60.褒賞
「陛下が俺の命を二度も救ったことに対して褒賞を与えたいと。それで三日後に謁見の時間が作られたんだけど、そこで領地の拡大とか勲章とか爵位を上げるとか、そんな話が出るから心づもりはしておいて」
「は?」
ブルーノが固まった。
「いやいや、いらないですよ」
「ブルーノならそう言うと思って一応陛下に進言はしたけど、提案だけはすると陛下は言っていた。受ける受けないは自由だから、ブルーノが決めればいいよ。特に陛下はブルーノの爵位を上げることには積極的だ」
「侯爵位を授かるということですか?」
「そういうことだね。受ければ、だけど。俺の後ろ盾にもなりえるからちょうどいいだろうって乗り気なんだ。でもそうするとちょっと問題が出てきて」
殿下はそこで言葉を切ると、気まずそうにわたしをチラリと見た。それでピンときた。
「子爵家ではブルーノ様に釣り合わないということですね」
「まぁ、そういうことだ。周りがちょっと煩くなりそうだというだけのことであって、無理だと言っているわけじゃないぞ」
殿下がコホン、とわざとらしく咳をする。
だから縁談がたくさんきたのか、と納得した。
普通ならば婚約者がいる人に縁談を寄こしたりしない。だけど、もしブルーノが侯爵という爵位になるとしたら、子爵家のわたしでは身分の隔たりができる。
「エレナ、俺は爵位も領地も、今のままでいい。断れるならばそうしようと思う」
殿下も特に何も言わなかった。ブルーノがそうするというならば、それでいいと思ってくれているようだ。
「エレナがもし侯爵夫人になりたいというならば、考えなくもないが?」
言わないだろう? というようにブルーノはわたしに目線をよこした。
言うはずもない。権力はほしいけれど、地位がほしいわけじゃない。大切なものを守れるだけの力があればそれで充分だ。
「それで、その、縁談がくる理由の話はまだあってだな。追い打ちをかけるように、陛下が『痣と呪いに関連性はない』と発表してしまった」
予想外のことに、目が丸くなる。
殿下はわたしたちの様子を伺いながら、説明した。
「前から歴史研究家を中心としたメンバーに調べさせてはいたんだ。痣は呪いの象徴だと言われるけれど、実際に痣のある者達が呪っているという根拠は何もない。ブルーノだって顔に痣があるが、だからといって呪術の使い手なわけじゃない」
痣を持つ者に調査したところ、本人が呪いを使えると自覚している例はなかったという。
歴史研究家たちの調査によれば、昔この国に残虐王と呼ばれた男がいたそうだ。彼は謀反を起こして王座を簒奪し、王の座についた。彼は敵には一切の容赦をせず、無慈悲に徹底的に殺した。黒い鎧が血まみれになったその姿はまるで悪魔だと恐れられたそうだ。
そして彼の顔には痣があったという。
彼は人を殺しすぎたせいで神に罰せられた、とされているが、その辺りは定かになっていない。早々に王位から降ろされたことだけは。記述から信憑性が高いとされているそうだ。
ちなみにこの残虐王、冷徹非道なだけと言われてきたが、それ以前の王家や高位貴族が腐敗しきっていたという事実もある。はっきりわかっていないが、案外民からは慕われるヒーローだったかもしれない。
痣を呪いの象徴だとする話はそれ以前にはなく、その後の記述で見られるようになっているという。なので、これが起源なのではないかという見方が有力になっているそうだ。
「痣と呪いは関係ない、という根拠はない。だけど、痣は呪いの象徴だという根拠もないんだ。それならば痣があるから呪いだなんだと叫ぶ必要も、どこにもないはずだ」
ちょっと理解が追いつかなくて、言葉が出なかった。
「……はぁ?」
ブルーノにしては珍しい声が聞こえた。
疑問とも、怒りとも、諦めとも、喜びともつかないような、そんな声。
痣は呪いと関係なかった?
