50.ブルーノの危機
ヴィムとヨハネスがブルーノを本邸にある彼の私室に運び着替えさせる間、わたしは離れに行き、魔力と体力を回復させる薬を取ってくることにした。
あまり動かしたくはないけれど、血のついた服をそのまま着た状態では不衛生なので仕方がない。ずっと側にいたいけれど仕方がない。今のわたしでは着替えを手伝うことはできないのだから……って、なに考えているのだろう、わたし。
調合室にすでに作られた薬があるのは知っていたので、そこから魔力を回復させる薬と体力を回復させる薬を取った。痛み止めは必要だろうか。もしかしたら傷が元で熱が上がるかもしれないから、熱冷ましもあったほうがいいかも。必要になるかもしれない薬を全てカゴに入れていく。
調合室を出るときに、わたしが整理した棚が目に入った。そこにはいろんな薬のレシピが置かれている。
ブルーノだったらこういうとき、どんな薬を調合するだろう。
できているものを飲ませることしかできないのがもどかしい。もっと勉強しておけばよかった。そうすれば、今の状態に一番良い薬を作れたかもしれないのに。
いくつかの薬が入ったカゴを手に、わたしは本邸へ急いだ。
ブルーノの私室に入るのは初めてだ。ブルーノの許可の声が聞こえるはずもないことはわかっているけれど、コンコンとノックして「入りますよ」と声をかけてから中に入った。
寝台の横にはヨハネスとヴィムが控えていて、わたしを見ると場所を譲った。
ブルーノは相変わらず白い顔で横たわっていた。先程見ただけでもかなりの血が流れていた。生気のない顔に不安になって首に触れる。温かいことに少しだけ安堵した。やはり脈は弱い。
体力を回復させる薬を少しずつゆっくりと口に入れていく。時間をかけて全てを飲ませ、もう一度首に触れた。薬を飲ませたところですぐに回復するはずもないのに、弱い脈を何度も確かめる。
薬は連続でたくさん飲ませない方がいいとブルーノが言っていた。魔力を回復させる薬は少し時間をあけたほうがいい。
「ヴィム、ブルーノ様はわたくしがみているから、ホールの様子を見てきてくれる? それから使用人たちとアリーの様子も」
アリーはわたしが以前ネッケに攫われた時に一緒に攫われ、それ以来臆病になっている。それなのにブルーノが刺されるところを見てしまい、怖かっただろう。彼女のことだから、必死に取り繕って仕事をしていると思う。
「すぐに戻ります」
「いいえ、急ぎの報告がなければゆっくりでいいわ。他の使用人たちも心配だし、なによりアリーの側にいてあげてほしいの」
きっと恋人であるヴィムが近くにいれば少しは安心するはずだ。
「そうは言っても、アリーのことだから、さっさと仕事に戻れ、と言いそうだけど」
「エレナ様はよく分かっていらっしゃる」
「できればアリーも少し休ませてあげて」
ヴィムはフッと弱く笑って、わたしにお礼を言いながら部屋を出ていった。
その後ろ姿をぼんやりと見ながら、そのまま部屋を見回した。
思ったよりもしっかりと整えられている。ブルーノは今でも離れの私室を使っているはずなので、こちらは物が少ないだろうと思っていた。当主の部屋なのだから当然なのかもしれないけれど、まるでいつも使っている部屋であるかのような雰囲気だ。
「どうかなさいましたか?」
「意外と物が多いのだなと思っていたの。ブルーノ様は普段離れで過ごしているでしょう? 私物はほとんど離れにあるのかと思っていたけれど、そうでもないのね」
机の上にブルーノがいつも使っているペンが置かれているのを見ながら言うと、ヨハネスは目を丸くした。
「ブルーノ様は、最近はほとんどこちらで休まれておりますよ」
「え?」
「いつからか少しずつこちらで休まれるようになって、離れのお部屋はあまり使われなくなったので、私物をこちらの部屋に移したのです」
驚いてヨハネスを見ると、彼は弱く微笑んだ。
もう一度部屋を見回す。
調合室はいろいろな物で溢れているけれど、それ以外ではブルーノは物をため込む性格ではない。離れのブルーノの私室を見たことはないけれど、こちらに私物を移したのならばきっと離れがすっきりしているのだろう。
「離れのほうが落ち着くのではなかったの? たしかに最近は忙しそうではあったけれど」
小さいころからずっと過ごしてきたという離れ。そちらで過ごしたいのに、忙しくて戻れなかったのかもしれない。もしそうならば、なるべく戻れるようにしたい。どちらにしても、回復してからの話になるけれど。
わたしがそれを聞くと、ヨハネスは首を横に振った。
「忙しくて戻れない、ということではないと思います。エレナ様がこちらにいらっしゃる前はもっと忙しかったのです。けれど、頑なに休まれる時は離れに戻っていましたから」
当時はどうしても仕方がない時以外は離れに戻っていたそうだ。忙しすぎるときでも執務室に泊り込んだりしていたらしく、本邸の自室を使うことはほとんどなかったという。
「私たち使用人が、当主になられたのだから本邸の当主の部屋を使われてはどうかと何度もお話したのですが、頷くことはなかったのですよ。でも今は逆になりました。どうしても調合で遅くなった夜だけ、離れの私室を使っていらっしゃいます」
「こちらでも休めるようになったのかしら?」
たしかに当主がずっと離れで生活しているというのはおかしいので、本邸でも落ち着けるならばそのほうがいい。何か気持ちの変化があったのだろうか。無理をしていないのならばいいのだけれど。
「エレナ様のおかげだと思います」
「わたくしの?」
「最初は日中エレナ様と共に過ごされた日は本邸で休むようになったのです。それから一緒に過ごす時間が多くなるにつれて、本邸で休む日も増えていきましたから」
わたしがこちらにきた当初は、ブルーノが近くにいるのはわたしが嫌だろうと、仕事時間を除いてなるべく本邸にいないようにしていたそうだ。それからしばらくして、少しずつ本邸にいる日が増えたという。
本格的に本邸で過ごすようになったのは、わたしが攫われたのが最大のきっかけだった、とヨハネスは言った。
「こちらの部屋に戻ったブルーノ様に離れでなくていいのか聞いたら、もし何かあったときに近くにいたほうがいいから、とおっしゃっていました」
あの日以来、たしかにブルーノはわたしに過保護になった。外出するときも必ず護衛を連れていけと言われたし、伯爵家の敷地の外に出るときはできる限りブルーノから離れないように気を付けていた。そうか、夜もそうして守ろうとしてくれていたんだ。
「エレナ様、少しブルーノ様をお願いしてもいいでしょうか? ホールの様子を見て、それから新しい布と水を取って参ります」
「えぇ、もちろん。お願いね」
ヨハネスが部屋を出ていき、わたしは横たわる白い顔を眺めた。
泣きたくなった。
ブルーノはいつだってわたしの事を考えてくれている。最初は呪いを怖がるだろうわたしになるべく近寄らないように、慣れたら見えないところで守ろうと。
わたしの望みはそうじゃない、というところはあっても、いつも気遣ってくれていた。
「ブルーノ様」
呼びかけても返事はない。
手を握った。温かかった。
ブルーノは今までの経験から、自分はいないほうがいいと思っている。
このままいなくなってしまおうとしていないだろうか。
そのほうがいいと、思っていないだろうか。
「このまま逝くなんて、絶対に駄目ですよ」
生気のない顔に反応はない。
「駄目ですからね……」
涙が零れ、ブルーノの手に落ちた。




