37.ブルーノの過去
「俺の顔には生まれたときから痣があった。今はこんな色だが、生まれた時はもっと濃くて、紫黒いような色だったらしい。だいぶ目立っただろうな」
ブルーノは淡々とした表情で彼の過去を話し始めた。
今のブルーノの顔にある痣は赤紫色で、グラスに入れて光に透かした赤ワインのような色だ。見慣れたせいもあるかもしれないけれど、特に怖さは感じない。むしろ綺麗だとさえ思う。だけど、生まれたばかりの赤子の小さな顔に紫黒い痣があったなら、きっと周りからはおぞましいと思われただろう。
先代領主夫妻にとってブルーノは一人目の子だった。待望の長男の誕生だったはずだ。落胆が大きかったのは想像に難くない。
「俺は恵まれていたんだ。痣を持った子が生まれたら、どうなるか知っているか?」
「……聞いたことはあります」
痣は呪いの象徴だと言われている。だから、呪いをもたらすとされる痣のある子は捨てられることが多い。殺されることさえある。特に身分がある家柄に生まれた場合、ほとんどの場合、手元で育てられることはない。よくて養子に出されるか、あるいは孤児院に入れられるか。密かに……という可能性も少なくはない。
「父は伯爵家の当主だったから、その立場から館の中に俺を置くことに最初は反対したらしい。それでも母は俺を捨てなかった。祖母も取り成してくれたと聞いた。それで俺はここで育つことができたんだ」
呪いの子が伯爵家に生まれたとなれば、領全体に不安が生まれてしまう。前伯爵がそのように思ったのも仕方がないと言える。
ちなみにブルーノの祖父である先々代伯爵はブルーノが生まれる少し前に亡くなっており、ブルーノが生まれた時に先代は当主を継いだばかりだったそうだ。仕事が忙しくて構っていられなかった、という事情もあったらしい。
ブルーノの父と母の仲はブルーノの誕生のせいで悪くなったらしい。父が呪いの子を産んだ母を責め、母は頑なに子を捨てなかったからだという。
「父と母には申し訳ないと思う」
「ブルーノ様のせいではないですよね。どうしようもないことではありませんか」
「俺がどうにかできたことじゃないとはわかっている。だけど、俺が生まれなければ両親の仲がこじれることもなかったのに、とは思うんだ。でもそうまでして俺を庇ってくれた母には感謝している」
前伯爵夫妻のわだかまりは溶けてなくなることはなかったが、それなりに砕かれたらしい。
「俺が五歳の時、弟が生まれたんだ。母は弟を俺に見せてくれた。『あなたの弟よ。可愛いでしょう?』と言われて、差し出された。すごく戸惑ったのを覚えている。でも、弟ができたことは嬉しかった」
まだ小さいなりに自分が呪いの子だと理解していたブルーノは、周りが母の行動に慌てていることにも気が付いていたそうだ。だから母が差し出した子に触れていいものか、悩んだという。
なんだかとても切なくなった。お兄ちゃんですよ、って言いながらぎゅーっと抱きしめてあげられたらよかったのに。
子爵家の末っ子である妹が生まれた時、兄もわたしも弟もそうしていた。たらいまわしで兄弟に構われて、赤子の妹が笑ったり泣いたりすごく迷惑そうな顔をしたりしていた。
ブルーノはそれができなかったんだ、と思うと悲しかった。まだ五歳だったのに、ただ触れることさえ戸惑うなんて切なすぎる。
「弟は身体が弱くて、よく体調を崩していたんだ。皆は俺が近くにいるからだと言った」
それでブルーノは別の部屋にいることが多くなったそうだ。同時に母と過ごす時間も減った。弟に会える時間も限られた。
「そうしているうちに、弟が本格的に体調を崩してしまったんだ。もうだめかもしれないと言われた。皆は俺が呪ったのだと言った」
弟に母を奪われて恨んだのだ、どうして罪のない赤子にそんなことするのか、と罵られたという。
「それって、ブルーノ様が弟を呪ったと思われたってことですか?」
「俺は弟を可愛いと思っていたし、呪ったつもりなど全くなかったんだ。だけど、周りからはそう見えたんだろう」
「そんな……」
わたしが憤りを感じたのとは反対に、ブルーノはただ静かだった。「あのときは弟が死ぬかもしれなかったから、皆が憔悴していたんだ」と小さく微笑んだ。
弟は幸いなことに持ち直したそうだ。
だけど、周りがブルーノを見る目は厳しくなった。呪いの子をこのままここに置くのは危険だという意見を、ずっと庇っていた母ですらもう否定できなかったそうだ。我が子を失いそうになったのだ。その気持ちはわからなくはない、と思う。でも……。
「離れに移ることになったのは、それがきっかけだ。俺が弟の近くにいれば、次はどうなるかわからないからな」
「ブルーノ様は何もしていないではありませんか」
「さぁ、どうだろう。たしかに俺自身が意図的に何かをしたわけじゃない。だけど俺が何かしていなくても、俺がいるだけで呪われたのかもしれない」
そんなことがあるだろうか?
