初登校
スマートフォンという便利の代名詞とも呼べる代物。
その中でも重要性の高いマップという機能。
それを駆使すれば他愛ない初登校になるだろうと思っていた。
現実、こうして校門前に立って思う。
他愛もなさすぎる。
というのも、自宅からここまで1度左折したくらいで、その後はただ道なりという旅路だった。
これならその左折の一点だけ押さえれば、ほぼほぼ脳死でもたどり着けそうだ。
なんとも呆気ない。変に構えなくても良かった。余計に気疲れをしてしまった僕は、とりあえず覚えやすい事には越したことないと、ポジティブ思考に切り替えて職員用の昇降口へと向かうことにした。
3階建てのコンクリート造りの校舎は、中庭を囲むようにして建造しており、吹き抜けの渡り廊下の先には、体育館であろう別館が鎮座している。
この校舎を飛び越えた先にはグラウンドがあるらしい。
校門から真っ直ぐに続く道の先には生徒用の昇降口が見える。
その隣が目的地である職員用の昇降口だ。
下見すら必要としないシンプルな造り。そのため迷いなく職員室までたどり着く事ができた。
「失礼します」
ノックを2回鳴らすと、聞こえているか聞こえていないか分からない声をかける。
そうして流れるように引戸を引くと、コーヒーの香りが一気に流れ出した。
僕はその匂いに心を落ち着かせながら、背筋を伸ばして入室すると、誰に向けたでもないお辞儀をする。
「はじめまして。今日からこの学校に通うことになりました、保月刹那です」
これまた誰に向けたでもない簡易な挨拶をする。
「あ、きたきた!」
その声にいち早く反応したのは、二十代後半であろう女性の教師だった。
小柄でとてとてと歩いてくるその姿は、さながら小動物のようだ。
「はじめまして!え~と、保月君だったよね!私はあなたの担任になります。香坂淳美です。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします香坂先生」
その僕の言葉のどれに反応したのか、香坂先生は花火のように表情を明るくする。
「うん!香坂先生ですよ!絶対に忘れないでくださいね!香坂先生です!!」
そう食いぎみに詰め寄られ思わず一歩引いてしまう。
「ほらほら香坂先生。保月君がびっくりしちゃってますよ。ハッハッ」
そこへ偉人のような顎髭を蓄えた、穏やかな表情のご年配が現れる。
「はじめまして。私は校長の立浪です。以後よろしくね」
その人が校長だと分かると自然と身が引き締まるのを感じる。
「はじめまして!今日からお世話になります!」
ダウジングロッドのように腰を直角に曲げて誠意をしめす。
「ハッハッハ。そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。この学舎ではね、生徒たちの自主性を重んじているから、まぁ、余りにも素行に問題がなければ自由な校風だよ。だから、思うように、伸び伸びと生活するといい。分かったかね?」
ホワイトな校風を謳う言葉としてよく使用されている、「生徒の自主性を重んじる」は、この立浪校長の声色からは不思議と信憑性を感じる。
確かにここに来るまでの間、金髪といった派手なものはなかったが、明るい茶髪の生徒たちとも数名すれ違った。
自主性を重んじる。しかし、ある程度のラインを守って。それが生徒たちによく浸透しているということだろう。
「はい。分かりました。自分なりの楽しい学校生活を送っていこうと思います」
その僕の返答に満足したように立浪校長は、目尻の皺をさらに細やかにして微笑む。
「それじゃあ、ホームルームまでまだ少し時間があるから、そこのドアを入った応接間で待っていてね。あとから、先生が、《《香坂先生》》が迎えに行ってあげるから!」
弾んだ声でそう言い残すと、例によって小動物のような足取りで自席に戻っていく香坂先生。
僕は言われた通りに示されたドアを開くと、ローテーブルを挟んで並ぶソファーの一角に腰をおろしてその時を待つことにした。
どこか重厚感のある室内を見回したり、窓から朝練に励む生徒たちを眺めたりしていると、あっという間に時間が過ぎていたようだ。
コンコンと軽いノック音にその時間の訪れを知らされた僕の心臓は、自分の耳に届くほど速いテンポを刻んでいる。
「お待たせしました。じゃあ行きましょうか!大丈夫!みんないい生徒たちばかりだから、すぐに馴染めると思うよ!」
そんな僕の心境を察してたか、そう背中を支えるような言葉を僕に送ると、先導するように歩を進め始める香坂先生。
僕はその後に続くように、浮わついた足を何とか進めていく。
教室の前に立つ。定番だとここで僕は一旦待機して、先生に呼ばれたところで入室といった流れになるだろう。
しかし、それはあくまでも別次元の話だ。
香坂先生は教室に入る前一度だけこちらに振り向くと、「じゃあ行くね。落ち着いてね」と僕に気遣うと、慣れたように扉を開いて入室していく。
僕も流れるままに入室する形となったが、余計な間が無かったため、それ以上に緊張することなくすんなりと入室することができた。
教卓、香坂先生の隣に立ちクラス中を見渡す。
当たり前だが生徒の視線は僕に注目している。
「はい。皆さんおはようございます。以前、話した通り今日から新しい仲間が増えます。では、軽く自己紹介をお願いしようかな」
香坂先生は僕に視線を移してウィンクを見せる。
こんなにナチュラルにウィンクをする人は初めて見たと少し面食らってしまうが、変な間を空けるわけにもいかないため、一度息を吐いてから口をひらいた。
「はじめまして。今日からこのクラスの一員となる、保月刹那と申します。数年前まではこの町に住んでいたので、もしかしたら僕を知っている人がいるかもしれませんが、正直僕はよく覚えていません。ですので、また一からという気持ちでこれから学校生活に勤しんでいきたいと思うので、よろしくお願いします」
昨日の夜考えていた言葉たちを上手く紡ぐと、深く一礼をする。
それを合図にクラス中から惜しみ無い拍手が浴びせられる。
それだけで安心感が形を帯びて、僕の心にガッチリとハマるような感覚がする。
「はい!素敵な自己紹介ありがとうございます!改めてみなさんも今日からよろしくお願いしますね。それじゃあ、保月君はあそこだね!あの、窓際の雨宮さんの隣に着席してください」
香坂先生がピョンピョンと跳ねながら指す席を見ると、その隣の席の雨宮と呼ばれた女子生徒と目が合う。
人見知りの子なのだろうか、僕と目が合ったことに気がつくと一度驚いたような表情をして、すぐに目を逸らされてしまう。
僕も人と関わることが得意ではない方なので、その気持ちは理解することができた。
だからあまり波風立てないように軽く挨拶だけすればいいだろうと決め、その一つ空いた窓側の一番隅の席へと向かい歩を進めはじめる。