61.謁見
それから二日間、ブルーノとわたしはいくつかの社交やお茶会に参加した。
どこでも、ブルーノの周りには人が集まってきた。
遠巻きに見ている人も一定数いた。そりゃ、ずっと「呪いの伯爵」だったのだ。呪いじゃないです、と言われてもすぐに受け入れられるはずがない。
それにも関わらず常に誰かに話しかけられる程度には、ブルーノは注目の的だった。
女性たちも寄ってきた。
呪いという呪縛から解放されたブルーノは、女性たちにとっても条件が良いらしい。殿下の覚えめでたく、本人は否定しているが侯爵になるかもしれず、領地経営は安定しており、痣を除けば元々整った容姿をしている。理由を挙げてみれば、なるほどと納得してしまう。
家や親からの指示で、といった女性もいたが、自らを売りこんでくる女性もいた。
わたしが一緒にいるにも関わらず、である。
夕方からのパーティーに参加した時のこと。
その時もブルーノは女性たちから言い寄られていた。ブルーノは断りながら、にこやかに接し続けた。わたしも笑顔を貼り付けてはいたが、女性たちのギラギラした瞳が怖い。時折引きつりそうになる。何事もないように感情を出さずに過ごせるのはすごい。
「はじめまして、グレーデン伯爵」
見るからに自信のありそうな女性が声を掛けてきた。
「少しお話させていただきたいのですけれど、よろしいですか?」
わざとらしくわたしをチラリと見て言ってくる。
「この場でならばかまいませんよ」
移動して二人になる気はないという意味を含ませてブルーノが応える。女性はあからさまにムッとした視線をわたしに投げてきた。
「そちらは子爵家のご令嬢でしたわね?」
「エレナと申します」
丁寧にお辞儀をしたが、それに応じるつもりはないようだ。わざとらしく「子爵家」というところを強調して言う。自分のほうが上だというアピールだろう。
「わたくしは少しグレーデン伯爵とお話したいの」
この場なら、とブルーノが言ったので、今度はわたしに遠慮しろと言ってきた。身分はあちらが上だが、一人になったところを狙われるかもしれないからブルーノと離れないようにと言われているので、わたしから去ることはできない。
ブルーノがわたしを庇うようにわずかに前に出た。
「今ここで話せないことならば遠慮させてもらいます。離れた隙に私の婚約者が別の男性に声を掛けられたら困りますから」
「な……」
ブルーノは綺麗な笑顔を彼女に向けて、わたしを連れて歩き出す。「どちらへ?」とわたしが聞くと、主催者のところだという。
「帰る前にこの会の主催者に挨拶するのが礼儀だから」
「帰る?」
まだ時間はあったはずだが。
主催者にも引き止められたけれど、ブルーノはにこやかにかわして外に出た。その途端に不機嫌そうな顔になった。
「良いのですか? わたくしは何を言われても大丈夫ですよ」
「俺が大丈夫じゃない」
夜風が涼しい。
さきほどまでの賑やかな会場を抜けて、やっと息が吸えた心地がする。全然大丈夫、そう自分に言い聞かせていたけれど、息は詰まっていたらしい。
そのまま馬車に乗って伯爵邸に戻った。
ブルーノは部屋に入るなりソファにぐてっともたれかかった。キリッとしていた先程までとは別の人物のようだ。
「疲れた……」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。人に酔った」
「え」
顔色を変えずににこやかに対応していてすごいなと思っていたけれど、どうやら表情を変えられないほどにいっぱいいっぱいだったらしい。
「そもそもパーティーに呼ばれることも少なかったが、人が集まってきたのは初めてだ。殿下はいつも大変なのだな」
ブルーノは恐れられていたので、人に避けられたり遠巻きに見られるのが普通で、今日のように寄ってくるという経験はなかったらしい。実際に今日も遠くから「どうしよう」といった目を向けてくる人達はいた。きっとほとんどの人がその状態、というのが今までだったのだろう。
特に女性が寄ってきてギラギラした瞳を向けてくるのが怖かったらしい。わたしと同じだ。
