62.妃殿下
陛下との謁見のあと、ブルーノとわたしは殿下に招待してもらい城で昼食をとった。その時に紹介されたのが、殿下の最愛の妃だというローズである。
彼女はわたしを見るなり顔をパッと明るくした。あまり表情を動かさないのが良しとされている貴族社会では珍しく、とても表情豊かだ。
「はじめまして。貴女がエレナね? お会いしたかったのよ。ブルーノを射止めたご令嬢ってどんな方なのかしらってずっと楽しみだったの」
食事までの控室でテンション高く挨拶をしてくれたローズは、なるほどブルーノが「殿下がたじたじになる」女性だと言っていた意味のわかるような方だった。もちろん悪い意味じゃない。朗らかで明るく、とても可愛らしくて魅力的な方だ。ただ、王子の妃に選ばれるような方なのだから、おしとやかでご令嬢の鏡のような方なのだろう、と勝手に想像していたわたしのイメージとは全く違った。
「セドリックから話は聞いているわ。たぶん相思相愛って言ってたけど、それでいいのよね?」
「ローズ、落ち着け。そんなにはしゃいだらお腹にさわる。ほら、呼ばれたから行くぞ」
ちょうど準備ができたと知らせがきたので、昼食会場に移動する。殿下が「まったく」と言わんばかりに肩を落としながら自然にローズを支えた。彼女のお腹はだいぶ大きく、動くのが大変そうだ。
「大丈夫ですか?」
「全然大丈夫よ。もうあと一月くらいで生まれるかしら」
殿下が甲斐甲斐しく横につきそう。ローズはお腹をさすりながらゆっくり歩き、席についた。
「ちょっと重くなって、まぁいろいろ体調に変化はあるけど、動けないことはないの。それなのにセドリックったら安静にしてろってうるさいんだから。ちょっと動きたいだけなのに」
「お前のちょっとはちょっとじゃないから駄目なんだよ。一般的に見ても妊婦が剣片手に魔術訓練しちゃ駄目だろう」
「王太子ともあろう方が一般のことなんてわかるの? 平民たちはお腹が大きくたって動いているわよ」
殿下は言葉に詰まってしまった。
たしかに妊婦が剣片手に魔術訓練するのは駄目な気がするけれど、もし自分がその立場だったらやりそうな気がしないでもない。
「あっ、ブルーノ、久しぶりね!」
「ついでのように言わないでくださいますか」
「この度はご結婚おめでとう」
「まだですけどね。妃殿下は相変わらずお元気そうで」
そんなやりとりからも、気安い関係なのがわかる。
殿下と妃殿下、ブルーノは学生時代の友人関係だそうで、妃殿下とブルーノは同学年、殿下が一つ上の学年なのだそうだ。学生時代はよく三人で過ごしたらしい。
その中にわたしがいなかったことが少しだけ寂しい。どんな学生生活だったのか聞いてみたい。
城での昼食はとても洗練されていて美味しかった。さすが宮廷料理人である。だけどハンスも負けていないぞと、なんとなく対抗心を持ってしまった。
食事を終えると別室に移り、お茶の支度がされた。使用人たちが下がっていき、わたしたちは四人だけになった。
「えっ、ブルーノが?」
「そうなんだよ。父上に向かって挑発的な目してさ、エレナ以外とは婚姻しないって宣言したんだ」
クッと笑いながら殿下がローズに先程の謁見の様子を語った。
「俺もヒヤヒヤしたよ。父上が権力をもって縁談を押し付けるとは思ってなかったけど、それでもエレナがいながら言ったってことは結構本気ではあったと思うんだよね。それを綺麗に突っぱねたんだから」
「あの『俺は結婚などしない』とか言ってたブルーノがねぇ」
ちょっと真似をしようとしているのか、ブルーノの台詞だけ声を低くキリッとさせながらローズは言った。その仕草が面白くて笑ってしまう。
「そう言っておきながら三回目だし! しかも今回は完全にブルーノが囲い込んでるし!」
「まぁ、間違ってませんけど……」
「間違ってないんだ!」
ローズの目がまんまるになった。本当に表情がコロコロと変わって、目上で年上の方に言う言葉ではないかもしれないが、とても可愛らしい。
ローズは楽しそうに殿下とブルーノを交互に見ている。
「いや、心配してたんだよ? セドリックが良い人見つけたとか言ってブルーノのところにエレナを送り込むし、途中でブルーノからは余計な事するなみたいな手紙がくるし、最後には伯爵領に行ったら二人で死にそうになるし」
さらに殿下から聞かされた話が「たぶん相思相愛」であり、「ブルーノがうじうじいじいじしていてイライラする」であったのだから、それは上手くいっているのかどうか、と疑問だらけだったらしい。
「ついでにブルーノが自分から女性に話しかけたり何か行動を起こすイメージがまるでないもの。王太子権限で無理やり結婚させて、結局二人とも辛いだけなんじゃないかとも思ったの。でも杞憂だったみたい」
妃殿下は二タァとした顔をブルーノに向け、ブルーノはさっと目を逸らす。
「わたし、エレナと二人で少しお話したいの。ブルーノ、彼女を借りるけどいいわよね?」
「えっ」
「取って喰ったりしないから大丈夫よ」
「そういう心配じゃなくて」
「あら、じゃあ、過去のあんなことやこんなことをばらされる心配?」
「そうじゃなくて、って、あんなことやこんなことって何だよ」
ブルーノが思わず素の口調になっている。きっと学生時代はこうやって話していたんだろう。ブルーノはローズのことを殿下をたじたじにさせる女性だと言ったけれど、たじたじになるのは殿下だけではないようだ。
少し安心した。
