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貧乏令嬢は呪いの伯爵と結婚したい  作者: 海野はな


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54.臨死体験

 どうやら疲れがたまっていたらしい。自室に戻り寝台に横になるとすぐに意識は遠のき、深い眠りに落ちた。そして気がついてみれば、すっかり明るい。


 要するに、朝寝坊した。


「大変っ」

「何も大変なことはありませんよ。エレナ様はむしろいつもが早いのです」


 慌てるわたしの着替えを手伝う手付きはテキパキとしていながらも、マリーは急ぐ必要などないとゆっくりとした口調で話す。


「エレナ様のおかげで使用人たちは交代で休みましたから、今朝は張り切って仕事をしています。エレナ様はもっとゆっくりなさっていても問題ないですよ」

「ブルーノ様は大丈夫かしら。何か聞いている?」

「夜はゆっくりお休みになれたそうです。今朝の体調もだいぶ良いようだと、先程ヨハネスから聞きました」


 わたしはホッと息を吐き、服の紐を結ぶ。


「ブルーノ様と殿下に朝食をお出ししなくちゃ」

「もうお出ししました。お二人で仲良くお召し上がりになったそうですよ」

「えっ、二人で?」


 思わず手が止まった。

 通常であればブルーノが殿下をもてなすのは当然だ。実際、ホールでの襲撃が起こる前は殿下の希望がなければ食事をする部屋で共に取っていた。

 でも、今のブルーノの体調がわからない殿下ではないはずだが。


「殿下がブルーノ様のお部屋にいらして、そこで一緒に取ったそうですよ。ブルーノ様もヨハネスも驚いたそうです」


 ブルーノが動いたのかと思ったけれど、逆だった。殿下が押しかけたらしい。


「エレナ様、まずは朝食をどうぞ」


 ブルーノの様子を一刻も早く確認したくて飛び出さんばかりだったわたしの前に、トン、と朝食が置かれた。


「でも」

「お見舞いに訪れたエレナ様がまだ朝食を召し上がっていないと知ったら、ブルーノ様は何とおっしゃるでしょうね?」

「うっ……」


 食べてこい、と速攻で戻されるだろうな、と思った。マリーに目を向ければいい笑顔である。内緒ね、というのが通用しないことは明らかだ。


「いただきます」


 わたしは大人しく朝食をいただいた。



 ブルーノの部屋に入ると、彼はベッドの上で書類に目を通していた。顔色はだいぶいい。


「おはようございます。すみません、寝過ごしてしまいました」

「おはよう。もっと寝過ごせばいい。君はいつも朝が早い」


 マリーと同じことを言われてしまった。


「具合はいかがですか? そして一体何をしていらっしゃるのでしょう?」

「だいぶ具合が良くなったから、仕事をしなければと思って……」


 わたしが笑顔で近付くと、ブルーノはわずかにピクリと肩を上げた。それとは逆に、ヨハネスが肩を下げた。


「エレナ様、これでもマシなほうなのですよ。さきほどは調子が良くなったからと、執務室に行こうとしたのですから」

「え?」

「ちなみに、行こうとして起き上がって、数歩進んで倒れました」

「倒れてない。ふらついただけだ」

「えっ?」


 バラすなよ、という目でブルーノはヨハネスを見る。先程わたしはマリーに同じような目を向けた気がする。もっとも、わたしの場合はすぐに内緒は無理だと諦めたけれど。

 ヨハネスはそんなブルーノの視線を気にすることはなかった。慣れている。


「せめてもと思って、書類をこちらに運ぶことにしたのですよ」

「……ブルーノ様?」


 もう一度笑顔を向けてみる。ブルーノは少し口元を引きつらせた。


「エレナ、最近マリーに似てきたんじゃない?」

「マリーにいろいろ教わっていますから。それでブルーノ様、まだ治っていないのに歩くとか、もしかして馬鹿なのですか? 皆心配しているの、分かってますか?」

「殿下にも似てきた」


 その件を知った殿下に「馬鹿じゃないの? 俺もエレナもおまえの使用人も、皆心配しているんだよ?」と似たようなことを言われ、「絶対に動くな安静にしていろ命令だ!」と押しきられたらしい。

 権力をもってブルーノに命じられるのは殿下だけだ。

 殿下、ありがとうございます。


「皆が動き回っているときに俺だけ寝ているのも落ち着かないだろ」

「落ち着いて寝ていてください、と言いたいですけれど、気持ちはわかります。でも、無理はしないでください」

「わかってる」


 本当にわかっているのかどうか。ヨハネスに視線を送ると、彼は力強く頷いた。権力はなくても使用人たちはけっこう強いし、特にヨハネスとマリーにはブルーノも弱い。



 午前中にやるべきことを終え、わたしはブルーノの部屋に戻ってきた。お昼どきだったので、昼食を共に取る。殿下は部屋で休んでいるそうだ。


 ブルーノの食事はハンスが特別に用意した消化がよさそうなメニューだった。食欲は戻ってきたらしく、ブルーノはあっという間に食べ終えた。


「足りなかったみたいですね?」

「身体を修復しようと魔力が使われているんだ。お腹が空くけれど一度に食べるのもよくないから、こまめにもらうようにした。ハンスには手間を掛けさせてしまうが」


 ハンスならばきっと喜んで作ってくれるだろう。


「ヨハネスも休憩してこい。休んでいないだろう?」

「わたくしがしばらくブルーノ様を見張っているから大丈夫よ」


 ヨハネスもずっと気を張っている。少し長めに休んできてほしいと伝えると、彼はちょっと困った顔をした。


「ここでお二人だけにするのは……」


 ブルーノとわたしを交互に見た後、ボソッと「まぁ問題ないですかね」と言ったのを聞いて、ここがブルーノの部屋で、ましてや寝室であることを思い出した。殿下によれば二人屋根の下暮らしていればもうそういうものとみなされている、とのことではあるが、一応婚姻前である。思わずブルーノと顔を見合わせた。


