったく……師の顔が見てみたいわ」
叱られた上に舌打ちまでくらったエーリヒ。床にへたり込むどころか沈みそうな主を前に、ルイは殺されそうになったことも忘れて助太刀した。
「エーリヒ様のお師匠殿は回復魔法以外使えない。だからエーリヒ様は回復魔法以外、すべて独学だ」
「……魔導書は? 少しくらいあるだろう」
「私が知る限り、魔導書を目にしたのは昨日が初だ」
切ってしまったが、とルイは内心で呟く。
魔王は窓の外を見つめた。うっそうと茂る森林のさらに先がエーリヒたちの生まれ故郷、ライアー王国だ。
「……変わってしまったのだな、本当に」
魔王は首筋をかくとエーリヒたちに背を向ける。滑らかな銀糸がはらはらと空を泳いだ。
「頼みを一つ終えるごとに褒美をやろうと思うとったが、止めだ」
止め、その二文字がエーリヒの脳内にこだまする。
止めとはつまり、褒美のチャンスがなくなるということ。最悪、何も果たせないままあの場所に帰されるかもしれない。想像しただけで背筋がゾッと震えた。
エーリヒは縋ろうと手を伸ばすが、歩を進める魔王には届かない。空を掴んでは意味がない。
「待って、」
「私が魔法を教えてやる」
予想だにしない言葉に、エーリヒは薄紫の眼を見開いた。
「……え」
「頼みを一つ終えるごとでは身につかん。おぬしには一日一回、魔法を基本のキから教えてやる。魔導書も私が確認済みの物からくれてやろう」
「なんで」
エーリヒのか細い声が、喜びに反して冷気を帯びる。
「ハッ……ハハ、強者の余裕ってヤツ? 能無しには手心加える位でちょうどいいってか」
「エーリヒ様!」
「違う」
従者の声など気にも留めず、魔王ただ一人を睨みつけるエーリヒ。記憶と重なる冷たい眼を、魔王は無表情で受け止めた。
「私はただ、愛する魔法が消えるのが怖いだけよ」
「……」
「おぬしは私のエゴに振り回される被害者だ。恨むなら好きなだけ恨め。殺したいなら殺せ。私は魔王で、おぬしは人間。皆が祝福するだろうよ。……一度しかせんからな。死ぬ気で覚えろ」
魔王は地獄と化したスープに両手をかざし、空気の音をすうっと鳴らす。
「『東の巨人 西の王 琥珀を持ち寄れ 茨を断ち切れ 罪無き鴉が飛び立つ日まで』」
魔王の白磁の掌から光がこぼれる。無数の光はスープを包み込み、役目を終えたとばかりに消えてゆく。机上には地獄から一転、やや独特な色をした具材たっぷりのスープがあった。
「……見目の悪さは元からか……っと」
「えっ」
魔王はスプーンを手にとると、迷う素振りを一切見せず元魔物を口にした。止めに入ろうとしたエーリヒを余所に、魔王の喉がごくりと動く。
「マズい」
魔王は冷めたスープをルイに手渡す。
「だが毒はない」
ルイは汗ばんだ手でスープを受け取ると、ゆっくりと一口量を運び入れる。形の良い眉がピクリと動き、エーリヒに光を宿した目を向けた。
「いつもの味です!」
喜色を浮かべてスプーンを順調に動かすルイ。いつもの従者の姿に、エーリヒは胸を撫で下ろした。
「魔王様」
ルイを愕然とした表情で見つめる魔王に対し、エーリヒは深々と頭を下げる。
「先程の無礼な言動、誠に、」
「やめんか」
魔王は迷う素振りを一切見せず、エーリヒの頭頂部を指ではじいた。
「もう忘れたか。おぬしは人間で私は魔王。謝る必要などない」
「でも」
未だ言い連ねようとするエーリヒに、魔王はすれ違いざまに笑みを浮かべた。
「だが師としては、非を認め謝ろうとする姿は好ましく思うぞ」
部屋を出ていく直前、歩を止めた魔王があと、と付け加える。
「堅苦しい言葉はよせ。おぬしには阿呆が似合う」
「……ありがとう、師匠」
エーリヒの眼に曇りはない。長年の喉のつかえがとれたような、一人の少年の本音だった。
魔王はエーリヒを一瞥すると鼻で笑い、片手を挙げて部屋を後にした。
自身の皿を空にしたルイは、魔王に思いを馳せるエーリヒに椅子を勧める。
「さ、エーリヒ様もお召し上がりください。腹が減っては、師匠の期待に応えられませんよ」
「ルイ……」
眉を下げたエーリヒは、同じく魔王への認識をやや改めたらしい従者に笑みを浮かべた。
「お前、俺の手料理がマズいって思ってたんだな」