「ご令嬢方は怖いな。エレナ、嫌な思いをさせた」
「わたくしは大丈夫ですよ。それに、彼女たちを見て決心がつきました」
「決心?」
ブルーノに縁談が舞い込むようになった頃は、貧乏子爵家よりもブルーノの後ろ盾になる侯爵家や伯爵家のご令嬢のほうがいいのではないかと思った時期もあった。ブルーノはわたしを伴侶に選んでくれたけれど、わたしよりもふさわしい人がいるんじゃないか。後ろ盾となる家があるほうが、取り引きや繋がりも増えて領のためにもいいんじゃないか。そんな気がしてならなかった。
余裕ができればブルーノだって仕事ばかりではなく好きな事ができるようになるし、思う存分薬草とたわむれることができるようになるかもしれない。それは良い事のように思えた。
もし仕事が大変であれば、わたしは伯爵家に残ってもいい。ただし、使用人の一人として、ブルーノの補佐として。
そこまで考えた時、嫌だな、と思った。わたしではない誰かがブルーノと過ごしていて、それを見ているのは辛いと、そう思った。
そんなモヤモヤとした気持ちをずっと抱えていた。
その時はそんな気持ちがどうしてかよくわからなくて、持て余していた。
お茶会やパーティーで娘を勧めてくるどこぞの伯爵や伯爵夫人たち、わたしを見てわたしでもいいならばうちの娘でもいいだろうとやってくる子爵、そして自らを売りこみにくるご令嬢たち。
皆、ブルーノの事なんて少しも考えていなかった。
どうやって王太子殿下との繋がりを作るか、これからどれだけ良い生活ができるか。家の利益と権力しか考えていない。
ブルーノの地位や権力しか見ていない人がブルーノの側に当然のようにいるなんて、嫌だと思った。
そこまで考えて、心が痛くなった。
わたしもそうだったじゃない。いや、現在進行形で、今だってそう。
お金と権力を求めて伯爵家に意気揚々とやってきたのはわたし。
だから皆を非難することなんてできない。
だけど今のわたしはそれだけじゃない。
ブルーノには幸せになってほしいし、幸せにしたいのだ。
そしてわたしは、そんなブルーノの側にいたいと思った。
離れたくないと思うこの気持ちを何と表すのが正しいのか、もう気付き始めている。
きっとこれは、わたしのわがまま。
「ブルーノ様を誰にも渡さない、という決心ですよ」
「んぐっ」
都合が悪いことに、ブルーノはお茶を口に含んだところだった。
「ゲホッ、ゴホッ、ゴフッ」
ブルーノは盛大にむせた。
「ほえぇ」
わたしはブルーノと共に城を歩いている。伯爵家で生活して少しは慣れたと思っていたけれど、それでもこれはすごい。キラキラとした装飾は目に眩しく、置かれた調度品や飾られた絵画は怖くて近寄れない。この絨毯は本当に靴で踏んでいいものなのか不安になる。
「城って眩しいですね、ブルーノ様」
「まぁ否定はしないけど、この先の部屋ではその開いた口は閉じたほうがいい」
それを聞いてぽかんと開いていたらしい口をきゅっと閉じ、背筋を伸ばした。この先の部屋にいるのは国王陛下。この国で一番偉い人である。ごくりと唾を飲み込んだ。さすがにブルーノでさえも緊張しているようだ。
今日は謁見の日だ。ブルーノもわたしも正装で城へやってきた。
扉の近くでしばらく待つと、中から数人の男性が出てきた。それと同時に入るように促される。大きく息を吸って吐いてから、一歩を踏み出した。
陛下は金の縁の大きな椅子に腰掛けており、その横の別の椅子に殿下が座っていた。こうしてみると、殿下とは本来気安く話せる立場ではないことを思い知らされる。
ブルーノとわたしは丁寧に礼をとった。
陛下は殿下とどことなく似ており、そこにいるだけで威圧感を感じるような凄みがあった。殿下からは譲位の意向だと聞いているが、まったくそれを感じさせない風格だった。
「傷は癒えたか?」
威厳のある口調。だけど事前に殿下に事情を聞いていたからか、どこか疲れているようにも感じられた。
「はい、問題ありません」
「そうか。ブルーノ・グレーデン伯爵。王太子の命を救ったことに礼を言う。いくつか褒賞を与えたい」
