33.商会の事情
わたしとアリーがネッケに攫われた件から数日後、ネッケの息子であるクルトが謝罪にやってきた。従業員の男性を一人だけ連れている。
部屋にはブルーノとわたし、アリーとヴィムがいる。時間が取れないために商人の挨拶は断っているブルーノだが、ナック商会は農産物に対する影響が大きいので、今後のことを話し合うために同席している。アリーは遠慮していたが、攫われた当事者なのだから一緒に聞きましょうとわたしが呼んだ。
「我が商会のオーナーが誠に申し訳ございませんでした」
扉が閉まるなり、クルトは頭を床にこすりつける勢いで謝った。
「ネッケのしたことを許すつもりはないからネッケの代わりの謝罪は不要だ。それでは話ができない。とりあえず座ってくれ」
ブルーノとわたしが座り、まだ怪我の治り切っていないアリーにも座るように言った。ヴィムだけは護衛としてわたしたちの後ろに立っている。
クルトは商会の代表として謝罪してはいるが、どちらかというとわたしたちを救うのに尽力してくれた側である。ネッケに振り回された一人と言っていい。ネッケの息子とはいえ、わたしがクルトに怒りを感じることはなかった。
申し訳なさそうにおずおずとクルトが座った。彼の緊張が伝わってくるようだ。
クルトはネッケの息子だと言うが、そう言われてみればどことなく似ているところがあるようなないような、くらいの顔つきだ。きっと母は美人さんなのだろう。気持ち悪さが前面に出ていたネッケとは違い、好青年に見える。
「あまりネッケには似ていないわね」
思わずそう言うと、クルトは驚いたように顔を上げた。そしてぎこちなく笑った。
「お褒めの言葉ありがとうございます」
褒めたのかな?
まぁ、そういうことにしよう。とりあえず、それだけでもクルトが父を疎んでいたことはよく伝わってきた。
「お怪我の具合はいかがですか?」
幸いなことにアリーの怪我はひどくなく、痣はできたもののだいぶ引いてきているという。仕事にもできる範囲で復帰している。わたしも縄を巻かれた手首以外はほとんど怪我はなかった。
わたしは「問題ない」ということを伝え、それから少しだけ雑談をした。クルトは緊張しているし、ブルーノはどこか不機嫌だ。ネッケは捕えられたというのに、伯爵領とナック商会の関係が悪化しそうな雰囲気だ。わたしは悪化してほしくないと思っているので、内心ヒヤヒヤだ。
「先に聞いておきたいのだけれど、今回このような事になったのは、ナック商会の総意かしら、それともネッケの独断?」
「誓って、ナック商会は関与しておりません」
「そうだと思ってた」
「ただ、ネッケを止めきれなかったことは商会全体の責任と感じております」
またもや頭を下げるクルト。
ナック商会は伯爵領に支店があるだけであって、商会自体をどうこうできる権限が伯爵家にあるわけではない。もちろん、わたしの実家である子爵家も同様だ。伯爵家で決められることといえば、今後取り引きを続けるかどうか、支店をこのまま存続させるか、というところだ。
そして、当然、伯爵家の人間ではないわたしにそれを決める権限はない。
わたしがブルーノの方を向くと、彼は小さく息を吐いた。
「まずはネッケたちの処遇だが、辺境の地に送ることになった」
ナック商会のことはさておき、ネッケたちが行ったのはれっきとした犯罪である。そのため、伯爵領の規則に合わせて決められることになった。
ネッケ、マッチョ、虚ろ目男、それぞれに刑期は違うが、辺境の地で監視付きの強制労働となった。真面目に仕事をすれば刑期が短くなることもあるので、ネッケに雇われているだけだった様子のマッチョと虚ろ目男は頑張れば早めに戻れるかもしれない。
ネッケは刑期が長いことと、どう考えても真面目に働かなさそうなことから、もう戻ってこられないのではないかと思っている。そもそもあの体型ではちゃんと働けない気もする。
ちなみにネッケは牢の中で問題なく目覚めている。暴れたり騒いだりしているらしいが、伯爵、という言葉を出すと途端に大人しくなって怯えた様子を見せるという。
「クルト、今後の取り引きについて話したい」
「はい」
クルトの顔に緊張が走った。
見張っていながら止められなかったというところはあるものの、ネッケの横暴を阻止しようとしていたし、実際事が起こってしまってからの対応も早かった。ナック商会自体に悪意はなかったはずだ。
ネッケを除けばナック商会の従業員たちは皆いい人たちだったし、商品もまっとうなものだ。ブルーノはわたしにナック商会との取り引きを停止してもいいとまで言ってくれたけれど、わたしは事件に関与していないナック商会の従業員を罰することも、伯爵領の領民に影響が及ぶことも望んでいない。
むしろそうなることをネッケに脅されて恐れていたわけだし。
「わたくしは今後も商会に伯爵領の農業を支えてほしいと思っているの。それで聞きたいのだけれど、商会は今後どうなるのかしら?」
創業者でオーナーのネッケを失って、商会が全く今まで通りとはいかないだろう。
「実はネッケをオーナーの座から下ろす準備はずっと前から進んでいたのです」
「ネッケを下ろす?」
ナック商会はネッケが作った商会で、ネッケが全ての権限をもっているかのようだったが、どうやらそうでもないようだ。