「……大変失礼いたしました」
◇◇◇
「おう、来たか小僧共……って」
魔王が指定した集合場所は、城の最奥に位置する。かつてエーリヒの祖先が魔王を打ち取ったとされるその場所は、別名魔王の間とも呼ばれていた。未だ残る生々しい傷跡と張り巡らされたクモの巣が入室者を萎縮させそうなものだが、床一面に咲くシェドの花がその緊張を緩和させる。しぶとさだけは一級品。花言葉を地で行く小さな侵食者は、足の踏み場も無くなるほど咲き乱れていた。
部屋の中央で巨大な玉座を見つめていた魔王が、エーリヒたちに気づいて振り返る。白い花々も相まって、魔王か再度疑問に思う程の可憐さだった。
魔王は顎に手を当て、はてと首を傾げる。
「私はおぬしにも仕置きをしたかのう?」
「……気のせいでしょう」
額の一点を赤く染めたルイが妙な間で否定する。隣のエーリヒを見やると視線を逸らすので、魔王は合点がいった。
魔王は不憫なものを見るように目を細める。
「……苦労しているな」
「……黙秘します」
「まあいい、私が一つ目にやりたいのはこれだ」
魔王は肩ほどまである黒い箱を叩いた。
エーリヒたちは花を踏まないよう注意しながら進む。初日にうっかり花を踏みつぶしそうになったところ、魔王に激怒されたからだ。城内の、特に魔王の間の異常な花の多さは、侵食されたのではなく、侵食させたのではないかとルイは密かに仮説を立てた。
エーリヒたちがやっとの思いで花畑を越えた頃、魔王がクイと顎を動かす。開けろの意味だ。
ルイは腕に力を入れて、重い蓋を開けてみせた。
「ぎゃ」
「っこれは……!」
思わず後ずさりするエーリヒに対し、中身を凝視するルイ。四つの視線の先には、穴や欠陥の目立つ頭蓋骨の数々があった。
魔王も腕を組んで骨の一つと目を合わせる。
「これまでに見つけた遺骨たちだ。私はこやつらを埋葬したい」
予想もしなかった発言にエーリヒとルイは目を見開いた。
「……あなたが? 何故?」
目の前の魔王は一風変わった所があるものの、魔王は魔王。神話の時代から災いをもたらし、数々の人間たちを葬り去ってきた怪物だ。箱の中の頭蓋の山がそれを証明している。力の象徴としての収集ならまだしも、人間を弔いたいなど、一体誰が考えるだろうか。
「私は魔族。死んだら跡形もなく消えてゆくだけだが、人間はそうもいかんだろう。……それに、」
魔王は骨の一つに手を伸ばし、壊れ物を扱うようにそっと撫でた。
「家族に会えないというのは、存外辛い」
「……師匠にも、家族がいるの?」
エーリヒの問いに、魔王はフッと鼻で笑う。
「たわけ。魔族に家族などいるものか。ただの想像よ」
湿っぽい空気を打ち消すように、魔王はパンッと手を叩いた。
「そういうわけだ。おぬしらにはこれを埋めるのを手伝ってもらうぞ」
「では、土を掘らねばなりませんね。道具があれば楽なのですが」
「師匠! 土掘る魔法教えて!」
服の裾をまくるルイと、元気よく手を挙げるエーリヒ。しかし魔王は怪訝な顔をした。
「埋めるにはまだ早いだろうが」
「?」
「埋葬に季節とかあんの?」
三人そろって首をひねるも、魔王だけはある可能性になるほどと手を叩いた。会話にならないのも頷ける。
魔王は二人をジト目で見ながら、箱のふちに手をかけた。
「まさかとは思うが、これで全部だと思っておるのか?」
二人は大分余裕のある箱の中を見下ろした後、じわじわと顔を青ざめさせた。
「まさか……」
「ここにあるのは私が城内で見つけた分だけだ。城外は探していない」
窓から覗くのは鬱陶しいほどの木々の数々。草木に紛れて見え隠れしていた骨は記憶にしっかり染みついている。ついでに言うと、エーリヒたちは魔王城が山頂に位置することも、魔物が住み着いていることも知っている。昨日汗水流して獣道を進んできたし、魔物は腹の中なのだから。
大昔に魔王を倒したとされる勇者はライアー王家の祖先である。かの英雄には国王の座が与えられ、周辺国からは魔王領の土地と管理を任された。その広さ、ライアー王国の国土およそ三分の一。
「魔王領を隅々まで探して骨を拾ってこい。まずはそれからだ」
冷や汗を流す二人に対し、魔王はニヤリと笑ってみせた。