エレナ様とハート(コミック一巻発売記念SS)
本日8月10日はハートの日。
ということで、ハートフルな話を書こうと考えていたのに、エレナとハートを掛け合わせたらハツを捌く話になってしまった。コミック発売記念にふさわしい明るい話にしたかった。どうしてこうなったのだろう。
グロい話ではないはずですが、臓物系が苦手な方はご注意ください。
繋がりはありませんが、前話SSを読んで頂くとよりわかりやすいかもしれません。
侍女のアリー視点です。時間軸はエレナが使用人と打ち解けたあとのどこか。
「これは困りましたね。どうしましょう」
ある日の午後。伯爵邸の厨房で、私アリーは問いかけながら隣のヨハネスを見上げた。彼は目の前に置かれたものを見て、あからさまに顔を引きつらせている。
「うっ……。すまない、とりあえず、ちょっと離れてもいいか」
「えぇ。そうしましょう」
机の上に置かれた深めの銀色のボールに乗せられているのは、牛のハツ。ハツというのはつまり、心臓のことらしい。丸ごとひとつ、どーんと入っている。
私も得意ではないけれど、ヨハネスはもっとダメらしい。このまま近くにいたら倒れかねない顔色をしている。私たちは箱は見えるけれど数歩離れたところに移動し、肩を下げた。
「なんでこのようなことに?」
「いつもの方が『いいのが入ったんだよ。伯爵様にぜひ』と持ってきてくれたそうです。ちなみに受け取った小間使いは私に報告してさっさと逃げました」
「……そうか」
いつもの方とは、食材を取引している商店のおじさんである。気のいいおじさんはいい品や珍しい品が入ると、真っ先に「伯爵様に」と持ってきてくれるのだ。だからきっと今回もいい品であることは間違いないのだろうけれども。
「どうしましょう」
「困ったな」
よりによって料理長ハンスが珍しく風邪を引いて寝込んでいる日にもってこなくても、と思う。おじさんは全く悪くないのだけれど、タイミングがちょっと悪い。
いつ復活するかわからないハンスを待っていたら、腐らせてしまう可能性もある。
うーんと唸っていると、エレナ様がひょっこり厨房の入口から顔を覗かせた。なぜここにはこない立場のはずのエレナ様が、とは、よくあることすぎてもう思わなくなってしまっている。おかしい。
「アリー、ここにいたの……って、ヨハネス? 顔色が悪いけれど、大丈夫?」
「私のことはお気遣いなく。それより、少しばかり困った事態になっていまして」
「どうかしたの?」
「実は、あれをいただいたんです」
ヨハネスが控えめに指差す。そして私が補足しようと口を開きかける前に、エレナ様はさっとボールのところに行ってしまった。いつものことだけれど、行動が早すぎる。
「エレナ様、それはっ」
「まあ!!」
私は慌てて止めようとしたけれど遅かった。中を覗き込んだエレナ様は、華やいだ声を上げる。キャーとかウッとかではないんだ、と心のどこかで思った。
「立派な心臓だこと!」
「えっ」
それは貴族令嬢の発言ではない気がします。
というか、説明もなしに心臓ってわかるんですね。そうなんですね。
「すごい、この大きさは初めて見たわ。きっと体の大きな牛さんだったのでしょうね」
「エレナ様、見たことあるんですか?」
ヨハネスはそのままの場所から動けずにいるけれど、私はエレナ様を追って近づいている。一応エレナ様がそれを見て気を失いでもしたら、と思ったのだ。全く必要なかったようだ。
「子爵領にいたときにね。でも牛を食べられる機会は多くなかったから、年に一回とか二回とか、本当にたまによ」
充分見てますエレナ様。というか、貴族令嬢って牛の心臓を見慣れているものなのですか。私は初めて見ましたよ。年に一回は「たまに」に該当するんですか。
「鮮度もいいわね。美味しそう」
「えっ」
鮮度とかわかるんですか。
いやその前に、これ見て美味しそうって、美味しそうって、美味しそう……。
「それで……、あぁなるほど。わかったわ。ハンスが休んでいるから、これをどうしたらいいかってことね」
「そうなんです」
「じゃあ、捌いちゃいましょう」
「えっ」
「だって腐らせたらもったいないもの。なにより、食べたい!」
食べたい?
貴族令嬢はこの状態を見て、食べたいと思うものなの……?
