44.街見学
王太子殿下滞在二日目。
今日は街に出る予定だ。幸いなことに、非常にいい天気。きっと王太子殿下の日頃の行いが素晴らしいのだろう。雨だったら延期にする予定だったけれど、外出できそうだ。
「おはようございます、殿下。よくお休みになれましたか?」
「おはよう、ブルーノ、エレナ嬢。すごくよく寝てすっきりした。良い寝台だな」
「領内の職人が作ったものなのですよ。殿下の寝台よりは劣るでしょうが、よくお休みいただけたようでよかったです」
「いや、良い寝心地だった。妃がいないという点だけは難点だな」
ははっ、と笑った殿下につっこめるスキルはわたしにはなく、残念ながらブルーノにもなかったらしい。朝から微妙な沈黙が流れた。殿下は全く気にしていないようだったが。
朝食を終えて馬車に乗り、街へ出た。まずは教会だ。
「へぇ、いい教会だね」
「領の自慢の一つなのですよ」
「君達はここで式を挙げるのか。いいね」
「……殿下が挙式された教会のほうが大きいでしょう?」
「そうだけど、王子の結婚ってしきたりだなんだっていろいろと面倒でさ。人も多くて俺も妻も疲れてしまったよね。式を挙げたというよりは、結婚するための最後の難関を突破した感じだったよ」
だからあまり教会のことを覚えていない、と殿下は言った。なるほどそれは大変だっただろう。
教会を見学した後、予定通り公園に来た。もう冬なのでさすがに気温は高くなかったけれど、日差しがあって暖かい。温室を見て軽く散策してから、ガゼボで休憩することになった。
「寒くはないですか?」
「少し歩いたから、このくらいの気温がちょうどいいよ。ここもいいところだね。普段は領民に解放しているの?」
「そうです」
さすがに殿下になにかあってはまずいので、今の時間は貸し切りとなっている。あまり風もなく、池に陽が反射して綺麗だ。
お茶と茶菓子で軽く歓談していると、ブルーノが使用人に呼ばれた。なにか温室でトラブルがあったらしい。
「殿下、すみません、少し席を外してもいいでしょうか?」
「あぁ。俺はここでエレナ嬢と楽しくお茶してるから、少しと言わずゆっくりしてきていいぞ」
「あ、あの、わたくしが行ってきます」
立ち上がりかけたわたしを、殿下が手で制した。
「つれないなぁ。俺はエレナ嬢と話したいのに」
ニヤッと笑った殿下に一瞬顔をしかめながら軽く頭を下げて、ブルーノは温室に向かっていった。
「何があったのでしょう?」
「さぁ」
最重要事項のはずの殿下と離れるくらいだから、大変なことに違いない。ついでに言うならば、わたしはブルーノの後ろについて大人しくしているつもりだった。使用人や護衛はいるけれど、いきなり殿下と二人で話すことになっても、どうしていいかわからない。
わたしが慌てていると、殿下はクッと笑った。
「気にしなくていいよ。実は俺がエレナ嬢と二人で話したくて仕込んだんだ」
「え?」
「ほらだって、さすがに君を部屋に呼び出すわけにはいかないだろう?」
わたしが目を丸くすると、殿下は面白そうに口端を上げた。
「あの様子だとブルーノは本当にすぐ戻ってきそうだから、単刀直入に聞くね。ブルーノの事、怖い?」
「いいえ」
「だろうね。そんな感じがしてた」
殿下は優雅にお茶に口をつけ、茶菓子をひとつつまんだ。所作ひとつひとつが流れるようで美しい。
「こちらの生活は楽しい?」
「楽しいです」
「困っていることはある?」
「うーん、特にないです」
「ブルーノのこと、好き?」
「んぐっ」
単刀直入すぎて、思わずむせた。ゴホゴホと咳き込むうちに、顔が熱くなってきた。
「す、好きですよ! あ、あの、えっと、愛しているとかそういう意味じゃないですけど、尊敬しています」
殿下はわたしをきょとんと見た後、まだむせるわたしを見て声をあげて笑った。
「す、すみません、お見苦しいところを」
「いや、ハハッ、こちらこそすまない。ほら、俺が斡旋した婚約だからさ、一応責任は感じていたんだけど、大丈夫そうじゃない?」
ひとしきり笑ったあと、殿下は息を整えてお茶を一口飲み、わたしも喉を抑えるためにお茶を飲んだ。
「ブルーノは俺の恩人であり友人だから、彼には幸せになってほしいと思っているんだ。だけど彼はさ、痣と共に全ての不幸背負ってます、みたいな奴じゃない? 二度の結婚も失敗しているわけだし、自分から結婚することはないなと思ったわけだ」
不幸背負ってます、という物言いに思わず笑いそうになってしまった。殿下はブルーノのことをよくわかっているんだなと思うと同時に、むしろわたしの方がわかっていないに違いないと思い直す。殿下の方がつき合いが長いのだから。
自分から結婚することはないだろう、という意見にも賛同する。わたしとの婚約は王太子殿下の意向があったから受けたのであって、それでも実家に戻そうとするくらいなのだから、自分から積極的に嫁を探そうとはしなさそうだ。
「そこで良い人はいないかなと探していたところ、ちょうど良さそうなご令嬢がいた。それが君だ。失礼ながら調べさせてもらったよ」
初等科は優秀な成績だったにも関わらず貧乏故にあまり学園に通っていないこと。性格はまっすぐでご令嬢らしくはないが物怖じしないこと。殿下はわたしについて挙げていく。よく調べていらっしゃる。
素行に悪いところもなく、何より噂に踊らされる気質でもなさそうなので、ブルーノとちゃんと向き合えそうだと思われたらしい。
