表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/22

終の光と暁の御手


 エーリヒの喉に生えた謎の物体に騒いだ後、一旦落ち着こうと全員席に着いた。ルイの入れた茶を飲む内に、蟠る困惑も流れていくようだった。魔王はカップを空にすると、背もたれに寄りかかって天井を眺めた。気の抜けた低音が食堂に響き渡る。

「謎が解けた解放感と、さっさと気づかんかった不甲斐なさで、脳がごった返しておる……」

「……何かごめん」

 エーリヒが所在なさげに謝罪する。ぶっちゃけ謝罪の必要性も魔王の心境もエーリヒにはわからない。しかし自身にも少なからず非があるのではと脳が告げていた。

「良い……、早々に可能性を排除した私が悪い……」

 魔王はブツブツ呟くと、襟の第一ボタンを解いた。首を覆うフリルの先には、生気を感じさせぬ白い肌。そこに混じって、ナイフで切られたような黒い痕があることに、エーリヒたちは目を見張った。

 魔王はなおも天井を向きながら、エーリヒたちに問う。

「見えるか?」

「黒い……線、みたいなのが」

「よろしい」

 魔王は視線を元に戻すと、再びフリルで首を覆った。華奢な指先でボタンを閉める。

「私にもおぬしと同じ物があった」

「!」

「それは『逆鱗』……ドラゴンの核とも言える存在だ」

「ドッ……」

「ドラゴン!? エーリヒ様に!?」

 ルイが立ち上がるのも無理はない。ドラゴンとは、神話の時代から人類に危害と恐怖を与えてきた怪物だ。西の大国ハルジオンでは神と崇められる一方、世界的には討伐対象として、堕天に次ぐ一位に定められている。数多の人間が武器を取り、喰い物にされてきた忌むべき存在。そんな怪物にあるものが、何故人間のエーリヒに生えているのか。

 魔王は自身の逆鱗があった場所に触れると、真剣な面持ちで話し始めた。

「逆鱗はドラゴンに生えているのが一般的だが、極稀に他の生物にも生えていることがある。それが私たち――魂の(パース・)取り替え子(チェンジリング)だ」

「パース、チェンジリング……」

妖精の取り替え子(チェンジリング)に聞き覚えは?」

 エーリヒが横に首を振ると、魔王は続きを話し出す。

「妖精がする悪戯の一つで、自身の童と人間の童を取り替えることだ」

「あ、師匠が言ってたアレ?」

「うむ。そちらは妖精が飽きたり、人間が気づいたりして正常に戻すことができる。が、魂の(パース・)取り替え子(チェンジリング)は違う」

 取り替えられるのは産まれる前、魂の状態だ。神が意図してか、はたまた単なるミスか。本来入るべき身体とは異なる身体に魂を入れられ、そのまま産まれてきてしまう。幼少期は特に問題もなく過ごせるが、成長するにつれ身体と魂に差が生じ、身体に見合わぬ能力や身体的特徴が現れてくる。エーリヒに生えた逆鱗は、内に住むドラゴンの影響によるものなのだ。

「私の――ドラゴンの言葉が分かること、膨大な魔力量、詠唱破棄下での魔法発現……どれもただの人間には許されんが、ドラゴンとのパース・チェンジリングならば納得がいく」