「あの、ヨハネス。数歩で倒れるブルーノ様がわたくしに何かできるとは思いませんし、今の状況ならばわたくしブルーノ様に負ける気がしません。……ん?」


 違う、逆か。


「むしろわたくしがブルーノ様に何かするのでは、という懸念ですね。しません」


 ヨハネスがブッと吹き出した。


「失礼しました。そのような心配は……いえ、では、お言葉に甘えさせていただきます」


 ヨハネスは笑いを堪えるような顔をして出ていった。なんだというのだ。



 執務室から書類をもってきたので、わたしもここでしばらくブルーノの様子をみながら仕事をすることにした。誰かが側にいないともし何かあった時に大変だし、誰もいないとブルーノが無理して働き出すおそれがあるからだ。


 ブルーノはベッドの上に書類を置き、わたしは小さな机を運んできてそこにペンとインク、書類を乗せた。ブルーノの顔が見える位置に椅子を置いて座ると、ブルーノが苦笑した。


「そんなに見張っていなくても死なないぞ。もうこちらに戻ってきたのだから、しばらくは生きていることに決めた」

「決めたって、本当にあちらの世界に行くところだったのですか?」

「そうだな」


 そうだなって、そんな当然のように。

 わたしが目を丸くすると、ブルーノはじぃっとわたしを見た。


「君に呼ばれて戻ってきた」

「……はい?」

「逝っては駄目だと君の声が聞こえた。呼んでなかったか?」

「呼びました。それも言いました……けど、え?」


 わけがわからない。完全に意識はないと思っていたけれど、聞こえていたとは。


 ブルーノはホールで争って倒れたときのことをぽつぽつと話し始めた。

 こちらの世界で意識を失って、ブルーノは見知らぬ温かいところに立っていたらしい。前方には光が見えていて、ブルーノはそこにいくのだとわかったそうだ。

 完全にやばいじゃないか。


「そこって、あちらの世界ですか?」

「さすがに俺もそこまで見るのは初めてだったから、たぶん、としか言えないけど、そうだと思う。自然にそっちに向かって足が動いたんだ」

「臨死体験しちゃってるじゃないですか! 抗わなかったのですか?」

「それでいいと思ったというか、ようやくいなくなれるのだと、むしろどこか安堵して進もうとした」


 本気で死にそうになってた!

 しかも皆が心配していたように、いなくなろうとしてた!


「でも、君に呼ばれた。それで立ち止まって振り向いたんだ。だけど姿は見えなかった。君は、泣きそうな声だった」

「実際に泣いてましたからね」

「泣いてたのか?」


 ブルーノはギョッとする。


「だって、ブルーノ様がいなくなってしまいそうでしたから。本当にいなくなろうとしているとは思いませんでしたし、少しは抗ってくれているものだと信じていましたけど!」


 わたしはブルーノの横に移動して、怒って詰め寄った。皆が心配して必死に祈っていたとき、ブルーノはさっさとあちらの世界へ行こうとしていたのだ。許すまじ。


「どんなに皆が心配していたか、どれだけブルーノ様を大事に思っているか、ゆっくりじっくりたーっぷり言い聞かせてさしあげましょうか?」

「すまなかった。本当に泣いているとは。いや、でも、エレナならば俺が死んだら悲しむだろうなとはその時自然に思った」

「そりゃそうですよ! 今まで気付かなかったとは驚きですね!」


 わたしが鼻息荒く言い切ると、ブルーノはちょっと慌てながら「落ち着け」と言った。落ち着いていられますか。


「それで、エレナが悲しんでいたり泣いていても、俺にはもうどうすることもできないと思ったら、なんというか、やるせなくなった」

「わたくしはもっとやるせないですよ。もしブルーノ様があちらの世界に行ったなら、わたくしにできることは埋めることだけですもの」

「……具体的だな」

「焼いて撒かれるほうが好みですか?」

「そういうことじゃない」


 わたしは怒っているのに、ブルーノはそんなわたしの顔をまじまじと見て顔を緩めた。なんだか調子が狂ってしまう。


「それで、なんだ、その……」

「なんですか?」


 急に言い淀んだブルーノは、目線も彷徨わせた。何か言いにくいことでもあるらしい。今度はなんだ。淑女らしくはないが、わたしは腕を組んで細目でブルーノを見下ろした。


「エレナに……くて」

「はい?」

「君に会いたくなって」

「……は?」


 怒っていた勢いが一気に削がれた。腕を組んだ格好はそのままに目を見開く。わたしが凝視すると、ブルーノは決まりが悪そうに目を泳がせた。ちょっと顔が赤い。


「だから、その、このまま君に会えなくなるのは嫌だと思って、戻ってきたんだ」

「えっ? それは、その、えっと? わたくしのために戻ってきてくれた、ということでしょうか?」

「違うな……。俺が、そうしたかったから……俺が……まだ君に何も告げていないのにいけないと思って……」


 途切れさせながらブルーノはそう言うと、気持ちを落ち着けるかのようにすごく大きく息を吐いた。


「エレナ、座って」


 ベッドの横にある椅子を勧められて、わたしは腰掛けた。目線が同じ高さになった。ブルーノの瞳が揺れている。だけど先程とは違って目を逸らすことなく、まっすぐだった。

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