26.孤児院
しばらく進んだところで馬車がゆっくりになり、やがて止まった。先にマリーが降り、次にブルーノが降りた。わたしが降りようとしたら、ブルーノが手を差し出してくれた。少し驚きながらも、手を重ねて支えてもらい、馬車から降りた。
「ありがとうございます」
「……あぁ」
「どうかしましたか?」
手を離してもしばらく動かないブルーノを不思議に思って見上げると、隣でクスッとマリーが笑った。
「ほら、大丈夫だったでしょう? ブルーノ様は自分が手を差し出したりエスコートをするのはエレナ様が嫌がるだろうと気にされていたんですよ」
「え、どうして?」
意味が分からなくて首を傾げると、マリーはまたクスッと笑い、ブルーノは目を逸らした。
「俺は『呪いの伯爵』だからな」
「触れたら呪われるのですか?」
「え? いや、それは……」
口ごもったブルーノに代わってマリーが「そんなわけないでしょう」ときっぱりと言い切った。
「近づいたり触れたりするだけで呪われるのならば、私はとっくに呪われてます。何年ブルーノ様の近くにいると思っているのですか。見ての通り、ピンピンしておりますよ」
呆れ顔でそう言ってから、フンと力強く鼻息を鳴らしたので笑ってしまった。
「行くぞ。こっちだ」
歩き始めたブルーノの後ろについて門をくぐると、でーんと大きな建物がそびえ立っていた。奥に丸くて赤っぽい大きな屋根が見える。
「ここは教会だ。こちらは裏口なので、今から表に回る」
「教会……」
子爵領にももちろん教会はあったが、規模が違う。わたしは置いていかれないように、キョロキョロしながらもブルーノについていった。
「こちらが正面だ」
複雑な模様が彫り込まれていて、所々に像が刻まれている。かなりの高さがあって、わたしは「わぁ」と見上げた。
マリーに「口が開いていますよ」とまた怒られた。
大きな扉は閉まっており、わたしたちはその横にある小さな扉へ向かった。今日はお祭りなので、もうしばらくしたらこのいつもは閉じている大きな扉が開け放たれて、領民たちが押し寄せるらしい。
小さな扉の前にいた護衛に通されて中に入ると、そこは非常に天井が高い空間が広がっていた。大きくて太い柱が何本もあり、ステンドグラスから様々な色の光が降り注いでいる。まるで別世界のようだ。
見上げると天井にも模様が施されている。どこもかしこも見事だ。上を向いていたわたしは自分で口が開いていることに気が付いて、ん、と口を閉じた。
「綺麗だろう? この教会はグレーデン領の自慢の一つなんだ」
真ん中の通路を進む。教会内はお祭りの準備の最終調整をしているようで、中にいる人たちは忙しく動きながら、ブルーノに気が付くとお辞儀をしていた。
「あら、ブルーノ様ではありませんか」
前方にいたご婦人がブルーノを見て顔を明るくした。近くにいた壮年の男性もこちらに向かってきて、二人揃ってブルーノの前で礼をとった。
「お久しぶりです、ブルーノ様。お元気そうでなによりです」
「中々来られずに申し訳ない」
「いえいえ、伯爵位を継がれて忙しいのは分かっておりますから。本日はよく来てくださいました」
「こちらは息災ですか?」
「おかげ様で、恙なくすごしております」
二人ともとても柔らかい雰囲気の方で、ブルーノとはよく知っている関係らしい。
ご婦人がわたしの方にチラッと目を向けた。それに気が付いたブルーノが紹介してくれる。
「こちらは婚約者のエレナです。エレナ、こちらはこの教会の司祭とその奥方だ」
「エレナ・ギルマンと申します」
「まぁ、婚約者様でしたのね」
丁寧にお辞儀をすると、ご婦人はブルーノの顔を伺った後で優しそうに微笑んだ。
「何か手伝うことはありますか?」
「特にございませんよ。普段はあまり休めないのではないですか? 今日くらいゆっくりなさってください」
「では、子供たちの顔を見にいってもいいでしょうか?」
「もちろんです。きっと喜びますわ」
子供たち?
