49.刺客
争ったり血が出る表現があります。
「アリー、落ち着いて状況を説明してくれる?」
ブルーノが刺されたと駆け込んできたアリーは息を切らしており、顔色は悪い。ヴィムがアリーの背を軽くさする。アリーは何度かゆっくりと息を吸って吐き、顔を上げた。
「私が飲み物を厨房からホールに運んでいたら、軽い爆発音が鳴ったんです」
「爆発? 気が付かなかったわ。ヴィム、聞こえた?」
ヴィムは首を横に振る。
アリーによれば、爆発音が鳴ったのは離れとは逆側で、たぶん外だという。大きい爆発ではなさそうだったれど、ホールに近い場所のように感じたそうだ。
「私はそのままホールに向かったのですけれど、途中で確認に出た護衛と思われる数人と廊下ですれ違いました。はっきりと顔は見えなかったのですが、殿下の護衛の方もいました」
何が起こったのだろうと不安に思いながら、アリーはホールに急いだ。
「私がホールに着いた時、扉の前にいたはずの護衛の方々の姿が見えませんでした。使用人が使う裏の戸に向かうところで中から悲鳴が聞こえました」
ホールの表の扉とは別に、裏手に使用人が使う戸がある。使用人は表の扉を使わずにそちらを使用するので、アリーはいつものようにそちらに回ったそうだ。
そこから入ると控室のような小部屋になっており、飲み物や料理のストックなどが置けるようになっている。給仕係がホールにそこから運んだり、使用人同士のやり取りをする場なので、ホールからはこの小部屋が見えにくい構造になっている。
「戸を開けると悲鳴とざわめき、それから剣が合わさるような金属音が聞こえました。ホールの中を覗くと、数人の男性が剣を手に争っていました」
「剣?」
パーティー会場に剣を持ち込むのはマナー違反だ。上手く隠していれば別だが、さすがに剣を持ち歩いている参加者は殿下の護衛の一人を除いていなかったはず。
代わりに扉の外には参加者たちが連れていた護衛の人たちが控えていた。剣を持った人がいたということは、護衛と見せかけた刺客か。
「私には敵味方の区別はつきませんでしたが、殿下が狙われているようでした。それで、殿下に向けられた剣をブルーノ様が庇って……」
アリーの呼吸が荒くなり、手がカタカタと震え出した。
これ以上聞くのは難しいだろう。
「アリー、最後にひとつだけ教えて。ブルーノ様の状態はどうだったの? もう動けない状態だった?」
「いいえ、刺さった剣を自分で抜いて応戦していました。そこで私はマリーから行けと言われてこちらに走ったので、後のことはわかりません」
「もういいわ、ありがとう。わたしはホールに向かうわ」
調合した解毒薬を抱えて、ヴィムを見た。どこにいるのが安全なのかはわからないけれど、ここにアリーを一人で残すのは不安だ。
「ヴィムは……」
アリーとここに残って、と言おうとしたとき、アリーが自分の震える手をグッと握りしめた。
「エレナ様。私は大丈夫です」
「アリー?」
「一緒に行きます。こんな時に休んでいてはブルーノ様の使用人失格ですもの」
アリーはちょっとぎこちないながら、必死に顔を繕った。
一つ頷くと、わたしたちは三人で調合室を出た。
冬の夜風が冷たい。何かが起こっているとは思えないくらい、外は静かだった。裏口から中に入りホールに向かう。館の中も静かで人通りはない。
アリーが言っていた通り、ホールの前に控えているはずの護衛はいなかった。ヴィムがそっと扉を開けようとしたけれど、開かなかった。どうやら内側からロックされているらしい。
