58.王都へ
日常業務とたまった仕事に結婚式の準備が加わってそれなりに忙しく過ごしているうちに、冬も終わりにさしかかってきた。
その間にわたしの情緒がなんとなく落ち着かなくなったり、使用人たちが生温かい目をしていたり、殿下を見習うという暴挙に出たブルーノがわたしに甘い言葉を囁こうとして失敗して二人そろって真っ赤になったり、使用人たちがさらに生ぬるい目をしていたり、そんなこともあったが、日々平穏に過ぎていった。
そのころ王都は大変なことになっていたらしい。
「殿下から連絡がきた。王妃様とその一派が捕えられたらしい」
「それは……」
よかったですね、と喜んでいいものか迷うところだけれど、よかったのだろう。ブルーノの声色も明るい。
「きっかけはこの前の殿下を暗殺しようとした件だけれど、余罪がボロボロ出ているそうだ。処遇はこれからだけど、少なくとも王妃様は幽閉、派閥は取り潰しになるだろうと書かれていた」
「これで殿下の危険が減りますね」
「ずっと狙われ続けていたからな。殿下ならば大丈夫だろうと思っていたが、本当によかった」
なんだかんだ言いながらも、ブルーノは殿下を心配していた。これで一安心だ。
「それで、春の半ばに王都に来てほしいと。予定より少し遅れるが、いいか?」
わたしたちが婚約したのは昨年の春の始め。婚約期間は一年。つまり、春の始めに婚約期間が終わる。
この国では貴族の結婚は王都で管理されており、城に届け出る必要がある。本来であれば婚約の一年が過ぎる春の始めに王都に向かい、婚姻の手続きをする予定だった。
予定だった、といっても、少し前まで婚約の解消だの延長だのと言っていたのだから、つい最近予定になった、というほうが正しい。
春の始めに王都に行き、戻ってきてまた半ばに行くのは大変だ。だからといって春の始めから半ばまでずっと王都に滞在するのも現状を考えると難しい。普通の貴族の家であれば留守にする間は親族の誰かが代理を務めるが、ここにはそれができる人がいない。王都にいる間ずっと領地を留守にするわけにはいかないからだ。
「もちろんかまいませんよ。婚約延長を認めないと言ったのは殿下でしたので、少しの延長も認められず勝手に解消されなければ問題ないです」
「さすがに殿下から春の半ばと言ってきたのだから大丈夫だろ。一応手紙に書いておくよ」
結婚と同時に移動するご令嬢だったら予定が変わるのは大変なことだけれど、わたしはもうずいぶん前から伯爵家にいる。一月二月遅れる程度のこと、何も問題はない。
……と思っていた。
「またか?」
ヨハネスから手渡された手紙を、ひどく困惑した様子でブルーノが開いた。
「どうしたのですか?」
ブルーノは少しだけ戸惑って、わたしにその手紙を差し出した。
その様子から、何となく見せてもいいものかと迷うような雰囲気を感じた。
「見てもいいのですか?」
わたしとしても無理に見るつもりはない。困っている様子だったから、ちょっと気になった程度だった。
ブルーノが「かまわない」と頷いたので、その手紙を受け取り開いてみる。
それは国内の伯爵家からの手紙だった。内容はこんな感じだ。
ご無沙汰しておりますがいかがお過ごしですか。中略。
我が娘は容姿に優れ、勉学でも秀でた成績を残しております。グレーデン伯爵とは歳周りもよく、身分も釣り合います。きっとお役に立てることと思います。
一度お会いする機会をいただければと……。
要するに、ブルーノに娘を紹介したいと。もっと言うならば、娘を嫁がせたいですどうぞよろしくと。さすがにそこまでは書いていないがそういう文章だ。
ブルーノがわたしに見せるのを戸惑った理由が分かった。
「今までもよくこのような手紙は来ていたのですか?」
「急にくるようになって、これで三通目だ」
「三通」
ということは、三人のご令嬢がすでに紹介されたということだ。選び放題ではないか。
ブルーノは残りの二通を出して、わたしに差し出した。伯爵家と侯爵家。どちらも家格が高い。
「わたくしが邪魔だと、そういうことですね?」
「なんでそうなる?」
ブルーノが目を剥く。