いるだけで周りを呪う?
「一人だけ離れに移ることをひどいと思わなかったのですか?」
「それは別に思わなかった。むしろ弟と離れることで弟が守られるならそのほうがいい。俺がいないことで両親の仲は良くなるし、いないほうがいいのだと思った」
淡々と言っているけれど、どれだけ傷ついただろう。寂しかっただろう。弟が両親と本邸で過ごしているのに、家族であるはずのブルーノは一人で離れにいたのだ。
わたしがブルーノを見つめると、ブルーノはわたしを見てフッと笑った。
「離れに移ったことも恵まれていたんだ。あの時は館から追い出されてもおかしくなかった。だけどここにいられたから、俺は薬について学ぶことができたし、学園に通う事もできた」
離れに移ってからブルーノはマリーたちを拾い、ハンスを拾い、少しずつ信頼できる使用人が増えて共に過ごしてきたそうだ。
なんとなく、使用人たちがブルーノに向ける気持ちが少しわかった気がした。ブルーノがどう思っているかはわからないが、たぶん、ブルーノのことを主として慕うのと同様に、幼くして一人きりになったブルーノをなんとか守らないと、という気持ちもあったのだろう。むしろ今もそう思っている気がする。
「すまない、話が逸れてしまったようだ。俺の家族がどんな人だったか、という話だったよな?」
「あ、えぇ、そうですね」
「そういうわけで、あまり関わりが多くなかったからこんな人だ、とは言えないのだけれど、父は伯爵として領民には慕われていた、と思う。そこそこ細かい人だったみたいで、何でも細かく記録していた」
なんで急に記録の話? と思ったけれど、ブルーノは前伯爵が亡くなった為に急に爵位を継ぐことになり、その時とても苦労したそうだ。なんとか仕事がこなせたのは、前伯爵が事細かにいろいろと記録してくれていたおかげだそうで、とても助かった、と笑った。
「母はもう言ったな。優しい人だったと思う。離れに移ってからも直接会わなくても気にかけてくれていたらしい。俺の結婚相手を連れてきたことには困ったが……」
「結婚相手?」
「俺が二度結婚していることは知っているだろう? 母だけの思惑ではないが、母は俺にも人並に結婚してほしいと思っていたらしい」
その言い方だと、ブルーノが望んで結婚したわけではないらしい。使用人たちもそんなことを言っていたけれど、やはりそうだったようだ。
「弟と、離れに移ってから生まれた妹とは直接会う機会があまりなかったから、どんな人だったのか話せることはあまりない。むしろ俺も知りたい」
ブルーノはそこで一度言葉を切ると、わたしの横に置かれた昼食セットを見た。
「昼食に出たのだったな。冷める前に昼食にしようか」
「あ、そうでしたね」
昼食セットを持ち上げると、わたしたちは温室を出た。