本音を漏らしたエレナ様は、なぜか厨房に置いてあるご自身のエプロンをさっとまといながら、ヨハネスに一応「いいかしら?」と聞く。聞いたものの、ダメと言われるとは全く思っていない様子だ。やる気満々である。
ヨハネスはもちろん、答えを持ち合わせていない。なぜなら「伯爵様に」と言われていただいたものは伯爵の、つまりブルーノ様のものだ。使用人がどうこう言える立場じゃない。
「念のため、ブルーノ様に確認を取ってきます」
そう言うと、ヨハネスはそそくさと姿を消した。
逃ーげーたーなー!
おそらくブルーノ様がダメだと言うことはないだろう。エレナ様も同じ考えのようで、ヨハネスから答えを聞く前に準備を始めた。
私も手伝わなきゃという思いだけはあるので、布巾とか必要そうなものだけはなんとなく用意してみる。合っているのかはわからない。
「さて、下処理からね。あら、なんだか外が曇ってきたかしら」
ふふふんと鼻歌でも歌いそうな勢いで、エレナ様はハツを持ち上げる。曇ってきたと言いながら、天気など気にしていない様子だ。
「すごい、重たい」
なんて言いながら軽々と持ち上げてまな板の上に移し、エレナ様は迷いなく包丁を入れていく。
貴族令嬢って、普通に内臓触れるんですね。
たぶん違うとわかりつつ、ぼんやりそんなことを思っているうちに、エレナ様はさくっとハツを開く。
「もしかして、アリーは初めて?」
「はい」
エレナ様、教えていただけるのは大変ありがたいことなのだと思いますが、大丈夫です。ここの筋は取ったほうがいいとか、ここの部分が美味しいとか、言わなくていいです。大丈夫です、たぶん私は今後捌く機会はないと思うんで……、思いたいんで。エレナ様のために捌けと言われたら捌くのが侍女ですが、でもそれは、侍女の仕事ではないと思うんです……思いたいです。
「エレナ様、なんで捌けるんですか……」
「おばあ様に『これくらいできなくてどうする。嫁に行けないよ』と言われて覚えたの。だけど今は、捌けるかどうかが嫁に行ける基準ではない気がしているわ」
そうですね。平民の嫁入り基準として聞いたことはないですし、貴族令嬢はもっと違う気がします。
外ではゴロゴロと雷が鳴っている。通り雨だろうか、ぽつぽつと雨音も聞こえてきた。
同時に足音も聞こえ、ひょっこりブルーノ様が厨房に顔を出した。どうしてここの主たちは普通足を踏み入れない厨房に躊躇なく来るのだろう。
「エレナ? ここにいたのか。お菓子をもらってくると出て行ったきりなかなか戻らないから……」
ブルーノ様の声に笑顔で振り向くエレナ様。
右手には長い包丁、左手はハツをわしづかみ。
光る雷。
「ヒッ」
ブルーノ様は動揺したらしく、体を壁にぶつけた。ダンッとわりと大きめの音が鳴る。
「大丈夫ですか!?」
「待ってエレナ様!」
大丈夫ですか、じゃないんです。どちらかというとエレナ様のほうが大丈夫じゃない雰囲気出してます。まず包丁を置きましょう。続いてハツも置きましょう。手も赤いので、ブルーノ様に駆け寄ろうとするのはやめましょう。ね?
普通に怖いですから。
「えっと、アリー。どういう状況だ、これは?」
「あの……」
戸惑うブルーノ様に、私はこうなった経緯を簡単に説明した。ちなみにブルーノ様に報告しに行ったはずのヨハネスとはどこかですれ違ってしまったらしく、会っていないそうだ。
私の説明を聞いたブルーノ様は、目を丸くしつつもこちらに来て、エレナ様の手元を見ている。さすがブルーノ様だ、ヨハネスと違ってなんてことはないらしい。
そしてブルーノ様は、説明は理解したけど、でもわからない、みたいな顔をして、ぼそりと呟いた。
「……なんでそんなことができるんだ?」
その後、薄くスライスされたハツは「わたくし、上手く料理できないのよね」なんて言うエレナ様によって味付けされ、焼かれた。いい匂いがする。元の形は怖いのに、こうなると食欲がそそられるのはなぜだろう。
調理されたハツは、まずはブルーノ様とエレナ様の夕食の席に、そして残りは使用人たちにも配られた。臭みもなく、いい歯ごたえで、非常に美味しかった。「上手く料理できない」なんてはずがないと思う。
余談だが、復活したハンスに一連の出来事を報告すると、充分に戸惑いながら「エレナ様は何者なんだ?」と呟いていた。
私もそう思っている。
8月10日にコミック一巻が発売になりました。
とても明るく楽しい話になっております。お手元に迎えていただけますと嬉しいです!
いつも応援ありがとうございます。




