40.二人の過去の妻
少しどころではなく長めの昼休憩を初めてのガゼボで取り、戻った館にて、わたしは予想通りブルーノから午後の執務手伝いを断られた。
仕方なく部屋に戻ったわたしにマリーがお茶を出してくれた。お茶なら飲んできたが温かいお茶は嬉しいので、ありがたくいただくことにする。
一口飲んで、ふぅと息を吐く。
「お話はできましたか?」
「そうね。マリー、ブルーノ様は周りを呪っているのだと思う?」
「思いません」
即座に返ってきた。何ならちょっと被せ気味なくらいに。
「そうよね、わたくしもそう思う。ねぇマリー、ブルーノ様の奥さんはどんな方だったの? 先程少し聞いたの。一人目の奥さんは体調を崩して実家に戻ったって」
少し迷う様子を見せたマリーに、ブルーノから家族のことを聞いたと話した。ブルーノが離れに移った理由も、ご家族がどうして亡くなられたのかも。
あくまで使用人目線ですよ、と前置きした上で、マリーは教えてくれた。
「一人目の奥様は子爵家のご令嬢でした。失礼ながら、エレナ様と境遇は似ているのかもしれません。あまり裕福なご実家ではなかったようで、支援する代わりにと縁談がまとまったようです」
婚姻を結んだ子爵家のご令嬢とブルーノは、全くうまくいっていなかったという。ブルーノが歩み寄る姿勢を見せたのに、ご令嬢が「呪われる」とブルーノを遠ざけたからだそうだ。
「正直に言いますと、ひどかったですよ。誰も嫁いでこないようなところにきてやったのだからありがたく思え、と、そんなことを言う方でした」
我儘放題で使用人は辟易していたという。
何より許せなかったのはブルーノ様をないがしろにしたことだ、とマリーは言った。
「体調を崩されたのは事実といえば事実ですけれど、深刻なものではありませんでしたよ。ちょっと風邪を引いた程度の。医師も少し休めば良くなると言いましたから。それを呪われたのだと騒ぎ立てて」
結局、慰謝料を請求して出て行ってしまったという。
「最初からお金だけが目当てだったようです。エレナ様がこちらにいらっしゃるときいて、当時私たちは、またか、と思ったのですよ」
「うっ、それは、心当たりがないとは言えないわね……」
むしろありすぎる。金だ権力だと口にしていた自覚はあるし、実際にそのためにここにきたのも事実だから。
「そんな扱いを受けながらもブルーノ様は、彼女も望んだことじゃないのだから、と慰謝料を支払って彼女を実家へ戻したのです。使用人が何を言ってもしょうがない事ですけれど、私たちはもう、悔しくて仕方がなかったです」
ちなみに彼女は実家に戻ってからケロッと元気になったという。その後のことは詳しく知らないとのことだけれど、離縁と同時に支援や取り引きは中止になったそうだから、どうなったかは、うん。得ていた支援と慰謝料で立て直しができていればいいね、というところである。
「二人目の奥さんは?」
「彼女はまた一人目の奥様とは少しタイプが違う方でした」
二人目の奥さんは伯爵家の娘ではあったけれど、母は使用人で庶子だったため、実家ではあまり良い待遇ではなかったらしい。彼女が望んだのは、貴族としての華やかな生活だったそうだ。
「彼女は純粋にお金が欲しいというよりは、地位を望んでいたようでした。エレナ様も権力が、とおっしゃって……」
「えーっと、こちらも心当たりが……」
ありすぎる。わたしが金だ権力だと騒いでいたときに使用人が白けていたのを思い出し、そっと目を逸らしてお茶に口をつける。
「エレナ様はお二人とは違います」
そういうマリーの目は、少し切なげだった。
「二人目の奥様はブルーノ様のことを恐れていました。離れに住まわれるのも怖いとおっしゃって、前伯爵夫人はたまに離れにも足を運ぶようにという条件付きで、彼女が本邸で過ごすことを許されました」
「ずっと本邸というわけでもなかったのね」
「……子を望まれていましたから」
「子……」
彼女と婚姻が決まったのは、領同士の取り引きといった政略的な部分と同時に、伯爵家が子を望んだからという面もあったそうだ。
