30.誘拐
ぼんやりと意識が浮上すると、そこは見覚えのない部屋だった。いつもの豪華な部屋とは違い、平民の家か宿のようだ。
ここはどこだろう。
わたしはアリーと一緒に伯爵家の果樹園に向かっていて、そこで男二人に襲われた。何かを口に当てられて、そこから記憶がない。
わたしはたぶんその男にここに連れてこられたんだろう。
身代金目的の誘拐か、もしくは、ネッケか。ここまで非道なことをするとは思いたくなかったが後者が有力だ。
アリーは大丈夫だろうか。どうやら同じ部屋にはいないようだ。目的がわたしならば、アリーは無事だと信じたい。
わたしの両手は後ろで縛られていて寝台に繋がれている。男が一人うずくまってこちらを虚ろな目で見ていた。たぶんだけど、わたしに何かを嗅がせたやつだ。殴った記憶があるけれど、無事だったのか。
部屋の外から二人ほどの足音と何かを話す声が聞こえてきた。
「エレナで間違いないだろうな?」
「言われた見目の女です」
「まだ目を覚まさないか?」
「俺が部屋を出た時はまだ寝てました」
ガチャと扉が開いて入ってきたのは、残念ながら予想通りネッケだ。後ろに体格のいい男を一人連れている。見覚えがある。アリーを蹴った男だ。
わたしと目が合うと、ネッケはニタリといやらしい笑みを浮かべた。
「おや、お目覚めでしたか、お嬢様」
「これはなんのつもりかしら?」
「いやぁ、いくらこちらが誠心誠意お会いしたいと連絡しても一向に良いお返事をいただけなかったのでね、来ていただくことにしたんですよ。お話したいと言ったでしょう?」
何が誠心誠意だよ、と心の中で突っ込む。どう考えたって脅し文章だったじゃないの。
「そんな顔も嫌いじゃないですけれどね、今どういう状況なのか、ちゃんと理解したほうがいいですよ」
「あなたこそ、自分が何をしているのか考えた方がいいわよ」
ネッケがいやらしい笑顔を取り下げた。忌々しそうにわたしを見てくる。どっちの顔も気持ちが悪い。
ネッケが勢いよく椅子に腰かけると、木でできた椅子はミシッと音を立てた。
「とりあえず、お話しましょうか」
「わたくしは話すことなどありませんわ」
「お嬢様と一緒にいた女性がどうなってもいいと?」
わたしが目を見開くと、ネッケはまたニタリと笑った。
「アリーに何をしたの?」
「まだ何もしていませんよ。今は別の部屋で休んでいます。これからどうなるかは、お嬢様次第ですね。さて、お話し合いをする気になりましたか?」
話し合いと言ったって、こちらの言い分を聞く気など始めからないのに。
わたしが睨んだことも気にせず、ネッケは勝手に話し始めた。
「私は今までほしいと思ったものは全て手に入れてきたんですよ。お金も、物も、女もね。単刀直入に言うとね、私はお嬢様がほしいんですよ。もう少しで手に入るところだったのに、お嬢様は私に断りもなく勝手に婚約してしまった」
なんであんたに報告しなきゃいけないのよ、とか、物と女を同系列で話すな、とか突っ込みどころが多すぎる。頭が痛いのは会話のせいか、それとも嗅がされた薬のせいか。
「伯爵はお嬢様との婚姻に乗り気ではないそうじゃないですか。婚約期間が終われば戻される予定だと聞いてね」
「どこからそんな話が?」
ナメクジがニヤリと笑う。
思わず聞いてしまったが失敗だった。情報源を知りませんと言っているようなものだ。
「あぁ、私にはいろいろな情報がどこからでも入ってくるんですよ。だから知りたいことがあれば何でも聞いてください。教えて差し上げます」
聞かないし。
「子爵家へきたお嬢様からの手紙に書いてあったようだと報告を受けているんですよ。だからゆっくりお嬢様が子爵家に戻ってくるのを待っていようと思っていたんですけどね、こちらに様子を見に来てみれば、状況が変わっているような気配を感じましてね」
たしかに初期の頃に子爵家に送った手紙に書いたかもしれない。
だけど子爵家に戻ったとしても、ナメクジのところへ行くなんて、絶対にない!