この手紙に書かれている娘がどんな人なのかは知らないが、手紙を信じるならば才色兼備の侯爵令嬢、伯爵令嬢である。才色兼備でない貧乏子爵家出身のわたしには、魔術一本勝負とかでなければ勝ち目がないし、たぶんご令嬢はそんな勝負してくれない。
ここまできてお役御免になる気配を感じて、わたしは思っている以上にショックを受けた。
「どうするのですか?」
わたしがなるべく静かに問うと、ブルーノは特大の溜息をついた。
「どうするって何。どうもしない。俺がいきなりくるようになった手紙のために結婚やめるとか言い出すとでも思った?」
「断れない場合もあるかな、と。侯爵家なのでしょう?」
「どうやってでも断るに決まっているだろう」
相手は侯爵家に伯爵家。貧乏子爵家とは家格も規模も違う。
きっと相手はわたしという婚約者がいることくらい調査済みだろう。だけどわたしを押しのけてその座を掴むことは可能だと思っている。
むしろブルーノにとっては、後ろ盾となるしっかりとした家格のご令嬢を迎えたほうがいいんじゃないだろうか。そのほうが今後のブルーノのためになるのかもしれない。そうなったら、わたしは身を引くべきなんだろう、きっと。
「一度お会いしてみるのも悪くはないかもしれませんよ。貧乏子爵家の娘より、ブルーノ様のお力になるかもしれません」
笑顔を作ったつもりだったけれど、そう言いたくない思いが強くて、どんな顔をしているか自分でもわからない。
ブルーノはわたしを信じられないという顔で見てきた。そして睨まれた。怒っているらしい。
「もしかして、殿下が正しいのか?」
「はい?」
「殿下は結婚するまで毎日『結婚して』と言い続けろと言っていた。そうするべきなのか?」
最後は自分に問うように呟く。まって、そうじゃない。最近ブルーノは少々迷走している。
「俺はどれだけ地位や権力があろうと、他のご令嬢と結婚するつもりなんてないから!」
勢いよく言い放ったところまではまっすぐにわたしを見ていたけれど、そのあと急に目を泳がせ始めた。
「俺にはエレナしかいない。好きだ。結婚しよう。愛してる」
ブルーノが言った言葉だけなら情熱的だが、どこか棒読みで感情が籠っていないし、だんだん声が小さくなって最後のほうは聞き取れないくらいに小さい。眉間に皺まで寄っている。
ヨハネスがブッと吹き出した。
「……と言えって殿下に言われたのですね」
「正解。実際に殿下は妃殿下に呼吸するようにいつも言ってた」
「ブルーノ様がいる時でも?」
「誰がいようとお構いなしだったな」
「妃殿下はどのような反応をされていたのですか?」
「完全に流してた」
今度はわたしがフッと笑った。妃殿下、強い。
「実際に言ってみるとすごく難しい」
「ブルーノ様、言わなくていいです。こういうのには向き不向きがあると思います」
「そうだよな」
「わたくし、もしブルーノ様が殿下のようになったら、全身にじんましんが出そうです。ブルーノ様は言われたいですか?」
そうじゃないでしょう、というのを伝えたかったのに、ブルーノはちょっと固まってから少しだけ顔が赤くなった。えっ。
「とにかく、殿下が決めた婚約なんだから、今更変わるはずがないし、俺は変えるつもりはない」
「わかりました。ブルーノ様がいいのであれば、そのつもりでいます。でもなんで急にそのようなものが届くようになったのでしょうね?」
ブルーノは呪いの伯爵として恐れられているし、自ら縁談を求めるような人でもない。少なくともわたしがきてからそのような話は一度も聞いたことがなかった。
「王妃様とその派閥が捕えられた影響だろう」
「王都での?」
「この伯爵家はたしか、王妃様の派閥に近かったと思う。こっちの侯爵家と伯爵家も似たような立ち位置だった」
完全な王妃派閥ではなかったから取り潰されるようなことにまではならなかったが、今は後ろ盾を失った状態にある家だそうだ。
「おそらくだが、これからは王太子殿下の時代になると気付いて、慌てて殿下と親しい俺に取り入ろうとしているんだと思う」
「なるほど」
「それでも不思議だよな。俺が呪いの伯爵と呼ばれていることは知っているだろうに」
それからもぽつぽつと似たような手紙が届き、ブルーノは首を傾げながら断りの返事を入れた。ブルーノにその気がないことはわかっても、どうしてもモヤモヤする。これが続けばいつか本当に、どこかのご令嬢がここにくるんじゃないか。実家に戻れとまた言われるんじゃないか。そんな不安が頭をよぎる。