使用人の戸へ回り中に入る。普段は使用人たちが控えている小部屋には誰もいなかった。争いは終わったのか剣の音はせず、誰かの話す声が聞こえる。
ヴィムを先頭に小部屋からホールの中を覗くと、いきなり剣を突きつけられた。
「誰だ……エレナ様?」
この人の顔は見たことがある。殿下の護衛の一人だ。すぐに剣が下げられたが、前から動く気はないらしい。
「失礼しました。誰も外に出すなという指示だったのです」
「通してくださる?」
「危険です」
覗き込んでホールの中を見回す。どうやら争いは終わっているらしい。端に使用人と演奏者、別の壁際にパーティーに参加していたお客様たちが固まって集められていた。ホール中央に数人の男が倒れている。王太子殿下の横で剣を構えているのは殿下の護衛だと思われる。
この状況とアリーの話からして、刺客が殿下を襲ったのだろう。殿下は自身も剣を持ち、悠然と立っていることから無事のようだ。
その奥に、ブルーノが膝をついているのが見えた。
「ブルーノ様っ」
わたしが進もうとすると、先程の護衛に阻まれた。
「失礼ながら、貴女が殿下の敵ではないとは言い切れない。通すわけにはいきません」
「殿下に用はないわ。駄目だと言われても通ります」
ここに留まっている時間が惜しい。わたしが強行突破しようと構えたとき、殿下がわたしに気がついた。このドレス姿で声を出していたのだから、それは目立ったのだろう。殿下は護衛に向かって手を上げた。さっと護衛が引く。
護衛のところにアリーを残し、わたしは解毒薬の瓶を抱えたまま急いだ。チラッと見えたブルーノの顔色はかなり悪い。
護衛から離れてお客様が固まっている辺りを通り過ぎようとしたその時、男性がわたしの前に飛び出してきた。動きからしてたぶん敵。だけど、今のわたしには敵か味方かはっきりとは判断がつかない。何より解毒薬を守りたいから、むやみに動きたくない。
「わたくしに……」
何か用ですか? と聞こうとした瞬間にナイフを首に当てられた。
「エレナっ」
殿下の焦った声がした。
後ろの男がわたしの腕を掴み、ナイフを突きつけてくる。
「フッ、形勢逆転ですな、殿下。この女が傷つけられたくなければ、素直に従ってください」
はい、敵決定。
彼は客としてやってきてパーティーに参加しているので、顔は覚えている。貴族なので最低限の魔術訓練は受けているはずだ。だけどごくわずかに感じる魔力には精彩さがない。服のおかげもあるかもしれないけれど、体型は引き締まっているように見えたので、そちらの訓練は少しはしていたのかもしれない。飛び出してきた速度はわりと良かった。
殿下がわたしの顔を見てから、ぐっと詰まったような顔をする。
あ、演技だな。そう思った。
「要求はなんだ?」
「わかっていらっしゃるでしょう?」
「俺の首か」
「そこまでは言っていませんよ。王太子の座から降りてください。そうすれば誰も傷つくことなく、この女もお返しします」
「俺の首を狙ってきたヤツがよく言うよ」
「少なくとも、殿下以外を傷つけるつもりはありませんよ」
やっぱり殿下狙いのようだ。
この状態をいつまで続けたらいいのだろう。わたしとしては一刻も早くブルーノに解毒薬を届けたい。
「エレナは俺にとって、友人の婚約者でしかない。命をかけるほどの存在だと思うか?」
「さぁ、どうでしょう。少なくともお優しい殿下ならば、民一人を見殺しにはなさいますまい」
男はわたしにぐっとナイフを近付けた。
つ、と首の皮一枚が切れた感覚がした。大した傷じゃないのはわかるけれど、痛いものは痛い。蹴り飛ばしていいかな?
