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貧乏令嬢は呪いの伯爵と結婚したい  作者: 海野はな


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55.告白

「エレナ、パーティーの前日に殿下と話したこと、覚えてる?」


 どこか緊張したように言ったブルーノの言葉に、わたしは頷いた。

 あの日の夕食後、わたしたちは婚約を延長したいと殿下に申し出た。ブルーノはわたしが実家へ戻るほうがいいと思っていて、わたしはここに残りたかった。その折衷案としての婚約延長だったけれど、殿下は認めないと言って、予定通りの春に結婚しないなら今すぐに解消しろと怒ったのだ。


 殿下が怒ったのはわたしに対してではなくて、ブルーノがずっと煮え切らない態度だったことにあるらしかった。むしろわたしのことは心配してくれていた。

 わたしは途中で退出したけれど、ブルーノはずいぶん遅い時間まで殿下に叱られたらしい。


「あの日は散々に言われたよ。エレナが俺を支えようとしてくれているのに、その思いを踏みにじるなって。馬鹿、から言われ始めて、意気地なし、見ていてイライラするとまで言われた。罵倒され続けたと言ってもいい」

「うわぁ……」


 そんなことをブルーノに言えるのは殿下だけだと思う。その翌日ブルーノがひどく疲れた顔をしていたのも納得だ。


「言ってることとやってることが違うって怒られた。もしエレナを実家に戻すのが最善だと思っているなら、今すぐ、明日にでもさっさと戻せって」

「それではわたくしが困るのですけれど」


 ブルーノは視線を上げてわたしを見てわずかに苦笑した。


「エレナがいつもそう言ってくれるから、俺はそれに甘えてた。エレナがここにいるというならしばらくはそうしよう、エレナが仕事を手伝いたいと言うならそうしよう。全部、エレナの希望を叶えているつもりでいた」


 それのどこが甘えなのか、わたしにはよくわからなかった。甘えてくれてもいいけど、むしろ何でも言ってほしいけれど、甘えられた記憶はない。そんな想像もできない。

 ブルーノはわたしがやりたいようにやらせてくれたし、わたしの意見にいつも耳を傾けてくれた。そこに不満は一つもなかった。


「でも、本当にエレナの事を思うなら、徹底的に最初から遠ざけるべきだったんだ。俺に近づかなければ呪いを心配することもないし、エレナだって何も気にせず実家に戻れた。むしろここにいることを装っていさえすればよかったかもしれない」


 殿下が斡旋した婚約であったことや、いろんな条件があって、わたしは早くに伯爵家にやってきた。その後ずっと伯爵家にいるように装って実家に戻したり、少し離れたところで生活させたりということもやろうと思えばできたはずだとブルーノは言った。


「全部殿下の言う通りだった。エレナの気持ちに沿うように見せながら、結局都合よくこの家で働かせただけだ」

「そんなこと、あるはずがないではありませんか」


 元々わたしの目的はここから子爵家を支えることだった。なるべく長く居座って子爵家を守る。そのために都合よくブルーノに擦り寄っていたのはむしろわたしのほうだ。実際に潰れる寸前だった子爵家を立て直してもらったし、それ以上の支援もしてもらっている。取り引きも順調で、おかげで子爵領は潤い始めた。

 それだけのことをしてもらいながら「都合よく働かせられた」だなんて、どうしたら思えるのだろう。


「本当の意味で君の気持ちに寄り添うことなど、全くできていなかった。殿下に覚悟が足りないって言われて、その通りだと思った。都合のいい時だけ呪いを言い訳にして、俺はずっと君に甘えて逃げてきただけだった」


 ブルーノはふぅと息を吐いて、わたしを見た。その目は切なげだった。


「エレナ、今まですまなかった」


 ……あぁ、そうか。

 今度こそ本当に、わたしは実家に戻れと言われるんだ。中途半端な状態は終わりにしようと、ブルーノはそう決断したのだろう。

 その言葉を聞くのが辛かった。


 一瞬のうちに、ここにきてからのことが思い出された。


 一緒に食事をしたこと。

 一緒に仕事をしたこと。

 一緒に調合をしたこと。

 街へ行って、孤児院の子供たちと遊んだこと。

 ペンをもらったこと。

 攫われた時に助けに来てくれたこと。

 薬草を摘んだこと。温室で話したこと。


 大変だったことがないわけじゃないはずなのに、思い出はいつだって綺麗だ。


 ブルーノはどこか遠慮がちに、でもいつも側にいてくれた。最初は顔の痣で怖がらせないようにとマスクをして、毒に倒れたときはすぐに解毒剤を作り、攫われてからはなるべく離れないようにして、さりげなく気を使い守ってくれていた。