こんなことならば、春の半ばまで待てないから早く結婚しましょう、と言えばよかった、なんて思ってしまう。
わたしは自分で思っていた以上に、この場所を誰にも譲りたくないらしい。
季節だけは過ぎ、そんな気持ちとは裏腹に花は咲いて小鳥は歌っている。なんとも麗らかな春の半ばになった。
馬車に揺られること二日。道が良くなったことで、王都に入ったことが分かった。
そこからゆっくりと進むことしばらく。ある邸宅の門をくぐって馬車は止まった。ここが王都の伯爵邸らしい。扉が開いて、ブルーノに続いて馬車を降りる。
「ブルーノ様、エレナ様、お帰りなさいませ」
男性と女性が一人ずつ、玄関の前で出迎えてくれた。
「変わりはないか?」
「はい。こちらは問題ございません」
領地の館とは違って常識的な大きさに見えるような気がしなくもないが、ここは王都だ。王都でこれだけの大きさの邸宅はやっぱり大きいだろう。最近感覚がおかしくなっているな、などと今は関係のないことを思いながら、表玄関の扉を入る。
中の雰囲気は領地の館と似ていた。
「エレナはここは初めてだよな」
「はい。こちらも立派な邸宅で、開いた口が塞がらない気分です」
「なんだそれは」
ブルーノはクッと笑った。
「こちらの二人にこの邸の管理を任せている。ここで何か困ったことがあれば、二人に聞くといい」
「はじめまして、エレナ様。アランと申します。どうぞよろしくお願いします」
「ガブリエラと申します」
二人がわたしの前で礼を取った。
「エレナです。よろしくお願いします」
ニコリと微笑むと、ガブリエラと呼ばれた女性も少し微笑んでくれた。
あれ、どこかで見たことがあるような?
「エレナ、ガブリエラはマリーの長女で、アリーとリリーの姉だ」
「えっ」
言われてみれば、とてもよく似ている。微笑んだときの目元がそっくり。
「ついでに二人は夫婦だ」
「ちょっとブルーノ様、僕をついで扱いしないでくださいよ!」
即座に言い返しているところをみると、主と従者ではあるものの親しい間柄のようだ。ブルーノの表情も明るい。
ガブリエラに部屋へ案内してもらう。キリッとした雰囲気もマリーに似ている。
「こちらのお部屋になります。荷物は後ほどお運びします。お茶をお出ししてもよろしいですか?」
「お願いします」
「お茶菓子はお召し上がりになりますか?」
「いいえ、お茶だけでいいわ」
もう夕方なので、夕食の時間が近い。それにずっと馬車で揺られていたので、あまり食べたい気分ではなかった。
もう用意してくれていたのだろう、ガブリエラがすぐにお茶を注いでくれた。
「アリーとリリーが三姉妹だったなんて知らなかったわ」
「マリーたちがいつもお世話になっております」
「わたくしが世話をしてもらっている側よ。いつも助けられているわ」
たぶんガブリエラはマリーが「ブルーノに拾われた」と言っている時に一緒だったのだろう。それならば伯爵家は長いはずだ。
「アランはブルーノ様と親しいようだったけれど、長い付き合いなの?」
「学生の頃からの知り合いだったようです」
「学生の頃から?」
「アランは学園に通っていましたから、その時に」
アランは伯爵家の出身なのだそうだ。伯爵家といっても庶子だったそうで、学園に通うことだけは許されたものの爵位の継承はなく、実家との折り合いも悪くて家出同然でボロボロになっていたところをブルーノに拾われた、という経緯だとガブリエラは教えてくれた。
「アランはブルーノ様に心酔しているので、今日お会いできるのをずっと、煩いくらいに楽しみにしていました」
そう言われてみれば、先程の様子が主人の帰りを喜ぶ大型犬に見えてきて、いかんいかんと頭を振った。
「お二人が幸せそうな顔をされていて、私も嬉しく思いました」
「え?」
「余計な事を申しました。お食事は召し上がれそうですか?」
「ありがとう、少し休めば大丈夫だと思う」
「ではそのように準備しますね」
部屋を出ていくガブリエラの背を見ながら、一番気になったことを聞きそびれたと気が付いた。なんでマリー、アリー、リリーと似た名前なのに、彼女はガブリエラなのだろう。