「それは! ……っその、エーリヒ様の本来の魂は、戻せるのですか?」

「……私はパース・チェンジリングとして生を受け、千年以上経つが、今なお戻る気配はない。戻し方もわからん」

 固く握られたルイの手がだらりと落ちる。冷や汗を流す従者とは対称的に、エーリヒは冷静だった。

「師匠は、嫌だった? パース・チェンジリングで」

 魔王は一瞬キョトンとすると、フッと鼻で笑った。

「まったく。むしろ逆だな。魔法を自由自在に扱えるのだぞ? 怒りなど湧くものか」

「だよね! 俺もそう。ちょっとびっくりはしたけど、別に嫌じゃない。……あっ、でも、」

 笑顔から一転、険しい顔で喉をさするエーリヒに、魔王は首を傾げた。

「ドラゴン入ってるからって、討伐対象になったりする? それは困るんだけど」

 そう、それを心配していたとばかりに頷くルイ。固唾を飲む二人に、魔王は吹き出した。

「くっ、……ㇵハハハ! んなワケあるか! 危害を加えぬ限り安全よ!」

「やった!」

「よ、よかった……。てっきり討伐対象になるのかと」

『……っ!』

 椅子にへたり込むルイを思い切り叩いたりと忙しない三人に、魔王は喜んでおる所悪いが、と右手を上げた。

「小僧。おぬしはちと特殊だ」

「え」

 魔王は自身の喉――逆鱗の痕を指さした。

「逆鱗に式が無い」

「しき……?」

 首を傾げる三人に、魔王はするすると腕を捲ってみせる。そこにあるのは柔い肌――ではなく、キラキラと輝く鱗の群れだった。三人は思わず立ち上がり、感嘆の声を漏らした(ティアシーは激しい頷きである)。

「すっご……」

「なんと美しい……」

『っ! っ!』

「褒めてくれるのは嬉しいが、見てほしいのはそこではない」

「スミマセン」

 魔王はため息を吐くと、よく見ろと鱗の一枚を指さした。グッと顔を近づけたエーリヒは、あっと声を上げた。

「魔法式が書いてある!」

「えっ、何処ですか?」

「これ! この細かい黒っぽいの! 火魔法の魔法式じゃん!」

「これ……これが魔法式なのですか? とても文字には思えんのですが」

「まあ初見はそんなものだろうな。人間の文字とは大きくかけ離れておる。――でだ、小僧」

「?」

「おぬしの逆鱗にはそれが無い」

 ルイとティアシーが覗き込むと、銀に輝く小さな鱗があった。しかしどれだけ目を凝らせど、魔王にあるような黒い文字は見当たらない。

「逆鱗には二種類ある。一つ、そやつが最も得意とする魔法が刻まれておる有式。二つ、刻むにはあまりに危険すぎる、虚式」

「!」

 魔法は便利なもののように思えるが、実の所制約が激しい。何もない所に火を出したように見えて、薪を準備し、石を打ち、風を送り……そういった果てしない手順を、魔力で代用しているだけ。人間に翼があってはならず、世界の未来を知ってはならず、悪を正義に変えてはならない。理は数多の命と世界を守るために存在しているのだ。

 しかし、理を侵さねば解決できない問題もある。神の手が届かぬ問題もある。

 そこで神は権利を与えた。自身の代わりに、世界を正常に保つ権利を。

「これがドラゴンに伝わる神話だ。私に与えられたのは『終の光(ライニグング)』……私が敵と判断したすべてを、強制的に排除する魔法」

「! あの時の……」

 エーリヒの脳裏に浮かぶのは、森で突然襲ってきた堕天の姿。本来堕天を含む魔族は、人の理を外れた不老不死だ。心臓を刺しても再生し、首を断っても新たな身体が生えてくる。神官でもなければ、まともに戦うことすら不可能だ。

 しかし魔王ならば、『終の光』なら話は別だ。一度浴びれば、光に裂かれ灰と化す。魔族だろうが首枷だろうが、魔王に敵と判断されれば灰となる。再生は勿論許されず、生まれ変わることも許されない。理を歪める禁忌の力だ。

「そして小僧、おぬしに与えられたのはおそらく『暁の御手(ゲルトナー)』。命を与え、統べる魔法だ」

「統べる……」

 魔王は深紅の瞳でエーリヒを捉えたまま、隣を指さした。彼の隣に座るのはティアシー、昨日突然現れた妖精だ。

「妖精は争いを好まぬ生き物だ。それがわざわざ結界を突破してまで、このような血なまぐさい所に来るか? ありえんだろう。だが“突破”ではなく、“現れた”のならどうだ? こやつを“生み出した”ならどうだ? おぬしを母と呼び、雛のように後をつけるのも納得がいく」