案内しましょう、と言ったご婦人に「自分で行けますから」と断って、ブルーノは脇にあった小さな扉を抜けた。ブルーノにとっては勝手知ったる場所のようで、迷いなくスタスタと進んでいく。
わたしはブルーノについて行きながら、頭の中では先程の言葉が反芻されていた。
子供たち?
たしかに、離縁、死別された奥様との間にいたかもしれないのに、今までまったくそんな事は考えていなかった。
「マリー、ブルーノ様って、御子がいらしたの?」
小声で聞くと、マリーはきょとんと目を丸くしてから、ふふふっと堪えきれないように笑った。
「えぇ、たくさんいらっしゃるのですよ」
「えっ、たくさん?」
たくさんって?
奥様との結婚生活はそんなに長くはなかったはずだから、妾……?
子爵家では貧乏すぎて妾を養う余裕がそもそもないという状況だったけど、財力に不安のない殿方にとっては普通のことだというし、そういえばナメクジさえたくさん女性を囲っていたし、と嫌な事を思い出した。そんな様子は全くなかったけれど、ブルーノは伯爵だし、もしかしたら……?
ハッとブルーノを見ると、うんざりした顔で「おい、マリー」と睨んでいた。マリーはそんな睨みは平然と受け流している。
その場合って、結婚できたとしたらだけど、わたしが引きとるのが普通? などと変な方向に思考が逸れたところで、目的の部屋に着いたらしい。
マリーがその戸を開けると、中から賑やかな声が聞こえた。
「あっ、ブルーノ様だ!」
一人の子供がこちらに気が付くと、わらわらと子供たちが寄ってきた。皆同じ服を着ている。
「ブルーノ様、久しぶり」
「久しぶりだな。おまえたち、大きくなったな。俺のこと覚えているか?」
「覚えてるよぉ」
「なんで忘れるんだよ」
「ブルーノ様と、マリーおばちゃん」
マリーが腰に手を当ててわざとらしく「おばちゃんと呼んだのはだれかしら?」と言うと、きゃはは、と笑い声が響いた。
部屋の中には状況がわからずにきょとんとした小さい子から、十歳を越えていると思われるそこそこ大きい子まで、二十人くらいだろうか、子供たちがいた。
どうやらここは孤児院のようだ。
「みんなこの領の子、つまり、領主であるブルーノ様の子ですよ」
マリーが笑いながら、わたしにこっそりと言った。
そりゃそうだよね、何変な勘違いしていたんだろうわたし。
「ねぇ、そっちのおねえさんは?」
「俺わかっちゃったぁ。ブルーノ様の、いい人」
男の子がぐふふと笑いながら言うと、きゃあ、という女の子がいたり、きょとんと「いい人ってなに?」と聞いている子がいたりする。
「えー、ブルーノ様のお嫁さんなの?」
ブルーノは苦笑するばかりで答えないので、わたしは思い切ってはっきり言った。
「えっとね、お嫁さんになる予定の人、かな?」
「まだお嫁さんじゃないってこと?」
「今は、まだ、ね」
曖昧に微笑むと、別の場所から女の子が見上げてきた。
「ってことはぁ、あたしたち、ライバルだね!」
「へ?」
なんで君、ライバルなんて言葉知ってるんだ。
「あたしもあたしも」
「ねぇ、らいばるってなあに?」
「ひゅー、ブルーノ様、モテモテぇ~」
収拾がつかなくなってきた。子供の力ってすごい。
「ねぇ、おねえさんもこっちであそぼ」
「きてきて!」
子供たちに服を引っ張られるわたしと同様に、隣ではブルーノも引っ張られていた。
「おい、服が伸びるだろ。引っ張らなくても行くから」
子供たちと遊ぶブルーノは、とても優しい顔をしていた。




