27.式典
お祭り始めの式典が始まった。
教会の中にはたくさんの領民が詰め掛け、椅子に座れなかった人たちが立って見ている。
ブルーノはグレーデン伯爵領の領主として壇上の席についている。わたしはまだ婚約者という立場でこの領の人間ではないため、舞台の横、陰になっている部分に椅子を用意してもらった。もっと前でもいいと言われたけれど、そこからでも充分によく見えた。
司祭が壇上で説法とお祈りをし、パイプオルガンの音が鳴り響いた。音が止まるとブルーノが立ちあがり、前面に出た。
しーんと静まった教会の中にブルーノの声が響く。
「三年程前からの疫病で、領民の皆は不安、困難を感じる日々を過ごしただろう。だが本日ここにこれだけの人が集まり、祭りを開催できることを、領主として嬉しく思う。祭りを存分に楽しんでほしい」
ブルーノの話が一区切りすると、それまで静かに聞いていた人達から歓声と拍手が上がった。
「初代グレーデン伯爵の誕生を祝い、祖先たちに感謝を」
ブルーノは歌うように朗々と述べた。それが開始の合図だったらしい。再び歓声と拍手が上がる。
そして一部を除き、人々が教会から外へ移動し始めた。
「お祭りの開始が宣言されたので、外のお店や催しものも始まったのですよ」
「なるほど」
教会内でも催しものはあるらしく、ブルーノは席に着いたままだ。人々の移動がおさまってきて教会内が落ち着くと、先程の孤児院の子たちがぞろぞろと出てきた。ちょっと緊張した面持ちで始まったのは合唱だ。それで皆同じ服を着ていたのかと納得した。
「ブルーノ様は爵位を継承する前から孤児たちのことを気にかけていて、支援すると共に、たまに訪れていたんですよ」
「それであれだけ懐かれていたのね」
「えぇ。なんだかんだ言いながらもブルーノ様も嫌ではないご様子で。爵位を継承されてからは忙しくて頻繁には来られなかったので、今日はお互いに嬉しそうでしたね」
呪いの伯爵という異名だけを聞いていたときは、彼が子供に引っ張られて好き勝手やられているなんて想像できなかった。だけど普段のブルーノを見ていると、それもなんだかおかしなことではないと思えた。
「ブルーノ様は司祭や司祭の奥様とも親しいようね」
「そうですね、とても信頼されています」
教会の力は大きく、「呪いの子」と言われていたブルーノが伯爵位を継承したときに大きな混乱に陥らなかったのは、司祭たちがブルーノを領主として歓迎したことも大きな要因の一つなのだそうだ。
いくつかの催しものをその場で見て、ブルーノは壇上を降りた。マリーに促されてわたしも席を立ち、裏口から外へ出た。
「エレナ、待たせてすまない」
「いいえ、とても楽しかったです。子供たちの合唱も上手でしたね」
「あぁ、頑張っていたな。もっと前で見ていてもよかったんだぞ? 子供たちも君に懐いていたから、姿が見えたら喜んだと思う」
「では来年はブルーノ様の横で一緒に見ることにします」
伯爵夫人になれば壇上でブルーノと並ぶことになると思うのだ。それを想定しながら来年も居座りたいですという意味でアピールしてみたけれど、返事はなかった。
ちぇ。
お昼時だったので、馴染みだというレストランに連れていってもらった。小さな店だったけれど、とても美味しかった。店主とブルーノは親しそうだった。
昼食を堪能したあと、外に出て教会の方へ歩く。
「これから少し祭り会場を見て回ろうかと思っているのだけれど、いいか?」
「もちろん。楽しみです」
「治安は悪くないと思うが、なるべく俺から離れないように。ここには館と違っていろんな人がいる」
「わかりました。そういえば、ヴィムはいないのですか?」
「今日は休みを出している」
ヴィムとは、ブルーノの従者兼護衛をしている青年だ。こういう日にこそ護衛は必要な気がするけれど、彼の姿は見当たらない。不思議に思ってブルーノを見上げると、代わりにマリーがふふっと笑いながら教えてくれた。
「ヴィムはアリーと祭りに来ているはずですよ。もしかしたらどこかで会うかもしれません」
「ヴィムとアリーが?」
ますます分からなくなって首を傾げると、ブルーノが「二人はそういう仲だ」と言った。
そういう仲って? そういう仲なのか!