「あとは、君もあのおばあ様から指導を受けていたなら、弟子同士で話も合うかなとも思ったんだよね」
「あのおばあ様?」
「あれ、聞いてない?」
ブルーノも殿下もわたしの祖母の教え子なのだそうだ。といっても殿下の場合は身体が弱かったため、体調が回復した頃にブルーノの元を訪れていた祖母にたまたま見つかり、それなら一緒に鍛えてやるわ、と構われるようになったらしい。
殿下によれば、わたしの祖母はこの国でも有数の魔術師で、国が囲い込もうとしているがいつものらりくらりとかわし続けて今に至るらしい。若い頃は自分の右に出る者はいなかった、と祖母は言っていたけれど、事実だったのかと今知った。
時折ブルーノの元を訪れてはおぞましい量の課題を突きつけていたのだとか。
「全然知りませんでした」
そういえば祖母はあまり家にいない人だった。行き先を家族も知らず、しばらく姿が見えないと思ったら帰ってきて、またいなくなって、という繰り返しだった。自分を捕まえようする奴らがいるから、と言っていたのを聞いたことがあるが、もしかしたら国が捕まえようとしていたのだろうか。
おばあ様……。
「君は小さい時からあの方の指導を受けているんだろう? それだけですごいよね。よく生きてたよね。あのブルーノが珍しく弱音を吐いたり愚痴を言っていた人だよ? もしかして、女の子には優しいの?」
「いえ、全っ然優しくはなかったですね。容赦ない感じです」
わたしが実感を込めて言うと、殿下は「アハハ」と声を立てて笑った。
「そうだと思った。あの方は身分とか性別とか気にしなさそう」
「どうやら殿下にも不敬であったようで、申し訳ございません」
「いや、そういう人が周りにあまりいなかったから、新鮮だったよ」
ククク、と殿下は楽しそうに笑った。
「とにかく、君はブルーノに合うかなと思った。だから婚約しろと命じたんだ。強引だったことは認めるけれど、子爵家の状況からすると、君にとっても悪い話じゃなかっただろう?」
おかげで子爵家が持ち直したのだから、それに関しては感謝しかない。助かりましたと伝えると、「それならばよかった」と殿下は微笑んだ。
「でもさすがに俺も鬼じゃないからさ、もし二人の相性が悪いようだったらこのまま無理に結婚しろとは言わない。俺は二人に幸せになってほしいのであって、辛い婚姻を強いるつもりは全くないんだ」
殿下はわたしに実家に戻ってもいいと言った。ブルーノだけでなく、婚約させた人からもそう言われるとは思わなくて、顔が強張った。そんなわたしを見たからか、別の縁談を用意することも可能だし、縁談が嫌ならば働く先を斡旋することもできると殿下は言った。
「君の率直な気持ちを聞きたいんだ。ここでブルーノをこっぴどく振って罵ったところで不敬に問うことなどないから、思うままに教えてほしい。君はどうしたい?」
顔は微笑んでいるけれど、まっすぐにわたしを見ている赤い瞳は真剣で、まるでわたしを見定めるようだ。
「わたくしは一生過ごすものと思ってここに来ました。今でもそう思っていますし、そうしたいとわたくしは思っています」
「へぇ」
殿下は「二人に幸せになってほしい」と言ってくれたけれど、本音は「ブルーノには幸せになってほしい」だろう。わたしと殿下は昨日会ったばかり。恩人であり友人だといったブルーノをまず考えるのは当然のこと。わたしが殿下の友人を幸せにできる存在なのか、見極めようとしているのだ。
その真剣な瞳を見て、なぜかちょっと嬉しくなった。
「どうかしたのか?」
「すみません。ブルーノ様はいろんな方に愛されているんだな、と思って」
「愛されてる?」
「はい。ブルーノ様は、ご自分は不幸の象徴で恐れられる存在だと思っていらっしゃるところがありますけれど、本当はみんなブルーノ様のことが大好きですよね。伯爵家の使用人たちなんて彼が好きすぎて、わたくし追い出されそうになったのですよ」
「追い出される?」
わたしが伯爵家に来た当初のことを軽く話し、わたしもだんだんと緊張がほぐれて笑い合っていると、ブルーノが戻ってきた。
「すみません殿下、お待たせしました」
「いや、戻ってくるの早くない? 俺はエレナと楽しく話していたのに。ねぇ?」
ニコッと微笑まれた。王子スマイルは威力が強い。
「ブルーノ様、大丈夫だったのですか?」
「あ、あぁ、人が倒れたと聞いて行ったんだが、ちょっと体調を崩しただけのようだ。休めば良くなるだろう」
どうやら大したことはなかったようだ。チラッと殿下を見ると、素知らぬ顔をしていた。殿下が仕込んだらしいというのは言わない方がいいだろう。
「そうだ、今話してたんだけどさ、ブルーノの師匠がエレナのおばあ様だって、なんで話してなかったの?」
「え……えっ?」
「まさかブルーノ、気付いてなかったの?」
ブルーノはわたしをまじまじと見て、納得したように長く息を吐いた。
「どうりで強いと思ったんだ」
「強い?」
ブルーノがわたしが攫われてマッチョを蹴り倒していたことを話すと、殿下は大笑いしていた。よく笑う人だな。
「なに、ブルーノ、急いで助けに入ったのに見せ場なかったの」
「無事だったのだからいいんですよ」
それからわたしたちは公園を出て、薬を製造している工場を見学した。工場の存在は知っていたけれど、わたしも初めて入った。この工場の視察が今回殿下が伯爵領を訪れた理由のひとつであり建前なので、時間をかけてゆっくりと見て、そしてわたしたちは館へ戻った。