 最近は気を抜いたブルーノも見られるようになっていたから、気を使わない関係になれてきたと勝手に喜んでいた。


 ここでずっと過ごすのだ、という覚悟で来たこともあったかもしれないけれど、あんなに好きだった実家に戻りたいとは思わなかった。寂しいとも思わなかった。

 それだけブルーノの側にいるのは、居心地がよかったのだ。


 戻れと言われ続けていたのに、どうしてかわたしはずっとここにいられるような、こんな日々が続くような、そんな気がしていた。


「ブルーノ様が謝ることなど、何も、ない、ですよ……」


 へらっと笑ってみせる。気を抜いたら涙が出そうだった。


「殿下に言われて、エレナを実家に戻したあとのことを考えた。エレナに頼っていた部分は大きいから大変だなと最初は思った」

「そう思ってもらえたなら、わたくし頑張った甲斐がありましたね」


 だけど、むしろ苦労を掛けることになってしまったかもしれない。抜けたら大変だからここにわたしを残してやろう、というもくろみでそうしたけれど、実際にそうなった時のことは正直あまり考えていなかった。ブルーノの負担を増やしたいわけではなかったのに、そうなってしまう。


「でも、それ以上エレナが抜けた日々を考えられなかったんだ。俺が実家に戻れと言っておきながら、なぜか君がここにいるのはもう当然のことのような気がしていた。戻れと言いながら心のどこかでは戻す気がなかったらしい」

「え?」


 ブルーノは「本当に殿下の言った通りだ」と自嘲気味に笑った。


「エレナがいなくなるなんて考えられなかった。エレナがいない日々を想像してみて、その時にようやく気が付いたんだ。殿下にエレナが好きだろって言われた時は実感がなかったけど、どうやらそうらしい」

「……はい?」


 なんだか話の方向が思っていたところからずれてきて、わたしは目を丸くした。今ブルーノは何と言った?

 わたしの理解は追い付かないままだが、ブルーノにも余裕はないらしい。構わずに続けた。


「俺が倒れてあちらの世界に行きかけて、本当にもう会えなくなるんだと思ったら耐えられなかった。君の声が聞こえて、戻ってきたら君がいた。すごく安堵して、嬉しかった」


 一つ一つを確かめるように、ブルーノはしみじみと言う。

 それからまっすぐにわたしを見た。


「もしかしたらこの先エレナがここにいたら、何か良くないことがあるかもしれない。君を危険にさらすことになるかもしれない。呪われないとは言い切れない。それでも俺は、君を失いたくない。手放したくない」


 ブルーノの葛藤が伝わってきた。たぶんずっと葛藤してきたんだろう。

 わたしを守るために手放すべきだと、そう強く信じていた。本当の気持ちは見えないように奥深くに隠していたと、その目が語っていた。


「これからも俺はエレナと共に過ごしたい。俺が守るから、全力で守るから。だから……。ずっとここにいてくれないか?」


 もう戻れ、と言われると覚悟したのに、ブルーノの口から出てきたのは真逆で、わたしが一番望んでいた言葉だった。


 ブルーノの強固な信念を破るのは大変だったはずだ。他の人よりもずっと大きな覚悟が必要だっただろう。でも、その分厚い殻を破ってでもわたしと過ごしたいと言ってくれた。


 鼓動が速くなって、息が詰まった。心が震える。


 ブルーノの紫の瞳は、とても不安そうに揺れていた。

 だから、思わず言葉が出た。


「今更ですか?」


 ブルーノは目を見開き、しばらくわたしを呆然と見つめた。

 それからはっとしたように止まっていた息をゆっくりと吐いた。そしてひどく残念そうに肩を落とした。


「そうだよな。今更だよな」


 自嘲気味に無理に笑顔を作ろうとする。


 違う方向に思ってしまったようだと気が付いて、慌てて「違います」と否定した。


「ブルーノ様、わたくしは最初からずっとこちらで過ごすつもりで来たのです。何度もそう伝えているはずですけれど、忘れてしまいましたか?」

「……そうだったな」

「もし呪われて死ぬのだとしても、その覚悟も一緒に持ってきていると、そう言ったではありませんか」


 ブルーノが意図的に呪うわけではないのだから、呪いを気にする必要なんてないのだ。わたしは簡単にはやられない。そう意志を込めて、笑って見せる。


「追い出そうとしていたのはブルーノ様でしょう? わたくしの意志は最初からずっと変わりませんよ。今も、同じです」


 ブルーノは身体の空気を全て抜くかのように、大きく息を吐き出した。

 そして開いた瞳は、もう揺れていなかった。


「俺と結婚してくれるか?」


 答えは最初から決まっている。迷う余地なんてない。


「はい」


 一番良い顔で答えたかったのに、たぶんわたしの顔はぐちゃぐちゃだ。表情筋が意志通りに働かないばかりか、涙腺も壊れてしまったようだ。


 ブルーノも今までに見たことがないような顔をしていた。

 あ、喜んでくれている。

 そう思ったら嬉しくて、ますます顔が歪むのを感じた。

 ブルーノはおかしな顔で精一杯微笑むと、わたしをそっと抱き寄せた。

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