この感情をどう呼んだらいいのかわからない。痣は呪い、という呪縛からブルーノが解き放たれるのは嬉しいはずだ。だけど無性にやるせなくて、悔しくて、頭に血が上る。
頭は冴えわたっていて貴族として感情的になってはいけないと言っている。それなのに抑えることができなかった。
「なんですかそれ。今までどれだけブルーノ様が……ブルーノ様がっ」
目頭が熱くなってきた。言いたいことがまとまらない。
痣のせいで、どれだけブルーノは苦しんできたのだろう。想像もできないくらいずっと蔑まれて、恐れられて。ブルーノも自分はいないほうがいいと思い込んで。そんな日々をずっと過ごしてきたのだ。
それが、関係ありませんでした?
そう発表されたのが悪い事じゃないことはわかる。
殿下が悪いわけじゃないことだってわかる。
だけど、悔しくて、悔しくて、涙が出た。
「エレナ、落ち着け」
一番衝撃を受けているはずのブルーノが、わたしにハンカチを差し出してくれた。そっと背を撫でられて、少しだけ気持ちが落ち着いてくる。
「ブルーノ、俺は痣があるわけじゃないからお前の気持ちを理解することはできないけど、言いたいことがあるのはわかる。でも俺は、いずれ時期を見て発表するつもりだった。当然その前にはお前に相談しようと思ってた」
痣のある人が虐げられることがないように、これから生まれてくる痣持ちの子が他の子と同じように過ごせるように。そう言って、殿下はひとつ大きく息を吐いた。
「今じゃないのはよくわかるさ。だけど陛下が、俺の命を救った英雄を『呪いの伯爵』のままにしておくわけにはいかない、って発表してしまったんだ。それに関しては謝る」
「殿下が謝ることではないですよ」
ブルーノはただ静かだった。思うところがないはずがないのに、苦笑してみせる余裕があるほどだ。
「まぁそういうことで、ブルーノの評価はうなぎのぼりなわけだ。加えて婚姻を結ぶ日が迫っていて、女を送り込もうと企んでいる者たちは焦っている」
ちょっと気まずそうだった殿下が、真剣な顔でブルーノとわたしを交互に見た。
「明日から俺の護衛も一人こちらにつける。充分に気をつけてくれ」
ベルを鳴らすと、すぐに殿下の護衛が入ってきた。明日から来てくれるのは彼らしい。伯爵領にもきていた人だ。
「三日後に城でまた会おう」
「殿下、今日はわざわざありがとうございました」
立ち上がった殿下を玄関まで見送る。
そしてまた二人で同じ部屋に戻って来た。
また感情がモヤモヤして、ブルーノを見上げた。
「ブルーノ様は悔しくないのですか?」
「悔しくないことはない。思うことがないわけでもない」
「そうですよね」
「だけど、エレナが代わりに怒ってくれたから、そんなに嫌な気持ちではないんだ。むしろこれから俺のような思いをする子がいなくなるなら、それは嬉しい」
ブルーノが穏やかなので、また切なくなった。
発表されないほうがよかったわけじゃない。
ブルーノの無実が証明されたようなものだし、今後を考えたら良い話なわけで、嬉しくないはずがない。
だけどどうして今なんだろうという気持ちが抜けない。ブルーノが生まれる前だったら、少なくとも子供のころだったら、そもそもそんな話がなければ。そう思わずにはいられなかった。
「もし痣と呪いが関係なかったら、俺もエレナも、たぶん今ここにいなかっただろ」
「え?」
「俺は普通に次期伯爵として育っていたかもしれないし、普通の政略結婚をしていたかもしれない。もしかしたら疫病が発生したときにかかって死んでいたかもしれない」
それからフッと笑った。
「かもしれない、ばかり考えていても仕方がないと教えてくれたのはエレナだろう」
「……そうでしたか?」
「今までの道を歩んできたからエレナに会えた。これでよかったんだ。だからそんな顔しなくていい」
ブルーノは軽くわたしを抱き寄せ、「ありがとう」と呟いた。