目の端にブルーノが動くのが見えた。立ち上がろうとして、そのままぐらっと傾き、倒れた。
「ブルーノ様!」
わたしは脇にしっかり解毒薬の瓶を抱え直すと、腕に魔力を集めて部分的に身体強化し、ナイフを持った手をグッと掴んだ。そのままグイッと捻ると、男が悲鳴を上げた。
拘束が緩んだ隙に抜け出し、振り返ってお腹を蹴り飛ばす。
彼のお腹はボヨッとしていた。蹴りごたえがない。鍛えているかと思ったけれど、見当違いだったようだ。
「ゴフッ」
床に倒れ込んだ男を見て、ホールの空気が一瞬固まった。もう少し防御力があると思ったので、ちょっと強めの加減になってしまった。でも脅された相手なんだから、そのくらいいいはず。たぶん、やばそうなところは避けたはずだから大丈夫。そんなことはどうでもいい。問題は倒れたブルーノだ。
「捕えよ!」
殿下の声で目を丸くしていた護衛が動く。
同時にわたしはブルーノの元へ駆け寄った。
「ブルーノ様、大丈夫ですか?」
目が合った。一瞬だけ、ブルーノが微笑んだように見えた。
そしてすぐ、ブルーノは意識を失った。
「ブルーノ様!?」
わたしの血の気が引き、呼吸が浅くなる。
どうしよう、ブルーノが、ブルーノがっ!
わたしがパニックを起こしそうになりながら、ブルーノの首に手をかざす。脈が弱い。だけど、弱いながらもちゃんと打っている。
大丈夫、まだ、大丈夫。ちゃんと脈は打っている。助けられる。
わたしは自分に言い聞かせるように、大きく息を吸って吐いた。
アリーが刺されたと言っていた傷は脇腹のようで、その周囲の服が赤く染まっている。倒れている男たちの数からして、傷を負ってからも魔術を使い続けたに違いない。
わたしはとり急ぎ作ってきた解毒薬を別の器に移し、少しずつ流し込む。
それが終わると横に寝かせ、ブルーノの服をめくった。傷口からはまだ血がにじみ出ている。濡れた布で軽く拭いてから手をかざし、癒しの術を構築していく。
癒しは魔術によって傷を治す術ではあるが、結局のところ怪我をした人の治癒力を最大限まで高めることによって傷を塞ぐのを手助けするものである。なので、傷を負った人が健康で魔力と体力がたっぷりあればすぐに治るし、多数の傷を負って瀕死だったらそもそも癒しが使えない。
ブルーノは今、魔力をたくさん使った状態だと思われる。体力もどれだけ残っているか。本来ならば癒しを使える状態ではないけれど、このまま血が出続けるのは危険だ。
わたしは慎重に魔力を流し、血を止めた。表面だけは治っているように見えるけれど、内部の損傷までは治せていない。今はこれ以上治せない。
顔色が白い。思ったよりも状態が悪いことに焦りを感じる。
「エレナ、ブルーノの状態は?」
殿下も焦った顔でブルーノを覗き込んだ。
「わかりません。殿下、解毒薬です。ブルーノ様から聞いていますか?」
「あぁ、聞いている」
「量はこの器でこのくらい。毒入り料理を食べた可能性のある方に渡してください。急激には効きませんが、だいぶ動きやすくなると思います。もし解毒薬が不安であれば、ボラピの毒はよく休めばいずれ抜けます。……一度、下がらせていただけますか?」
必要な事を一気に話し、ブルーノを休ませたいと伝える。
「わかった。こちらのことは任せろ。……ブルーノを、頼む」
殿下もぐっとつまった表情だ。今のは演技じゃない。殿下もブルーノが心配なのが伝わってきた。
わたしが解毒薬を殿下に渡しながら頷くと、殿下はスッと表情を変えた。親しみやすさは一気に消え、厳しい顔つきだ。これが王太子のオーラなのだろう。
「罪人を集めよ」
「はっ」
それからパーティーに参加していた人に事情を説明しながら、解毒薬をまず殿下自身が飲んだのが横目に見えた。
ヴィムとヨハネスがブルーノを抱きかかえ、わたしたちは殿下たちを残し、ホールを後にした。




