6.新しい婚約者 (アリー視点)
侍女アリー視点です
私たちの主であるブルーノ様が婚約されたという話を聞いたのは、まだ寒さの残る季節、その婚約者であるエレナ様がいらっしゃる一月前のこと。
使用人数名を集めてブルーノ様ご本人がそうおっしゃった時、喜ぶ使用人はいなかった。不安、疑念。だいたいが、そういった負の感情だっただろう。
どうしてまた……。
そんな私たちを代表するように、執事長のヨハネスが口を開く。
「それは、ブルーノ様が望まれてのことですか?」
「いや、王太子殿下に言われて断れなくてね。相手はギルマン子爵家のご令嬢らしい」
望まない婚約。しかも相手は子爵家のご令嬢、と聞いたところで、使用人たちの顔がさらに強張った。ブルーノ様の一人目の奥方が、子爵家のご令嬢という身分だったからだ。
「どのような経緯でそうなったのか、お聞きしてもよろしいですか?」
「ギルマン子爵家が経済的に厳しいらしくてね。取り引きと言う形で伯爵家が援助する代わりに、娘との縁談を組むと。必要ないと言ったのに、王太子殿下にも困ったものだ」
小さく息を吐くブルーノ様。またか、と使用人皆思っただろう。ブルーノ様の意に添わぬ、伯爵家の財産目当ての縁談。
「どのような方なのでしょう?」
「俺も直接会ったことがないからわからないんだ。王太子殿下によれば、活発そうな方だとのことだが……あぁ、もし使用人を無下に扱うような者だったらそれを許すつもりはないから、安心するといい」
私たち使用人が憂いているのは、そういうことじゃない。たしかに前の奥様は使用人に対する当たりも強かったが、それだけならばどうってことはない。ブルーノ様が不当に扱われるのに我慢ができないのだ。
「婚約期間が一年あるから、こちらに来るのは先の話になるだろうが、準備だけはしておいてくれ」
「かしこまりました」
今から十七年ほど前、私たち母娘、母マリー、姉、私アリー、妹リリーは、母の夫であり私の父である男からの暴力から逃げ出して彷徨っていたところ、当時六歳だったブルーノ様に拾われた。雨の降る寒い日だったのを覚えている。寒くてだんだんと身体が冷えて、もうだめなのかなと思っていた時だった。暖かい部屋に入れてもらい、何日もろくに食べていなかった私たちに、飲み物と食べ物をくれた。休める布団も、服も、生活に必要なものを全て用意してくれた。
あの日もらった湯気の立つスープが、どれだけ美味しかったことか。当時四歳だった私の記憶は朧げだが、外がとても寒かったことと、スープの味は今でもはっきりと覚えている。
母はお礼を言いながら泣いていた。これで娘たちを道連れにしなくてすむ、と。妹リリーは当時一歳になったかどうかという年齢で、すでに泣くこともできなくなっていた。あと一日遅ければ、リリーは助からなかっただろうと後から聞いた。
それから私たちはブルーノ様に仕えている。ブルーノ様の為ならば、命でも差し出せる。そのくらい恩を感じているし、信頼しているし、尊敬している。
料理長のハンスもブルーノ様に拾われたのだと聞いた。
使用人たちは、同じように何かしらブルーノ様に恩義を感じていて、彼に忠誠を誓っている。
私はブルーノ様を敬愛している。言葉選びが合っているだろうか、この気持ちをどう表現したらいいかわからない。尊敬、好き、敬愛……神! それかもしれない。ブルーノ様は私たちにとって神だ。
痣がなんだ。呪いがなんだ!
ブルーノ様は最高にカッコいい。ピシッと伸びた背筋に、あの凛々しい横顔。どこを切り取っても絵になる。ちょっとばかり変わったところはあるけれど、使用人にも優しく、最高の主だ。
はあ~、今日も素敵だ。
朝食を出し終えた私は、部屋を出ていきながらそのお顔を脳裏に焼き付ける。
ブルーノ様が本邸で休まれた時、朝食を出す係の座をめぐって、使用人の中でちょっとした争いになっていることを、彼は知らないだろう。まだ眠気が抜けきらない、少しだけぽやっとした顔がたまらない。見ているだけで幸せになる。呪いだというならば、幸せの呪いに違いない。
当然、母マリーと妹リリーもブルーノ様を敬愛している。言っておくが、恋だの愛だのというふしだらな感情ではない。彼はもっと崇高で尊いのだ。
顔の痣のせいで、ブルーノ様は今まで辛い事、苦しい事だらけだった。ご本人は「そんなことないさ」と軽く言うが、どう考えてもそんなことある。ありありだ!