それから出てきた褒賞候補はどれも殿下にあらかじめ教えてもらったものだった。ブルーノは爵位を上げることも領土を増やすことも望まないと答え、結局それらはなくなり、勲章を授与されることになった。
堅苦しいやり取りが続いた後、陛下は息を長く吐いて、肩の力を抜いた。場所は変わらないはずなのに、部屋の空気が柔らかくなった。
「ブルーノ、一人の父として、息子の命を二度も救ってくれたことに礼を言う。代わりに危ない目に遭わせてしまってすまなかった」
「とんでもないことでございます」
「仕方のないことだが、我々には敵も多い。これからもセドリックを支えてやってくれると嬉しい」
セドリックとは殿下のことだ。
先程までとは違った柔らかい口調で陛下はブルーノに語りかける。「支えてくれ」ではなくそうしてくれると嬉しいと言ったことで、あくまで命令ではないと伝えているのだろう。
「ところでブルーノ。ここで言うのは無作法ではあるが……」
陛下はチラリとわたしに目を向ける。嫌な予感がした。
「とある侯爵家が其方に縁談を申し込みたいと言っていた。悪い話ではないと思うが、どうだ? そのご令嬢と気が合わなければ、私のほうから別の者を紹介してもいい」
「陛下!」
殿下が隣で咎めるような声を出した。
たしか殿下は、陛下はブルーノを殿下の後ろ盾の一つにすることに積極的だと言っていた。侯爵位を断られたから、次は有力貴族との縁談と考えたのかもしれない。
ブルーノはわたしを一度チラリと見て、陛下に向き直った。
「陛下、私にはすでに婚約者がおります」
「それはそうだが、まだ婚姻は結んでいないだろう」
書類上、婚姻を結ぶのは明日だ。今ならばまだぎりぎり間に合ってしまう。わたしは指の先が冷たくなっていくのを感じた。
そんなわたしに大丈夫だと言うような目を向けてから、ブルーノはまっすぐに陛下を見た。
わずかに口端が上がり、挑戦的な目つきにも見える。
「陛下、私は『呪いの伯爵』ですよ」
「だが関係がなかったと発表したであろう」
「そうですがそれは、私には呪いが使えない、という証明にはなりません。ずっと呪いの子、呪いの伯爵として生きてきたのです。いつ誰を呪うかわかりません。それでもいいのか、そのご令嬢に聞いてみてください」
あなたを呪うかもしれないけれどいいですか。そう聞かれてハイと答えるご令嬢はどれだけいるだろう。いるはずがないだろうとブルーノの目は語っていた。
「エレナは呪われて死ぬ覚悟を持って、私のところへ来たそうですよ」
陛下はほんのわずかだけ虚を突かれたような顔をした。
いつか言われたことがあった。
『俺は呪いの伯爵だよ。いつ君を呪うかわからない』
『呪われたくないならば、ここを離れるほうがいいんじゃない?』
その時わたしはそう答えたのだ。呪われる覚悟も持ってきている、と。
ブルーノはわたしを庇うように少し前に出た。
「今までは呪いの伯爵だと遠巻きにしていたのに、都合がよくなった途端に手のひらを返したように近づいてきた者達を信じることなどできましょうか? 私は、エレナ以外と婚姻を結ぶつもりは全くありません」
揺らぐことなくブルーノは陛下を見つめ、陛下もブルーノをじっと見ることしばらく。陛下が「クッ」と笑った。
「まったく、セドリックも其方も、こういう意志だけは固い」
殿下とブルーノは顔を見合わせた。
「セドリックも私が反対してもローズ以外とは絶対に結婚しないと言い張った。其方も同じなのだな、ブルーノ」
陛下の目は優しかった。そもそも、先程わたしに向けたその目にも圧力は籠っていなかった。わたしに自ら辞退させようとする雰囲気ではなかった。陛下ならば、無理やり婚約を解いて別の女性と婚姻させることなど軽くできる。でもそうさせる気はなかったのだろう。
「それができる其方らが少し羨ましい。ブルーノ、エレナ、すまなかったな。私も君たちの婚姻を祝おう」
陛下があっさり引いたことに驚いたのか、少しきょとんとした顔でブルーノはわたしを見た。それからふわりと笑うと、玉座に向き直った。
「ありがとうございます」




