25.お祭りへ
ある日ブルーノと共に昼食を取っていると、マリーがなにやらブルーノに視線を送っていることに気が付いた。
「どうかしたの、マリー?」
「いいえ、なんでもありませんよ。今日もいい天気ですね、ブルーノ様?」
「ん、あぁ」
窓の外に目を向ける。夏真っ盛りの最近は、だいたい毎日いい天気だ。
「エレナ、あの、だな、一週間後、街で祭りが開催される」
「お祭りですか?」
例年グレーデン伯爵領では、夏の盛りを少し過ぎたこの時期に祭りが開催されるそうだ。元々は、初代領主の誕生日を祝う祭りだったらしい。
初代領主はこの地を起こし安定させた英雄である、とされていることから、初代領主を祭り、先祖に感謝し、悪いことが起こらないように祈り、これから秋の収穫が無事に行われるように祈願し、……というようなお祭りらしい。
「なんだかお祭りの目的が初代領主さまの誕生日を祝うということから離れていってません?」
「お祭りなどそのようなものだろう。何か理由をつけて、皆で楽しめればいいのではないか」
「まぁ、そうですね」
子爵領でのお祭りも、理由はあったけどなんの祝いだっけ、くらいのものだったと思い出す。
「俺は領主として参加することになっているのだが、もしよければエレナも一緒に行かないか?」
「いいんですか?」
「君のおかげで執務にも余裕ができたし、君はここにきてからあまり外に出たことがなかっただろう。気晴らしにもなるかと思うが、どうだ?」
「ありがとうございます!」
伯爵領に来てから毎日なんだかんだとやることに追われて充実した日々を過ごしているが、伯爵家の敷地外には出たことがなかった。とても楽しみだ。
「ねぇアリー、お祭りにはどれを着たらいいかしら?」
「迷うほど服をもってないじゃないですか」
「そうだけど!」
領主として参加すると言っていたから、遊びに行くわけじゃない。共に歩いてもおかしくない服装でないといけない。
「貴族としての正装ではお祭りらしくないし、質が低すぎても駄目よね」
アリーと一緒にガラガラの衣装部屋に入る。少ない衣装を眺めながら真剣に悩んでいると、アリーがニヤリとした顔を向けてきた。
「エレナ様、なんだかデート前みたいですね。服を気にしたりそわそわしたりして。ようやくブルーノ様のカッコよさに気が付きました?」
「えっ?」
で、デート?
「服はこれ、飾りにこれをつけましょう」
「早っ」
「どうですか?」
「アリー、センスいいわね」
「お褒め頂き恐縮です」
あまり恐縮していない感じだ。
だけど、褒められるとちょっと耳が赤くなる。嬉しさを隠そうとして隠し切れていないところは可愛いと思う。
そして一週間後、お祭り当日の朝。
わたしはアリーがさくっと選んだ服を着て、張り切って化粧をしてくれたアリーに「デート頑張ってください」と揶揄いのような本気のような感じで言われて送り出され、ブルーノと馬車に乗った。マリーも一緒だ。
伯爵領の街へ出るのは初めてだ。久しぶりの外出と初めての街、初めてのお祭りにわくわくする。
「ブルーノ様はどのようなことをされるのですか?」
「特にこれといってやることがあるわけじゃない。最初に記念式典に参加して、領民の前に姿を見せる。その後は特に決められていないな」
「そうなのですか。お祭りは回らないのですか?」
せっかくだから眺めるだけじゃなくて、いろんなところを回ってみたいな。そんな気持ちを隠しながら聞くと、ブルーノではなくマリーがピシャリと答えた。
「お時間があるのでしたら、一緒にお祭りを回ったらいいと思いますよ。まさかエレナ様に勝手に行ってきていいぞ、とか言うつもりではありませんよね?」
「……俺が行っても大丈夫だろうか?」
「大丈夫ですよ。多少騒ぎになったとしても、堂々としてればいいのです。ブルーノ様は領主なのですから」
マリー、強いよ。良い調子だよ!
心の中で応援する。
マリーはブルーノが子供の頃から世話をしていると聞いている。離れに移ってからは母の代わりとも言えるような存在だったらしく、ブルーノは今でもマリーに弱いところがある。
舗装がいいのだろう、馬車は一定のリズムでガタゴトと進んでいく。
通りには三階建てくらいの高さの建物が並んでいる。屋根は赤っぽい建物が多いが、壁は白かったりクリーム色だったりと統一されていない。それがまた何とも可愛らしい街並みを作り出していた。
瞬きをするのも惜しいくらいに窓から外を眺めていたら、マリーに「口が開いていますよ」と注意されてしまった。ブルーノに笑われた。
大通り沿いだからか、一階部分は店舗になっている建物も多い。その中に、見たくなかったある店を見つけた。
「あっ、ナメクジの店」
慌てて口を抑えたけれど、残念ながらすでに声に出ていたらしい。ブルーノが怪訝な顔になった。
「ナメクジの店とはなんだ?」
「あの、あそこの『ナック商店』という店なんですけど」
「あぁ、三年ほど前にできたらしいな。子爵領にも店舗があったのか?」
わたしはナメクジについて話した。
その商店のオーナーであるナメクジことネッケという人物に狙われていたこと、彼は貴族令嬢というだけでわたしを欲しがっていたこと、汚い手を使って圧力を掛けてきたこと。商売においては切れ者らしいが女癖が悪いこと、ヌメッとしている感じで気持ちが悪くナメクジに似ているから勝手にそう呼んでいたこと。
最後のほうはただの悪口になってしまったが、嫌悪感は伝わったと思われる。
「わたくし、もしブルーノ様からの縁談をいただかなければ、彼の元へ嫁がなければいけなかったかもしれないのです。本当に救われました」
「そのようなことがあったのか」
ブルーノはすでに通りすぎたナック商店の方角を向いた。
「商店自体が悪いわけではないのですよ。商品もまっとうなものですし、従業員の方々もたいていは好感のもてる方でしたから。ただオーナーが苦手というだけです」
ナメクジを思い出して身震いし、自分の身体を抱きしめた。
「そんなに嫌だったのか」
「嫌ですよ。死んでも嫌だと思いました。でもわたくしは子爵家の娘ですから、もし子爵領の経営がどうしようもなくなってしまえば、そうせざるを得なかったのです」
そうなっている自分を想像してしまい、わたしはもう一度大きく身震いした。




