36.小さな温室で
頼んでいたドレスが届いた。
以前パウンドケーキを差し入れた時に、そのお礼だと言われて採寸したものだ。パウンドケーキがどうしてドレスになるのだと当然断ったが、今後婚約者として公の場でブルーノの隣に立つこともあるから自分にとっても必要なのだ、と言われてしまえば断り切れなかった。たしかに隣に立てるような素晴らしいドレスはもっていない。
申し訳ない気持ちでいっぱいだが、届いたドレスに罪はない。
「うわぁ、綺麗ですね、エレナ様」
ドレスや装飾品が好きなアリーは興奮気味だ。
対してわたしはどこか他人事のようにドレスを眺めた。
「本当に綺麗ね。目がくらみそう」
ドレスが発光しているはずもないのに、眩しいのはなんでだろう。
これをわたしが着るのか? 完全にわたしはドレスに負けるぞ。
一体いくらしたんだ。怖くて聞けない。少なくとも、パウンドケーキの代金をはるかに凌駕していることだけはわかる。
それに、実家に戻るかどうか、という話をしていたばかりのわたしとしては、これをどうしたらいいのだろうという気がしてしまう。
とりあえず、ドレスの分、働こう。返せる気がしないが、そうしよう。
「ブルーノ様、素敵なドレスをありがとうございます」
「あぁ、届いたのか。仕上がりはどうだ?」
「それはもう、素敵すぎて、どうしたものかと」
「なんだそれは」
「お茶を零したらどうしようと考えてしまうくらい眩くて綺麗です。ありがとうございます」
ブルーノはクッと笑って書類を差し出した。昨日の続きだろう。
「お仕事頑張りますからたくさんください。ドレス分は働きます」
「なんでそうなる」
「このペンもいただいて、ドレスまでいただいて、もう今わたくし借金が膨れ上がってる気分です。返せる気がしませんよ」
一度真顔になったブルーノは、一拍おいてまたクッと笑った。
「それならひとつ仕事を頼む」
「なんなりと」
「冬に王太子殿下がこちらにいらっしゃるそうだ。殿下は大層なもてなしなどいらないと言うが、そういうわけにもいかない」
「王太子殿下……」
ちょっと思考が停止した。
王太子殿下って、王太子殿下? この国で陛下の次に偉い人?
「えっ、王太子殿下、ですか?」
「そうなんだ。こちらから伺いますと言ったんだけど、たまには王都から離れたいから口実になれ、と言われてしまって。婚約者として共に行動してもらうことになるから、よろしく頼む。さっそくドレスの出番だな」
ニコッと笑ったブルーノを真顔で見る。
大変だ。わたしは一応は貴族家出身だから礼儀作法も学んではいるけれど、今までは高位の貴族と関わることなどほとんどなく過ごしてきた。全く自信がない。
ブルーノも高位貴族ではあるが、まぁ、それはそれである。
「できる限り努力します」
「王太子殿下は怖い人じゃないから、そんなに気を張らなくて大丈夫だよ」
わたしが緊張しながら頷くと、ブルーノはまたクッと笑った。
それからしばらくたった秋晴れの日。
今日は天気がいいから外で昼食を取ろうと言われた。ヨハネスがブルーノにチラチラと視線を送っていたし、マリーからしっかり準備された昼食セットを渡された。完全に予定されていたようだ。どうぞごゆっくりいってらっしゃいませと笑顔で送り出された。ブルーノと二人らしい。一体なんだろう。
いつもの裏口ではなく正面玄関から出て庭を少し歩くと、温室があった。薬草が生い茂っている温室ではなく、それより一回り小さい。
「こんなところがあったのですね」
「この温室は母が使っていたんだ。今は誰も手入れしていないから整っていないが、入ってみるか?」
ひとつ頷くと、ブルーノは入口に回り戸を開けた。結界もなく鍵もかかっていないようだ。
一歩踏み入れると、花の香りがした。たしかに手入れはされていなかったけれど、こぼれた種から育ったのか、いろんな種類の花が咲いていた。
「綺麗ですね」
「俺も久しぶりに来た。まだ花が咲いているんだな」
「お母様はお花が好きな方だったのですか?」
「好きだった、と思う。部屋にはいつも花があったような気がする。俺が小さい時のことだから、正直、もうあまり覚えていないんだ」
ブルーノは懐かしむような目をしながら白い花に顔を近付け、良い匂いだと言った。ブルーノのそんな表情を見ると、母とは悪い関係だったわけではないのだろうと思えた。
「お母様はどんな方だったのですか?」
「たぶん優しい人だったのだと思う」
「たぶん?」
思わず聞き返してしまって、失敗したと思った。家族のことは聞いたことがない。ここにくる前に聞いた噂によれば、ブルーノは家族皆を呪い殺したらしい。ブルーノと接していれば、その噂が言葉通りではないことくらいわかる。ブルーノの家族が亡くなっているのは事実だけど、何か事情があったのだろうと思っている。だけど、なんとなく聞いてはいけないことな気がしていた。
「すみません、もし言いたくなければ言わなくて大丈夫です。ブルーノ様のご家族のことはあまり聞いたことがなかったので、どんな方たちだったのかなって、ちょっと思っただけですから」
「いや、別に構わない。だけど、あまり話せることが多くないし、聞いて面白い話でもない。それでも聞くか?」
「もしブルーノ様が嫌でなければ、聞きたいです」
ブルーノは一度わたしを見て、また花に目線を移した。
「俺は五歳まで本邸にいて、六歳になってすぐの頃、離れに移った。それ以降はずっと離れにいたから、家族と過ごした、と言うのは五歳までのことなんだ。だから、正直なところあまり覚えていない」
五、六歳といえば、まだ小さい子供だ。親に甘えたい年頃だろう。
「どうして離れに?」
「俺が呪いの子だったから」
わたしの肩がわずかに跳ねたのを見て、ブルーノは小さく笑った。
「楽しい話じゃないぞ?」
そう前置きして、ブルーノは静かに話し始めた。




