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3.伯爵領へ

 静かな農村地帯を走る。ここはもう子爵領ではない。そのことに寂しさを覚えた。


 途中、指定された宿屋で、迎えにきてくれたグレーデン伯爵家の馬車に乗り換える。ここから伯爵領に入るらしい。


 わたしたちが着くと、伯爵家の馬車がすでに来ていた。大きさは子爵家のものと変わらないけれど、重厚感がまったく違う。さすが伯爵家だ。馬も伯爵家の馬であるという矜持があるとばかりにツンと上を向いている。


 ほぅ、と感嘆の息を吐いていたわたしの前に、一人の女性が現れた。


「ギルマン子爵家のエレナ様でいらっしゃいますね? 私はグレーデン伯爵家の侍女長をしておりますマリーと申します。以後、お見知りおきを」

「エレナです。よろしくお願いします」


 父や母と同じくらいの世代だろうか、若者とは言い難いけれどおばさんと呼ぶのは憚られるくらいの年齢に見える。ニコリともしないせいで少し冷たい印象だ。彼女は丁寧にお辞儀をし、それからチラリとわたしの乗ってきた馬車に目線を向けた。


「あの、お荷物は後から送られる予定でしたでしょうか?」

「いえ、馬車に積んであります。移してもいいでしょうか?」

「……どうぞ」


 マリーはピクリとわずかに眉を上げた。表情が変わらないので何となく怖いが、いいと言うのだからさっさと移動させよう。

 持ってきたのは箱三つ。わたしの荷物が二つと、残りの一つはグレーデン伯爵への贈り物だ。子爵領にはあまり特産品もないが、何もないわけにはいかないだろうと父が頑張って用意したのだ。


 それから道中で村民たちに持たされた野菜たち。これ、どうしよう。

 迷った末に少しだけもらい、あとは実家に戻る馬車に置いてきた。侍女がうまく伝えてくれるだろう。


 わたしも一緒に荷物を運ぶ。三箱しかないのだからすぐに終わった。

 実家からここまでついてきてくれた侍女がすっとわたしの前に跪いて、わたしを見上げた。


「お嬢様、どうかお元気で」

「ありがとう。貴女も元気で。それから、皆によろしくね」


 荷物を移し替えて侍女と別れを済ませ、マリーに向き直る。相変わらずの無表情だが、侍女とわたしを見比べるように視線を移していた。


「あのエレナ様、彼女は一緒に行かないのですか?」

「わたくしだけです」

「そうなのですか。本当に身一つでいらっしゃるなんて……」


 ちょっと眉をひそめられた。侍女一人つけないなんて、ということだろうけれど、あいにく子爵家には出せる侍女さえいない。わたし一人だ。

 

「わたくし自分のことは自分でできますから、お気遣いなく」

「あ、いえ、そういうことでは……」


 どうにも最初から舐められているような感じがするが、実際舐められるような立場である。仕方がない。促されるまま馬車に乗ると、馬車はゆっくりと動き出した。


 同乗しているマリーは何も話さず、時折わたしを観察するように見ている。その目は鋭くてちょっと怖い。

 子爵領では誰でも構わず話しかけてくれたけれど、身分的にここはわたしから話さないといけないところなのだろう。ちょっと気まずい。


「あの、グレーデン伯爵はどのような方ですか? わたくし、お会いしたことがなくて」

「……とても素晴らしい方ですよ」


 ちょっとの間はなんでしょうね?