 エーリヒはしばし口を開けて固まると、隣のティアシーに視線を移した。青の眼を瞬かせ、じっとエーリヒを見つめるティアシー。背筋に伝う汗がやけに冷たく感じた。

「おれが、お前を……?」

『っ……マム!』

 細身の体にティアシーが抱き着く。彼女はエーリヒを揶揄いたいわけでも、気に入ったわけでもない。ただ母であるエーリヒに好かれたい、エーリヒに認めてほしい。その一心を持ち得る一言に込めていたのだ。

 頬を赤く染め、笑みを浮かべるティアシーを前に、魔王はフッと苦笑した。

「名でもつけてやったらどうだ? 我が子だろう」

「……いや、まだ認知するとは」

「エーリヒ様は親になられたのですよ? 認知しないなどあんまりです」

 お前こいつに関節技決めてたよな? と冷めた視線を送るが、ルイの頭を占めるのは主に娘ができた、ただそれだけ。笑みを浮かべてはいるものの、内側では現状把握に手一杯なのだ。

 エーリヒは腕を組むと、瞳を閉じて思考の海に潜った。我が子。十五で。俺男だよ? 嘘の可能性。いや師匠を信じられないわけでは。そもそも命をやっといて放り出すってどうよ?

 うーんとしばらく唸った後、エーリヒは魔王に向き直った。

「……名前ってどうやってつけんの?」

「……おぬしの自由だろうよ」

「そこをなんとか」

 なんせ子どもなど初めてなのだ。齢十五のシングルファーザーには荷が重すぎる。魔王はため息を吐くと、乱雑に頭を掻いた。

「名には願いを込めるのが通例だろう。健康であれ、努力家であれ、優しくあれ。あとは――、」

 魔王が何の気なしに視線をやった先には、そよ風に揺れる可憐な花。白く小さいシェドの花に、魔王の口は無意識に動いていた。

「――花」

「え?」

「ああ、いや。弟子たちには花の名をつけたと思うてな。私の名はドラゴンの言葉で『花守り』を意味するから、花の弟子たちを守れるようにと……。これでは願いというより覚悟だな。すまん、忘れてくれ」

 花を見ると要らぬことばかり思い出す。こめかみに手を当てる魔王に対し、エーリヒは勢い良く立ち上がった。

「じゃあ俺も花にする」

「?」

 首を傾げる魔王とルイを放り、エーリヒは青を瞬かせる少女を見下ろした。ティアシーの白髪に白の花弁が舞い降りる。

「シェド」

『!』

「お前の名前。俺も師匠みたいに、大切なものくらい守れるようになる。だからシェド!」

 師匠と同じ、願いではない、己の覚悟を込めた名だ。どうか隣で、その純粋な眼で、己の覚悟を見届けてほしい。

「っま……!」

 自信あふれるエーリヒに待ったがかかる。エーリヒが薄紫の瞳を向けた先には、前のめりに片手を突き出す魔王の姿があった。

「その、名は……少々、いや大分……困る」

「えー、」

『シェド!』

 鈴の鳴る声に視線を向けると、年相応の笑みを浮かべ、ひらひらと黒の礼服を靡かせるティアシー――もといシェドの姿があった。

『オレ! シェド! シェドー!』

「あっ、コラ! エーリヒ様の口調を真似るな!」

「ごめん師匠……気に入ったみたい」

 幾多の泡を浮かべて舞う妖精に対し、やっぱなしで、などと言えるだろうか? 魔王城が、魔剣が、魔導書が水没する未来を想像し、魔王は額に手を当てため息を吐いた。

「いや……いいさ。貰ってくれ」

 古く冷たい魔王城に、少女の明るい声が響く。部屋の隅で咲くシェドの花が、祝福するように輝いていた。



「……言いたくなかったらいいんだけどさ、結局師匠って何? ドラゴン……?」

「お名前も気になります!」

『シェド!』

「それはお前だろう」

「? 言っておらなんだか? ドラゴンだ。ほれ」

「「……っ!」」

「正しくは元ドラゴンの堕天だな。城を壊しかねんので童の姿をしておるのよ。こんなんだが名は『ティアベル』。花を守るどころか潰しかねん図体だろう?」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