ブルーノの弟が次期伯爵となることは決定していたものの彼は身体が弱く、子を授かるか不安視されていた。弟に子ができればいいが、もしできなかったときには、いずれブルーノの子を弟の養子にして家督を継がせる、そんな考えがあったそうだ。
「ブルーノ様を怖がるのは仕方のないことかもしれないとは思います。けれど彼女がブルーノ様を見る目は、侮蔑していたといいますか、まるでおぞましいものとか汚いものを見るようでした」
しばらくは離れにもしぶしぶ足を運んでいたようだが、いつの間にかこなくなったらしい。そして疫病が流行り、亡くなったそうだ。
「ブルーノ様は奥さんたちが体調を崩したり亡くなられたのをご自分のせいだと思っていらっしゃるようなのだけど、マリーもそう思う?」
「いいえ、全く」
「そうよね」
「そうですとも」
マリーはとても力強く頷いた。貫禄があるな、などと関係のないことを思った。
「ブルーノ様は小さい頃からずっと、よくないことが起こるたびに『呪いの子のせいだ』と言われ続けてきたのです。誰かが体調を崩せばブルーノ様のせいだ、不幸があれば呪いだ、不作の年はブルーノ様が領にいるからだと」
雨が続く日も、逆に日照りが続くのも、ブルーノのせいにされる。「天気をブルーノ様が動かせるはずがないでしょうに」とマリーは溜息をつく。
「中には歩いていた人が転んで怪我をして、その横をたまたま通りかかったというだけでブルーノ様の呪いだと言われることさえあったのですよ」
「それはひどいわね」
マリーはわたしの器にお茶を注ぎ直した。
お茶、もう大丈夫です、と言いそびれた。
「だからブルーノ様は、ご自分の近くにいると周りが不幸になると思っていらっしゃる。私から見れば、ブルーノ様がもしその場にいなくても人は転ぶし、風邪を引くし、雨が続くときもあると思うのですけれどね」
「そうよね」
完全に同意した。
「ブルーノ様は、わたくしは実家へ戻る方がいいと言うの。マリーもそう思う?」
「エレナ様はどうしたいのですか?」
「わたくしは……」
どうしたいのだろう。
迷ったわたしに、マリーはお茶を追加した。本当にもういらないです。
「戻るように言われた時、エレナ様はどう思われたのですか? ご実家に戻れるとホッとしましたか?」
「……いいえ」
そういえば、わーいこれで帰れる、とは全く思わなかった。安堵も嬉しさも、一つもなかった。
もうここにいられないことが寂しかった。
それから、悔しかった。わたしなりにここに居続けられるように頑張ってきたのに、功を奏していないのかと思った。
「わたくし、必要ないのかしら? たしかに迷惑もたくさんかけているけれど、それなりに役に立っていると思っていたの。独りよがりだった?」
「それはないと思いますよ。最近ブルーノ様はとても疲れた顔をしていらっしゃいますもの」
「そうよね。夜遅くまで仕事をしているみたい」
心配だった。
きっとわたしがいなくなったらブルーノはまた仕事漬けになって、薬草に触れたい嗅ぎたいすりつぶしたい調合したい発作を起こしながら、一人で抱え込むんだろう。
嫌だな。
率直にそう思った。
ブルーノがそんな顔をしているのは、嫌だ。
例えば父がやばそうな顔をしていたら、母が仕事を取り上げる。
兄がそうだったら、しばらく放置したのちにわたしか弟が取り上げるだろう。
全員でやばい顔をしているときは、もはや皆で笑い合う。
ブルーノは、そうする人がいない。
きっと一人で全部。
「マリー、わたくしがここに残りたいと言ったら協力してくれる?」
わたしがマリーを見ると、彼女は目尻を下げた。その一瞬の表情でマリーの思いが全てわかった気がした。
それからマリーはグッと目に力を入れた。
「使用人一同、全力で協力します」
すごい貫禄と力強さがあった。もう、この人を味方につけたら全て大丈夫な感じさえするほど。
「ところでエレナ様、お茶、まだいりますか?」
「もう結構、大丈夫、お腹たぽたぽ」
「あら、ずいぶんお飲みになるから、よほど喉が乾いていらっしゃるのかと」
「マリーがどんどん出してくれるから、必死に飲んでいたのだけど?」
わたしたちは目を合わせ、そして優雅に微笑み合った。