苦しい事もさらりと流せるだけの精神力もまた魅力の一つだが、やはり主には苦しんでほしくない。幸せになってほしい。
使用人一同、主の幸せを切望しているのだ。
ブルーノ様は二回結婚している。
一度目の婚姻は、子爵家のご令嬢だった。ブルーノ様の意向ではなく、政略結婚だと聞いている。
せっかく来てくれたのだからと、ブルーノ様は彼女に寄り添おうと努力されていた。
それにもかかわらず、彼女は「近寄らないで」と突っぱねた。
わたくしは来たくなかった、呪われるから側に寄るな、仕方なくきてやったんだからありがたく思え。
そんな言動を繰り返した。
我が主に対して、なんたること! 信じられない!
さすがに目に余り、やんわりとそれを窘めた母マリーは彼女の怒りを買い、「この人を解雇してください」とブルーノ様に訴えられた。ブルーノ様はそうされなかったが、ブルーノ様を困らせてしまったと母は悔しそうにしていた。
使用人は人にあらず。平民が意見するな。そんな人だった。
ふざけんな。
何より、ブルーノ様を軽んじるなど、まじふざけんな!
それでも私たち使用人はブルーノ様の奥様だからと、不満を隠して彼女にも仕えた。
彼女との離縁が決まったとき、私たち使用人は手を取り合って喜んだ。結婚の時に舞わせる花びらをぱぁぁっと舞わせ、使用人部屋でお酒を開けてこっそり離縁パーティーをした。
しばらくして、また結婚話が舞い込んだ。
二度目は伯爵令嬢だった。伯爵令嬢といっても、使用人との間にできた庶子だと聞いた。彼女もまた、ブルーノ様を恐れ、疎んだ。「近寄らないで」と、彼女もまたそう言った。彼女が望んだのは地位と、贅沢な生活、お金だけだった。
それにも関わらず、彼女が亡くなった時、ブルーノ様は心を痛めていた。
私たちも合わせて極力明るい顔はしないようにしていたけれど、心の中で歓喜の花びらが舞い散らかしていたのは私だけではないはずだ。亡くなられたことについては、哀れだという気持ちがないわけではない。それでも、ざまあみろ、とも思ってしまうのだ。
使用人たちは悟った。
主を幸せにしてくれない人はいらない、と。
またやってきた結婚話。
またまた子爵令嬢だ。
そして、ブルーノ様はそれを望んでいない。
なんで望みもしない結婚話が何度も出ちゃうのかな?
貴族って大変だな。ほんと、もう。
婚約が知らされてわずか一月、エレナ様がいらっしゃるという連絡が入った。これには私たちだけでなく、ブルーノ様も驚いていた。どうせぎりぎりまで来ないだろうと思っていたからだ。
「ずいぶんと早いのですね」
「よほど領の経営が厳しいのだろう。ヨハネス、早々に取り引きを開始できるように準備を」
「もう進めております。ブルーノ様、失礼ながら、そのご令嬢といずれご結婚されるのですよね?」
「いや、わからない。あちらにとっては不本意な婚約だろうからな」
表情を変えずにそう言ったブルーノ様に心が痛む。おそらく使用人は皆、同じ気持ちだろう。そしてその言葉を聞いた時、私たち使用人の心は一致団結した。
大人しく従っていた一人目の奥様の時とは違う。なんだかんだと様子を見ていた二人目奥様の時とも違う。
主は私たちが守るのだ。
傲慢で、ブルーノ様のことを顧みないような貴族令嬢はいらない。
ブルーノ様を困らせるだけの奥様など必要ない。
さっさと出て行ってもらおう!
貴族令嬢は傲慢だと思っている使用人たち。
エレナを追い出す方向で動きます。
次回はエレナ視点に戻ります。