「我が商会の内情になりますので大変心苦しいのですが、お話ししてもよろしいでしょうか?」
ブルーノをチラリと見ると、いい、というように頷いたので、先を促す。
「まず、私の母はネッケの最初の妻であった平民の女性です。ナック商会はネッケが立ち上げましたが、実際に裏方の業務を担ったのは私の母でした」
ネッケはクルトの母と共に二人三脚で商会を大きくしていったそうだ。商品を作ったり内部を整えるのをクルトの母が担当し、ネッケが商品を売る、というのが当時のスタイルだったという。
「母は私たちを育てながら必死に仕事をこなしました。良い種子が作れるように、たくさん実る肥料ができるように、従業員と試行錯誤しながら商品を作り、在庫管理から経理まで、寝る時間もないほど働きました」
ネッケには商才があったようで、商会はどんどん大きくなった。クルトの母も最初は喜んでいたという。
「しかし、商会が大きくなるにつれてネッケはあたかも自分が全ての業務を担い、権限を持っているかのように振舞うようになりました」
実際に商品の管理をしていたのはクルトの母を中心とした従業員たちだったが、確認もせずに無理な注文を受けてきたり、できないと言えば「それがお前たちの仕事だろう」「注文を受けてきてやってるんだから用意しろ」と怒鳴るようになった。在庫や裏の状況を考えないネッケのために、裏で働く人たちはいつも走り回っていたそうだ。
「それでも母は商会のために尽くしていたのですが、ある日、ネッケは男爵家のご令嬢を妻にすると連れてきました」
「それで、クルトのお母様は妾にされたのですね」
クルトは大きく頷いた。
それはわたしも聞いたことがある。狙っていた男爵家の令嬢を手に入れたネッケは、まるで用済みとばかりに糟糠の妻を落としたのだ。
「それまでもネッケが女性を連れてくることはありましたが、母は商会のために我慢していました。しかし、さすがに妾にされたことには我慢しかねたのでしょう。ネッケから独立することを決めました」
それはそうだと思う。むしろよくそこまで我慢した。
「当初は母と母を慕う従業員たちで新しい商会を設立する方向で動いていたのですが、その動きを察知したネッケは貴族と繋がりを求めるようになりました」
ネッケが有力な貴族に取り入ったことで、独立したとしても潰される可能性が高くなってしまい、独立派は動けなくなってしまったそうだ。そのため方向を変えて、クルトたちはゆっくりと時間をかけて、いずれネッケを下ろして新体制にしていけるように動いていたという。
「調子に乗ったネッケが次に狙いを定めたのが子爵家のご令嬢であったエレナ様でした。母も元男爵家のご令嬢だった夫人も、エレナ様がもしいらしたらさらに状況は悪化すると分かっていました。なので、従業員はなんとかそれを阻止しようと動いていました」
それでも商会の中でネッケの力は大きかったので、完全に止めることはできなかったそうだ。子爵領への商品の納入が完全になくなったわけではなかったのは、クルトたちの力があったかららしい。
ちなみにネッケの妻にされた男爵家のご令嬢はクルトの母側についているそうだ。きっと彼女にもやむを得ない事情があったのだろうと何となく察した。
「エレナ様がご婚約されて早々に伯爵領へとお移りになったことで、私ども従業員は安堵したのです。さすがにこれで諦めてくれるだろうと、そう思っていたのですが……」
結果としては逆になってしまったそうだ。最初は子爵家の令嬢という身分の者を得たいと考えていたようだが、手に入らないと分かった瞬間から狂ったようにわたしに執着するようになっていたという。
そして、わたしを攫った。
「元々ネッケを下ろすつもりで準備していましたので、ネッケが捕らわれた日より私が商会の主の代理として動き、業務は滞りなく行えております。それでも正直なところ商会としては厳しい状況です」
特に、ネッケと懇意にしていたという公爵家。ネッケはここにかなり無理な額を納めていたのだという。ネッケとの繋がりが切れたことで、そちらの口利きで商品を卸していたところから今後は断るという連絡がどんどん入っているそうだ。
「しばらくは商会のほうも規模縮小を余儀なくされるでしょうが、また新体制で努力していきたいと思っております。もし機会をいただけるのでしたら、伯爵領に貢献できるように精一杯努める所存です」
ここまでクルトの話を聞き、わたしはむしろクルトたちには頑張ってほしいと思った。
わたしがブルーノを見ると、彼もわたしを見ていた。それからクルトに向き直った。
「ナック商会を領から撤退させることも考えたが、エレナはそれを望まなかった。正直に言うならば、いきなりナック商会に抜けられるのは領としても好ましい状況ではない。だから今後も伯爵領を支えてほしいと思っている」
クルトがバッと顔を上げる。
「ただし、贔屓するつもりはない。これからは同業者も入れていく」
「はいっ、ありがとうございます!」
良かった。そう思った。
クルトが立ち上がって深く頭を下げる中、わたしはブルーノについて部屋を出た。
攫われた騒動は一旦これでおしまいです。
次回は日常の一コマ。