 でも素晴らしい方だと侍女長が言うのならばそうなのだろう。そういうことにしたほうが幸せである。


「グレーデン伯爵はどのようなことが好きですか?」

「好き?」

「あの、例えば読書が好きとか、好きな食べ物とか、なんでもいいのです。グレーデン伯爵が好むことやものを教えてもらえませんか?」


 わたしの目標は細く長く伯爵家に居座って、子爵家を外から守ることだ。それには伯爵と悪くない関係を築きたい。好き嫌いを把握するのはその第一歩だ。

 マリーはわたしを驚いたような顔で見てきた。ちょっと不安になる。


「あの、何か変なことを聞いたでしょうか?」

「いいえ、とんでもございませんよ。少し驚いたのです。まずは呪いについて聞かれることがほとんどですから」

「正直なところ、それも聞きたいです」

「怖いですか?」

「マリーさんの主に向かってこう言うのは失礼かと思いますが、怖くないといえば嘘になります。いろんな話を聞きましたから」


 肩をすくめる。

 一人目の妻と離縁していることも、二人目の妻と前伯爵一家が亡くなっていることも事実だ。これは父がしっかりと調べてくれたので間違いない。


「だけど、お会いしたこともないのに噂だけを信じるべきではないでしょう? 当事者にしかわからないこともあるでしょうし……」


 何かやむを得ない事情があったのかもしれない。むしろ、そう信じたい。だって気に入らないという理由だけで呪い殺す人に嫁ぐなんて、考えたくない。


 ずっと表情の動かなかったマリーが、わずかに微笑んだように見えた。次の瞬間にはキリッとした顔になったので、もしかしたら見間違いかもしれない。


「大変申し訳ないのですが、初対面の方に主の事をあれやこれやと話すのは侍女として良くありません。好きなものについてはご容赦ください。ですが一つだけお伝えします。私は、主を尊敬しておりますよ」


 やっぱり微笑んだ……ような気がする。


 それから長い道中のはずだったけれど、あまり気軽に話をすることはできなかった。マリーが馬車酔いをしてしまったからだ。


 なんで酔う人をお迎え係にしたんだ?


 真っ青になっているマリーが気の毒すぎる。いじめられているのだろうか。これはグレーデン伯爵の命令? だとしたら、ひどい主だ。


「う、おぇっ……」

「えっ? 馬車! 止めてくださいぃっ」


 そんなことを繰り返し、なんとか伯爵家の館に到着したらしい。門をくぐった時、ここから伯爵の館ですと、か細い声でマリーが教えてくれた。


 え、館、見えませんけど?

 もしかしてあれですか、少し離れたところに見える城のことですか。


 それからまたガタゴトと馬車が進む。城が近づいてきた。館じゃない、もはや城だ。そしてその玄関前で止まった。やはり、これだったらしい。


 馬車の窓からほえぇと見上げる。たぶん口が開いて、淑女らしからぬ顔になっている。だって、城だ。

 伯爵と子爵では爵位はひとつしか違わないけれど、そのひとつの壁は非常に高い。ましてやグレーデン伯爵家は伯爵の中でもかなり有力な家柄で、我が貧乏子爵家と比べ物にならない。そんな家柄が、なぜわたしとの縁談を許したのか、理解に苦しむ。


 ちょっと、わたし、場違いすぎるんじゃない?


 母から受け継いだものをさらに煮詰めたくらい楽観的だと言われるわたしだけれど、それでもこれにはビビっている。


 馬車が止まり戸が開くと、数人の執事と使用人がザッと頭を下げた。教育されている。子爵家使用人との「エレナ様、おかえりなさ~い」「ただいま~」なんていうのんびりしたやりとりとは雲泥の差だ。


 とにかくまずはマリーだ。彼女を下ろして別の侍女に引き渡す。マリーの蒼白な顔を見た侍女からキッと睨まれた気がするけれど、わたしは何もしていない。わたし、呪いとかかけられないから。馬車酔いだから。


「お役に立てず申し訳ございませんでした」


 弱々しくもなんとか礼を取ろうとするマリーによく休んでくださいと伝えると、彼女は侍女に支えられてよろよろと壁伝いに歩いていく。たぶん、使用人は表玄関を使ってはいけない決まりなのだろう。子爵家だったら何も気にすることなく表玄関から寝台直行なのに、開けてあげてと言えない立場なのがもどかしい。


「ようこそいらっしゃいました、エレナ様」


 執事の言葉にハッと姿勢を正すと、重厚な扉が開かれた。

 わたしは緊張を鎮めるようにゆっくりと大きく息を吐き、一歩を踏み出した。

マリーがお迎え係になったのは立候補。

普段は酔いませんが、体調が悪かったのに無理に乗って酔いました。

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