「気がつかなかったか?」
「全然気がつきませんでした。だってアリーから一度もヴィムの話なんて聞いたことがありませんもの」
ブルーノ様が素敵だったとか今日もカッコよかったとか髪がはねていて可愛らしいかったとか、いつもブルーノ様のことばっかりアリーは話している。最初はそんなに好きなのかと思ったが、アリーは「好きだけどそういう好きじゃなくて神です!」とかわけのわからないことを言っていた、と思い出す。
「せっかくの祭りだ。使用人たちだって楽しみたいだろう? 全員というわけにはいかないが、なるべく今日は休みにしてあるんだ」
「そうだったのですか。でも、護衛がいなくて大丈夫ですか?」
「問題ない。大抵俺が呪ってやろうかと言えば逃げていく」
ブルーノはニヤッと笑った。
納得してしまった。最強の脅し文句だ。しかも相手に危害を加えないという優しさまで兼ね備えている。
「俺じゃ頼りないか?」
「いいえ、全く。わたくし男性一人くらいならば吹っ飛ばせますけれど、ブルーノ様には敵わない自信がありますね」
「……俺は吹っ飛ばさないぞ」
「わたくしだって必要がなければやりませんよ」
教会の正門前は大きな広場になっていて、広場を四角く取り囲むように建物が建っている。建物の一階はお店になっているところが多い。
広場はたくさんの出店で賑わっていた。普段はこのような出店はなく、今日の賑わいはお祭りだからなのだそうだ。
良い匂いが漂い、人々の明るい声が聞こえる。どこかで演奏しているのか、陽気な音楽も流れている。
なんだかわくわくしてきた。
はやる気持ちを抑えてブルーノを見ると、彼とマリーはわたしと違って会場を眺めながらどこかホッとした表情を浮かべていた。
「だいぶ活気が戻ってきたな」
「えぇ、よかったです」
わたしが「疫病の影響ですか?」と聞くと、ブルーノは小さく頷いた。
「この辺りの地域は特にひどくてね、二年前は祭りが中止されたし、昨年は行われたが簡素なものだった」
「そうだったのですか」
致死率の高い危険な疫病が広がったのは三年ほど前のこと。子爵領には被害がなかったけれど、発生地である伯爵領ではたくさんの人が亡くなったらしい。幸いなことに早くに質の高い薬ができたことにより、沈静化したと聞いている。
「俺が子供の頃はもっと盛大だったんだ。その頃よりは規模は小さいが、だいぶ以前のように活気がでてきた」
「え、もっと?」
充分盛大に見えるけど。
「本当によかったです。さぁ、行ってみましょう」
マリーに促されて、せっかくなので広場を一周してみようということになった。
歩いていると、ブルーノはよく途中で話しかけられる。そういえば料理店の店主とも仲が良さそうだったし、教会でも親しまれているようだった。
「ブルーノ様は領民に慕われているんですね」
「いや、そうでもない。親しみを持ってくれる人もいれば、領主だとは認識しつつも距離を置く人もいるし、純粋に俺を恐れる人もいる」
ほら、と視線だけで合図された方角を見ると、ブルーノから距離を取ってこちらを伺っている人たちが見えた。
「教会では誰も恐れてなどいなさそうでしたけれど」
「教会は特殊なんだ。あの中では呪いは効かないとなぜか信じられている。神聖な場所では邪悪な力は無になるらしいぞ」
「邪悪な力って……」
わたしが目を丸くすると、ブルーノはクッと笑った。
「だから俺は、教会で過ごす事も多かったんだ」
マリーによれば、「呪われた子」であったブルーノは、教会内でだけは普通の子として扱ってもらえたらしい。なんだかそれを聞くと、ブルーノの子供時代は裕福な伯爵家の令息という身分がありながら、恵まれたものではなかったのかもしれないと思った。
フルーツを売っている出店でその場で切ってもらって食べたり、アクセサリーを眺めていたらひょいっとブルーノが買ってくれて驚いたり、そんなふうに楽しく歩き回っているうちに、けっこうな時間が過ぎていた。
「最後に寄りたい店があるんだが、疲れたか?」
「大丈夫ですよ。わたくし体力はあるのです」
ブルーノはある建物の一軒に入った。
こじんまりした中は、紙や筆、画材などがところせましと置いてあり、綺麗に陳列されているところもあれば雑多に置かれているところもある。文房具屋のようだ。
「ブルーノ様ではありませんか。お久しぶりです」
柔らかな物腰ながら鋭い瞳のおじさんとブルーノが軽く挨拶を交わしている。
「店主、今日はペンを探しにきたんだ。女性用で、使いやすいものがいい」
それから二人はどんなものがいいか相談すると、店主は奥からいくつかのペンを持ってきて机の上に出した。どれも綺麗で高そうだ。女性用ということはブルーノが使う物ではないのだろう。
「エレナ、どれがいいと思う?」
「どなたかへの贈り物ですか?」
「そうなんだ。君が試してみてくれないか」
そういわれて握ってみる。どれも手触りが良い。いくつか意見を言ったのち、わたしの好みを聞かれたので、その中から参考にと一本を選んだ。模様は少なめだけど、一番手になじんで書きやすそうだったものだ。
「じゃあ、それにしよう」
「わたくしの意見で決めてしまっていいのですか?」
書きやすそうという基準で選んでしまったけれど、もっと模様がついているもののほうが好まれるんじゃないだろうか。
それに、なにせ高そうである。わたしだったら値段も見ずに決めたり絶対しないけれど、ブルーノは「かまわない」と店主にそれを渡した。当然かもしれないが、値切ることもしないらしい。やはり伯爵家は違う。
ブルーノが店主と話している間に、わたしとマリーは先に店を出た。戸を抜けた途端に祭りの賑やかな音が響く。
「マリー、お祭りはいつまで続くの?」
「明日の夕方までですよ。今日は夜になっても灯りが消えないでしょうね」
夜のお祭りも楽しそうだな、などと考えていたら、寒くもないのになぜか悪寒がした。なんだろうか、とても嫌な予感がする。
「おや、子爵家のお嬢様ではありませんか」
このねっとりとした声は聞き覚えがある。悪寒の原因はこれらしい。
振り返ると、ナメクジことネッケがニヤリとした笑みを浮かべて立っていた。