「お嬢様、私はね、子爵領だけではなくこの伯爵領にも膨大な販路をもっているんですよ」
ネッケがオーナーを務めるナック商店は、肥料や種子などを扱う商店だ。その肥料や種子によって収量が格段に増えていて、伯爵領でもその恩恵を受けていることはわたしもよく知っている。残念ながら、つい最近帳簿でも確認したばかりだ。
「我が商会が伯爵領から撤退したら、伯爵領はどうなるでしょうねぇ?」
ネッケがニタッと口端を上げた。だけど、目は笑っていない。
商会の種子や肥料が入らなくなって、子爵領はかなり困難な状況に陥った。それは元々貧乏ギリギリ運営だったからだけど、伯爵領だって潰れることはないにしても間違いなく困るだろう。
「お嬢様が自ら伯爵の婚約者の座から降りていただければ、伯爵領に迷惑をかけることにはなりませんよ? あぁ、私はある公爵家とも付き合いがあるのでね、変なことは考えないほうがいいですよ」
変なことを考えているのはお前だろ!
伯爵領にまで迷惑をかけようとするとか、本当に許せない。ここで物理的に叩きのめしたい気分だけれど、それをやってアリーに何かあってはいけない。商会の品が入らなくなるのも困るのでもどかしい。
「残念だけど、降りるわけにはいかないわ。この婚約は王太子殿下の意向でもあるのよ」
わたしの意向だけではどうにもならないとアピールしてみる。
わたしの意向はナメクジに絶対に嫁がない、だけど!
「婚約期間を終えれば降りることは可能なのでしょう? 私は気が長いですからね、それまでならば待って差し上げてもいいのですよ」
「待っていただく必要などありませんわ」
即拒否すると、ネッケの顔から笑みが消えた。
「強情なお嬢様ですね。そんなところも嫌いじゃありませんけれど、こちらが譲歩しているのですから素直に言う事は聞いた方がいいですよ」
「ネッケもわたくしの話を聞いた方がいいわよ」
「穏便に済ませたいと思っていたのに残念です」
「どうするつもり?」
ネッケが立ち上がる気配を感じて、わたしはネッケと話して気を逸らしながら指先でこっそり術を展開し、縛られていた縄を焼き切った。
「無理やりにでも来ていただきましょう。なに、伯爵家には上手く説明しておきますので心配はいりませんよ」
「心配しかないわね」
「あまり私に歯向かうと怒りますよ?」
ネッケは立ち上がると、うしろにいるマッチョに顎で合図した。
「連れてこい」
ネッケが一歩下がる代わりにマッチョが近付いてきた。見るからに力がありそうだ。
彼は小型のナイフを出し、切っ先をわたしに向けた。
「大人しくついてきてもらおうか」
そう言われて大人しくついていくはずがない。だけどアリーのことも気になる。ネッケの言葉を信じるならば今は無事のはずだから、とりあえずこの三人をアリーに近付けさせないように留めて、それからアリーを探しに行くのがいいかしら。
一番力がありそうなのはマッチョ。後ろで虚ろな目をしている男は伯爵家の庭でわたしが殴った影響が残っているように見えるから後回し。ネッケは命じているだけで、実際に力はないだろう。
頭の中で急ぎ戦略を立てる。
こう見えても、わたしはそれなりに戦える。魔術師の祖母から魔術と同時に護身術も叩き込まれたのだ。ちなみにわたしは身体強化が得意だ。気付かれないように足により多くの魔力をまとわせる。
「じっとしていれば傷はつけない」
マッチョが近づいてくる。もう少し、もう少し。
わたしに繋がれているはずの紐に手を伸ばしたその時、わたしはすばやく立ち上がり彼の横に出た。足にたっぷり魔力をまとわせて、蹴り飛ばす!
「おりゃあぁ!」
「うぐっ」
油断していたこともあるだろう、受け身を取れていなかった彼は扉の方向へ吹っ飛んだ。
ドゴン、バキッ、ドカッ。
ぶつかった衝撃で扉が壊れ、やばそうな音が響く。
……ちょっと、やりすぎたかも?
誰もいないときにこっそり魔術の訓練は続けていたけれど、伯爵家に来てからはできる時間が少なくて、身体がなまっている気がするしコントロール力が甘い。
慌てて追いかけて壊れた扉を出ると、廊下の壁にぶつかったマッチョが気を失っていた。
そしてその先になぜかブルーノと息を切らしている男性がいて、唖然とわたしとマッチョを見ていた。