ブルーノの過去がいい経験ばかりでなかったことはわかっている。それでも、少なくとも、きっと学生時代は悪いものじゃなかったのだと思えた。殿下と妃殿下が近くにいたから。
「エレナ、行きましょう」
「まてまてまて」
立ち上がろうとしたローズを止めたのは殿下だった。
「お前は座ってろ。俺たちが動くから」
「あら、悪いわね」
「悪いと思ってないだろ」
殿下は苦笑しながら席を立ち、ちょっと嫌そうな顔をしているブルーノを促して部屋を出た。殿下を追い出すローズは強いと思う。
「さて、邪魔者はいなくなったからたくさんお話を聞かせてほしいわ」
さらに殿下を邪魔者扱いだ。本当に強い。
「まずこれだけは正直に答えてほしいのだけれど、この婚姻、嫌ではない? ブルーノで大丈夫?」
殿下が無理やりのように結ばせた婚約だったから心配だというローズに、わたしは迷いなく「はい」と答えた。
「そもそもわたくしのほうが伯爵家に残りたいとずっと言っていて、ブルーノ様からは実家に戻れと言われ続けていたのです」
「それでセドリックが怒っていたのね」
ローズは呆れたように息を吐いた。
「だってブルーノを見れば一目瞭然じゃない。あなたのことが好きです、って顔に書いてあるもの。すっごく柔らかい顔をしながら、もう絶対に逃さないって目をしてたわ。あんな顔初めて見た」
「えっ」
「そんな状態で実家に戻れって言うとか、もう馬鹿としか思えないよね」
なんかどこかで似たような台詞を聞いたな。夫婦って似るものなのだな、なんてことを思う。
「わたしがエレナと話したいって言ったときの嫌そうな顔、見た?」
ふふふっとローズは堪えきれないかのように笑った。
「ねぇ、ブルーノってちゃんと貴女に好きだって伝えているの?」
「ええと、その、一応? 最近は殿下を見習おうとして失敗していますが……」
ローズは目を丸くしたあと、声に出して笑った。高位の女性が思いっきり笑うのは珍しく、わたしは少し驚いた。
「あは……ふふふ……ごめんなさいね、ブルーノがセドリックの真似とか、似合わなすぎる。ふふ……」
面白すぎる、とローズは目元を拭った。
ツボに入ってしまったのか、ひとしきり笑ったあとに一生懸命息を整えていた。変な事を言ってしまったようだ。
「セドリックは異常だから、真似しないほうがいいと思うけれど、まぁ頑張っているならいい……のかしら?」
異常。
なるほどこの方ならば、殿下に「愛している」と毎日囁かれてもさらっと流せそうだ。
「ところで、お茶会や社交でご令嬢たちに絡まれなかった?」
「そうですね。急に人が集まってくるようになって、ブルーノ様も戸惑っていました。殿下はいつもこうなのか、大変だなって言ってました」
「やっぱり。痣の効力がなくなったら女性も寄ってくるだろうなって。まぁブルーノは何とかするでしょうけれど、エレナがどう思うかってセドリックも心配していたの」
ローズはお茶を一口飲んで真面目な顔になった。
「エレナ、自分よりも高位のご令嬢の方がいいんじゃないか、とか言ったり、そちらに譲ろうとしたりしちゃ駄目よ」
「えっと。すでに言ってしまったような……」
「あぁ、言っちゃったか。遅かったかぁ。でも、まぁ、うん、しょうがないわね」
勝手に納得しようとしたのでどういうことか聞いてみると、ローズは視線を彷徨わせた。
「わたしにも似たような経験があるのよ。聞いていると思うけれど、セドリックは昔、身体が弱かったの」
助からないとまで言われていた殿下の体調が安定した頃、殿下の周りにはご令嬢がわんさか湧いてきたそうだ。今まで見向きもしなかったくせに、とは思ったものの、ローズもまた自分よりも今後殿下の後ろ盾になるご令嬢の方がいいのではないかと考えて、そのまま言ったそうだ。
「それで、セドリックはそのことに怒っていて、その、ちょっと、結婚後に大変な思いをしたというか。でもブルーノだから、きっと大丈夫、かしら? まぁそんなに無体なことはしない……うん、大丈夫よ、きっと。健闘を祈るわ」
「え」
ローズは目を逸らしたままお茶を飲む。
わたしも一口含んだ。生ぬるいお茶が喉を通っていく。
それから少し学生時代の話を聞いたり、わたしが館での様子を話したりした。ローズの身分差を気にしない話しかたは心地よく、とても楽しかった。殿下はこの方のこういうところに惹かれたんだろうな、と思うところがたくさんあった。
どのくらい話していたのか、大して話していないような気さえしている頃、扉が開いた。
「おい、そろそろエレナを返してやれ。ブルーノがそわそわしてて話にならん」
「えー、わたしはまだ話していたかったのに」
殿下に不貞腐れた顔を向けた後、ローズはわたしに向き直った。
「エレナ、次はブルーノとの結婚生活について聞かせてね」
「えっ」
ちょっと顔に熱が集まる。
「ふふっ。またお話しましょうね。いつか伯爵領にも行きたいわ」
「いつでもお待ちしてますよ」
わたしの代わりにブルーノが答える。
「結婚式は行けなくて申し訳ないけれど、ここから二人の幸せを祈ってるわ」
「ありがとうございます。わたくしも、無事の出産を祈っています」
「ありがとう。それから、ブルーノのところに居るのが辛くなったら、いつでも頼って」
「それ、俺がもう言った」
殿下がローズの腰に手を添えながら、小さく溜息をついた。呆れ半分、でもそんなところも全部愛しいといった顔だった。
やっぱり夫婦って似るのかな。
そんなことを思いながら、わたしはブルーノと共に城を後にした。




